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任務世界を変えたら、夫と息子が後悔した

任務世界を変えたら、夫と息子が後悔した

By:  水城澪Completed
Language: Japanese
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攻略に成功した。 私は家族みんなを連れて、祝いの旅行に出かけた。 花火が夜空に咲き誇る中、息子が小さな声で夫にささやくのを耳にした。 「ねえパパ……ママは攻略任務に成功したんだよね。じゃあ、明月おばさんを迎えに行ける?」 夫はやさしく息子の頭を撫で、「もちろんだ」と穏やかに答える。 「明日帰ったら、パパがママに離婚を切り出そう。いいか?」 息子は歓声を上げて飛び跳ねた。 私はただ、唇の端をいっそう大きく吊り上げた。 彼らはまだ知らない。 ここは、私が創り上げた一つの任務世界にすぎないということを……

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Chapter 1

第1話

攻略に成功した。

私は家族みんなを連れて、祝いの旅行に出かけた。

花火が夜空に咲き誇る中、息子が小さな声で夫にささやくのを耳にした。

「ねえパパ……ママは攻略任務に成功したんだよね。じゃあ、明月おばさんを迎えに行ける?」

夫はやさしく息子の頭を撫で、「もちろんだ」と穏やかに答える。

「明日帰ったら、パパがママに離婚を切り出そう。いいか?」

息子は歓声を上げて飛び跳ねた。

私はただ、唇の端をいっそう大きく吊り上げた。

彼らはまだ知らない。

ここは、私が創り上げた一つの任務世界にすぎないということを……

攻略に成功した私は、息子と夫を連れて海辺へ旅行に出かけた。

花火が夜空に咲いた瞬間、篠宮朝陽(しのみや あさひ)が「家族写真を撮ろう」と提案する。

立ち上がろうとしたその時、息子が顔を上げて父に問いかけるのが聞こえた。

「ねえパパ……ママは攻略任務に成功したんだよね。じゃあ、明月おばさんを迎えに行ける?

ママなんて大嫌いだよ。ママの任務のせいで、おばさんに会う時はいつもこそこそしなきゃいけないんだ。

もしおばさんが僕のママだったらよかったのに。そしたら任務のせいで一緒にいられないなんてこと、なくなるのに……」

私はその場で硬直し、カメラのファインダー越しに、朝陽が優しく息子の髪を撫でる姿を見てしまう。

「お前もママのことが嫌いなのか?

心配するな。もう彼女の任務は終わった。明日帰ったら離婚を切り出すよ。

これからは、お前とパパとおばさんの三人で一緒に暮らそう。いいだろう?」

息子が歓声を上げようとした瞬間、私の険しい顔に気づき、凍りついた。

彼はとっさに朝陽の足にしがみつき、怯えた目で私を見上げる。

以前のように無理に取り繕おうとしたが、私は逆に口を開いた。

「明日じゃなくていい。今夜、離婚の手続きをしましょう」

朝陽の瞳に一瞬だけ沈黙がよぎり、やがて小さく言った。

「聞いていたのか……まあいい。俺たちはもともと同じ世界の人間じゃない。相応の補償はする」

「いらないわ」私はきっぱりと拒む。

「私はこの世界の人間じゃない。もらったって持ち帰れない。

明日、役所の前で会いましょう」

ホテルに戻っても、私は一睡もできなかった。

五年前、交通事故に遭った私は、目覚めた時にはこの見知らぬ世界に閉じ込められていた。

システムは告げた——「この世界の主人公・篠宮朝陽を攻略し、好感度を満点にすれば、現実に帰れる」と。

生き延びるため、私は必死に彼に尽くした。だが、彼の視線はいつも幼なじみの東雲明月(しののめ あかつき)に注がれていた。

三年前、明月は不治の病にかかり、絶望の淵に立たされた。

その時、朝陽はどこからか「システム」の噂を聞きつけ、私に取引を持ちかけた。

彼が私と共にいる代わりに、私はシステムの初期ポイントで明月を救う。

条件はただ一つ。私の任務が終わるまでは、明月は彼と再会してはならない。もし再会すれば、彼女の身体に取り返しのつかない損傷が生じる。

明月は国外へ送られ、翌日から朝陽は自ら私を追い求め、結婚し、子どもまで授かった。

この三年間、彼は誰が見ても完璧な夫であり父だった。

そして昨日、ついに好感度は満点に達した。

システムは「次の任務世界へ進みますか」と問いかけてきたが、私は拒否した。

——もう少し、彼らと一緒にいたかったから。

けれど、それはすべて私の独りよがりだった。

よかった。私はただの任務者だ。離婚の手続きを済ませたら、ポイントを持って現実世界へ戻り、本当の家族の元へ帰れる。

朝陽から届いたのは離婚協議書だった。

「明月を待たせたくない。裁判の方が確実に離婚できると思った」

彼は、今すぐにでも離婚したいようだった。

頭が急にくらみ、耳をつんざくような警告音が響いた。

「警告!警告!攻略失敗を検知!任務世界はまもなく崩壊します!」

頭が裂けるように痛む。それでも私はシステムに叫んだ。

「どうして攻略失敗なの?好感度はもう満点だったじゃない!」

システムは私以上に狼狽していた。

「確かに好感度は満点でした……ですが、攻略対象に欺瞞行為があったため、すべてが一瞬でゼロに戻りました。

ですが安心してください。宿主の保持していたポイントは無効にはなりません。宿主はこの世界に残って再攻略するか、次の任務世界へ進むかを選べます」

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第1話
攻略に成功した。私は家族みんなを連れて、祝いの旅行に出かけた。花火が夜空に咲き誇る中、息子が小さな声で夫にささやくのを耳にした。「ねえパパ……ママは攻略任務に成功したんだよね。じゃあ、明月おばさんを迎えに行ける?」夫はやさしく息子の頭を撫で、「もちろんだ」と穏やかに答える。「明日帰ったら、パパがママに離婚を切り出そう。いいか?」息子は歓声を上げて飛び跳ねた。私はただ、唇の端をいっそう大きく吊り上げた。彼らはまだ知らない。ここは、私が創り上げた一つの任務世界にすぎないということを……攻略に成功した私は、息子と夫を連れて海辺へ旅行に出かけた。花火が夜空に咲いた瞬間、篠宮朝陽(しのみや あさひ)が「家族写真を撮ろう」と提案する。立ち上がろうとしたその時、息子が顔を上げて父に問いかけるのが聞こえた。「ねえパパ……ママは攻略任務に成功したんだよね。じゃあ、明月おばさんを迎えに行ける?ママなんて大嫌いだよ。ママの任務のせいで、おばさんに会う時はいつもこそこそしなきゃいけないんだ。もしおばさんが僕のママだったらよかったのに。そしたら任務のせいで一緒にいられないなんてこと、なくなるのに……」私はその場で硬直し、カメラのファインダー越しに、朝陽が優しく息子の髪を撫でる姿を見てしまう。「お前もママのことが嫌いなのか?心配するな。もう彼女の任務は終わった。明日帰ったら離婚を切り出すよ。これからは、お前とパパとおばさんの三人で一緒に暮らそう。いいだろう?」息子が歓声を上げようとした瞬間、私の険しい顔に気づき、凍りついた。彼はとっさに朝陽の足にしがみつき、怯えた目で私を見上げる。以前のように無理に取り繕おうとしたが、私は逆に口を開いた。「明日じゃなくていい。今夜、離婚の手続きをしましょう」朝陽の瞳に一瞬だけ沈黙がよぎり、やがて小さく言った。「聞いていたのか……まあいい。俺たちはもともと同じ世界の人間じゃない。相応の補償はする」「いらないわ」私はきっぱりと拒む。「私はこの世界の人間じゃない。もらったって持ち帰れない。明日、役所の前で会いましょう」ホテルに戻っても、私は一睡もできなかった。五年前、交通事故に遭った私は、目覚めた時にはこの見知らぬ世界に閉じ込められていた。シス
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第2話
「ただし、次の任務世界へ進めば、この世界は即座に崩壊します!」朝陽の巧妙な欺きは、システムすら騙し通していた。全身が裂けるように痛み、声を出そうとした瞬間、私は激痛に呑まれて意識を失った。目を覚ました時には、もう午後になっていた。ホテルに朝陽と息子の姿はなく、電話をかけても繋がらない。代わりに届いたのは、携帯の通知だった。――離婚裁判。私が欠席したため「夫婦関係破綻」と見なされ、離婚が認められたという判決だった。乾いた笑いがこぼれた。私は新しい航空券を買い、彼らの家へ戻った。リビングでは、朝陽と息子、そして明月が三人で仲睦まじくゲームをしていた。まるで本物の家族のように。ドアが開く音に気づき、三人が一斉にこちらを振り返る。その瞬間、明月の瞳に一瞬の狼狽が走った。「水無瀬さん。朝陽に離婚したって聞いたから、私は……」「安心して。あなたに文句を言いに来たわけじゃない。荷物をまとめに来ただけ」階段を上がろうとしたが、足は鉛のように重く、どうしても進めない。仕方なく、私は背後の朝陽に助けを求めた。「朝陽、手を貸してくれない?」その瞬間、明月の瞳に涙が浮かんだ。薄い肩を震わせ、泣き出しそうに彼を見上げる姿は、いかにも儚げだった。朝陽の目に、露骨な苛立ちが宿る。「水無瀬理央(みなせ りお)、離婚はお前が同意したことだろう。何も要らないって言ったじゃないか。「今さらそんな芝居をして、誰に見せたいんだ?「どうせ裏切るなら、息子を連れて帰るべきじゃなかった!」彼は怒りに任せてドアを乱暴に閉め、出ていった。残された息子も真似をして、小さな声で私を罵る。「ママは嘘つき!ママは嫌い!出て行け!」小さな腕で私を押し飛ばし、足が痺れた私は床に崩れ落ちた。それでも彼は小さな靴で何度も蹴りつけてくる。金属の装飾が脛に食い込み、鋭い痛みが走った。その靴を買ってやったのは、この私だったのに。息子がようやく疲れた頃、明月がわざとらしく手を取り、優しく制した。「水無瀬さん。あなたが朝陽と一緒にいたのは、ただ任務を果たすためだったのでしょう?子どもまで作ったのも、好感度を上げるため。でも私は違う。本気で朝陽を愛してる。だからどうか、私たちを結ばせてください」ただの任務だった?
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第3話
血が花びらに落ち、蓮はたちまちしおれた。視界がぼやけてゆく。これは――攻略失敗の罰だと、私は知っていた。開け放たれた窓の向こうからは、朝陽と息子、そして明月のはしゃぎ声が途切れなく聞こえてくる。脳裏には、システムの鋭い警報が再び鳴り響いた。「警報!警報!攻略任務失敗を検出!宿主は再挑戦してください!さもなくば、任務世界は一か月以内に崩壊します!」「崩壊すればいい」私はそう呟いた。もう疲れ切っていた。朝陽と明月の結婚式は一週間後に控えていた。街中で生中継される大儀だ。明月からは祝儀のつもりか、式のカメラマンを頼まれる電話が来た。私は断った。攻略を放棄した今、体はますます蝕まれ、もうベッドから出ることすらできなかったからだ。だが朝陽は私を「自分勝手だ」と罵り、病院まで押しかけて、私の勤める婚礼会社へ無理やり引きずり出した。脅しの言葉を浴びせられる。「水無瀬理央、どうしてそんなに身勝手なんだ?お前は明月と俺の三年を奪った。撮影くらいやれよ。行かないなら、この会社は潰すぞ!」この世界に来て五年。最初は何も持たず、ここで面倒を見てくれたのは会社の人たちだった。攻略で行き詰まった私に、同僚たちは代案を出してくれた。自分のせいで彼らを巻き込むわけにはいかない――私は朝陽の要求を受け入れた。任務世界崩壊まで、もう一か月もない。何度もリハーサルを重ねたが、どうしても本番でカメラを回せない。式を前に、社長は朝陽と話をつけようとした。「篠宮さん、水無瀬は体調が相当に悪いです。式はうちのスタッフで代行します。水無瀬は横に座って指示だけ出せば……」明月の目に涙が溢れた。弱々しく震える胸を押さえながら、彼女は言う。「大丈夫です、水無瀬さん。私、わかってます。あなたが朝陽とあなたの子を奪ったって思っているでしょ。でも私たちは本気で愛してるんです……」明月は元々体が弱かった。涙が胸を激しく震わせ、朝陽は私への苛立ちを募らせ、私の手首をぎゅっとつかんで低く言い放った。「水無瀬理央、いい加減にしろ。攻略は終わったんだ。体調不良で言い逃れする気なら許さない。撮れ、撮らないならここにいるスタッフ全員、出て行け。選べ」私は気力を振り絞って、式場に姿を現した。あの日、明月は本当に美しかった。朝陽が自らデザインし
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第4話
朝陽は最初から信じてなどいなかった。私が同情を誘うためにこうしているに違いないと決めつけた。「息がないなら火葬場へ送れ。俺はシステムなんて持ってない、蘇らせられないんだ」そう言い残して彼は私を置き去りにし、息子の手を引いて結婚式を続けていった。カメラの位置さえ、他の同僚が急遽代わりを務めた。結局、私を見かねた社長がこっそり救急車を呼び、私は病院へ運ばれた。だが病院に到着する前に、医師は私を死亡と宣告した。この世界に身寄りがない私は、遺族の判断を待つ者もおらず、そのまま火葬場へ直行させられた。烈火が燃え上がり、私は自分の身体が灰になるのを見つめた。最後に小さな骨壺に収められ、社長は自費で小さな墓を用意してくれた。骨壺が小さな墓に納められるのを見届けたとき、この世界に残していた最後の執着もすべて消え去った。私はシステムに尋ねた。「もう私は死んだ。いつこの世界を離れて次へ行ける?」システムは申し訳なさを帯びた声で答えた。「申し訳ありません、宿主。攻略任務が未達成のため、現時点では離脱できません」「では、いつまで?」「任務世界が完全に崩壊するまでです」私は沈黙した。幸いにも、任務世界の全面崩壊まで残り二十日だった。私はその二十日を、ここでの生活をじっくり見直す時間に充てると決めた。攻略のために見過ごしてきた、この世界のささやかな愉しみをすべて味わおう――そう思ったのだ。だが、予想もしなかった場所で、私はまた朝陽と出会うことになる。遊園地のオバケ屋敷の前で。明月がどうしても息子を連れて入りたいと言い張ったのだ。入口に掲げられた血糊と暴力を煽るポスターを見て、息子は思わず朝陽の裾を引っ張った。「パパ、こわい。入らなくていい?」明月は息子をそそのかす。「ここ、すごく面白いのよ。本当に行かないの?入らない子は臆病者だよ。アイスも買ってあげないよ」息子はまだ迷っていた。明月は朝陽に甘えるように腕に絡みつき、続けた。「朝陽、入口の告知見た?三人で全部のアトラクションを回ったら、ここの記念章フルセットをくれるんですって。私、スタンプ集めが大好きなの。こんな小さなお願い、聞いてくれない?」すっかり惚れ込んでいる朝陽は、迷わず承諾した。息子を励ますようにしゃがみ込み、言葉をかける。
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第5話
息子は怖がって、朝陽の隣をぴったり離れなかった。最初は朝陽も頻繁に気にかけてくれていたが、やがて明月が怖がっては朝陽に寄り添い、いつも彼の腕の中で安心を求めるようになると、朝陽は自然と息子の手を放し、明月の面倒に専念するようになった。小さな息子は二人の後ろをひとりで歩き、怖いのに泣くこともできず、こっそり涙をぬぐいながら必死に追いつこうとした。すると明月が――支線のアトラクションを見つけて、朝陽の手を引いて脇道へと曲がって行った。幼い息子の短い足では二人に追いつけず、後ろで「パパー」と泣きながら叫ぶしかない。朝陽は振り返りもしなかった。私はその場で慌てふためいたが、いまの私は息子に触れることさえできない。手は彼の身体をすり抜けてしまうのだ。やがて息子は心臓の発作を起こして、オバケ屋敷の中で意識を失った。発見された時には、すでに息は絶え絶えだった。スタッフが朝陽に電話で知らせたとき、朝陽は明月と観覧車の最上部でキスをしていた。明月が「観覧車の頂点でキスをすると一生一緒にいられる」と言ったからだ。通話を受けた朝陽は慌てて明月を押しのけ、観覧車を止めて病院へ駆けつけた。息子の容態は深刻で、心臓手術が必要だった。術前も術後も、絶えず24時間の付き添いが必要だと医師に告げられた。朝陽と明月は交替で付き添ったが、一日交代でさえ耐えられず、体力が限界を迎えた。病室で、明月は泣きながら朝陽の手を握り、こう言った。「雇いの看護師さんを呼ぼうよ」医師はそれを勧めなかった。息子の状態は危険で、もし緊急事態が起きても、家族が傍にいなければ責任が取れないと言う。追い詰められた朝陽は、私のことを思い出した。「水無瀬理央に電話して来てもらおう」明月は最初それに猛反対したが、朝陽が「子の看護のみで、それ以外の接触は一切ない」と何度も約束すると、しぶしぶ承諾した。朝陽は私に三度電話をかけたが、すべて応答はなかった。焦り狂った彼は続けてメッセージを送ってきた。【水無瀬理央、どこに消えたんだ?】【息子が今入院して命の危険だ。母親として顔を出しもしないのか?】【また死んだふりか?】【いいだろう。今回来ないなら、今後一切息子には会わせない!】だが彼には知られていなかった――私がもう既に死んでいるこ
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第6話
そのとき、朝陽はこう言って私を宥めた。「今は医療技術が進んでいるから、息子はきっとよくなる——」この三年、私はあらゆる食養法を調べ尽くし、ようやく息子を白くふっくらと育て、普通の子と変わらないほどにまで戻したのだ。だというのに、朝陽のその一言で、私の積み重ねた努力は淡々と消し去られたように扱われた。いいや、もういい。どうせ私もここを出て行く。任務世界が崩れるまで、残された日数はあと十三日しかないのだから。息子は退院した。でも、回復の道はまだ長い。とくに前回のお化け屋敷の出来事以来、彼の安心感は脆くなり、二十四時間、誰かにぴったりとくっついていないと不安で泣き叫ぶ。朝陽に会えないと、途端に取り乱してしまうのだ。だが朝陽は仕事が多忙だった。なにしろ明月と盛大な結婚式を挙げて以降、彼はもう半月も出勤していない。会社には山のように未処理の案件が溜まっていて、彼が処理しなければならない。そこで明月が自ら名乗り出て、息子の世話を引き受けると言った。最初、朝陽は不安がっていたが、息子は素直でよく気がつく子だった。自ら折れてこう言ったのだ。「パパ、仕事行っていいよ。おばさんがいれば大丈夫だから」そうして朝陽は安心して仕事へ向かった。最初はすべてが円滑だった。だが、明月はすぐに嫌気が差した。やんちゃな子どもの世話は、彼女の想像よりも何倍も大変だった。しかもこの子は手術を受けたばかりで、いちばん手がかかる時期だ。ある日、彼女は三度おむつを替え、二度離乳食を作り、三時間も遊び相手をした。にもかかわらず、物語を聞かせろと甘えてくる息子に業を煮やし、ついに耐えきれなくなった。手にしていた絵本を床に投げつけ、大声で怒鳴った。「いつもあれこれ要求して——なんでそんなにわがままなの?取り立て屋だってそこまでしつこくないわよ!」息子はショックで大声で泣き出した。明月の苛立ちはさらに募り、息子の口に大きな蒸しパンを無理やり押し込んだ。「黙りなさい!」と言い放すと、彼女はそのまま眠り込んでしまった。息子の顔は赤から青黒へと変わっていった。呼吸が詰まっている。手を伸ばして口の中の蒸しパンを引き抜こうとするが、明月がぎゅうっと押し込んでいるためびくともしない。やがて小さな身体は床に崩れ落ち、呼吸はかすかになった。
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第7話
子供のために、朝陽は私をブラックリストから外した。けれど、電話はつながらず、送ったメッセージは静かに湖へ投げ込まれた石のように、音もなく沈み、戻ってはこなかった。ついに朝陽は、直接私を探しに行くことを決めた。まず彼は、私が勤めていた会社へ向かった。けれど、そこはすでにもぬけの殻だった。思い返せば、明月との結婚式のあと——明月は「撮影された前半部分はまったく見えない、きっとわざとだ」と私を非難した。私の上司がただ一言「彼女に悪意はなかった」と庇ってくれただけで、明月は涙を糸の切れた珠のように零し続けた。その場で激怒した朝陽は、婚礼会社ごと潰してしまったのだ。携帯を取り出し、知人に私の行方を尋ねようとしたとき、彼はようやく気づいた。——この世界で私と関わりがあるのは、彼と職場の同僚だけ。私が好きな場所さえも、彼は何一つ知らなかった。手にした携帯を見つめ、朝陽は深い思索に沈んだ。そして私たちが初めて出会った場所へ行き、一人で午後を過ごした。あの日、朝陽の車が一匹の猫を轢きそうになり、私は思わず身を投げ出して守った。運転手は急ブレーキを踏み、窓を開けて「死にたいなら勝手にしろ!」と怒鳴った。私はただ路肩にしゃがみ込み、猫の怪我を確かめていた。朝陽は車を降り、私に札束を差し出し「病院へ行け」と言った。だが私は頑なに、猫に謝ってほしいと迫った。彼は呆れ顔を見せたが、真剣な私の瞳を前にすると結局「ごめん」と猫に言い、私と一緒に動物病院までついてきてくれた。その時の私は、朝陽が「攻略対象」だなんて知らず、ただ動物好きな女でしかなかった。彼もまた、私の不器用な必死さに少し心を惹かれただけだった。——あの瞬間だけは、本当に穏やかで優しい出会いだったのだ。後に互いを傷つけ合う日々が始まるとは、思いもしなかった。動物病院の前に座り込んでいる朝陽を見つけ、店主が声をかけた。「中に入りなさいな」すると朝陽は、ぽつりと呟いた。「コーヒーに会いたい。あの時、一緒に助けた子猫に」店主の目に、一瞬影が差した。「コーヒーは……亡くなったよ」喉の奥が急に苦くなる。「いつのことだ?」「先月だよ。奥さんから聞いてないのか?てっきり知ってると思ったんだが」朝陽は言葉を失い、過去を思い出した。——先月の
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第8話
私は攻略のために、朝陽をありとあらゆるレストランやデートスポットに連れて行った。そこにはどこも、彼の姿が刻まれている。かつての朝陽は、そういう場所が大嫌いで、私に無理やり連れて来られるとすぐに背を向けてしまったのに、今では店に居座って半日を過ごすことも珍しくない。閉店までそこにいることさえある。彼からは何通もメッセージが届いた。大半は息子の写真や日常の断片だった。だがそれらはすべて、私の手の届かない海の底に沈んでいくように、返信されることはなかった。朝陽は耐え切れなくなり、深酒をして夜更けまで酔い潰れることが増えた。明月が迎えに来ても顔を見せず、誰とも会いたがらなかった。彼は私が確かに存在した証を、生活の中から必死に探した。だが私の物は――離婚のその日に彼によって全部捨てられてしまっている。何も残ってはいない。かつて二人で同じ枕で眠ったベッドに横たわり、朝陽は嗚咽を漏らした。だが、もう遅かった。任務世界が崩れるまで、残された日はついに一日になってしまったのだ。最終日、私はどこにも行きたくなかった。自分の墓の前に戻り、静かに任務世界の崩壊が訪れるのを待とうと決めた。次の世界へと移るために。ところが、明月が自殺したという知らせが入った。朝陽はすぐに駆け付けた。弱った身体で明月は彼の手を握り、かすれた声で言った。「朝陽、たぶん水無瀬理央がまた何か仕掛けたの……体の具合が悪いの。ねえ、先に墓地を選んでくれない?」朝陽は最初こたえなかった。だが明月が目を赤くして訴えると、かつて愛した女の姿に彼は折れてしまった。墓園へ連れて行かれると、明月は私の小さな墓碑を指差して言った。「ここがいい。山と水に寄り添った場所で、あなたの家が見えるわ。ここなら、死んでも寂しくない」係の人は困惑した。「でも、ここはもう個人の墓が入っています」「じゃあ、どかして。あの人の遺族に連絡して、いくらでも払うわ」朝陽の財布は厚かった。係の人はますます顔色を失った。「彼女に……遺族はいません」「遺族がいない?そんな……まさか孤児なの?」と、明月は鼻で笑った。彼女は朝陽の胸に顔をうずめ、鼻先を赤くして囁いた。「朝陽、もう長くは一緒にいられないわ。でも、死んだあともあなたが見えるところにしたいの。そうすればあまり孤独じゃな
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第9話
「何をしているんだ!どうして理央の墓を掘り返すんだ!」誰も彼の言葉を信わなかった。私の上司が飛び出してきて、人々を押しのけながら墓穴の側へ駆け寄った。床に投げ捨てられていた小さな骨壺を震える手で抱き上げ、朝陽に向かって声を張り上げた。「篠宮!お前に良心はないのか!理央はかつてお前の妻だったんだぞ。もう死んでいるんだ……それなのに、どうしてここまで残酷な真似ができるんだ!」朝陽の瞳がわずかに開き、何か言い返そうとしたそのとき、明月が前に出た。「いい加減にしなさい。言いなさいよ、水無瀬理央はいくら渡して、あなたにこんな茶番を合わせさせたの?どうりでこのところ水無瀬理央を見かけなかったと思ったら、こんな芝居を打っていたのね。朝陽、あの人の言葉を信じちゃだめよ。水無瀬理央が死ぬわけないじゃない。だって、彼女はシステム持ちなんだから!」一言で、朝陽の脳裏がふっと揺れた。明月を守るように彼は頷いた。「理央は死んでいないはずだ、今どこにいるんだ。出てこい」上司の顔が真っ青になる。「彼女は……お前の結婚式のときに亡くなったんだ。まさか知らなかったのか?そんな……今さら出て来いだと?ふざけるな!お前はまったく話にならない奴だ!」上司は怒りに震えて叫んだ。「ようやく分かった……どうして理央が遺言で、お前に死を知らせるなと言ったのか。そうだ、お前には、その資格すらなかったからだ!」上司はひざまずき、背後の朝陽や明月を振り返らずに、慎重に骨壺を墓穴に戻した。朝陽は茫然と立ち尽くす。すると明月が一気に動き、彼の手から骨壺を奪い取って地面に叩きつけた。壺は砕け、灰が舞った。「もういい加減にして!ただ撮影するだけだって、どうして死人が出るのよ!こんな手口、いくらでも見てきたわ!粉ミルクの缶に灰を入れて骨壺に見立てるなんて、女優になればいいのに!朝陽、あの女がどれだけあなたを騙してきたか分かるでしょ?あなたがこっそり会いに来ると、いつも『体調が悪い』って理由であなたを追い返す。なのにあなたが戻ると元気そうにしてる。全部、あなたの気を引くための芝居よ!朝陽、私、もう長くないの。お願い、私のためにあなたの手で墓所を選んでほしいの。死んだあとも、あなたの温もりを感じていたいだけなの」明月の涙は滂沱となり、狙い
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第10話
「理央!いい加減にしろ!こんなに人を雇ってまで、俺を騙そうっていうのか?そんなの、いつもの手口に過ぎないだろ!これ以上やるなら、二度と息子に会わせないからね!」墓園の責任者が事情を聞きつけ、急ぎ駆けつけた。経緯を説明すると、彼は躊躇なく私の死亡証明書を取り出した。「篠宮さん、誤解です。水無瀬理央さんは、本当に亡くなっています。一ヶ月前のことです」そう言って彼は火葬証明書を差し出した。火葬証明書を手にした朝陽は言葉を失った。隣で、すでに土と混ざってしまった私の骨灰を見つめると、彼は膝を折り、土から骨灰を掬い取ろうとした。だが、いくら手を入れても、あの灰は土と一体になってしまっていて、もう集めることはできない。やがて彼は声にならない嗚咽を漏らした。そのとき、システムのカウントダウンが鳴り始め、任務世界が崩壊するという警告が私に届いた。空に亀裂が走り、光が差し込む。私はその光へと歩み寄った。だが、朝陽は私を見つけ、必死に手を伸ばして叫んだ。「理央!行かないで!見えたんだ、お願い、そこにいてくれ!」私は一度だけ彼を振り返った。言葉はない。覚悟を決めた表情で、私は光の中へと踏み入れた――静かに、しかし確かに。そして、完全に消えた。朝陽は狂ったように私が消えた方へ駆け出した。だが追いつけず、山道で転げ落ち、気を失った。目を覚ますと、私はもうこの世界から消えていた。彼は四方を探し回ったが私の姿は見つからない。代わりに、彼は明月が医師に診断書を捏造するよう脅していた事実を知る。過去の診療記録を調べさせると、明月の病歴はすべて偽りであることが白日に曝され、朝陽は激怒した。明月は土下座して許しを請うた。「朝陽、わざとなんかじゃないの。あなたが離れてしまうのが怖かったの。お願い、許して」だが朝陽の信頼は戻らない。彼はその場で明月を突き放し、ふらふらと私の墓前へ向かった。誰の説得も聞かず、彼は力なく墓穴に身を投げ出した。その頃、息子がICUで目を覚ました。私の訃報を信じようとしなかった彼は「みんなに騙されている」と叫び続けた。ところが誰かが私の手書きの手紙を掘り出してきた——それは息子宛ての最後の言葉だった。【愛しいわが子へ。この手紙を読んでいるということは、母はもうここにはいないんだね。
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