INICIAR SESIÓNベッドに座ったマリアンが私の頭の先から、足の先までじっと観察してくる。
私は彼女の視線に困りながら、近くにあった鏡台の椅子に座ろうとした。「誰が座って良いと言ったの? そのまま、一周回ってくれる?」
「はい」 私が部屋を回ろうとすると、盛大に彼女に溜息を吐かれる。「全身を見せるように回りなさいって言ったのよ。頭が悪いのね、ネコだけに⋯⋯」
最後の方に呟く声まで聞こえてしまう自分の耳の敏感さが憎い。 彼女に憧れていた気持ちが萎んでいく。 三千万円も頂くのだから、この程度の暴言は耐えるべきかもしれない。「身長は?」
「えっと、174センチです」 私の発言に突然マリアンは立ち上がり、頬を打ってきた。 私は何が起きたのか分からず打たれた頬を抑えて呆然としてしまう。「どうして、今、逆にサバを読んだの? 私を馬鹿にしてるの? 畜生以下が!」
「いえ、実は178センチあります。でも、あまりデカい女と思われるのが嫌で、いつも174センチと言ってました。すみません、嘘を吐いてしまって⋯⋯」 マリアンは私の背の方に回って私の両肩を持ち、背筋を伸ばさせる。「身長は武器よ。背筋を伸ばしなさい。イライラする」
「不快にさせて申し訳ございませんでした」マリアンくらい成功をおさめた人間は皆こんな感じなのだろうか。
身長が武器だなんて、マリアンのようなスーパーモデルやバスケやバレーボールの選手くらいだ。女の子は小柄の方が可愛い。
少し気になってただけの人に「あの巨人だけは恋愛対象外」と言われてから私は猫背気味になっていた。「股下は?」
「えっと⋯⋯」 股下なんて測ったことがない。 マリアンは股下89センチでスタイル抜群で有名だ。「91センチ。全身の50パーセント以上あるわ。自分の体のことくらい把握しなさい」
「はい⋯⋯」 大金を貰えるとはいえ、ここで住み込みの家政婦をする選択は間違っている気がしてきた。 罵倒され、暴力を振られ、自分の自尊心がズタズタになりそうだ。「貴方の体が大事だから言っているのよ、ネコ」
冷たそうに見えたマリアンが目を細めて、口角をあげて微笑む。 私はまだ彼女への憧れが残っていたのだろう。 結局、一階のリビングに戻った際に契約をしてしまった。真っ白なソファーに座り契約書にサインをすると、マリアンがまたにっこりと微笑んだ。
「スマホで確認して! とっくに三千万円は振り込んでおいたから」 「えっ?」 私は言われた通り、スマホでネットバンキングの口座にアクセスする。 三千万円の振り込み日は三日前になっていて、契約前から逃げ場を塞がれてたようで違和感を感じた。 しかし、契約したからには、ここで半年間住み込みの家政婦をするしかない。マリアンがスッと立ち上がって、部屋の外に出て行ったのでついていく。
玄関横のクローゼットからブランド物のトランクを出した彼女が髪をかきあげながら口を開いた。「私は、今から半年間、ヨーロッパを巡ってくるから、夫の事をよろしくね」
「えっ、ちょっと待ってください」 私の静止も聞かず玄関の扉をマリアンが開けると、そこには既に黒いタクシーが到着していた。 妙齢のタクシーの運転手男性が彼女に頭を下げて、荷物を運び込む。マリアンが横目で扉の外に私が立てかけたビニール傘に目をやる。
「運転手さん、この傘を捨てといてくださらない」 「⋯⋯畏まりました」タクシーの運転手は一瞬困ったような顔をするも傘を手に取り、トランクに放り込む。
「私の荷物は助手席に置いてね。汚れ物と一緒にされるのは嫌なの」 「畏まりました」私は二人のやりとりを虚しい気持ちで見つめているしかなかった。
マリアンがタクシーの後部座席に乗り込む。 彼女は私を一瞥もすることなく、走り去った。「何なの?」
気分は最悪だ。 スーパーモデルマリアンとは、あれ程、女王様ぶった自分勝手な人間だったのかとがっかりした。 そもそも、自分の夫と若い女が二人で半年も暮らすのが嫌じゃないなんて変だ。(まあ、それだけ自分に自信があるんでしょうけど)
モヤモヤした気持ちのまま、取り敢えず冷蔵庫にある食材で彼女の夫の為に料理を作った。
アンケートに和食が好きと書いてあったが、巨大な冷蔵庫にはあらゆるメニューを作れる用意がある。玄関が開く音がして私は料理途中だったが、立ち上がり彼女の夫の桃山優斗を出迎えをしようと思った。
「冴島寧々子さん? 待ってたよ」
私を見るなり、爽やかに微笑む男。彼はメディアで見る通り、涼やかなイケメンだ。
彼は私よりも背が10センチ近く高く、小顔で足が長い。 マリアンは美意識が高いから、彼のようなモデルのような男を選んだのだろうか。確か彼の年は二十五歳で、マリアンと同じ年だ。
「はい。今日から宜しくお願いします」
「ふふっ、君が思っていた以上に素敵な人で良かった」 肯定的な言葉をかけられて安心するも束の間、私は大事なことを思い出した。「すみません。まだ、ご飯を作り途中でして」
「いいの。気にしないで。今日は外で食べてきたから、割と外食の日が多いかな」 「そうなんですね」 外食が多いということは、私は掃除係として呼ばれたのだろうか。 何だか腑に落ちないながらも、リビングに戻ろうとしたところ手首を掴まれた。「何でしょうか?」
「部屋、気に入ってくれた?」 「もちろんです。ベッドが凄く大きくて驚きました」 「ふふっ、そう」 含み笑いをする彼は何がおかしいのだろう。「私、ペラペラのお布団でしか寝たことがないので楽しみです」
「そう? 僕も十八歳くらいまでは、そんな感じの生活だったよ」 同調してくる彼に馬鹿にされている訳じゃないと思った私は少し安心する。その後、彼は私の生まれ年の赤ワインを開けた。
「私、まだ、十八歳なのでアルコールは飲めません」 「せっかく開けたのだから飲んでよ。これ一本僕一人で飲めっていうの?」 彼が顔を顰めて怒っているように見える。「じゃあ、ちょっとだけ」
これから半年間二人で生活するのに、最初から険悪にはなりたくなかった。 赤ワインを飲みながら彼の昔の話を聞く。 半年も一緒に生活する人が親しみやすい方で良かったと安心した。 入浴後、部屋に戻り鏡台の前に座って、就寝の準備をしていた時だった。扉が開いた音がして、後ろを振り向くと濃紺のバスローブ姿の森山優斗が立っている。
「あの、何かご用ですか? お腹が空いたのであればお夜食作りましょうか?」 ジリジリと私に近付いてくる彼に恐怖を感じ、私は椅子から立ち上がった。 勢いよく立ち上がったので、椅子が倒れる。「寧々子! 妻が半年も留守にして僕も寂しいんだ。分かるだろ」
突然、ベッドに押し倒され、男女の事に無知な私も危険を察知し抵抗する。 しかし、初めて飲んだワインで酔った体は男の力には敵わない。(何が起きてるの?)
「やめてください!」
「今宵は二人で情熱的に踊り明かそう!」 気がつけば私は寝巻きを肌けさせられ、彼を無理やり受け入れさせられた。 初めての出来事に、パニックとショックで頭がどうにかなりそうだった。♢♢♢
あの晩から連日連夜、桃山優斗に抱かれ続けて心を失った頃、彼が医者を呼んだというので体を診てもらった。
女医さんのようだが、何を診察しに来たのだろう。 気だるく眠気が酷いのは、彼に毎晩のように犯されているせいだ。 (この医者に、強姦されたと訴えて逃げようか⋯⋯)私の頭はこの生活からどう逃げるかを考え始めていた。
しかし、ありとあらゆる扉が施錠されて 家からは逃げられない生活が続いている。「おめでとうございます。妊娠しています」
「えっ?」ショックで一瞬、世界中の時が止まったような感覚。
命が生まれるのは喜ばしいことのはずなのに、私は地獄に落とされたような気分だ。 きっと私の母親も私を孕った時、そんなような気持ちだったから私を虐待したのだろう。まだ膨らんでいないお腹を抑える。
この子は不貞で出来た子だ。中絶を迫られるだろう。親に捨てられた私が自分の子を捨てる?
そんな事できるはずもない。
自分が親になる時が来たら、宝物のように育てると決めていた。「よし! やった! 生理が来てないから、もしかしてって思ってたんだ」
ガッツポーズする桃山優斗の⋯⋯いや、桃山夫婦の悪魔のような企みをこの時の私は知らずにいた。ベッドに座ったマリアンが私の頭の先から、足の先までじっと観察してくる。私は彼女の視線に困りながら、近くにあった鏡台の椅子に座ろうとした。「誰が座って良いと言ったの? そのまま、一周回ってくれる?」「はい」私が部屋を回ろうとすると、盛大に彼女に溜息を吐かれる。「全身を見せるように回りなさいって言ったのよ。頭が悪いのね、ネコだけに⋯⋯」最後の方に呟く声まで聞こえてしまう自分の耳の敏感さが憎い。彼女に憧れていた気持ちが萎んでいく。三千万円も頂くのだから、この程度の暴言は耐えるべきかもしれない。「身長は?」「えっと、174センチです」私の発言に突然マリアンは立ち上がり、頬を打ってきた。私は何が起きたのか分からず打たれた頬を抑えて呆然としてしまう。「どうして、今、逆にサバを読んだの? 私を馬鹿にしてるの? 畜生以下が!」「いえ、実は178センチあります。でも、あまりデカい女と思われるのが嫌で、いつも174センチと言ってました。すみません、嘘を吐いてしまって⋯⋯」マリアンは私の背の方に回って私の両肩を持ち、背筋を伸ばさせる。「身長は武器よ。背筋を伸ばしなさい。イライラする」「不快にさせて申し訳ございませんでした」マリアンくらい成功をおさめた人間は皆こんな感じなのだろうか。身長が武器だなんて、マリアンのようなスーパーモデルやバスケやバレーボールの選手くらいだ。女の子は小柄の方が可愛い。少し気になってただけの人に「あの巨人だけは恋愛対象外」と言われてから私は猫背気味になっていた。「股下は?」「えっと⋯⋯」股下なんて測ったことがない。マリアンは股下89センチでスタイル抜群で有名だ。「91センチ。全身の50パーセント以上あるわ。自分の体のことくらい把握しなさい」「はい⋯⋯」大金を貰えるとはいえ、ここで住み込みの家政婦をする選択は間違っている気がしてきた。罵倒され、暴力を振られ、自分の自尊心がズタズタにな
時は遡ること六年前。冴島寧々子は十八歳になり、十五年お世話になった児童養護施設を出た。♢♢♢養護施設を出て家事代行のバイトで忙しくしていたある日。家事代行業者『ラクール』の社長から突然呼び出しがあった。普段の連絡は電話ばかりなので、事務所に来るのは面接と契約の時以来。社長の関口翠は元々専業主婦で、離婚してから起業したという挑戦的な方だ。雑居ビルの三階。外階段を上がって、久々の事務所に入る。扉を開けるなり、私をキラキラした瞳で待ち構えていた彼女に驚いた。「な、何かありました?」急ぎというので、要件も聞かずに慌てて来たが関口翠の表情を見るに悪い話ではなさそうだ。「家事代行のバイトも三ヶ月! 慣れてきたみたいね」私の腰をトンと叩く彼女は身長150センチくらいの小柄な方で可愛らしいのにエネルギーに溢れている。「はい、ありがとうございます。関口社長!」「まぁまぁ座って」面接以来の応接ルームに通され、黒色の革のソファーに座る。何だかもてなされているようで居心地が悪い。「何かありました?」「ふふっ、聞いて。凄い話が来たのよ。一週間前にお仕事した桃山さんの家覚えてる?」「⋯⋯はい」高級住宅街の中でも一際目立っていた白亜の邸宅。聞くところによると、飲食業で成功しメディアにも出演している桃山優斗の家だ。有名人のご自宅に経験の浅い私がお邪魔するということで緊張した。鍵だけ渡され、広い家の掃除と食事だけ作ったのを覚えている。それまでの家事代行はタワマンに住むパワーカップルの部屋などが多かった。それなりに忙しくしているのか散らかってたりしたが、桃山家は生活感がない。既にプロが掃除したような空間をひたすらマニュアル通りに掃除し、これでお金を貰って良いのか不安になった。「実は桃山さんから住み込みの家政婦の仕事が来てるのよ。半年で三千万円よ!」喋りながら、颯爽と関口社長が私の前にトンとアイスコーヒーを出す。彼女が私に飲み物を出すなんて初めてのことだ。余程、この嘘みたいな話を受けて欲しいのだろう。しかし、私は自分の仕事がそんな評価を受けたとは思えない。マニュアル通り、鏡、窓、シルバーに至るまで丁寧に拭いたけれど、元々ピカピカだった。「三千万円は私が貰えるんですか?」「当然よ! しかも、先払い!」関口社長が自分に淹れたアイスコー
セイの合図と共に警備員たちが桃山優斗を取り押さえる。彼らの拘束を振り解く力など残っていない男は「寧々子⋯⋯寧々子⋯」と母を求める幼子のように雲一つない空に手を伸ばしていた。セイが私をエスコートしようと手を出してきて、私はそっと手をのせる。「本番はここからよ。カリスマデザイナー大河内セイ」彼の耳元に軽く唇を寄せながら囁くと、彼が抗議するような視線を向けてきた。仕事モードに戻ろうと思っていたのに、誘惑する私に腹を立ててるのだろう。リムジンに乗り込むと、カイが幸子と手遊びをしている。私が隣に座ると、カイが私の耳元で囁いてきた。「義姉さんを見つけたのは俺だし、義姉さんを磨き上げたのは義姉さん自身だけどね」私は彼の言葉に思わず肩をすくめる。私の一番の理解者である大河内カイ。彼と恋愛をしていたら、もっと楽だっただろう。でも、人は時として苦しくても手に入れたいモノがある。───大河内セイの心と桃山マリアンを跪かせる程のトップモデルとしての地位。今、喉から手が出そうな程、求め続けた二つのモノを手にいれた。「寧々子! カイ! 二人共、こそこそと何を話してるんだ?」私とカイの距離が近いことに、ヤキモチを妬くセイ。こんな彼を見られる日が来るなんて思っても見なかった。披露宴会場の入り口には既に報道陣が待ち構えていた。私のウェディングドレス姿に悲鳴のような歓声をあげそうになりながら、場をわきまえて口をつぐむ人たち。この披露宴会場には、セイのブランドに関わっている多くの関係者や著名人が来ている。セイは先程までのデレ顔を封印し、ファッション界のカリスマデザイナーとして緊張感のある顔に戻っていた。この披露宴は彼のブランドで初めて手掛けることになったウェディングドレスの発表の場でもあるからだ。彼は周囲からは時代の寵児、天才と持て囃されているが、発表の直前は期待と不安の渦の中だ。私はそんな彼に寄り添うように、そっと腕を絡めた。(私が最高のランウェイを見せてあげる!)「新郎、新婦の入場です」両脇のドアマンが扉を開けると、真っ先に目に飛び込んで来た女。セイのブランドDEARESTの元アンバサダーで、セイの元ミューズだった桃山マリアン。流石の存在感を放つその女は私のウェディングドレスと色違いのブラックのドレスを着ていた。私の姿を見て、目を丸くし驚
私は今日、ファッション界のカリスマ大河内セイと結婚する。私とセイ、彼の弟のカイ、私の娘の幸子だけが列席する挙式。幸子はセイの子ではない。悪魔のような桃山夫婦に監禁され孕んだ子。あの地獄のような日々を思い出すだけで、胸が締め付けられる。湖畔に佇むガラス張りのチャペル。湖に太陽の光が反射してバージンロードの先にいるセイを照らしていた。あまりの美しい光景にここが天国なのではないかと錯覚しそうになる。幸子がバージンロードを私と腕を組んで一緒に歩いてくれる。たった四歳の小さな手は少し湿っていた。「ママ、おめでと」舌足らずに呟く彼女に思わず笑顔が溢れる。娘とバージンロードを歩く選択は私がしたものだ。幸子は間違いなく私の心を支え続けてくれた恩人で、両親を知らない私にとって唯一の家族だった。そして、今日もう一人私の家族が増える。パイプオルガンの重厚な音と共に一歩一歩セイに近づいて行く。大好きな娘と愛する人の元へたどり着いた瞬間を私は一生忘れないだろう。神父の低い落ち着いた声がしても、私は心臓の鼓動が早くなるのを抑えられなかった。大河内セイは私が初めて恋をした人で、この瞬間も私は彼に恋をし続けている。「大河内セイ。そなたは、冴島寧々子を妻とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、妻を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」 「はい、誓います」セイが穏やかな声で、私との永遠の愛を誓ってくれる。私を見つめる色素の薄いヘーゼル色の瞳が優しい光を放っている。「冴島寧々子、そなたは、大河内セイを夫とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、夫を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」「はい、誓います」幸せな気持ちで胸がいっぱいになりながら、私は嘘偽りのない彼に捧げる永遠の愛を誓った。淡いターコイズブルーのベルベットにキラリと光る結婚指輪が2つのせられていた。グローブを外し彼が私の左手の薬指に指輪を嵌めてくれる。私は緊張しながら、彼の左手の薬指に指輪を嵌めた。彼と夫婦になれた喜びで涙が溢れそうになるのを必死に堪える。結婚の誓約書に震える手でサインをした。愛する彼の名前に自