登入彼・木村竜之介(きむら りゅうのすけ)が後輩の酒井遥(さかい はるか)とライブに行くと言ったのは、講義が終わった直後だった。 「今から行かないと。遥を待たせるわけにはいかない」 竜之介は、挨拶でもするような軽い口調で言った。 私・石川凛(いしかわ りん)は教科書を片付け、鞄に入れて言った。 「分かった」 彼は呆然とした。 スマホを打っていた手を止め、私をじっと見つめる。 「俺、遥と行くんだ。お前が一番好きな歌手のライブだぞ。怒らないのか?」 私は鞄を閉め、淡々と答えた。 「怒る必要なんてないでしょ」 そのライブに一緒に行きたいと、私は99回も頼んでいた。 100回目で、ようやく彼は二枚のチケットを手に入れたが、後輩の遥と行くためだった。 不思議と、ショックではなかった。 遥が入学して以来、こんな扱いにはもう慣れていたのだ。 私は鞄を背負い、教室の出口へ向かった。 彼は動かない。 教室を出ようとした時、彼はようやく我に返って慌てたように追いかけてきて、私の手首を掴む。 「凛、3日後に深津市で同じ歌手のライブがある。その時は必ず一緒に行ってやるよ。 その日は俺たちが付き合って3周年の記念日だ。絶対にすっぽかさない」 私は彼の手に視線を落とし、それから顔を上げて微笑んだ。 「うん」 ここ半年、彼は「来週行く」と9回、「必ず行く」と13回、「安心しろ」と16回も言った。 でも、その約束が守られたことは一度もなかった。 そして次のライブも、きっと行けない。 だって今度は、私が彼との約束をすっぽかす番だからだ。
查看更多夢の中で私は高校時代に戻っていた。少年が隣に座っていて、耳を赤くしながら机に伏せている。「なぁ、凛。どこの大学を受ける?」迷わず、真剣に答えた。「東都中央大学を受けようと思っいてる」竜之介はしばらく沈黙し、「ちぇっ」と舌打ちした。「難易度が高いな。もっと問題集をこなさないと無理かも」私は思わず「くすっ」と笑った。心の中でそっと呟く。大丈夫だよ、竜之介。あなたがどこに行こうと、私は追いかけていくから。だって、あなたは私が高校三年間ずっと片想いしていた人なんだから。あなたが好きな限り、何でも捧げられる。あなたの好みのタイプになるよう自分を変えて、あなたの気を引こうとしていた。あなたが振り返ってくれるまで、百回だって待つつもりだった。どんなことだってした。あの頃の私は、好きな人のためなら何だってできるくらい、全力でぶつかっていく勇気だけは溢れていた。夢の景色が少しずつ歪んでいく。最後の涙が、胸の奥に渦巻いていた愛も憎しみもすべて連れ去るように、静かに髪の間へと零れ落ちた。そして私は、深い闇の中でゆっくりと目を開けた。「でも、もうあなたなんて愛していない」……三年目のクリスマス、勇太がこっそり海外までやってきた。「びっくりしただろ!」私は呆然とした。勇太は得意げに話した。独学で必死に勉強して、海外大学の合格通知を手に入れたのだという。「一生かけてお前を守るって、言っただろ!有言実行だ!」私たちはアパートでクリスマスツリーを飾り、ご馳走を並べた。リビングの窓の外では大雪が降り続き、クリスマスソングが流れている。私は勇太とグラスを掲げた。「メリークリスマス!」酔いが回ってきた頃、勇太が切り出した。「木村がこっちまでお前を探しに来たとき、よりを戻すかと思ったよ」私はテーブルにうずくまったまま、鼻で笑った。「竜之介に居場所を教えたのは、お兄ちゃんでしょ」勇太は頭をかいた。「いや、お前を裏切ったわけじゃない。お前、高校の頃あいつが大好きで、部屋中あいつの写真とか手紙だらけでさ、こっちが引くレベルだったんだから……」途中まで言って、私の鋭い視線に口をつぐんだ。勇太は気まずそうに続ける。「だから最後に一度だけチャンスをあげようと思ったんだ。そ
そんなにかしこまらなくていいと伝えると、彼はようやく動き出し、参考書を一冊ずつまとめてテーブルの上に置いた。私は彼に温かいお茶を差し出す。竜之介はコップを握りしめ、ふと言った。「思い出すよ。俺たちが大学入学共通テストを受けたあの年、お前の部屋もこんな感じだったな。部屋中、復習資料だらけでさ。真面目にまとめたノートがそこら中にあったっけ」私は向かいに腰を下ろした。「だって、東都中央大学を目指してたから」竜之介は何を思ったのか、口元の笑みが消えた。私も立ち止まり、当時のことを思い出していた。大学入学共通テストの成績が出たあの日。私の点数は、東都中央大学の合格ラインを5点上回っていた。でも、結局進学はしなかった。竜之介と一緒にいるために、地元の大学を選んだんだ。長い沈黙の中、竜之介が髪をかきむしった。「ごめん……凛、俺さ、この数日ずっと考えてたんだ。考えれば考えるほど、お前の気持ちを全く思いやれてなかったなって。お前が俺を好きなのをいいことに、何度も傷つけた。お前の気持ちをずっと踏みにじってた。謝れば、また前みたいに戻れるって、勝手にそう思ってた……本当にすまない、凛。俺がバカだった……」コップのお茶が、だんだん冷めていく。ティーバッグを見つめたまま、私は何も言わなかった。けれど竜之介は異常なほど興奮していて、話し続けるうちに目元を赤く潤ませた。「あの日、お前にアプローチしたのも、先に惹かれたのも俺だったのに……俺がいなきゃ、お前はもっと良い大学だって目指せたはずなんだ……それなのに、どうしてこんなにもお前を傷つけて……」お茶を一口含んだ。ティーバッグを浸しすぎたせいか、少し渋みを感じる。「凛、俺、お前のことが本当に好きだ。昔も今も、変わらず大好きなんだ,お願いだ、最後にもう一度だけチャンスをくれないか?絶対にこれが最後だから。またお前が嫌がるようなことをしたら、その時は……」「竜之介」私は静かに彼を遮った。「あの時、東都中央大学を受けなかったのは、あなたと一緒にいたかったから。でもそれ以上に、たった5点上回っていただけで合格したとしても良い専攻に進める保証がなかったから。だったら別の大学にしたほうが賢明だと判断しただけよ。百回続けてライブへ行こうとお願
竜之介はスマホを取り出し、焦った様子で私に見せようとした。私は一歩下がり、差し出された画面を避けた。「もう、やめて。私たち、もう関係ないわ」竜之介はその場に立ち尽くした。「凛、そんな言い方はないだろ?3年も付き合ったんだ。簡単に終わりにするなんて……今、IELTSの受験準備をしてるんだ。もう少し待ってくれないか?」また、待てと言うのか。「竜之介。どうして私が何度もあなたを待たなきゃいけないの?最初も、遥の案内が必要だから待ってくれって言われて、私は待った。二回目も、遥のサークルの手伝いが必要だからって言われて、また待った。もう百回も待たせたのに、まだ待てって言うの?」竜之介は慌てて私の手を掴んだ。「待たなくていい!待たなくていいんだ!そんな意味じゃない。言葉を間違えた。待つ必要はないんだ。やりたいことをやればいい。俺が追いかけるから!」私は手を引き抜いた。「私はもともと、自分のしたいことをやっているだけよ」言い終えると、もう彼を見ることもなく図書館へと戻った。課題を片付け、パソコンを閉じて図書館を出ると。竜之介はまだ入り口で待っていた。私は無視して、そのまま前を向いて歩いた。案の定、一定の距離を保ちながら、彼は私の後ろを歩いてきた。そうして自分のアパートの下までついてきた。私は振り返った。しとしと降る雨に打たれ、彼はどこか惨めに見えた。「帰って。竜之介。もう別れたの。二度と私の前に現れないで」彼は何か言おうと口を開いたが、結局俯いて黙り込んだ。「凛、別れないでくれ……頼むから」お断りだ。私は完全に背を向け、相手にしなかった。それからの生活は忙しく、学業に追われていた。それでも、彼は毎日アパートの下で待っていた。時折、友人を招いて家で課題を進めることもある。彼の前を横切るたびに、周囲が違和感のある目で私に聞いてきた。「知り合いなの?」私はチラリと彼を見て言った。「違うわ」彼は肩を震わせ、さらに沈み込んだ。そんな日々が一週間続いた。ある嵐の夜。課題で遅くなり、家に戻ろうとしたとき、突風で傘が壊れた。冷たい雨が容赦なく私に降りかかる。私は課題を濡らさないよう必死に守ったが、雨はやまなかった。する
「凛!大学の事務に聞いたんだけど、留学したって本当か?なんで教えてくれなかったんだ!一緒に留学するって約束したじゃないか。俺がIELTSの点数を取るまで待ってくれるって言っただろ?」私は言葉を失った。確かに、私はそんなことを言ったかもしれない。一番幸せだった時、私は竜之介の肩に寄りかかって、彼と一緒に留学したいと話した。竜之介は、それに対して明確な返事をしなかった。彼はただ苦笑いをして言った。「でも、俺はまだIELTSの点数が足りないんだ」私は何も考えずに即答した。「私が待ってあげるから!」竜之介は私をひと目見たが、何も言わずにすぐ視線を逸らした。彼の視線の先を追った瞬間、ひやりとした。そこには、演劇部の連中がいた。一番奥に立っている遥も、こちらを見ていた。二人は一言も交わさず、静かに見つめ合っていた。ただ私だけが、その場に居場所のない存在みたいで、ひどく惨めだった。気持ちを切り替えて、留守電を切り、竜之介の連絡先をすべてブロックして、履歴も消した。そしてベッドに倒れ込み、静かに眠った。翌日からは授業が始まる。時間割を確認すると、授業数自体はそれほど多くないが、内容はかなり重かった。ここからの一週間、私は息つく間もないほど慌ただしい毎日を送ることになった。気づけば、週末の夜8時になっていた。私は図書館に座っていて、手元には三杯目のコーヒーがある。私は両手で頬を軽く揉んだ。疲れは溜まっていたけれど、不思議と気持ちは晴れやかだった。少なくとも、竜之介と遥がいちゃつく姿を見ているよりは、何倍もマシだ。大きく伸びをして、少し外で風にあたろうと思った。すると、目の前に現れた人物に、私は思わず足を止めた。竜之介だった。彼は今ここまで走ってきたばかりなのか、肩で荒く息をしていた。私を見つけた彼の瞳が輝いた。「凛、やっと見つけた……」私は彼を見つめたまま、どうやってここを突き止めたのかは聞かなかった。ルームメイトや親友、あるいは兄から、竜之介が本気で探せばいつでも情報を聞き出せるのだから。彼は頭が切れる男だ。だからこそ、彼を信じて何度も待ち続け、何度も自分に言い訳をしていた過去の自分が、情けないほど愚かに思える。ひやりとした風が頬を撫で、私