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第83話

Auteur: 水守恵蓮
last update Dernière mise à jour: 2025-07-02 19:06:03

私は思い切って、ほんの少し膝を前に進めた。「優さん」やや硬い声で呼びかけ、話を促す。彼も私に視線を向けて、何度か無言で頷き返してくれた。グラスをローテーブルに戻し、胡坐を掻いた足の真ん中で、両手を組み合わせる。「君に話した通り、あの後俺と玲子は、夫婦になってから初めて向き合えた。玲子の本心も聞けた。彼女は……俺に言ったよ。『彼の代わりじゃなく、結婚したからには、ちゃんと愛してほしかった』って」やや低められた彼の声を耳にして、私は膝の上で両手を握りしめた。「俺が玲子を、『親友』じゃなく妻として愛していたら、こんな結果にはならなかった。『だって私は、ちゃんとあなたを愛してるつもりでいたから』って。……でも、今となっては錯覚だったかもしれない、とも言っていた」「……錯覚?」その言葉が引っかかって、私は恐る恐る口を挟む。優さんは手元に視線を落とし、「ああ」と頷いた。「隠しもせずに瀬名と付き合っていたのは、初めは俺への当てつけだった。でも、瀬名との関係を続けるうちに、玲子は身体だけじゃなく心も満たされていった。……まあ、そういうのを素直に認めて、瀬名に言ってやるような女じゃないんだけど」ずっと硬い表情をしていた優さんが、口元にわずかな苦笑を浮かべた。「俺と夏帆の関係に勘付いて、君を探りに来て……。玲子は、君を心底から羨ましいと思ったそうだよ」「え? わ、私を?」彼の言葉にギョッとして、私は上擦った声で聞き返した。なぜだかわからないから、胸には困惑が広がる。「どうして。玲子さんが……」「旦那の俺だけじゃなく、恋人の瀬名も可愛がる女だからね、君は」「っ、えっ!?」さらなる驚きで目を剥いて、私はきょときょとと瞬きをした。優さんは私の反応を上目遣いで観察して、面白そうにプッと吹き出す。「君はきっと無自覚なんだろうけど。長瀬が熱を上げるのも瀬名が構うのも、俺が放っておけないのも……間違いなく、君が男心を惑わせる小悪魔だからだ」「っ……!」前にもそんなことを言われたことを思い出す。口に手を遣り、クックッと小気味よい笑い声を立てる優さんの前で、私はカアッと頬を染めた。思わずピンと背筋を伸ばし、肩を怒らせてしまう。

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