「何が原因かは僕は知らない。どうやらこれから起きる大きな出来事のせいである場所に時空の歪みが生じたらしい。ブラックホールのようなね」
と言った後、あたしの顔をじっと見た。それはあたしがその話について何か感じることがあるか図っているようだった。「それは土蔵のことですか?」 あたしは土蔵のウォータースライダーのことを思い出した。あれがVRブースでなければTWブース、つまりタイムワープ用の何かじゃないかと思ったからだ。「その通り。時空の歪みがあの土蔵の中で起こってしまった。たまたま中にいた双子の赤ん坊を巻き込んでね」「千福まゆまゆさんたちのことだよ」 冬凪が説明を挟んだ。それに頷いてから鞠野教頭先生は話を続けた。「彼女たちは、時空に引き延ばされて過去と未来に存在している。いわば時間の入口と出口の守り神なんだ。君たちは彼女たちが時空に作るストリームを通って過去に来たんだよ」 あたしは鞠野教頭先生の話の全てを呑み込めたわけではなかった。けれど、今はそれでいいと思った。それよりもここにあたしを連れてきて鞠野教頭先生に会わせた冬凪の意図を知りたいと思った。十六夜を解放する何かの手立てがあるはずだから。「それで、これから何をすればいいのですか?」 鞠野教頭先生は窓の外を見る仕草をして、「町役場に行こう」 あたしは最初、それを現在の町役場のことだと思った。それで、閉庁して誰もいないだろうなどと見当違いなことを考えて、「そんなところに何をしに行くのですか?」 と言ったけれど、そういえばここは過去の辻沢なんだと思い直して倒壊した旧町役場のことだと気がついた。「この辻沢のことをよく知っている人に会いにだよ」 鞠野教頭先生はそう言うと、ハンガーに掛けてあった服の中から長袖のパーカーを二着取って冬凪とあたしに「着なさい」と言って渡してくれた。そして自分はウインドブレーカーを羽織って廊下へ出て行った。冬凪もその後について行くのであたしも同じようにした。玄関の外に出ると、「バモスホンダTN360で行くよ」 と駐車場の一番端の、フロントだけあってドアも外郭もない小型トラックのほうに「何が原因かは僕は知らない。どうやらこれから起きる大きな出来事のせいである場所に時空の歪みが生じたらしい。ブラックホールのようなね」 と言った後、あたしの顔をじっと見た。それはあたしがその話について何か感じることがあるか図っているようだった。「それは土蔵のことですか?」 あたしは土蔵のウォータースライダーのことを思い出した。あれがVRブースでなければTWブース、つまりタイムワープ用の何かじゃないかと思ったからだ。「その通り。時空の歪みがあの土蔵の中で起こってしまった。たまたま中にいた双子の赤ん坊を巻き込んでね」「千福まゆまゆさんたちのことだよ」 冬凪が説明を挟んだ。それに頷いてから鞠野教頭先生は話を続けた。「彼女たちは、時空に引き延ばされて過去と未来に存在している。いわば時間の入口と出口の守り神なんだ。君たちは彼女たちが時空に作るストリームを通って過去に来たんだよ」 あたしは鞠野教頭先生の話の全てを呑み込めたわけではなかった。けれど、今はそれでいいと思った。それよりもここにあたしを連れてきて鞠野教頭先生に会わせた冬凪の意図を知りたいと思った。十六夜を解放する何かの手立てがあるはずだから。「それで、これから何をすればいいのですか?」 鞠野教頭先生は窓の外を見る仕草をして、「町役場に行こう」 あたしは最初、それを現在の町役場のことだと思った。それで、閉庁して誰もいないだろうなどと見当違いなことを考えて、「そんなところに何をしに行くのですか?」 と言ったけれど、そういえばここは過去の辻沢なんだと思い直して倒壊した旧町役場のことだと気がついた。「この辻沢のことをよく知っている人に会いにだよ」 鞠野教頭先生はそう言うと、ハンガーに掛けてあった服の中から長袖のパーカーを二着取って冬凪とあたしに「着なさい」と言って渡してくれた。そして自分はウインドブレーカーを羽織って廊下へ出て行った。冬凪もその後について行くのであたしも同じようにした。玄関の外に出ると、「バモスホンダTN360で行くよ」 と駐車場の一番端の、フロントだけあってドアも外郭もない小型トラックのほうに
辻女に着いてまず気づいたのが前園記念部活動棟がないことだった。木造一階建ての教務棟と鉄筋三階建ての授業棟、それに体育館という極めてシンプルな構成で、まだヤオマンHDの資本が入る前、県立高校だったころの姿なんだろう。もう時間が遅いのか、職員室の電気も消えていて、玄関右手の窓にだけ明かりが見えた。あそこは謎部屋「やどなおし室」だ。畳敷きで何もないから、幽霊が出ると噂があって誰も入りたがらない部屋。 冬凪が窓の下の生け垣を跨ぎ越えて窓をたたいた。「藤野冬凪です。夏波を連れてきました」「はーい。今玄関開けるから回って」「行こ」 と生け垣から出てきた冬凪に、「挨拶するって」「そうだよ。これから会う人にね」 今の声、確かに聞き覚えのある声だった。どこでだっけ。たしか冬凪はあたしも知ってる人って言ってたから。 玄関に回るとガラス扉の中から解錠の音がして、扉が開いたと思ったら、ヒゲ面のおじさんが笑顔で出迎えてくれた。異様に白い歯だった。誰? 全然知らない人ないんだけど。「君が藤野夏波くんか。ようこそ辻沢へ」 あ! 思い出した。あそこでだ。あのナフタリンくさい、紙本ばかりの、「鞠野文庫の鞠野教頭先生だよ」「鞠野です。よろしく」「初めまして、藤野夏波です。よろしくお願いします」 あたしはこのとき初めて鞠野フスキに会ったはずなのに何故か前に何処かで会ったことあると思ったのだった。 スリッパの音をさせて鞠野教頭先生は廊下を歩き、例の小部屋に入って、「どうぞ」 と中に誘った。冬凪がさっさと中に入ってゆくのについて行くと、窓横の壁に紙本が堆(うずたか)く積まれていて今にも倒れてそうだった。その反対の壁には段ボール箱がいくつも積んである。あたしが部屋の真ん中に座ってそれらを眺め「教頭先生はギリ自分の部屋ない」([SMP]ハイツ友の会)というVゲーニンのサンプリングギャグを思い出していると、鞠野教頭先生は、「汚くしててごめんね。着任したばかりでまだ辻沢に住むところも見付けられてなくて」 と言いながら、「暖かい物飲むでしょ」 と部屋
月明かりが川面を照らす土手の上を、冬凪とあたしはとぼとぼと歩いていた。「さっきスマ電した人に会いに行くの?」 二人が志野婦から逃げおおせてすぐ、千福まゆまゆさんから預かったスマフォで冬凪が電話を掛けたのだった。やっぱりホロ未対応機種らしく耳に当てて使っていた。こんな不便なものをわざわざと思って、リング端末を見ようとしたら時刻さえ表示できなくなっていて凹んだ。「そうだよ。辻女で待ってる」 最初、ここはあたしの知らないゴリゴリバース内の辻沢だと思った。時間がおかしかったり、最凶のヴァンパイアが現れたりしたからだ。ヤオマンHDが作ったゴリゴリバースはリアルさでは群を抜いている。けれど、いくら完璧に辻沢の街をトレースできたしたとしても、そこにはゴーストタウンが不気味に広がってるだけになると思う。なぜなら人がそこで生活してないから。大勢の人がロックインしても、その人たちは街の風景にはならない。街の息づかいとは無関係の旅行者(ストレンジャー)だから。そこにAIを配置して生活させたとしても、きっとゲームのNPCのようになってしまうんじゃないかな。 こうして川の土手を歩いていると、これは本当にヴァーチャルの産物なんだろうかと思えてきた。それはここから見える辻沢郊外の窓のせいだ。あの一つ一つの窓の明かりの中に人の生活を感じる。どの窓にも人の息づかいや人の関わりが想像できる。どんな仕事をしているのだろう。お母さんとの仲はいいのかな。遠くにいるおばあちゃんは元気かな。そういう街の奥深さを感じた。「いったいここはどこ?」 冬凪は無言のままあたしの前を歩いていたが、その言葉で振り向くと、「あの時の辻沢だよ」 と言ったのだった。「あの時って?」 冬凪が遠くに見える辻沢の街中の明かりを指さした。見慣れた町並みが広がっていたけれど、そこにあってはならないものがあった。10階建てほどの三角のシルエット。屋上に銀色の巨大円盤が乗っている。ランドマークになるようにと30年前にデザインされたビル。「旧町役場!」 六道園プロジェクトの資料で散々見た、倒壊事故を起こした旧町役場がそこに存在していた。「そう。ここはまだ旧町役場が倒壊する前
冬凪はそんなあたしの体のところどころに触れて、「夏波、無事でなにより」 危険なことさせたってこと? そりゃ、何の説明もないわけだ。段々腹が立ってきたぞ。「千福まゆまゆ様、ありがとうございました。それではまた帰りの時はよろしくお願いいたします。さ、夏波、行くよ」 と冬凪はあたしの手を取った。あたしは君に激オコぷんぷん丸なんだけどと死語構文でにらみつける。「「藤野冬凪さん、藤野夏波さん。無事のお帰りを」」「ありがとうございます。それでは三日後に」 冬凪とあたしが出口まで来て振り返ると、黒いまゆまゆさんはこちらに手を振ってから黒い市松人形の中に消えたのだった。 土蔵の格子戸から見えた漆喰扉は黒かった。それを二人で押し開けて出ると左手に白い漆喰壁の土蔵があった。さっき入ったのはあっちだったはず。ということは……。こちら側はやはり黒い漆喰壁の土蔵で、あたしは左側から出てきたのだった。右から入って左から出る。あのウォータースライダーは土蔵を移るためのものだった? いったい何の意味が。外は日が暮れていて竹林の上に月が掛かっていた。「これどういうこと?」 空を指さして聞いた。「時間までの精度は期待できないんだよ」 そういうことではなく。「時間経ち過ぎじゃない? もうバイト終わってるよね」 「まあ、そうなんだけど」 と何かを言いかけて冬凪はあたしの手を取って土蔵の裏手に引き込んだ。「どうしたの?」「しっ! 一番見つかりたくないヤツいる」 と土蔵の角から竹林の中を伺っている。あたしも冬凪の後ろから竹林を見てみると、そこに女学生らしき人影が見えた。その女学生は竹林の中から土蔵前の広場に出てきた。月明かりの下で見る制服は宮木野線沿線唯一のお嬢様高校、清州(せいしゅう)女学館のものに似ていた。夜の散歩している様子だったが、何かに気がついて立ち止まりこちらに顔を向けた。月光に照らされたその顔は恐ろしいほど美しかった。女学生の金色の瞳があたしを捉えた瞬間、甘い香りに包まれるのを感じた。あたしは魅了され息を呑んだ。「懐かしいお
中はたしかに狭かった。背丈が足りるかと思ったら、あたしが足を踏み入れるとちょうどいい具合に床が沈み込んで入れた。これっていったいなんなの? 宿泊者用の身体検査のなにかかな。と考えているうちに両側から扉が閉まって真っ暗になった。「最初は窮屈に感じるけど、すぐ楽になるから」「これは何なの? VRブース?」「そんな感じのもの」 と外から冬凪の声が聞こえた。VRブースだと聞いて少しだけ気持ちが落ち着いた。開発元やロックイン先のメタバースによって様々なブースがあるのは知っているから、こういう変な外観のものがあっても驚かない。でも操作盤とかVRギアとかが全くなく扉を閉めたら真っ暗闇って、これじゃ拷問器具だよ。鉄の処女とかいうのあったじゃん。あれ的なやつ?「ねえ、冬凪、聞こえてる? これどうやって操作するの?」「「それでは行ってらっしゃいませ」」 という声が聞こえたと思ったら、床が抜けた。ストンと落下した感覚があったのだ。視界が真っ暗なので確かなことは言えないけれど、スタートで床が抜けるタイプのウォータースライダーで落とされた感覚と一緒だった。どこまでも落ちてゆく。スピードも段々速くなってるんじゃないか? 上を見たけど何も見えなかった。下も同じ。ただ、周りはいつか見た光の筋でいっぱいで「元祖」六道園を脱出したあの星間飛行の時のようだった。しばらくしてその光の筋が消えて徐々に落下感がなくなり再び真っ暗闇の中で制止した。今度はその暗闇の正面に光の筋が入った。そして光の幅が広がると、その光の中から白い手がさしのべられた。その小さくか細い手は、まゆまゆさんのものに違いなかった。あたしはあまり引っ張りすぎないように、その手にすがって市松人形の中から外に出た。そこはもとの蔵の中で、目の前にまゆまゆさんが立っていた。でも、そのまゆまゆさんには驚いた。いつの間にか黒地に銀糸で五弁の花をあしらった和服に着替えていたからだ。冬凪は? 見当たらなかった。「「ようこそいらっしゃいました」」 黒いまゆまゆさんはそう言って微笑むと、突っ立ったままのあたしに、「「少しばかり横にいてくださいませ。妹様がおいでになります故」」 と言って手を引いて、あたしのことを市松人形の横に
冬凪は右手にある白漆喰壁の土蔵の扉の前に歩み寄った。そして先週と同じく鏝絵が描かれた漆喰扉に手を掛ける。あたしもそれを手伝いながら、「あっちは開かないの?」 と聞いてみた。すると冬凪はそちらにチラリと目を向けた後、「黒い方は外から開かないから」 と言ったのだった。ならどうやって入るの? 格子扉を開けて中に入ると前と同じくヒヤッとした。現場からここまでで掻いた汗がスッと引いた。相変わらず古くさい物たちの匂いと微かな甘い香りがしている。土間で靴を脱いで上がり、床板が滑るので気をつけて進む。冬凪について土蔵の奥へと進んで行くと、前と同じ所に白地に五弁の花が金彩された市松人形が置いてあった。その前まで来て冬凪は正座した。あたしもそれに倣(なら)って正座する。板床に手を突くと、とても冷たくて心地よかった。横になって火照ったほっぺを付けたら気持ちよさそう。「藤野冬凪と藤野夏波がまいりました。ご機嫌麗しう」 と冬凪が挨拶すると、最初は無言だった市松人形から声がした。「「藤野冬凪さん、藤野夏波さん。こんにちは」」 と安定の二重音声だ。そして前回のように排気音がして市松人形が縦に二つに割れた。「「狭いので出ますね」」 と言って市松人形とまったく同じ柄の和服を着た、小学少女の千福まゆまゆさんが出てきて市松人形の開きの横に正座した。そして冬凪に向かって笑顔を作ると、「「今回の滞在のご予定は?」」 とまるでホテルのフロント係のようなことを言った。冬凪は冬凪で、「3日です」 とこれまた宿泊客のような返事をしたのだった。どういうこと? その大荷物は宿泊用ってこと? 今週はここに泊まってバイトするの? あたしは冬凪の袖をつまんで状況説明を求めたけれど無視。そんな冬凪は背負ったリュックを開けて中から紙袋を取り出してまゆまゆさんの前に置いた。「これは気持ちの品です」 やっぱり賂の品だったんだ。「「ありがとうございます。こちら先にお渡ししておきますね」」 とまゆまゆさんが袖の中から取りだしたのは画面がバッキバキに割れたスマフォだった。まだ年配の先生とか使ってる人いるけど