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3、ケア

last update Huling Na-update: 2026-01-10 16:31:58

身構えたままでいたが、男が本当に下ろす気がないのが分かり、大人しく諦めて体の力を抜いた。

「じゃあ……すみません。お言葉に……甘えさせて下さい。このままでお願いします」

正直今は体がしんどい。立っているのが精一杯だ。

途切れ途切れに言葉を口にすると、男は嬉しそうに眉尻を下げる。

「ありがとう。——良い子goodだね」

微笑まれて言葉をかけられた瞬間、あんなに倦怠感に蝕まれていた体がフワリと持ち上げられた。サブドロップが軽くなる。

「え? 何これ? 何で……」

動揺した。コマンドも何も発令されていないのに高揚感に包まれている。

サブドロップとはドムから過剰に与えられたコマンドの後に褒められなかった事で発症するものなので、ケア用の褒められるコマンドでなければ体調が良くならない筈だった。

きちんとケアをしてもらった試しがないので、これがケア後の正しい感想なのかは分からないが。

「ふふ、少しは調子が良くなったみたいだね。苦しそうにしているのは見ていられなかったから良かったよ」

額に唇が当たりそうなくらいに引き寄せられる。まるで宝物を扱うような仕草にまた困惑した。

会ったのは今日が初めてだ。なのに初対面の人に向ける眼差しにしては熱がこもりすぎている気がした。

歩きながら視線を落とした男と一瞬だけ視線が絡む。嘘偽りない気持ちが伝わってきて途端に顔が熱くなった。

——初対面の相手にこんなに熱意を傾けられるものなんだろうか?

自分には無理だと感じた。胸の奥底がむず痒くて仕方ない。

「どうして……。あの、貴方は一体……、あっ」

名前を聞こうとして見事に噛んでしまい、恥ずかしくて言葉を繋げられなくなってしまった。

「ふふ、名前かい? そうだね、うーん。ああ、君がつけてくれる?」

唐突な言葉にギョッとして目を剥く。

「ええ? 名前を……ですか?」

「そう、私の名前だよ。つけて欲しい」

——そんなペット感覚で言われても……。

いいのだろうか。まさかそう返答されるとは思ってもみなかった。見た目は人間なのに気が引けてしまう。

黙ったままでいたが、男は折れる気配がない。どうしよう……と逡巡する。

『しらつき……白月』

不意に、頭の中に音と文字が浮かんだ。

「しら……つき。白い月で、白月というのはどうですか?」

「え……」

男がピタリと足を止める。

視線を合わせると、虚を突かれたような表情をした後で、男の目から涙が落ちていった。

——嘘っ、泣かせてしまった!

「え、ええっ……。すみません! そんな泣くほど嫌だったとは思わなくて、あの、ごめんなさい。真に受けて悪ノリしてしまいました。すみませんでした」

第二のまさかの展開に、慌ててポケットからハンカチを取ると男の涙を拭く。心底驚いた。心臓に悪い。

驚きはしたものの、誰かの涙をこんなに綺麗だと思ったのは初めてだった。

それと同時に自分自身も切なさで胸が押し潰されそうな妙な気持ちにもなってしまい、どうしていいのか分からなくて困ってしまう。この人に泣いて欲しくなくて、どうにかしようと謝り倒す。

「ごめんなさい。嫌ですよね……ネーミングセンスなくてすみません」

男は少し照れくさそうにしながらも器用に笑みを浮かべた。

「あの、泣かないで下さい」

男が泣いているのを見ていると切なさで身を切られる思いに捉われる。

——何で……?

サブドロップのせいで自分まで感覚がおかしくなっているのだろうか。先程から訳の分からない事だらけで動揺してばかりだ。

「ふふふ。驚かせてしまってごめんね。嫌だったわけじゃないんだ。また君にその名前で呼んで貰えると思わなかったから嬉しくて……。ありがとう」

——また君に?

どういう意味なのか考える前に、熱意のこもった視線を向けられ、何だか気まずくなってしまい視線を逸らす。偶然だとしても、以前そう呼ばれていた事があるのなら良かった、と安堵した。

「早速私を名前で呼んで欲しい」

「へ? あの、名前……って、本当に良いんですか?」

「とても気に入っているよ。だから初めは君に私の名前を呼んで欲しい」

「じゃあ、白月……さん」

「敬称はいらない」

「う……。白月」

額同士をグリグリと合わせられる。やたら甘ったるい空気感とパーソナルスペースゼロ距離に戸惑った。

——妖ってこんなに人懐っこいの?

妖の距離感がよく分からずに、されるがままになっている。

「今日は良い日だ。私は君を害することはしないと誓う。何なら名を預けて契約を交わしてもいいよ。私たち妖には名を預けてする契約は命を預けるのと同意義だからね。絶対に破らない」

まさかこんなに喜ばれるとは思ってもみなかった。頭に浮かんだ文字と音を言葉に変えただけなのに。

それに、契約を結ぶなどそこまでして欲しいとは思っていない。家に帰ればきっともう会わないだろうから……。そっと息をはいた。

「そのまま私のお願いを聞いてくれる?」

素直に頷いて「わか、りました」と、ぎこちなく小さな声で言葉を口にした。

「そう。——良い子goodだね。歩きながら空良のサブドロップをもっと軽くしよう」

「え……」

願ってもなかった声掛けに驚いた反面、名前を呼ばれた事でまた警戒心が湧き上がってくる。

——どうして僕の名前を知っているんだろう。

体を硬直させる。

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