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第5話

Author: キラキラジュエリー
翌朝目を覚ますと、綾人はすでに食卓につき、私を待っていた。

「麻理子、昨日のお前の態度に、母はひどく腹を立ててるぞ」

私はコップにぬるま湯を注ぎ、数口飲んだ。

「それで?」

「少しは反省しないのか」

「何を反省するの?」

「遅刻したこと。場の空気を読まなかったこと。それに、桃子に対する態度もだ」

私はコップを置き、彼を見た。

「それで、何が言いたいの?」

彼は私の視線を受け止め、不満げに言った。

「麻理子、俺の我慢にも限度がある。本当に別れることになってから泣きついてきても、俺はもう慰めたりしないからな」

私はふいに顔を上げた。

「泣いたりしない。慰めてもらう必要もないわ」

彼は思わず失笑した。

「ふっ……あれだけ長い年月が経っても、相変わらず意地っ張りだな。

俺が別れを切り出すはずがないって、そう決めつけてるんだろ」

私は目を逸らさず、彼の心の奥まで見透かすように見つめた。

「じゃあ聞くけど、あなたは切り出すの?」

彼は私の視線を避け、声を落とした。

「……わからない」

わからない、というのは本当だろうか。それとも、単に言う勇気がないだけなのか。

けれど、もうどちらでもよかった。私は彼の横を通り過ぎ、キッチンに入った。

「ご飯、食べた?」

彼は一瞬、意表を突かれたような顔をした。

「まだだ」

「じゃあ、一緒に食べよう」

私はうどんを茹で、卵を半熟に仕上げ、刻んだねぎを添えた。食卓に出す前には、器の縁についたつゆまで丁寧に拭き取った。

彼はうどんをひと口すすり、しみじみと息をついた。

「昨日もこんな態度だったら、指輪、もう渡してたかもな」

私は一瞬、彼の言葉の意味がわからず戸惑った。

「昨夜、本当はお前にプロポーズするつもりだったんだ。指輪も、もう買ってあった」

そう言って、彼は黒いベルベットの小箱を私の前に押し出した。

そっと開けると、中には指輪が入っていた。

バラをかたどった台座に、大粒の黄色いダイヤモンドが埋め込まれている。

綺麗だった。

私はそれを手に取り、指にはめようとしたが、どうしても入らなかった。どう見ても、私のサイズじゃない。自分がまだ彼に、ほんの少しでも期待していたことに、私はふっと笑った。

10年も一緒にいて、彼が買ってくれた指輪すら、私の指には入らないなんて。

「それで、どうしてプロポーズしなかったの?」

彼は箸を置き、素っ気ない声で言った。

「桃子の言う通りだと思ったんだ。お前にも、少しはお灸を据える必要があるだろうってな」

私は指輪を箱に戻した。

「桃子は、あなたがプロポーズするつもりだったこと、知ってたの?」

「知ってたよ。この指輪も、桃子が選んでくれたんだ」

つまり、このサイズは、桃子の指のサイズだったということだ。

私は小さく笑い声を漏らし、指輪を彼の方へ押し返した。

「指輪、返すわ」

綾人は眉をひそめた。

「俺を、振るつもりか?」

私は顔を上げ、彼を見た。

「そもそも、プロポーズはしたの?」

彼は指輪を掴んでポケットにしまい、背を向けて立ち去ろうとした。

「麻理子、今回を逃したら、次がいつになるかわからないぞ」

けれど、次なんてない。私は彼の背中に尋ねた。

「綾人、プロポーズする気、あるの?」

彼は首を振った。

「お前が拒んだんだろ。しばらく仕事が忙しいから、家には帰らない」

そう言い残して、彼はそのまま家を出て行った。家の中が、恐ろしいほど静まり返った。けれど幸い、私はもう、ひとりでいることには慣れていた。

午後5時半、ちょうど退社ラッシュの時間帯。

配車アプリで呼んだ車が南大通りの交差点に差し掛かった時、赤信号に捕まった。見慣れた曲がり角に目をやり、私はふと気づいた。綾人の会社は、ここにあるのだと。

視線を向けると、誰かを待っているように、1階のロビーの入り口に、彼の姿があった。

ちょうどその時、1台の車が彼の前に停まった。桃子が車から降り、甘えるように彼の腕の中に飛び込んだ。その薬指にはめられた黄色いダイヤの指輪が、夕日を浴びて眩しく輝いていた。

人懐っこい運転手が、その光景を見て感心したように言った。

「見ました?あれ、深川社長ですよ。隣にいるの、恋人らしいです。この前、深川社長があの女性と一緒に上場の鐘を鳴らす動画がネットで拡散してましたよ。いやあ……ほらあの大きなダイヤ。近いうちに、社長夫人にでもなるんじゃないですかね」

私は、なんだか馬鹿らしくなった。あの指輪は最初から桃子のためのものだったのに、彼は「まだ私を愛している」なんて嘘で、ずっと私を騙し続けていたのだ。

私は窓を閉め、静かな声で言った。

「……行ってください」

信号が青に変わり、車は速度を上げた。

空高く、一機の飛行機が遠ざかっていった。

綾人、あなたにはあなたの築き上げた帝国がある。私には、私のありふれた日々がある。

これから先は、もうあなたにはついてはいかない。

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