เข้าสู่ระบบしかし、堕ちていくのは彼女だけではない。柊也もまた、底なしの沼へ足を踏み入れていた。「んぅ……」詩織の喉から、すすり泣くような甘い鳴き声が漏れる。いじめ抜かれた子供のようにか細いその声が、柊也の嗜虐心を煽り立てる。汗が滝のように滴り落ちる中、彼は詩織の額に自分の額をゴンと押し当てた。「詩織、よく見てろ。俺は……最後の一線だけは守ったからな」だが詩織は、挑発するかのように顎を上げ、彼の唇に食らいついた。その瞬間、柊也の理性の糸が完全に焼き切れた。低い唸り声と共に、鋼のように隆起した筋肉が、彼女をきつく抱きしめる。熱に浮かされた二人の境界線が曖昧に溶け合い、雲の上を漂うような浮遊感に包まれた。たとえこのまま息絶えることになろうと、構わない。今の柊也にとって、この瞬間こそが全てだった。激情の嵐が過ぎ去り、後には燻るような余熱だけが部屋に残っていた。激しい消耗の末、詩織は泥のように眠っていた。だが、その眠りは安らかなものではないらしい。整った眉間には、浅い皺が刻まれている。柊也は、その眉間の皺を指の腹で優しくなぞり、撫で広げようとした。詩織が夢うつつに何かを呟く。それは抗議のようでもあり、甘えのようでもあった。柊也は身を屈めると、彼女の額、そして鼻先に、愛おしげに口づけを落とす。「またタダ働きさせやがって……」彼は苦笑交じりに、眠る彼女へ囁いた。「ま、今回の指名料もサービスにしといてやるよ」甘い空気がまだ漂う中、部屋の外では不穏な気配が動き始めていた。「そろそろ時間ね。記者どもはまだ?」廊下に響いたのは、静姫の神経を逆撫でするような甲高い声だ。父である青山が短く答える。「今、エレベーターだ」静姫は勝ち誇った笑みを浮かべ、側に控えていたボディガードに命じた。「いい?到着したらすぐにドアを蹴破りなさい。記者たちに雪崩れ込ませて、あの女の痴態をきっちり撮らせるのよ」「承知しました」タイミングを見計らい、青山が娘を促す。「よし、我々は退散するぞ。現場に居合わせるわけにはいかないからな。後は任せた」「ええ」香川親子は手筈通り、現場を部下に一任して足早にその場を立ち去った。入れ違いに、ハイエナのように獲物を嗅ぎつけた記者たちの群れが廊下に押し寄せる。その瞬間、ボディガードは指示通り、荒々しく
柊也は、己の意志の強さを自負していた男だ。だが、その自慢の自制心など、詩織の前では紙切れ同然だった。何度繰り返そうと、彼はこの甘美な毒に溺れてしまう。今この瞬間、柊也は香川家の連中を心の底から呪った。こんな卑劣な手段を使うと知っていれば、罠にかかったふりなどしなかった。これでは本当に、罠に嵌められたも同然じゃないか。詩織はもはや薬の支配下にあった。水気を帯びた濡れた瞳は、正気を失いながらも、なぜか柊也を誘うような魔力を放っている。彼女はひたすらに、柊也の体にすり寄ってくる。まるで、少しでも彼に近づけば、この灼熱地獄から逃れられるとでも言うように。そんな視線を向けられて、耐えられる男などいるだろうか。柊也の額に、大粒の汗が浮かぶ。喉仏が激しく上下し、絞り出すような声が漏れる。「……詩織、お前……俺を嵌める気か」しかし詩織は、彼がどれほどの苦痛と戦っているかなど知る由もない。熱に浮かされた顔を、無心に彼の首筋へ埋めてくる。体中を焼き尽くす炎から逃れるため、少しでも冷たい場所を探し求めているのだ。「あつい……」彼女の白い肌は、まるで桜貝のような薄桃色に染まり始めている。その光景に、柊也の理性は限界を超えて軋んだ。全身の筋肉が強張り、汗が顎を伝って滴り落ちる。部屋の空気は、既に彼女の甘美なフェロモンで満たされていた。そして、熱い息が柊也の敏感な耳元を撫でる。「……助けて」それは、あまりに無防備で、あまりに切実な懇願だった。潤んだ瞳、紅潮した目尻。頼りなく揺れるその姿は、庇護欲と征服欲を同時に掻き立てる、残酷なほどの儚さを孕んでいた。「だめだ」柊也は彼女から目を逸らした。「シラフに戻ったら、絶対に怒る。俺を責めて、また避けるんだろ」彼は自分自身に言い聞かせるように呟くと、無理やり詩織をベッドに押し戻した。理性を保つため、手近な掛け布団を鷲掴みにし、彼女を乱暴に包み込もうとする。だが、火照りきった詩織がそれに大人しく従うはずもない。「いやっ!」彼女は必死に身をよじり、拘束から逃れようとする。柊也はパニックになりかけた。上半身を押さえれば、下半身がはだける。足元を隠せば、豊かな胸元が露わになる。終わりのない鼬ごっこだ。そして、ふと見えた詩織の表情に、彼の手が止ま
幸運なことに、数馬のような獣には二度と遭遇せずに済んでいる。下心を抱く男はいても、実行に移す度胸のある者は現れなかった。それにしても……今の数馬の態度はどうだ。まるで幽霊でも見たかのように怯えている。一体、何をそんなに怖がっているのだろう?まさか、私の後ろ盾である響太朗を恐れているのか?それなら辻褄が合う気もしないではないが……晩餐会も終盤に差し掛かると、詩織は足元が覚束なくなるのを感じた。久々の接待にしては、酒が回り過ぎたようだ。響太朗は詩織の不調をいち早く察し、「あとは僕が引き受けるから、上で休むといい」と、ホテルのスタッフに部屋まで案内するよう手配してくれた。詩織は素直に厚意に甘えることにした。本気で酔いが限界だったのだ。休息室に着くと、まずはミキに一言伝えようと電話をかけた。出ない。まだ会場で忙しくしているのかもしれない。仕方なく簡単なメッセージを送り、詩織は重い体を引きずるようにベッドへ倒れ込んだ。ドレスの締め付けのせいだろうか。胸が苦しい。呼吸は荒くなり、心臓が早鐘を打つ。手の甲を頬に当てると、尋常ではない熱さに驚いた。単なる酔いなら、こうはならない。時間の経過とともに体温は上昇し続け、喉がカラカラに乾き、全身の筋肉が溶けたように力が入らない。朦朧とする意識の中で、過去の記憶がフラッシュバックした。――これは、酔いじゃない。薬だ。数年前、高級クラブ『ラウンジ・ノクターン』で盛られた時と全く同じ感覚。全身を駆け巡る異常な熱。詩織は苦しいドレスを引きちぎりたい衝動と戦いながら、震える手でスマートフォンを探り寄せようとした。誰かに助けを求めなければ。だが、指が画面に触れる前に、カチャリとドアが開く音がした。誰かが入ってきたのだ。部屋は暗く、相手の顔は見えない。響太朗の配下の者だろうか。「響太朗さん……私、何か変なものを口にしたみたい……」声が震える。言葉とは裏腹に、理性の最後の砦が決壊しようとしていた。暗い部屋に沈黙が落ちた。やがて、聞き覚えのある低い声が静寂を破る。「……詩織?」だが、詩織の耳にはもう、誰の声なのか判別がつかない。荒い息遣いだけが部屋に響く。体の中を駆け巡る異常な熱に悶え、彼女はシーツの上で身をよじった。
子供たちのセレモニーも終わり、会場は再び立食パーティーの喧騒に戻った。詩織は、グラスを片手に近づいてきたある男の顔を見て、一瞬足を止めた。記憶の奥底で、かすかな錆の味がする。男は露骨に気まずそうな顔をして、乾杯を促してきた。「江崎社長、お久しぶりですな」「ええ、本当にお久しぶりです、数馬社長」詩織は完璧なまでの営業スマイルで応じた。忘れるはずがない。数馬武(かずま たけし)――かつて江ノ本市へ大規模投資を行った本港市の企業のトップだ。そして、詩織がまだ柊也の秘書だった頃、手酷い屈辱を味わわされた男でもある。当時、行政主導のプロジェクトで莫大な資金を握っていた数馬に対し、詩織はエイジア社のために何度も頭を下げ、投資の取り付けに奔走した。だが数馬は、若く美しい詩織を見るなり、下劣な性欲をたぎらせたのだ。最初は言葉で、目つきで、ねっとりと付き纏った。詩織がそれをあえて気づかないふりで受け流し続けると、数馬は痺れを切らした。ある夜の接待で、彼は強引に詩織を個室に連れ込み、力ずくでわがものにしようとしたのだ。どうせ一介の秘書だ、泣き寝入りするしかないだろう。少し金を握らせればいいし、気に入れば愛人にして飽きるまでオモチャにすればいい。それが彼の常套手段であり、実際、そうやって差し出される女たちを何人も食い物にしてきた。だが、詩織は違った。激しい抵抗の末、彼女は三階の窓から迷わず飛び降り、命知らずの脱出劇を演じてみせたのだ。あの夜、取り乱した詩織が警察に駆け込むのを危惧した数馬は、先手を打って彼女の上司――つまり賀来柊也に連絡を取った。それが、彼の人生において最大の後悔となる。数馬は当然のように、柊也がビジネスを選び、自分の側につくと信じていた。「まあま、社長。大したことじゃないでしょう。上手く収めてくださいよ」そう嘯きながら、多少の補償金をちらつかせる。これまでも嫌がる女がいれば、同じ手口で揉み消してきた。誰も金の前では綺麗事を言えなくなる。ましてや当時のエイジアなど、彼がポケットマネーを少し弾めば半年は食っていける零細企業に過ぎなかった。柊也は感謝して、詩織を黙らせるだろう。そう高を括っていた。ところが……事態を聞いた瞬間、柊也は豹変した。温和なビジネスマンの
すでに璃々子は斉藤に命じて、レッドカーペット出場を告げるプレスリリースを各メディアに流させていた。あとは実際の写真が上がってくるのを待つばかり、という段になって、白彦から無情な通告を受けた。「レッドカーペット、歩けなくなった」「えっ……どうして?」「江崎さんに取り消された」白彦の声は拍子抜けするほど淡々としていた。「嘘……あなたまで締め出すなんて!」璃々子は絶句した。由木グループの御曹司である彼まで巻き添えを食らうなど、想像もしていなかったのだ。さらに驚くべきは、当の白彦がそれを全く意に介していないことだ。怒るそぶりすら見せない。「俺はちょっと野暮用があるから、お前はホテルに戻っててくれ」「え、ちょっ……待って!」璃々子の制止も聞かず、白彦は足早に去ってしまった。取り残された璃々子は、悔しさのあまりヒールを地面に叩きつけた。もうリリースは出ちゃってるのに、今さらキャンセルだなんて!これじゃ私、ただのピエロじゃない!「斉藤!今すぐ各メディアに連絡して、さっきの記事全部消させて!」斉藤は慌てて各所に電話をかけまくったが、戻ってきたのは絶望的な報告だった。「……もう遅いって。記事は配信済みだし、拡散用のプロモーション枠も予約済みだから、今さら止められないって」「どうすんのよ!」斉藤も青ざめた。ただでさえ業界での立場が危ういのに、これ以上の失態は致命傷になりかねない。璃々子は荒い息を整えると、据わった目で言った。「……だったら、もっとデカいスキャンダルで塗り潰すしかないわね」「スキャンダルって、誰の?」「近藤ミキよ。パパ活疑惑を流すの」彼女はスマホを取り出し、ミキが昨日SNSにアップしていた『スポンサー様ありがとうございます♡』という趣旨の投稿のスクリーンショットを斉藤に転送した。「これをネタに、ミキがどこかの金持ちの愛人やってるって匂わせ記事を書かせて。女優の枕営業ネタなんて食いつき抜群だし、私のドタキャンなんて一瞬で忘れ去られるわ」ミキを社会的に抹殺しつつ、自分の醜態も隠せる。一石二鳥の妙案に、璃々子は暗い笑みを浮かべた。……主催者である響太朗の人脈も手伝い、晩餐会は本港市の名士たちがこぞって参加する華やかなものとなった。当然、香川家の人々も顔を見せている。亡き響太朗の妻・百
車内で、璃々子は泣き出しそうな声で白彦に訴えかけた。レッドカーペットの参加権を一方的に取り消されたことを、これ以上ないほど哀れっぽく語る。「やっとの思いで掴んだチャンスだったのに……江崎さん、私にそんなに酷いことするなんて」彼女の大きな瞳には涙が滲んでいる。「私、何か悪いことしたのかな?ただ、自分の仕事を必死に守ろうとしてるだけなのに……」白彦はしばらく黙っていたが、やがて短く言った。「……俺と一緒に入ればいい」まさに璃々子が待ち望んでいた言葉だった。しかし彼女はすぐに飛びつかず、わざと躊躇ったふりをする。「でも……おばあさまが仰ってたじゃない。私のことには一切関わるなって。私、あなたの立場を悪くしたくないの。おばあさまとの関係が悪化したら大変だし、ご高齢だから刺激しちゃいけないって……」璃々子が他のエリアで仕事を干されていることは、白彦も知っていた。だが、彼の祖母・サワが「璃々子には一切手を貸すな」と厳命していたのだ。璃々子はその言いつけを守るふりをして、白彦に泣きつくことなく、健気に自力で頑張る女を演じ続けてきた。ほら、効果覿面だ。結局、白彦は彼女を見捨てられなかった。璃々子は内心の歓喜を必死で押し殺し、心配そうな表情を作る。「おばあさまには、どう説明するの?」「メディアには手を回しておく。こちらのニュースはブロックさせるから大丈夫だ」璃々子の瞳が一瞬、暗く光った。サワは以前、言い放ったことがある。「私が生きている限り、あのあばずれを由木の敷居は跨がせない」と。――生きている限り、か。じゃあ、死んだら?私がこの家に入れるってことよね。不穏な考えが頭をよぎった時、白彦のスマートフォンが鳴った。彼の顧問弁護士からだ。白彦が通話ボタンを押すと、弁護士は単刀直入に離婚訴訟の件を切り出した。ミキは離婚手続きの全権を敏腕弁護士の峰岸丞に委任しているという。条件は一切なし。慰謝料も財産分与も放棄し、身一つで構わないからとにかく離婚したい、という強硬な姿勢だ。ここまでくると、離婚が成立する可能性は極めて高い。「……できるだけ引き伸ばせ」それが、白彦の答えだった。璃々子は膝の上で拳を握りしめ、爪が食い込む痛みで表情を保った。ミキはもう離婚を切り出しているのか。なのに、どうし
二人がプレゼンの準備を整える間もなく、会場からはほとんどの人が去ってしまっていた。智也は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。詩織は気落ちする様子もなく、逆に彼を慰める。「まだチャンスはあるわ」「君は本当に、心が強いんだな」智也は心から詩織に感服した。「全部、かつての職場で鍛えられただけ。これよりもっと困難な状況なんて、いくらでも経験してきたわ。こんなの、何でもない」彼女はいつも、過去の苦労を、まるで何でもないことのように、軽い口調で語る。智也はそれを聞くたびに、胸が締め付けられるような痛みを感じた。働く女性が生き抜くことの厳しさを、彼が知らないはずはない。そして
志帆がそう言う声は、聞いているこちらがうんざりするほど甘ったるい。「私が頼めば、柊也くんは絶対に助けてくれるから」「柊也さんってお姉ちゃんには本当に何でもしてくれるわよね!車も家もポンとプレゼントしちゃうなんて、気前が良すぎるわ!そのうち会社ごとお姉ちゃんのものになっても、私驚かないかも」美穂は心底羨ましそうに言った。「ふふっ、柊也くんは昔から、私には甘いのよ」「ネットでも言うじゃない?男の人が本気で女の人を愛してたら、絶対にお金をかけるって。それだけ柊也さんがお姉ちゃんのことを大切にしてるってことよね」……後で須藤社長に教えてあげなくちゃ。詩織は、心のなかでひとりごちた。
志帆は静かにひとつ頷くと、太一と共に個室へと向かった。「京介兄貴、まさか本気で江崎のこと好きになったんじゃないっスよね……?」個室に入るなり、太一が恨めしそうに呟く。志帆の反応は驚くほど落ち着いており、答えにも確信がこもっていた。「ありえないわ」「なんで……?」太一は、彼女ほど冷静ではいられない。もし詩織が本当に京介と付き合うことになったら、自分は……あの女を「義姉さん」と呼ばなくてはならなくなるのか?考えただけで、胸糞が悪い。「理由なんてないわ。とにかく、京介があの子を好きになることなんてないの」その理由なら、彼女は誰よりもよく知っている。京介の心の中
「レストランなんてお金がかかるじゃない。適当に出前でも頼めばいいわ」智也は譲らない。「ううん、お金は気にしないで。ちゃんとしたレストランで食べた方がいいと思うから」「わかったわ」詩織は単なる食事の誘いだと思い、深くは考えなかった。それに今は、他にやるべき重要なことがある。智也も、プレゼンテーションの準備に忙しく取り掛かった。一方、詩織は先ほど言葉を交わした会場スタッフの一人に近づき、雑談を交えながら彼らの仕事を手伝い始めた。「今日は大変ですね。お疲れ様です」詩織はスタッフたちに飲み物を買って差し入れた。「江崎さん、ありがとうございます」飲み物を受け取ったスタッフ