LOGIN一条の全身の半分以上には包帯が巻かれていた。 片手は点滴のために布団の外へ出され、顔も半分ほど腫れ上がっていて、痛々しい痣が広がっている。 その姿はあまりにも痛々しく、一目見ただけで陽菜はまともに見ていられなくなった。 目の奥が熱くなり、涙が滲んでくる。 物音に気づいたのか、一条はゆっくりと顔を向けた。鷹宮と陽菜の姿を見つけると、挨拶しようとしたのだろう。 手を上げようとするものの思うように動かず、ようやく浮かべた笑顔も、どこかの傷に響いたのか、「っ……」 と小さく息を漏らし、そのまま引きつったような笑みで止まってしまった。「はは……俺、今すげぇ悲惨な顔してる?」 こんな時だというのに、まだ冗談を言う余裕がある。 陽菜は俯いたまま鷹宮の後ろについて立ち、一条を見ることができなかった。 泣いている顔を見られたくなかったからだ。 ぽたぽたと床に落ちる涙は隠しようもなく、一条はすぐに気づき、困ったように口元を歪めた。 本当は陽菜を慰めたくて、できることなら抱きしめて安心させてあげたかったが、身体に力が入らず、優しく声をかけることしかできなかった。「藤野、泣くなって。俺、大丈夫だから。見た目は派手だけど、全然痛くないし! ほとんどかすり傷みたいなもんだって。本当。本当に心配なら、先生呼んで説明してもらおうか?」 そう言いながら、一条は本当にナースコールを押そうと懸命に手を伸ばしたが、それを鷹宮が止めた。「修司、動くな」 そう言ってから少し考え、「後で僕が陽菜さんを連れて先生の話を聞きに行くから、お前は変なことするな。大人しく寝てろ」「はは……それならいいか。藤野、先生の話を聞けば分かるって。俺、本当に大したことないから」 一条は笑いながらそう言った。 なんとか陽菜を笑わせたかったのだろう。 本人は、自分の声がどれほど掠れていて、いつものような明るさや張りを失っているのかまったく気づいていなかった。 陽菜が何も言わないものだから、一条も不安になったのか、何度も彼女の名前を呼んだ。「藤野。藤野。……もう少しこっち来て? な?」 声を落とした一条は、きらきらとした目で陽菜を見つめながら、一歩ずつ近づいてくる彼女の姿を追う。 そして、涙の跡が残る頬と、今もぽろぽろと零れ続ける涙を見てしまった。 本当は、からかうつもりでいく
何が起きたのかは分からなかった。 ただ、本能的に一条の身に何かあったのだと感じていた。 そんな予感と、何度かけても繋がらない電話に、陽菜はますます焦りを募らせた。 それでも、どうすることもできない。 ただ、何度も何度も通話ボタンを押し続けることしかできなかった。 そんな状況は翌日になっても変わらず、陽菜は依然として一条と連絡が取れないままで、どうしようもなくなった末にようやく鷹宮の番号を押した。本当は、こんなに早く鷹宮を頼るつもりはなかった。「た、鷹宮さん……あの……その……」「あ、陽菜さん? 待って待って、まず落ち着いて」 電話が繋がった途端、陽菜は焦りのあまり言葉にならなくなる。 そんな様子に鷹宮は一瞬驚いたものの、すぐに優しく声をかけた。 落ち着いた口調に、陽菜も少しだけ冷静さを取り戻す。何度も深呼吸をしてから、ようやく言葉を絞り出した。「鷹宮さん、一条君が……一条君が……」 けれど途中でまた焦りが込み上げ、うまく言葉を続けられない。 そんな混乱の中で、受話器の向こうからかすかなため息が聞こえた。「陽菜さん。君が聞きたいことは分かってる。今から迎えに行くから、そのあとでちゃんと話す。いい?」「一条君、何かあったんですか?」 いつもの陽菜なら、もっと落ち着いて鷹宮の話を聞けたはずだった。 なぜか今は駄目だった。 どうしても待っていられないほどの焦燥感に駆られていて、そんな陽菜の様子を察した鷹宮は、先に安心させるように言った。「陽菜さん。修司は大丈夫だよ。……うん、元気だから。今から迎えに行く。それから一緒に会いに行こう。いい?」 鷹宮はすぐにやって来た。 昨日別れた時と同じ服を着たままの陽菜を見ると、鷹宮はほんのわずかに目を見開き、何か言いかけたものの、その言葉を飲み込んだ。 陽菜は昨夜、一睡もしていなかった。 不安で落ち着かず、着替える余裕すらなかったのだ。 そんな自分に鷹宮が気づいたことで、陽菜もようやく我に返ったように、気まずそうに服の裾を引っ張った。「ごめんなさい……ちょっと、焦りすぎてて……」「大丈夫だよ、陽菜さん。先に準備する? それとも、このまま行く?」 結局、陽菜は着替えてから鷹宮と一緒に出発した。 道中も陽菜の不安は隠しきれず、本人は平静を装っているつもりだったが、運転する鷹宮は何度
陽菜のその言葉に、鷹宮はそれ以上引き止めようとはしなかった。 しばらく黙り込んだあと、小さく息を吐く。 陽菜を見る眼差しには相変わらず申し訳なさが滲んでいたが、それと同時に、陽菜と同じようにどこか解放されたような安堵も浮かんでいた。「ごめん、陽菜さん」「鷹宮さん、今日ずっと謝ってばかりですね。何度も言いましたけど、鷹宮さんのせいじゃないんです。できることなら……鷹宮さんとは、こんなふうにお互いに申し訳なく思わなくていい関係になりたいです」 陽菜はそう言って、鷹宮に小さく微笑みかけた。「もちろん……」 鷹宮はすぐに頷いた。 ただ、気持ちの整理はまだ追いついていないのだろう。 すぐには難しそうだった。 陽菜もそれ以上無理に求めることはせず、しばらく車窓の景色を眺めたあと、笑顔で鷹宮に頼んだ。「鷹宮さん、最後に一つだけお願いです。……家まで送ってもらえますか?」「……陽菜さん。これから先も、僕を頼ってくれていいんだよ」「友達として、ですか?」「もちろん。陽菜さんが嫌じゃなければ」 鷹宮は陽菜をマンションの前まで送った。 別れを口にしてからの車内は、不思議なくらい最初よりも空気が柔らかくなっていた。 鷹宮も目に見えて肩の力が抜けていて、その姿に少し複雑な気持ちになりながらも、陽菜は本当によかったと心から思った。 車を降りる前、鷹宮は何度も念を押すように言った。「陽菜さん。これから何かあったら、遠慮しないで連絡して。僕にできることがあるなら、何でもするから」 陽菜は頷き、鷹宮に笑顔を向ける。「……おやすみなさい、鷹宮さん」 車を降りたあとも、陽菜は鷹宮の車が見えなくなるまでその場で見送った。そしてマンションへ入ろうとしたその時、不意にスマートフォンが鳴り出す。 画面に表示されていたのは、一条の名前だった。 一条から突然電話がかかってくること自体は、別に珍しいことではない。 けれど、こんなにも絶妙なタイミングだと、陽菜は思わず一条が何か知っているのではないかと考えてしまう。「一条君?」 電話に出て声をかけた途端、受話器の向こうから一条の明るい声が返ってきた。「おう、藤野。今ちょうど信号待ちしててさ、せっかくだから電話しようと思って。明日の予定のことなんだけど――」 どうやら、一条は陽菜が別れたことを知って電話してきた
鷹宮が陽菜に対して他にどんな感情を抱いていたとしても、少なくとも二人の関係に対して、彼なりの責任感を持っていたことだけは確かだった。 短い沈黙のあと、鷹宮は気を取り直すように口を開く。「陽菜さん。僕と詩織はもう……過去のことなんだ。別れたのも、二人で何度も話し合った末に決めたことだったし。ただ、詩織の家と僕の家は昔から親しくしているから、今日母さんがあんなことをしたのも……」「違うんです、鷹宮さん。責めたいわけじゃないんです。ただ……好きな気持ちって、隠そうとしても隠しきれないものだから……」「……」 鷹宮は黙り込んだ。 反論できる言葉はなかった。 陽菜の言葉は間違っていない。彼は一度も、本当の意味でその想いを手放せてはいなかった。 口ではずっと「二人で決めたことだった」と言ってきたが、鷹宮にとってそれはただの諦めでしかなかった。 詩織は空を自由に羽ばたく鳥のような人で、鷹宮はそんな彼女を閉じ込めてしまう鳥籠になってしまう。 だからこそ、自分は鳥籠にはなりたくなかった。 詩織には、自分の望むままに、自由に、そして眩しく生きていてほしかった。 長い沈黙の末、鷹宮は苦笑を浮かべた。「ごめん、陽菜さん。僕、誰に対してもきっと、いい彼氏にはなれないな」「違います。私は鷹宮さんを責めたいわけじゃなくて……ただ、私は……私たちは……」 もう、終わりにした方がいい。 その言葉は何度も舌の先まで上ってくるのに、どうしても口にすることができなかった。 こんな時になっても、まだ手放したくないと思ってしまう自分が情けない。 きっと自分は欲張りなのだ。 けれど、自分から言い出さなければ、責任感の強い鷹宮は絶対に切り出さない。 彼は無理をしてでもこの関係を続けようとする。 何も悪くないのに、必要のない責任まで背負ってしまう。「どうした? 陽菜さん」「鷹宮さん……私たち、この関係を終わりにしませんか?……昔から本当に鷹宮さんのことが好きでした。でも、このままじゃ、私が鷹宮さんに無理をさせているみたいで……私は、そんなの嫌なんです」「……陽菜さん。僕、努力するから」「気持ちは努力だけでどうにかなるものじゃありません。好きな人がいるまま、別の人に責任を取ろうとしたって……そんなの、私たち二人とも苦しくなるだけです」 陽菜は、なんとか自分の気持
一度の食事は、陽菜にとってひどく息苦しいものだった。 陽菜はほとんど箸をつけられず、鷹宮の意識もまた完全に詩織へ向いていた。 鷹宮の母親が何度か話しかけても、彼はどこか上の空だった。 陽菜はずっと知っている。 鷹宮が今でも初恋の相手を忘れられずにいることを。 そして、二人の関係を狂わせたあの過ちのキスも、結局は詩織を想っていたからこそ起きたものだった。 本当なら胸が痛んで、苦しくてたまらないはずだった。 何年も好きでい続けた人なのだから。 けれど不思議なことに、陽菜は自分が思っていたほど傷ついてもいなければ、嫉妬しているわけでもなかった。 驚くほど穏やかだった。 穏やかなまま、これまで何年も鷹宮を見つめ続けてきた日々を振り返る。するとそれさえも、ただの懐かしい思い出のように感じられた。 もう、特別な意味など何も残っていない。「……あ」 そういうことだったのか。 陽菜は俯き、そっと胸のあたりに手を触れる。 長く長く続いた恋は、いつの間にか終わっていたのだ。 夕食を終えると、鷹宮が陽菜を送ると言い出した。 すると珍しく鷹宮の母親も反対せず、むしろ詩織の腕を親しげに抱き寄せながら、「詩織ちゃん、今夜はうちに寄っていかない? 凌が帰ってきたら、またゆっくり昔話もできるでしょう?」 と笑顔で声をかける。 詩織は反射的に鷹宮を見た。 鷹宮もまた、その視線を受け止める。 だが、詩織は笑顔で首を横に振った。「おばさま、今日はもう遅いですし、母にも早く帰るって約束しているんです。また今度、両親と一緒にご挨拶に伺いますね。どうでしょう?」 そんな会話を交わしながら、二人は先に歩いていく。 その場には、鷹宮と陽菜だけが残された。 鷹宮はしばらく詩織の後ろ姿を見つめていたが、ようやく我に返ったように陽菜へ視線を向け、申し訳なさそうに小さく笑った。「陽菜さん、送っていくよ」 陽菜は頷き、鷹宮の後をついて駐車場へ向かった。 車が走り出してからしばらくの間、車内には静かな空気が流れていた。 鷹宮は何度も口を開きかけては閉じる。 何かを言おうとしているのだろう。 その表情はどこか硬く、結局しばらく走っても言葉は出てこなかった。 先に口を開いたのは陽菜だった。「鷹宮さん……少し、お話ししてもいいですか?」「あ……うん。どこか
鷹宮の母親から突然連絡が来たのは、それから一週間後の土曜日のことだった。 この一週間、一条は陽菜のことをひどく気にかけていた。 また自分の知らないところで手の届かない事態が起きるのではないかと後を引いているのか、陽菜を危険な目に遭わせたくないという思いが強く、仕事帰りは必ず自分が送り迎えすると譲らなかった。 陽菜は申し訳なく思う一方で、胸の奥には誰にも知られたくない小さな喜びも隠れていた。 月乃に誘拐されたことは、結局鷹宮には話していない。 もともと鷹宮との連絡はそれほど頻繁ではない。 たまに鷹宮から電話がかかってきても、わざわざそんな話をして心配をかけたくなかった。 それに、もう終わったことだ。 今さら話したところで、何かが変わるわけでもない。 突然鷹宮の母親から連絡が来たことに、陽菜は驚きと同時に少しの恐怖を覚えた。 この一週間、鷹宮とは一度も顔を合わせていない。 いったい何の用なのだろう。 送られてきたのは、とあるレストランの名前と住所だった。 短いメッセージの文面からも変わらぬ強引さが伝わってきて、必ず来るようにと念を押されている。 陽菜は迷ったまま時間だけを過ごしていたが、結局は断り切れなかった。 やはり自分は気が弱いのだろう。 相手は鷹宮の母親なのだから、無視するわけにもいかない。 そう思い、約束の場所へ向かった。 ただ、鷹宮の母親が自分一人を呼び出したのだと思っていた陽菜は、レストランの個室に入った瞬間、思わずその場で立ち尽くした。 そこには鷹宮と、見知らぬ女性がいた。 鷹宮もまた、陽菜が来るとは思っていなかったのだろう。その表情には驚きがありありと浮かんでいる。 一方で、鷹宮の母親は陽菜の姿を見ると、ぎこちない笑みを無理やり浮かべ、「藤野さん、早く座ってちょうだい」 と促した。 その女性は、以前鷹宮の母親が見合い相手として連れてきた綾乃ではなかった。 陽菜の知らない顔だった。 鷹宮は黙ったまま、何を考えているのか分からない。 陽菜が席に着いても特に反応を見せなかったが、しばらくしてようやく我に返ったように小さく笑い、「陽菜さん、最近は元気だった?」 と、控えめな声で声をかけた。 息子が陽菜に話しかける様子を見て、鷹宮の母親は思わず小さく鼻を鳴らす。 そして、終始落ち着いた表情を崩さ
月乃に指定された場所へ着いた頃には、時刻はすでに夜七時を回っていた。 地下駐車場の入口付近には、人の姿はない。陽菜は少し迷った末、その場で月乃へ電話をかける。 呼び出し音は、数秒もしないうちに途切れた。 まるで最初から、陽菜からの電話を待ち構えていたみたいに。「月乃ちゃん? もう着いてる?」『陽菜ちゃん、今どこ? ずっと待ってるの……』 月乃の声は妙に焦っていた。 切羽詰まったように、何度も陽菜の場所を確認してくる。「地下駐車場の入口にいるよ。来ればすぐ分かると思うけど……」 地下駐車場の出入口は一つしかない。 陽菜自身、かなり分かりやすい場所に立っているつもりだった。
この日の夜、一条は自分でもおかしいと思っていた。 これまでずっと上手く隠してきたはずの言葉が、今夜に限って次々と零れてしまう。 もう抑えきれなくなってしまったみたいに。心の奥に隠していた本音を、一句ずつ陽菜へ曝け出してしまっていた。 こんなふうに気持ちをぶつけても、陽菜を困らせるだけだ。 そんなこと、一条自身が誰より分かっている。 分かっているのに……止められなかった。「……俺なら、絶対にお前をあんなふうに言わせたりしないし、嫌な思いだって、絶対させない」 胸の奥では、何度も「やめろ」と自分に言い聞かせていた。 鷹宮は、自分にとって世界で一番大切な友人だ。 失いたくない存
柔らかな風がまた二人の間を通り抜ける。 今度は、陽菜はすぐに両手を閉じた。宝物を守るみたいに、花びらを逃がさないよう大事に握り込む。 そんな様子を見て、一条は小さく笑った。 彼はそれ以上、さっきの話題には触れなかった。代わりに視線を公園の奥へ向ける。「藤野。あっち、池があるみたいだな。行ってみる?」「はい」 二人は公園の石畳の道を並んで歩きながら、ゆっくり奥へ進んでいく。 途中、楽しそうに笑い合う高校生たちのグループとすれ違った。 一条はその制服へ何気なく視線を向ける。そして、どこか懐かしむように目を細め、不意に口を開いた。「うちの高校の制服も、あれに近い色だったよな。…
冬に入ってからというもの、夜の時間はいつもあっという間に過ぎていく。 藤野陽菜は、書斎の本棚につき始めた埃を掃除し終えたばかりだったが、雇い主であり同居人でもある人物から電話がかかってきた。 「陽菜さん、迎えに来てもらえますか」 電話越しの男性の声は、実際の声とはどこか違って、まるで劣化した古いレコードの音のように歪んで聞こえた。 陽菜は一瞬意識がふわりと浮き、相手の男性が返事を待って電話を切らずにいることに気づいて、慌てて口を開いた。 「鷹宮さん、今どちらにいらっしゃいますか?」 鷹宮凌はホテルの名前と住所を告げた。そう遠くはない距離だっ







