Mag-log in身構えたままでいたが、男が本当に下ろす気がないのが分かり、大人しく諦めて体の力を抜いた。
「じゃあ……すみません。お言葉に……甘えさせて下さい。このままでお願いします」 正直今は体がしんどい。立っているのが精一杯だ。 途切れ途切れに言葉を口にすると、男は嬉しそうに眉尻を下げる。 「ありがとう。——身構えたままでいたが、男が本当に下ろす気がないのが分かり、大人しく諦めて体の力を抜いた。 「じゃあ……すみません。お言葉に……甘えさせて下さい。このままでお願いします」 正直今は体がしんどい。立っているのが精一杯だ。 途切れ途切れに言葉を口にすると、男は嬉しそうに眉尻を下げる。 「ありがとう。——良い子だね」 微笑まれて言葉をかけられた瞬間、あんなに倦怠感に蝕まれていた体がフワリと持ち上げられた。サブドロップが軽くなる。 「え? 何これ? 何で……」 動揺した。コマンドも何も発令されていないのに高揚感に包まれている。 サブドロップとはドムから過剰に与えられたコマンドの後に褒められなかった事で発症するものなので、ケア用の褒められるコマンドでなければ体調が良くならない筈だった。 きちんとケアをしてもらった試しがないので、これがケア後の正しい感想なのかは分からないが。 「ふふ、少しは調子が良くなったみたいだね。苦しそうにしているのは見ていられなかったから良かったよ」 額に唇が当たりそうなくらいに引き寄せられる。まるで宝物を扱うような仕草にまた困惑した。 会ったのは今日が初めてだ。なのに初対面の人に向ける眼差しにしては熱がこもりすぎている気がした。 歩きながら視線を落とした男と一瞬だけ視線が絡む。嘘偽りない気持ちが伝わってきて途端に顔が熱くなった。 ——初対面の相手にこんなに熱意を傾けられるものなんだろうか? 自分には無理だと感じた。胸の奥底がむず痒くて仕方ない。 「どうして……。あの、貴方は一体……、あっ」 名前を聞こうとして見事に噛んでしまい、恥ずかしくて言葉を繋げられなくなってしまった。 「ふふ、名前かい? そうだね、うーん。ああ、君がつけてくれる?」 唐突な言葉にギョッとして目を剥く。 「ええ? 名前を……ですか?」 「そう、私の名前だよ。つけて欲しい」 ——そんなペット感覚で言われても……。 いいのだろうか。まさかそう返答されるとは思ってもみなかった。見た目は人間なのに気が引けてしまう。 黙ったままでいたが、男は折れる気配がない。どうしよう……と逡巡する。 『しらつき……白月』 不意に、頭の中に音と文字が浮かんだ。 「しら……つき。白い月で、白月というのはどう
本来ならドムとサブの合意の元で行われるダイナミクスのプレイは一方的に行使されるものではない。それを合意もなく行使され、見せ物にされる。 他の社員は笑うか、関わらないように視線を逸らすか、そそくさと帰ってしまうかのどちらかで職場で空良の味方はいない。とても惨めで悔しかった。 ——もう嫌だ、ドムになんて縋りつきたくない。 両手で自身の体をかき抱き、自分より頭ひとつ分以上背の高い男を睨みつける。 ——人間でも人外でも、ドムはお断りだ。 ドムからの嫌がらせは入社してからずっと続いている。せめて外では無様な姿を晒したくない。 見惚れていたのも忘れたように、空良は敵意のこもった視線を男に浴びせた。 「自分で、ちゃんと立てます……。お気遣い……っありがとうございました」 震える四肢に力を込めて、真っ直ぐに背を伸ばす。 良くなっていたサブドロップも、今の緊張感でぶり返してきている。 ——早く帰らなきゃ……。 男から距離を取ろうとしてまた直ぐにふらついた。咄嗟に腕を伸ばしてきた男に支えられそうになり、空良は条件反射のごとく腕を弾き返す。 「僕に……触らないで下さい」 「無理に動いてはダメだよ。一先ず雨露を凌げる所へ行こう。それに追われているんでしょう?」 「貴方には関係ありません。僕は一人で逃げ帰れるので、放っておいて下さい!」 ——さっさとこの場から離れたい。 男をすり抜けようとすると、軽々と横抱きにされてしまい、顔がカッと熱くなった。 「ちょ、何してるんですか!」 こんな人通りの多い所で、この抱き方は恥ずかし過ぎた。女性のように扱われた事にも腹が立って仕方ない。 「君と私の姿はもう人間には見えなくなっている。君は捕まらないから安心していいよ」 追われていたのに気づかれている。あと、やはり人間ではなかったみたいだ。伊藤には見えなくなっているのには安心出来た。 しかしドム自体に触られたくない。あと、女性のように扱って欲しくもなくて降ろして貰おうと両手で男の胸板を押し返す。男の体はびくともしなかった。 「あの……? 降ろしてください」 昔から母譲りの色素の薄い髪の毛と顔立ちのせいで、今でも揶揄われることが多い。女性扱いされるイコール男として見られていないのが丸わかりだ。 過去に初めて好きになった女性に
——最悪だ。 今日ほどついていない日はない。 月見山空良《やまなしそら》はサブドロップしながらも、懸命に足を動かして横断歩道を走っていた。 灰色に覆われた空からは大粒の雨が降り注いでいる。 持ってきた傘が鞄に入っているけれど、取り出している余裕はなかった。己をサブドロップに陥らせた伊藤という会社の同僚に追われているからだ。 水を跳ね上げて走り続ける。黄昏時というのもあるが、建物や民家が地に影を落としていた。道ゆく人も急に降り出した雨で俯き加減なのもあり、更に陰鬱な印象を与えている。 近くで雷鳴が轟いた。 ——早く家に帰りたい……。 雨も嫌だが、それよりも落雷が怖い。背後からニヤニヤしながら後を追ってきているあの男も不快で堪らない。体に鞭を打つようにひたすら足を動かし続けた。 水分を含んだスーツが、ただでさえも怠い体にまとわり付いていて重い。乱れ過ぎている呼吸を落ち着かせようと、深呼吸した時だった。 突然リーンという耳障りの良い鈴の音が響き渡り、足を止める。 時が止まったかのような静寂が訪れた。 直後、音響式だった信号機の音が突如懐かしいメロディー式へと変わる。 ——え、何で……? 慌てて周りに視線を走らせた。 どれだけ目を凝らして周囲の人たちの反応を見ても、気がついているのは自分以外にはいなさそうだった。 ——もしかして鈴の音もメロディーも僕にしか聞こえていない? 不可思議な現象に目を瞠る。 障害を抱える人向けに音響式へと変更された信号機の音が、前触れもなくメロディー式に変わるわけがない。しかも、こんな唐突に切り替わるのはどう考えてもおかしかった。 そう思いながらも、心のどこかで安心している自分がいて、笑みを浮かべる。 ——良かった。 流れているメロディーは、幼いころに田舎に住んでいる祖母から教えて貰ったわらべ歌だった。 サブドロップ中にこの曲を口ずさむと何故か気分が良くなる。今は身に染み入るほどありがたかった。 とうとうバケツをひっくり返したような雨になった。 信号ももう少しで点滅するだろう。もつれそうになる足をまた動かして、空良はフラフラと前へと進んでいく。 今なら雨の音がかき消してくれそうだ。横断歩道のメロディーに合わせて口を開いた。「と〜りゃんせ……とうりゃんせ。こーこは……どーこの細道じゃ。天神様の細







