Mag-log in──ワインラボ
謎の美女と、まさかの再会。そして、想は彼女と再びグラスを交わしていた。
だが──名前が出てこない。
(まずい……完全にやらかしてる)
彼女の名前を知らない。いや、知っていたのかもしれないが、記憶がない。
どうする? どう切り抜ける?
想は静かに腹を括った。
「ほんと、久しぶりだね。……あれ?名前、なんだっけ?」
「……りかです」
「違う違う、下の名前は覚えてるよ。苗字の方だよ」
一瞬の間。
「……綾瀬です」
「そうだったそうだった!」
内心、ガッツポーズ。昔どこかで聞いた“名前を聞き返すテクニック”が効いたと、ほっと胸を撫で下ろす。
だが──
「……ふふふ」
「……どうかした?」
「毎回、それ聞かれるから。……可笑しくて」
想は固まった。──“毎回”?
「え……毎回って……」
「今日で、神谷さんと会うのは三度目ですよ」
「……嘘だろ」
──研究室・深夜。 りかが押した記憶復元装置の“実行”ボタン。どれ程の時間が経っただろうか。想はまだ、目を覚まさない。「神谷さん!……神谷さん!」 りかの必死な呼びかけも虚しく、想に反応はなかった。「おいおい……まさか……」 橘の胸に、最悪の結末がよぎる。 その静寂を破ったのは──中野の乾いた笑い声だった。「ふふふ……はーっはっはっ!」 室内に、嫌なほど響き渡る。 ──その時。「……う、ん……」 ゆっくりと、想のまぶたが開く。「ここは……」 装置を外し、周囲を見渡す。──拘束された中野。──寄り添うりか。──そして橘。 ひとりひとり、確かめるように視線を送った。「……そうか。帰ってきたんだな」 そう呟きながら、想は中野に視線を戻す。「あなたは──僕の研究を奪い、そして僕から“記憶”を奪った。……その罪は、決して許されない」「神谷
──水曜日・深夜0時30分。 いよいよ、すべての決着をつける時が来た。 研究所前に集まった想・りか・橘の三人。緊張感の中、それぞれの覚悟が静かに燃えていた。「いいですか、神谷さん。 作戦通りにお願いしますね」「……あぁ、必ず成功させる」 想が力強く頷く。「中野の側近と思われるスーツの男は、別件で拘束してる」 橘が言いながら、想の肩を軽く叩く。「アイツは叩けば埃だらけだった。 今夜は中野一人、決めるには最適だ」「……ふぅ、よし、行ってくる」 想は一度、深く息を吐き── ゆっくりと、研究所へ入っていった。 ──研究所内。 受付には、前と同じく無表情の女性職員がひとり、薄暗い照明の中で待っていた。 想が近付くと、電話をかけ始める。「……もしもし、神谷さんが来られました」 電話が終わった瞬間、想は受話器を奪うように置き、背後からりかと橘が現れる。「……これは、一体……?」 戸惑う職員。「今日は、終わらせに来ました」 想がまっすぐに言い放つ。「あなたた
──りかの考えた作戦が、伝えられる。 想は“記憶をすべて取り戻したふり”をして、研究所に潜入。 中野と対峙し、まずは説得。 もし応じなければ、装置を奪い取り、記憶を取り戻す──という強硬策だった。「……ちょっと、雑すぎやしないかい?」 想は、軽く笑いながらツッコミを入れる。「え? 我ながら、けっこう良い作戦だと思ってたんですけど」「いや、“記憶が蘇ったふり”まではいいんだよ。 でもさ、最後が“力ずくで奪い取る”って……成功する未来が全然見えない」 想は苦笑いを浮かべながら、テーブルを指でトントンと叩く。「でも……“気を引いている間に装置を操作する”って方が、まだ現実的かもな」「それこそ、どうやって1人でやるんですか?」 りかの問いに、想は無言でニヤリと笑う。「……えっ、私も?」「当然でしょ。バディじゃん、俺たち」「……もうちょっとマイルドな作戦、考えません?」「おい、ズルいぞ」 2人のやり取りは、どこか漫才のようだったが、その目は真剣だった。ああでもないこうでもないを繰り返し、時間だけが過ぎていく。──このままでは埒が明かないと判断し、橘も交えて作戦会議を開くことに。
──喫茶店・夕方。 橘と別れた後、想とりかは、今後の方針について語り合っていた。「……でも、実際どうやって記憶を戻すか、だな」 想の疑問は、誰もが感じる率直なものだった。「ですね。医学的には、写真や映像、匂いなどの“記憶のフック”が有効って言われてますけど……」「俺の場合、音声だけじゃ、何もピンと来ないんだよね」 2人はそろって肩を落とした。「早くしないと……また、水曜日が来てしまう」 想の表情には焦りがにじんでいた。今日は土曜日。あと数日で、また“あの日”がやってくる。 その夜、再び研究所に向かってしまえば、今度こそ全ての記憶が消されるかもしれない。そう考えるだけで、胸が締めつけられた。「……でもさ、なんで俺、水曜の深夜に限って“動いちゃう”んだろう?」 ふと漏れた想の言葉に、りかの目が鋭くなる。「それ……何かあるのかも。 あの時間じゃなきゃいけない理由……あっ!」 りかが何かに気づいたように、身を乗り出す。「……記憶を“取られた”時間……!」「え、どういうこと?」「もしかしたら、水曜日の深夜0時30分に、記憶を奪われたんじゃないかって&
──共に戦うと誓い合った2人。 だが、その第一歩は、思いのほか難しいものだった。「……で、戦うって言っても、俺たち、何すればいいんだ?」 想が素朴な疑問を口にする。 それは、核心でもあった。「まさにそこなんです。まずは、神谷さんの記憶を戻せたらって思ってて…… 特殊な周波数の装置とか言ってましたよね? 何か、思い出せそうですか?」「うーん……さっぱり」「とりあえず、電波でも当ててみます?」「おいおい、俺の脳をチンでもすんのかよ……脳科学者の発言とは思えないな」「……ごめんなさい」 くだけた会話の中、ふと想が気づく。「そういえば、よく研究所までたどり着けたね。俺の名前まで……」「あ、それは……実は協力してくれてる人がいるんです」「協力者?」「中学の同級生なんですけど……今は刑事をしてて。 事故の調書や、研究所の周辺情報も──その人に手伝ってもらってました」 少し言いにくそうに、りかは続ける。「……聞かなかったことにします?」「いや、言ってくれていいよ。ただ、他言しないほうがいいってこと?」「はい&helli
──長い、長い沈黙。 想は、自分という存在そのものに疑念を抱いていた。“神谷想”という人格すら、誰かに作られた記憶の上に成り立っているのではないか。 かつて自分が生み出した研究が、誰かの記憶を消し、誰かを冤罪に追いやった── その可能性に打ちのめされていた。 聞いてはいけない話を聞いてしまったのかもしれない。りかもまた、迷いを抱えたまま口を閉ざしていた。──どれほどの沈黙が続いただろうか。 先に口を開いたのは、りかだった。「……あなたに、話さなきゃいけないことがあります」 俯く想の隣で、彼女は静かに語り出した。 ──綾瀬りかの弟、優斗。 大学生だった。真面目で、優しくて、家族思いで、将来を嘱望されていた。 ある日、通学中に轢き逃げ事故に遭い、命を落とした。「でも……おかしかったんです」 捕まったのは、ごく普通のサラリーマン。物的証拠も揃っていて、裁判は早かった。 だが、彼だけが言い続けていた。「俺はやっていない。……何も覚えていない。なのに、なぜ記憶が“ある”んだって」 何よりも不可解だったのは── 弟が搬送された病院で、りかが見た“男”の姿だった。「その人……事故の犯人と、全然違う人で