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4.罠

last update Última actualización: 2025-12-30 13:50:42

ベッドに座ったマリアンが私の頭の先から、足の先までじっと観察してくる。

私は彼女の視線に困りながら、近くにあった鏡台の椅子に座ろうとした。

「誰が座って良いと言ったの? そのまま、一周回ってくれる?」

「はい」

私が部屋を回ろうとすると、盛大に彼女に溜息を吐かれる。

「全身を見せるように回りなさいって言ったのよ。頭が悪いのね、ネコだけに⋯⋯」

最後の方に呟く声まで聞こえてしまう自分の耳の敏感さが憎い。

彼女に憧れていた気持ちが萎んでいく。

三千万円も頂くのだから、この程度の暴言は耐えるべきかもしれない。

「身長は?」

「えっと、174センチです」

私の発言に突然マリアンは立ち上がり、頬を打ってきた。

私は何が起きたのか分からず打たれた頬を抑えて呆然としてしまう。

「どうして、今、逆にサバを読んだの? 私を馬鹿にしてるの? 畜生以下が!」

「いえ、実は178センチあります。でも、あまりデカい女と思われるのが嫌で、いつも174センチと言ってました。すみません、嘘を吐いてしまって⋯⋯」

マリアンは私の背の方に回って私の両肩を持ち、背筋を伸ばさせる。

「身長は武器よ。背筋を伸ばしなさい。イライラする」

「不快にさせて申し訳ございませんでした」

マリアンくらい成功をおさめた人間は皆こんな感じなのだろうか。

身長が武器だなんて、マリアンのようなスーパーモデルやバスケやバレーボールの選手くらいだ。

女の子は小柄の方が可愛い。

少し気になってただけの人に「あの巨人だけは恋愛対象外」と言われてから私は猫背気味になっていた。

「股下は?」

「えっと⋯⋯」

股下なんて測ったことがない。

マリアンは股下89センチでスタイル抜群で有名だ。

「91センチ。全身の50パーセント以上あるわ。自分の体のことくらい把握しなさい」

「はい⋯⋯」

大金を貰えるとはいえ、ここで住み込みの家政婦をする選択は間違っている気がしてきた。

罵倒され、暴力を振られ、自分の自尊心がズタズタになりそうだ。

「貴方の体が大事だから言っているのよ、ネコ」

冷たそうに見えたマリアンが目を細めて、口角をあげて微笑む。

私はまだ彼女への憧れが残っていたのだろう。

結局、一階のリビングに戻った際に契約をしてしまった。

真っ白なソファーに座り契約書にサインをすると、マリアンがまたにっこりと微笑んだ。

「スマホで確認して! とっくに三千万円は振り込んでおいたから」

「えっ?」

私は言われた通り、スマホでネットバンキングの口座にアクセスする。

三千万円の振り込み日は三日前になっていて、契約前から逃げ場を塞がれてたようで違和感を感じた。

しかし、契約したからには、ここで半年間住み込みの家政婦をするしかない。

マリアンがスッと立ち上がって、部屋の外に出て行ったのでついていく。

玄関横のクローゼットからブランド物のトランクを出した彼女が髪をかきあげながら口を開いた。

「私は、今から半年間、ヨーロッパを巡ってくるから、夫の事をよろしくね」

「えっ、ちょっと待ってください」

私の静止も聞かず玄関の扉をマリアンが開けると、そこには既に黒いタクシーが到着していた。

妙齢のタクシーの運転手男性が彼女に頭を下げて、荷物を運び込む。

マリアンが横目で扉の外に私が立てかけたビニール傘に目をやる。

「運転手さん、この傘を捨てといてくださらない」

「⋯⋯畏まりました」

タクシーの運転手は一瞬困ったような顔をするも傘を手に取り、トランクに放り込む。

「私の荷物は助手席に置いてね。汚れ物と一緒にされるのは嫌なの」

「畏まりました」

私は二人のやりとりを虚しい気持ちで見つめているしかなかった。

マリアンがタクシーの後部座席に乗り込む。

彼女は私を一瞥もすることなく、走り去った。

「何なの?」

気分は最悪だ。

スーパーモデルマリアンとは、あれ程、女王様ぶった自分勝手な人間だったのかとがっかりした。

そもそも、自分の夫と若い女が二人で半年も暮らすのが嫌じゃないなんて変だ。

(まあ、それだけ自分に自信があるんでしょうけど)

モヤモヤした気持ちのまま、取り敢えず冷蔵庫にある食材で彼女の夫の為に料理を作った。

アンケートに和食が好きと書いてあったが、巨大な冷蔵庫にはあらゆるメニューを作れる用意がある。

玄関が開く音がして私は料理途中だったが、立ち上がり彼女の夫の桃山優斗を出迎えをしようと思った。

「冴島寧々子さん? 待ってたよ」

私を見るなり、爽やかに微笑む男。

彼はメディアで見る通り、涼やかなイケメンだ。

彼は私よりも背が10センチ近く高く、小顔で足が長い。

マリアンは美意識が高いから、彼のようなモデルのような男を選んだのだろうか。

確か彼の年は二十五歳で、マリアンと同じ年だ。

「はい。今日から宜しくお願いします」

「ふふっ、君が思っていた以上に素敵な人で良かった」

肯定的な言葉をかけられて安心するも束の間、私は大事なことを思い出した。

「すみません。まだ、ご飯を作り途中でして」

「いいの。気にしないで。今日は外で食べてきたから、割と外食の日が多いかな」

「そうなんですね」

外食が多いということは、私は掃除係として呼ばれたのだろうか。

何だか腑に落ちないながらも、リビングに戻ろうとしたところ手首を掴まれた。

「何でしょうか?」

「部屋、気に入ってくれた?」

「もちろんです。ベッドが凄く大きくて驚きました」

「ふふっ、そう」

含み笑いをする彼は何がおかしいのだろう。

「私、ペラペラのお布団でしか寝たことがないので楽しみです」

「そう? 僕も十八歳くらいまでは、そんな感じの生活だったよ」

同調してくる彼に馬鹿にされている訳じゃないと思った私は少し安心する。

その後、彼は私の生まれ年の赤ワインを開けた。

「私、まだ、十八歳なのでアルコールは飲めません」

「せっかく開けたのだから飲んでよ。これ一本僕一人で飲めっていうの?」

彼が顔を顰めて怒っているように見える。

「じゃあ、ちょっとだけ」

これから半年間二人で生活するのに、最初から険悪にはなりたくなかった。

赤ワインを飲みながら彼の昔の話を聞く。

半年も一緒に生活する人が親しみやすい方で良かったと安心した。

入浴後、部屋に戻り鏡台の前に座って、就寝の準備をしていた時だった。

扉が開いた音がして、後ろを振り向くと濃紺のバスローブ姿の森山優斗が立っている。

「あの、何かご用ですか? お腹が空いたのであればお夜食作りましょうか?」

ジリジリと私に近付いてくる彼に恐怖を感じ、私は椅子から立ち上がった。

勢いよく立ち上がったので、椅子が倒れる。

「寧々子! 妻が半年も留守にして僕も寂しいんだ。分かるだろ」

突然、ベッドに押し倒され、男女の事に無知な私も危険を察知し抵抗する。

しかし、初めて飲んだワインで酔った体は男の力には敵わない。

(何が起きてるの?)

「やめてください!」

「今宵は二人で情熱的に踊り明かそう!」

気がつけば私は寝巻きを肌けさせられ、彼を無理やり受け入れさせられた。

初めての出来事に、パニックとショックで頭がどうにかなりそうだった。

♢♢♢

あの晩から連日連夜、桃山優斗に抱かれ続けて心を失った頃、彼が医者を呼んだというので体を診てもらった。

女医さんのようだが、何を診察しに来たのだろう。

気だるく眠気が酷いのは、彼に毎晩のように犯されているせいだ。

(この医者に、強姦されたと訴えて逃げようか⋯⋯)

私の頭はこの生活からどう逃げるかを考え始めていた。

しかし、ありとあらゆる扉が施錠されて 家からは逃げられない生活が続いている。

「おめでとうございます。妊娠しています」

「えっ?」

ショックで一瞬、世界中の時が止まったような感覚。

命が生まれるのは喜ばしいことのはずなのに、私は地獄に落とされたような気分だ。

きっと私の母親も私を孕った時、そんなような気持ちだったから私を虐待したのだろう。

まだ膨らんでいないお腹を抑える。

この子は不貞で出来た子だ。中絶を迫られるだろう。

親に捨てられた私が自分の子を捨てる?

そんな事できるはずもない。

自分が親になる時が来たら、宝物のように育てると決めていた。

「よし! やった! 生理が来てないから、もしかしてって思ってたんだ」

ガッツポーズする桃山優斗の⋯⋯いや、桃山夫婦の悪魔のような企みをこの時の私は知らずにいた。

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