千年の眠りから目覚めた吸血鬼の王は、再びこの世に現れた“かつての魂”の気配を感じ取る。 かつて、ただ一人愛した人間の青年。その命は短く、決して永遠を共にできない存在だった。だが彼は、奪うことも、縛ることも選ばなかった。ただ、愛される日を静かに待つことを選んだ。 千年という時を超えて、二つの魂はふたたび出会う。だが、転生した青年は何も覚えていない。見知らぬ吸血鬼に出会い、理由もなく心を乱される。夢の中で繰り返される情景に、覚えのない懐かしさが胸を締めつける。
view more闇(くら)い。
瞼をゆっくりと持ち上げると、真っ暗闇の中にいることを認識した。しばらくは自分がどこにいるのか、何をしていたのか思い出せずにいた。記憶の靄が晴れるまで、私は静かに時の流れを待った。
そうだった。血石で装飾された棺の中で、愛する人の魂が再びこの世に現れるのを待っていたのだった。
果たしてあれから何年が経ったのだろうか。時間の感覚は曖昧になっていた。
重い棺の蓋を両手で押し上げると、新鮮な空気が胸いっぱいに満ちた。久しぶりに感じる生の感覚に、私の心は僅かながら躍動した。
「お目覚めですか、陛下」
カツカツと靴音を響かせながら、執事のエリックが玉座の間に足を向けてくる。以前とは違い、髪を短く切り揃え、見たことのない服装で私の前に現れた。
「あれからどれほど時が過ぎたのだ?」
私は左手の人差し指に嵌められた血石の指輪を指先で撫でながら、エリックの装いをまじまじと見つめた。それから自分の服装に目を向けると、時代錯誤も甚だしい有様だった。
銀の刺繍が施された生地のブラウスに黒いパンツ、そして漆黒のローブを纏った姿は、明らかに吸血鬼であることを示していた。自分でも苦笑してしまいそうになる。
それに比べてエリックは、真っ白なシャツに黒いネクタイ、黒いジャケットと黒いパンツという現代的な装いだった。
「陛下がお眠りになられてから、およそ三百年ほどでございましょう」
エリックは涼しい顔でそう答えた。三百年という途方もない時間を、まるで昨日のことのように語る。
「陛下がお目覚めになられたということは、あの方がお戻りになられたのですね?」
私は棺の縁に手をかけて外へ出た。血石があしらわれた棺は宝飾品で一面に飾られており、一見すると巨大な宝石箱のようだった。
ローブを翻し、足音を響かせながら玉座へと向かう。どっしりと腰を落ち着け、足を組んだ。
「そうであろうな。この胸の感覚は間違いない」
その時、窓から月明かりが差し込んできた。私の青白い肌をさらに白く際立たせる光。月光のように白い瞳に、久しぶりに力が宿るのを感じた。
胸に手を当てると、奥深くで脈打つ懐かしい魂の気配を感じ取ることができた。千年前に愛した、あの美しい青年の魂が――。
この世界のどこかで、再びその魂が息づいている。
私は左手人差し指の指輪をそっと撫で、瞼を伏せた。指輪に埋め込まれた血の結晶が淡く光を放っているのが見える。その光を眺めていると、彼との出会いが鮮明に蘇ってきた。
千年前、吸血鬼と人間は今とは違い、共存していた。我々も人間も分け隔てなく同じ暮らしを送っており、活発な交流があった。そんな中、私は彼に出会った。
淡い金色の癖毛を後ろで一つに結んだ彼は、青灰色の瞳を持つ美しい青年だった。初めて彼を見た瞬間、私の心は激しく打ち震えた。
私は彼に一目惚れし、彼と共に過ごすようになった。
時間を重ねるごとに、私はどんどん彼に惹かれていった。精神支配魔法を使えば、彼を手に入れることなど容易い。しかし私は、彼に心の底から愛してほしいと願っていた。
ついに、彼は私のことを愛してくれた。
私は彼に求婚した。
「私と結婚してくれないだろうか?」
その言葉に彼は頷き、私と一生を共にすると約束してくれた。
我々吸血鬼の結婚は血の契約で行われ、人間との結婚は公式には認められていない。しかし、千年前に吸血鬼と結婚した『紅の契約者』がいたという伝説があった。
一族の王である私が、その禁忌を犯すことになろうとは思いもしなかったが、彼と離れることは、もはや考えられなかった。
「私は君を愛している。だが私は永遠を生きる。しかし君は……そうではないであろう? だからこそ、君の自由を奪うことなどできない」
「僕もラズロ様と同じ吸血鬼にしてください」
「本当に、君はそれを受け入れるのか?」
「もちろんです。僕は、ラズロ様のそばで、あなたと共に永遠を生きたい……」
その言葉だけで十分だった。私は彼を抱き寄せ、口づけを交わした。彼の熱い吐息が、私のことを受け入れていることを物語っていた。彼の下唇を舌先で舐めると、口づけはさらに深くなった。お互いの熱を感じながら、魂が絡み合うようだった。
「愛している……」
口づけの合間に彼に囁くと、彼は目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
あとは首筋に噛みついて『血の交換』を行えば、彼に永遠の命を授けることができる――。
その時、彼が私の腕の中で崩れ落ちた。
私の腕からずり落ちた彼の体は、血まみれになっていた。
「裏切り者を討ち取ったぞ! これで世界の均衡は保たれる!」
「吸血鬼と人間の恋は世界の均衡を壊す」という伝説を信じていた一部の人間により、『反逆者』と認定された彼は殺されてしまった。
「ああああぁぁぁぁ!」
私の手の中から、幸せが滑り落ちた瞬間だった。
その日から、人間からの執拗な攻撃により、我々吸血鬼はヴァレンティア城でひっそりと暮らすことになった。
私はゆっくりと目を上げ、指輪を撫でながら玉座から立ち上がった。今度こそ、彼と――。
足音を響かせながら、城を後にした。
ヴァレンティア城を出て、ソラリア王国の学術都市『ミリアン』へと足を向けた。ミリアンは太古の昔より、転生者が現れる都市として我々吸血鬼の間で語り継がれている。そこに向かう途中、道行く人々は私を見るなり、目を逸らし、見て見ぬふりをする。
――あぁ、そうか。
私は三百年前の装いで外を歩いているのだ。周囲には、私のように刺繍の施されたブラウスを着てローブを着けている人など一人もいない。
人気のない場所へ移動し、エリックや街の人々の姿を参考にして、魔力で服装を整えた。白いシャツに黒いジャケットと黒いパンツ。
そして――。
吸血鬼の王の象徴である月光色の瞳を変えなければならない。
「彼と同じ、青灰色にしようか」
私は愛する彼の瞳の色を思い出し、魔力を使って色を変えた。
魂の気配を辿りながら、彼を探す。ミリアンに近づくほど、彼の気配を強く感じた。
街を歩きながら魂の在り処を探る。そしてついに――。
――見つけた。
見間違えることのない、癖のある淡い金色の髪。そしてあの横顔。
彼だった。
図書館の窓辺で、真剣に何かに取り組んでいるようだった。
私はいてもたってもいられず、彼の元へと向かった。
「君だ……。ようやく……見つけた……」
その言葉を聞いた彼は、ゆっくりと顔を上げた。間違いない。淡い金色の髪に青灰色の瞳。その顔を見ただけで、千年の時を超えた愛しさに胸が張り裂けそうになる。ようやく、彼の魂に辿り着いた。
胸がじんわりと温かくなり、目頭が熱くなった。
「あなた、誰ですか? 僕はあなたを知りません」
そっけなく答えた彼は、すぐに目を机に落とした。胸元できらりとペンダントが光っているのが見える。それには見覚えがある。忘れるはずもない。
――あぁ、やはりそうか。
想定していた答えに、私は肩を落とした。
転生者は前世の記憶を持っていない。それを呼び覚ますことは我々の一族には容易いことだが、実行することは禁じられている。
後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にして遠くから彼を見守った。彼が図書館から出ていく後ろ姿を見送りながら、私は千年前と同じ痛みを心に感じた。せっかく彼と出会えたのに、またも失うことになるのか――。
しかし私は支配ではなく、待つことを選ぶ。
「君が思い出すまで、私は待つ。それが永遠になろうとも」
その後数日間、私は影から彼を見守った。友人と思しき人物と話している時、時折困惑した表情を浮かべるのを見逃さなかった。
風に乗って彼の声が聞こえてくる。
「最近、変な夢を見るんだよ」
「ノエルが夢を見るなんて珍しいね。どんな夢だった?」
「知らない人が出てくるの。だけど、すごく懐かしく感じて……。心が、なんか、安らぐっていうか? ずっとその人のこと、知ってたみたいな感じ」
すると友人は冗談めかして言った。
「へぇ! もしかしたら、その人は運命の人かもしれないね!」
「そうかなぁ……。でも、どこかで見たこと……、あるような?」
そう言うノエルの表情は真剣だった。
もしかしたら、私が彼に接触したことで、前世の記憶が少しずつ紐解かれているのかもしれない。そう思うと、私の心に小さな希望の灯が点されたようだった。
城に戻ると、エリックが私の元にやってきた。
「陛下は現代の服もよくお似合いになりますね」
私は玉座へ向かいながら言った。
「服装だけでなく、随分と生活様式も変わったようだな」
玉座へ腰を下ろすと、軽く目を閉じた。
ミリアンの建物は石造りだが、ゴツゴツとしたものではなく、美しく切り出した石が使われていて美しい街並みだった。
「そうですね。この三百年で色々とございましたから……」
エリックは遠くを見つめながら、何かを思い出しているようだった。
「それで、ノエル様にはお会いできたのですか?」
「あぁ。ミリアンにおったよ」
私は左手人差し指に嵌めた指輪を触り、目を伏せた。
「私が贈ったペンダントをしていた。しかし……、記憶はないようだった」
ノエルの魂の痕跡は、この千年で何度か感じ取ったことがあった。その度に彼を探しに彷徨っていたのだが、毎回空振りに終わっていた。
しかし今回、ようやくノエルに再会することができたのだ。
「でしたら、精神支配魔法で手に入れれば容易いのでは?」
エリックは何を悩むことがあるのか分からないという表情で、簡単に言い放った。
「いや。私は、ノエルに再び愛されたいのだよ。私のことを愛していたという過去を思い出してもらってな」
「それならば、記憶探索魔法を使われては?」
その言葉を聞いて、眉間がピクッと震えた。
「記憶探索魔法……とな?」
「精神支配魔法と並んで乱用は禁じられていますが、数回利用すればノエル様も何か思い出すかもしれませんよ」
エリックはにっこりと微笑んだ。
「ふむ。やってみる価値があるかもしれないな」
指輪に触れ、魔力を手のひらに集中させた。ノエルの夢に記憶の断片を送り込む。
千年前のヴァレンティア城での生活、私たちの会話、そして最後の瞬間――。
そっとノエルの魂に語りかけるように。
「思い出してくれ……。私が君に言った言葉を」
愛しいノエルへ私の想いが再び届くように。
我々吸血鬼が太陽が苦手だと言われていたのは太古の昔の話で、現在では人間と全く変わらない生活を送ることができている。しかし、長く吸血鬼と人間は絶縁状態にあり、接触は禁忌に近いとされている。
それゆえに人間は日中に活動し夜は外出しない。逆に吸血鬼は夜に活動して日中は休息時間となっている。
ある日の夜、古い友人であるセバスチャンが私を訪ねてきた。
「ラズロ、久しぶりだな」
同じ吸血鬼でありながら、彼は私のことを名前で呼ぶ唯一の友人だった。
「私は三百年も眠っていたらしいな」
ふふっと笑うとセバスチャンが興味深げに尋ねた。
「例の彼が現れたか?」
「うむ」
「まだ執着しているのか?」
「私はノエルを愛している。それが私の全てだ」
「支配して奪うのではないのだな?」
「私は彼に愛されたいのだよ」
セバスチャンは「お前らしいな」と言いながら静かに笑った。
「しかし、奪うのではなく、待ち続けるお前こそが、真の愛を知る者だと思うぞ」
我々には血の繋がりだけしかなく『愛』という概念がない。それゆえに、セバスチャンの言葉が私の決意を新たにさせてくれた。
私が三百年眠っている間に、世の中の情勢は随分と変化していた。私が目覚めたと聞くと、その報告のために次々と貴族たちが訪れた。しかしやってくる理由はそれだけではなかった。
「人間などは、所詮餌です。それなのに、一族の王たる陛下が一人の人間に固執するなど、あり得ませんぞ!」
貴族たちは口を揃えて、一族から妻を娶り、後継者を作るようにせかしてくる。この千年、全く変わらない。相変わらずの物言いに辟易する。
一族から妻を娶る気はさらさらない。
私は一人の青年を愛してしまったのだから――。
「私に命令する者など、この世界にはいないはずだが?」
玉座で足を組み、月光色の瞳を光らせる。毅然として彼らの言い分を退けると、すごすごと辞していった。
一族の者には『愛』など理解できないだろう。だが私の『愛』は誰にも否定させない。
私は再びミリアンへ向かった。ノエルはまた図書館にいた。そっと傍に近寄り、様子を窺うと、吸血鬼についての古い文献を読んでいるようだった。それまで真剣だった彼の表情が一変した。
「真に愛した者の血は、不老不死を与える……」
ノエルの呟きが私の元に聞こえてきた。
彼に目をやると、瞳にはみるみる理解の光が宿るのが見て取れた。
「まさか、あの夢は……?」
ノエルの呟きが私の心に希望を与えた。
その日の夜、月明かりの中、ノエルの前に再び姿を現した。ただ自分から彼の前に行くのではなく、彼を待つという形で。
ノエルは怖がるでもなく、逃げるでもなく、私の前に佇み、顔をじっと見つめていた。
「僕の夢に、あなたにそっくりな人が出てくるんです……」
私は何も言わず、彼の言葉をじっと聞いた。
「なんか……、古い街並みで、その人と親しく話しているんですよ。まるで恋人みたいに」
その言葉を聞くと、喉の奥が熱くなった。
――私と君は、恋人だったのだよ。
言いたいが、その言葉をグッと飲み込んだ。
「君が思い出すまで、何度でも会いに来よう」
代わりに口から出た言葉に、ノエルの表情から恐怖が薄れた。代わりに不思議な安心感が浮かんでいるのを私は見逃さなかった。
少しずつ、彼が私の心を受け止めつつあるようだった。
魔力の糸を使い、ノエルの魂と繋がっている私は、彼の戸惑いを肌で感じ取っていた。
――なぜこの人に惹かれるのか?
――なぜ夢の中で愛していたのか?
彼が見せたあの時の一瞬の安心感は、再び戸惑いへと変わったようだった。
吸血鬼と人間は関わることができない。それはこの千年間、何も変わらない。いや、正確には、ノエルが襲われてこの世を去ってから。
それなのに、彼は夢の中で吸血鬼と共に過ごしているのだ。
彼の内面の声が私に響いてくる。
『僕は普通の人間のはずなのに……』
ノエルの苦悩を見ているのは辛い。だがこれは、彼が乗り越えなければならない試練でもある。禁忌を犯してまで、私を愛することを選択できるのか。判断するのは彼自身だ。
しかし私は、もし彼がこの試練を乗り越えてくれたなら、千年以上前のように吸血鬼と人間が共存できるようになるのではないかと考えている。
私と彼がその一助を担えるかもしれないのだ。
私は再び、ノエルの前に姿を現した。今回は千年前の真実を伝えるために。少しでも彼の苦悩が和らげば。月の輝く夜、私は当時の姿でノエルの前に現れた。彼は目を見開き、驚いた表情をしていたが、ぼそりと言った。
「やはりあなたが、夢の中に出てきた吸血鬼だったのですね?」
私はゆっくりと頷き、静かに口を開いた。
「そうだ。私はラズロ・ヴァレンティス。千年前、ノエル・エヴァンスと恋仲だった。ようやく思い出してくれたのか、ノエル?」
「いえ、そうではありません。ただ、あの夢が真実なのかが、分からなくて……」
ノエルからは混乱の色が滲み出ていた。
「ならば、私が全て話そう」
私は千年前の出来事を一つずつ話し始めた。ノエルとの出会い、愛し合った事実、そして別れ――。
「私は君のことを愛している。千年前も、今も、これからも――」
ノエルは困惑した表情を見せた。だが私は怯まずに続けて言った。
「私は君の自由を奪うことはしない。だが、この愛だけは今も、これからも変わらない」
私は言葉の一つ一つに千年分の愛を込めて言った。もう二度と失いたくないから。
しかしノエルは私の言葉を聞いても混乱から抜け出すことができずにいた。千年前のように、すんなりと私の愛を受け入れることができないようだった。
「僕は……、あなたを知らない。夢の中のあなたのことは知っているけど、実際には知らないし、その、千年前の人とは違う人間です」
その言葉に、私は落胆を隠せなかった。やはり記憶探索魔法の回数が少なすぎたのか。
「僕には僕の人生がある。勝手に運命だなんて言わないでください」
ノエルはギュッとペンダントを握りしめて強く言い放った。その言葉はある程度予想していたものの、実際に言われると胸を深く抉った。この胸の痛みは千年前に彼を失った時と同じくらい深い痛みだった。
だが、命を落としたあの時とは違う。ノエルは今、私の目の前にいる。一瞬、精神支配魔法を使ってノエルを奪ってしまいたいという衝動が湧き上がってきた。魔力で彼の記憶を呼び覚まし、意識を支配してしまえば。そうすれば、彼は未来永劫、私のものになる――。
しかし私はその気持ちをグッと抑え込んだ。それは真の愛ではない。ただの支配だ。それでは意味がない。
私はノエルが思い出して再度愛してくれるまで待つと決めたのだ。
「……それでも、私は待つ」
ノエルは無言のまま、俯いていた。私の言葉に肯定も否定もしない。
もしかしたら、私の存在自体が、彼を苦しめているのかもしれない。千年も待って、ようやく出会えたノエルを手放したくなくて、気持ちが急いていた。
私はノエルの前から去ることを決めた。
「君が望むなら、私は君の前から姿を消そう。私の存在が君を苦しめているのなら、なおさらだ。だが、私の愛は永遠に君だけのものだ」
ローブを翻し、その場から去ろうとしたその時、ノエルが顔を上げた。彼の目には涙が浮かんでいた。月明かりに輝くそれはまるで宝石のようだった。
ノエルはなぜ自分が涙を流しているのか分からないようで、呆然としていた。それが私にとっては希望の涙に見えた。
ノエルの前から姿を消しても、私は魔法の糸で彼の魂と繋がっていた。この糸を断ち切ることなど到底無理だった。もしノエルが今回も短い命を終えたとして、再びこの世に戻ってきた時にこの糸を手繰り寄せれば、すぐに彼を見つけられる。魔法の糸が繋がっていることで、ノエルの状態が手に取るように分かった。
私が去った後に感じた激しい孤独感。なぜこんなに寂しいのだろうという混乱。
それは私も同じように感じる痛みだった。
なぜラズロを求めてしまうのかというノエルの心の声が直接響いてくる。
「ノエルが再び、私のことを愛してくれればよいのだが……」
声に出してみるが、私の声はノエルには届かない。
その日の夜、最後の記憶をノエルに送った。千年前の完璧な記憶を。彼の魂が、それを受け入れることができる可能性が高いと判断したからだった。
送った記憶は私の記憶。ヴァレンティア城でノエルと出会った時に感じた彼の美しさ。恐怖から始まった関係が、やがて愛に変わった瞬間。ノエルが私に永遠の命を求めた時の喜びと恐れ。私がノエルに囁いた愛の言葉。そしてそれに対するノエルの返事。さらに、最後の瞬間に人間は命の再生ができないという事実に打ちひしがれた悲しみ。これらを全て送った。
これでも思い出さなければ、諦めるしかない。私はそっと瞼を閉じた。
窓から白々と朝日が差し込んでくる頃、私はノエルの魂が覚醒したのを感じ取った。魂が私の記憶を受け取ってくれたのだ。ノエルが千年前に私の愛を望んでいたこと。そして、永遠の命を求めていたことを。
しかし、今のノエルがそれを受け入れるかどうかは別の問題だ。
『僕は、僕の意志でラズロ様を愛していた』
ノエルの気持ちが、魔法の糸を通して私に伝わってきた。
信じ難いことだが、それを感じ取ると、心が震えた。
深夜、森を抜けてノエルが私の元にやってくるのを感じた。ヴァレンティア城をぐるりと取り囲む森が存在する。森は人間が一度侵入すると抜け出すことができない魔法がかけられている。それだけでなく幻獣が放たれており、人間が城に近づくことを阻んでいる。もしも城まで来ることができたとしても、私の加護のない者は城の中には入れない。
しかしノエルが森で幻獣に出会ったとしても、私の加護により傷つけられることはない。
そして城も彼の魂を受け入れているから、中に入ることができるはずだ。
ノエルが森を抜け、城の中に入った気配を感じた。私は玉座に座り、彼の到着を静かに待った。
ヴァレンティア城の玉座の間に、ノエルがついに現れた。私は玉座で足を組んで座っていた。
「どうしてここに来たのだ?」
私は静かにノエルに問いかけた。彼は臆することなく、私の目をしっかり見つめて玉座へと歩み寄った。
「思い出したんです」
ノエルは上擦った声で言った。ゴクリと唾を飲むと喉仏が上下した。
「千年前の記憶を。そして……、僕の、本当の気持ちも」
ノエルは玉座の前で片膝をついた。
「僕は千年前、あなたを愛していた」
言うと、私の左手を取り、指輪の上に口づけを落とした。
「そして今も。あなたを愛している」
ノエルの瞳の奥が揺れているのが分かった。
「これは、運命でも束縛でもない。僕自身の意志です。永遠にあなたのそばで、あなたと一緒に生きたい……」
ようやく、彼が戻ってきた。私の心は歓喜で大きく震えた。
ノエルは私のそばで永遠の命を手に入れ、一緒に生きることを選択した。だがそれは、人間としての人生を捨てることになる。
私はこの選択の重さを、ノエルに理解してもらわなければならない。
「君は、人間としての人生を捨てることになるのだぞ。本当にそれでよいのか?」
「僕の人生は、ラズロ様と共にあってこそ意味がある」
そう言い放ったノエルの瞳には一片の迷いもなかった。私の心が歓喜に満ち溢れた。
「そうか。ならば、寝室へ行こう」
ノエルの手を引き、かつて私たちが愛し合ったことのある寝室へと向かった。
部屋に入るなり、ローブを脱ぎ捨てると、ノエルが口づけをしてきた。最初は軽く小鳥のように啄んでいたものが、徐々に深くなっていく。角度を変え、何度も何度も口づけを交わした。私たちは傾れ込むようにベッドに倒れ込んだ。お互いに服を荒々しく脱がす。ノエルを再びこの手に抱くことができるなんて――。
「ノエル、愛している……」
私はノエルの頬を撫で、深く口づけた。ノエルもそれに応えてくれる。
「ラズロ様……」
私たちは千年の時を超えて激しく愛し合った。そして――。
「ノエル、よいか?」
「はい……」
ノエルはゆっくりと瞼を閉じた。
私は彼の首筋に牙を立てた。ついに『血の交換』を行ったのだ。ノエルの体は一度ビクッと震えた。次に瞼を開けた時には、今まで青灰色だった瞳が月光色に変わっていた。それは私の伴侶となった証でもあった。
「ノエル……。私は君とこれからもずっと一緒にいられるのだな」
頬をそっと撫でてやると、ノエルは目を細めて嬉しそうに頷いた。
「ラズロ様、同族にしてくださって、ありがとうございます」
窓からは月明かりが煌々と差していた。そこには大きな満月が見えた。
私はノエルを愛おしく見つめた後、優しく口づけた。
あれから一年が経った。ノエルは吸血鬼としての生活にも慣れ、私と共に城での日々を送っている。彼の瞳は美しい月光色に輝き、その姿は千年前よりもさらに美しくなったように思える。
「ラズロ様、今日はどちらへ?」
朝の支度を整えながら、ノエルが尋ねる。
「今日は久しぶりにミリアンの街を見に行こうか。君と一緒に」
「素敵ですね。あの図書館にも行きたいです」
ノエルの笑顔が、私の心を温かくしてくれる。
私たちは人間の姿に身を変え、ミリアンの街を歩いた。かつて私が一人で彼を探していた街を、今は二人で歩いている。
「あの時、僕はここで勉強していたんですね」
図書館の前で、ノエルが懐かしそうに呟く。
「そうだ。君を見つけた時、私は千年分の想いが胸に溢れて、どうしていいか分からなかった」
「僕も、なぜかその時からずっと、あなたのことが気になっていました」
ノエルは私の手を握り、微笑んだ。
夜になり、城に戻ると、エリックが私たちを迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、陛下、ノエル様」
「エリック、ありがとう」
ノエルは丁寧に挨拶をする。エリックも、ノエルのことを心から受け入れてくれている。
玉座の間で、私たちは並んで座った。ノエルは私の隣に置かれた椅子に腰を下ろし、満足そうに微笑んでいる。
「ラズロ様、私たちはこれから何百年、何千年と一緒にいられるのですね」
「そうだ。永遠に、だ」
私はノエルの手を取り、指輪の上に口づけを落とした。
「千年待った甲斐があった。今度は、君を失うことは二度とない」
「はい。僕も、もう二度とラズロ様のそばを離れません」
窓の外には、いつものように美しい満月が輝いている。
私たちは千年の孤独を乗り越え、真の愛を手に入れた。奪うことなく、待つことで得られた愛。それは永遠の時間をかけても価値のある、真の愛だった。
セバスチャンの言葉が蘇る。
「奪うのではなく、待ち続けるお前こそが、真の愛を知る者だ」
その通りだった。私は待つことで、本当の愛を得ることができた。
そして今、私たちは永遠の時を共に歩んでいく。
愛する人と共に過ごす永遠――それは、千年の孤独とは比べ物にならないほど美しく、輝いているのだった。
百年が過ぎた今でも、私たちの愛は変わらない。ノエルは吸血鬼として成長し、今では私の真の伴侶として、一族の者たちからも認められている。
「ラズロ様、今日も美しい夜ですね」
バルコニーで月を見上げながら、ノエルが呟く。
「君がいてくれるから、どんな夜も美しいのだ」
私たちは抱き合い、静かに月を見つめた。
千年前、私は彼を失った。だが今は違う。
永遠に、彼と共に歩んでいける。
これからも、私たちの愛は続いていく。
時が経てば経つほど、より深く、より強く。
それが、真の愛というものなのだろう。
私たちは永遠の夜の中で、永遠の愛を育んでいく。
月光が二人を優しく包み込む中で、私たちは再び口づけを交わした。
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