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第3話

Author: 三三
智也が生まれた年、ほんの少し黄疸が強くて、青い光を浴びる治療が必要になった。

それだけのことなのに、亮介は仕事を全部投げ出し、二十四時間つきっきりで付き添った。

その彼が、いまは。

胸の奥に広がる冷えは、ますます重く沈んでいく。私は椅子に座り直し、亮介の不倫の証拠をさらに辿る。

そのとき、真帆の動画アカウントが更新された。

画面の中の彼女は、昨日私と会ったときと同じ服装で、目尻に涙の跡を残し、いかにもかわいそうに見せている。

「亮介の元妻がまた押しかけてきて、私には彼の子どもの母親になる資格がないって……怖いの」

そう言いながら鼻をすするふりをし、さりげなく亮介とのチャット画面を映し出す。

「でも亮介は私をすごく大事にしてくれているの。明日の保護者会には、私と一緒に出てくれるって約束してくれたの。いよいよお母さんになれるんだと思うと、緊張しちゃう」

彼女は、まさか亮介に、私が帰ってきたことを伝えていない?

画面の隅に浮かぶ、智也が生まれてから一度も変わっていない亮介の青いアイコンを見つめ、私はふっと笑った。

いいわ。保護者会なら、本物の母親が出席しても、何もおかしくないものね。

翌日、学校の保護者会。

私は目立たない装いで人混みに紛れ、智也のクラスのいちばん隅に腰を下ろす。

席につくやいなや、亮介からメッセージが届く。

【由衣、仕事はうまくいってる?いつ帰ってくる?】

彼は探りを入れている。

【ちょうど会場に着いたところ。もう始まるから、また後で】

私はそっけなく返した。

画面には「入力中」の表示、続いて「了解」を示す子猫のスタンプが送られてきた。

それは真帆のアイコンとまったく同じだ。

胸の奥がむかつき、私はそれ以上返信せずにスマホをしまった。

今学期から新しく担任となった真帆が、壇上へと歩み出た。

今日はいつになく気合いを入れていて、シンプルなベージュのワンピースに、片側に編み込んだ髪。顔には隙のない化粧が施されている。

昨日の怯えた姿はどこにもなく、そこにあるのは作り物めいた母性。

見れば見るほど、吐き気を催す。

「保護者の皆さま、こんばんは。本日のテーマは、あたたかな家庭です。家庭は子どもにとって、最も大切な拠り所です。私たち大人は子どもの心の健康に目を配り、幸せで調和のとれた環境を築いていかなければなりません……」

壇上で彼女は堂々と語りかけ、いくつもの小話を交えながら家庭に向き合う責任を保護者に説いていた。

だが、私の家庭を壊したのは、ほかならぬ彼女だ。

さらに皮肉なことに、ひと通り話し終えると、彼女は突然黒板を軽く叩き、会場の保護者たちを見渡しながら、恥ずかしそうな表情を浮かべる。

「それから、もう一つお知らせがあります。実は、私の息子もこのクラスに通っているんです」

真帆は振り返り、教室の外に向かって手招きする。

「亮介、智也、入ってきて」

教室がどよめく。

亮介は智也の手を引き、ゆっくりと入ってきたのだ。

黒のスーツに身を包み、髪はきちんとオールバックに整えられ、腕には私が贈った高価な時計。

なのに――智也はしわだらけの服に、濡れた髪が額に貼りつき、熱に浮かされているように見える。

胸が強く締めつけられ、今にも智也を奪い返しに走り出しそうになる。

けれど理性が耳打ちする――まだ、その時ではない。

私は真帆の口から亮介との関係を自ら認めさせ、その場で地に落としてやるつもりだ。

「皆さま、こんばんは。私は真帆の夫、後藤亮介です」

彼は虚ろな表情の智也の手を引き、口元には見慣れた優しい笑みを浮かべているが、口から出た言葉は私の全身を冷えさせた。
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