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約束の夕日に、彼は親友とキスをした

約束の夕日に、彼は親友とキスをした

Por:  望月晴Completo
Idioma: Japanese
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18歳の誕生日、私、水野奈月(みずの なつき)は、高瀬裕真(たかせ ゆうま)と約束した。大学を卒業したら、一緒にセレナ湖の夕日を見に行こうと。 夕焼けが湖いっぱいに広がる頃には、俺たちの未来もきっと輝いている。彼はそう言った。 4年後、私たちは約束どおり、その場所を訪れた。 けれど湖に出かける当日、私は突然高い熱を出し、ホテルに残ることになった。 夕方、解熱剤を飲んだ私は、それでも何年も楽しみにしていた夕日を諦めきれず、一人で湖畔に向かった。 展望デッキに上がった途端、夕焼けの中で裕真が私の親友、森川咲穂(もりかわ さほ)にキスをしているのが見えた。 幼なじみの石田大地(いしだ だいち)がカメラを構え、笑いながら二人を撮っている。 咲穂が裕真の胸に寄りかかった。 「奈月にばれたらどうするの?」 大地が鼻で笑う。 「半年もばれずにやってきて、今さら怖くなったのかよ」 咲穂は裕真を見つめた。 「それで、いつ話すつもり?」 裕真は夕日を眺めたまま、落ち着いた声で答えた。 「帰ったら、ちゃんと話す。一緒にセレナ湖に来る約束は、もう果たしたし」 そして咲穂を抱き寄せ、優しく言った。 「これから、こういう景色はお前とだけ見るよ」 3人の笑い声は、周囲の歓声に紛れていった。すぐ近くにいる私に気づいた様子は、誰にもなかった。 私は裕真にもらったネックレスを外して湖畔のベンチに置き、背を向けた。 18歳の私は、一緒に夕日を見に行くことが、恋のいちばん幸せな結末だと信じていた。 22歳になって、ようやくわかった。 夕日は約束どおり湖に沈む。 けれど、一緒にその景色を見ようと言った人は、とっくに別の誰かのもとへ行っていた。

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Capítulo 1

第1話

ホテルに戻る頃には、湖から吹く風が服を通して体にしみ込み、すっかり冷えきっていた。

私の顔色を見たフロントの女性が、慌てて非接触式の体温計を持ってきてくれた。

39.4度。

彼女はぎょっとした。

「お連れの方は?こんな状態なのに、お一人で戻られたんですか?」

私はカウンターに手をつき、かすれた声で答えた。

「みんな、景色を見るのに忙しいので」

解熱剤を飲んで間もなく、ドアの向こうから大地の笑い声が聞こえた。

「あの写真、最高だったな。夕焼けが差して、めちゃくちゃいい雰囲気になってた」

ドアが開いた。

ベッドの端に座る私を見て、裕真が足を止める。

「湖に行ったのか?」

私は答えなかった。

泥と砂のついた靴に目を落とすと、裕真の声が低くなった。

「ホテルで休んでろって言っただろ。熱があるのに歩き回って、本当に入院する羽目になったらどうするんだよ」

その後ろから、裕真の上着を羽織った咲穂が入ってきた。

手には、すっかり冷めたうどんの入った袋を提げている。

何も悪いことなどしていないような顔だった。

「奈月、ご飯買ってきたよ。もっと早く戻るつもりだったんだけど、夕焼けがすごくきれいで、大地もずっと撮ってたから……」

大地がカメラをテーブルに置き、鼻で笑った。

「4年も楽しみにしてた夕日を見損ねたんだから、機嫌が悪くなるのはわかるけどさ。俺たちに当たるのは違うだろ。急に熱出したのは、そっちなんだし」

私は顔を上げ、大地を見た。

裕真と咲穂のキスを撮っていた人間が、今度は私に説教をするらしい。

裕真が近づき、私の額に手を伸ばした。

私は顔を背けた。

伸ばした手が宙で止まり、彼の目に驚きが浮かんだ。

この4年間、彼の手を避けたことは一度もなかった。

喧嘩をしても、目を赤くして、抱きしめてくれるのを待っていた。

けれど今は、ただ嫌悪感しか湧かなかった。

「今度は何だよ」

裕真は早くも苛立ちを隠さなくなった。

「一度夕日を見逃しただけだろ。明日、また一緒に行けばいいじゃないか」

私は彼を見つめた。

「明日は、私と二人だけで?」

咲穂の表情がわずかに変わった。

大地は軽く咳払いをして、カメラをいじり始めた。

裕真は少し黙った。どうして急にそんなことにこだわるのか、わからないとでもいうように。

「みんなで来てるんだから、いちいち分けることないだろ」

当然のようにそう言った。

そのとき、ふとわかった。あのキスを見ていなくても、彼は簡単に私を手放すつもりなどなかったのだ。

咲穂に頼られるのが好きで、私が彼を中心に将来を考えていることにも満足していた。

二人の女が自分を巡って嫉妬する。それは彼にとって重荷ではなく、自分の魅力を確かめるための勲章だった。

突然、咲穂が胸を押さえ、小さく息を吸った。

「裕真、なんだか息が苦しい……」

裕真はすぐに振り返り、彼女を支えた。

「湖で風に当たりすぎたんじゃないか?」

咲穂は彼の肩にもたれた。その弱々しい様子は、いかにも彼の庇護欲をそそりそうだった。

裕真が私を振り返る。

「ベッド脇の薬、取ってくれ」

私は動かなかった。

彼の口調が強くなる。

「奈月、意地張ってる場合じゃないだろ。咲穂が苦しがってるんだぞ」

「私だって、熱がある」

一瞬言葉に詰まった彼は、すぐに眉をひそめた。

「お前は昔から丈夫だろ。解熱剤を飲んだんだから、もう大丈夫だよ。咲穂は喘息持ちなんだぞ。張り合ってどうするんだ」

大切にされている人は、咳一つでも心配してもらえる。

私が39度の熱を出していても、ただ拗ねているだけだと決めつけられる。

薬の箱をテーブルに放った。

「病院に連れていけば。もたもたしてるうちに治っちゃったら、心配してあげる暇もなくなるよ」

裕真の顔が険しくなった。

「奈月、いつからそんな嫌な言い方をするようになったんだ?」

咲穂が目を潤ませ、彼の腕を引いた。

「奈月を責めないで。夕日が見られなくて、つらいだけだから」

裕真は咲穂の肩を抱いて部屋を出ていった。

ドアのところで、冷たく言い残した。

「少しは自分で考えろ。悪かったと思ったら、俺のところに来い」

ドアが閉まると、私はパソコンを開いた。

受信箱には、一度断ったプロジェクトへの参加案内が残っていた。

西域歴史建築デジタル映像プロジェクト。期間は1年間。3日後にアルナ市で集合する。

あのとき、裕真は私を抱きしめて言った。

「起業でいちばんお前の力が必要なときに、1年も遠くに行くのか?俺たちの将来はどうなるんだよ」

彼の言う「俺たちの将来」のために、私は2年間準備してきたチャンスを手放した。

今になって、ようやく気づいた。

彼の将来に必要なのは、私の能力と人脈、そして何でも彼に譲ることだった。

私の気持ちは、必要とされていなかった。

指導教員に電話をかけた。

「先生、プロジェクトの枠は、まだ空いていますか?」

少し間があった。

「急に一人辞退したんだ。ただ、出発はあさってだよ。水野さん、本当にそれでいいんだね?」

ドアの外では、裕真が低い声で咲穂をなだめていた。

「泣くなよ。あいつは俺が甘やかしすぎたんだ」

私は目を伏せ、静かに答えた。

「はい。参加させてください」

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第1話
ホテルに戻る頃には、湖から吹く風が服を通して体にしみ込み、すっかり冷えきっていた。私の顔色を見たフロントの女性が、慌てて非接触式の体温計を持ってきてくれた。39.4度。彼女はぎょっとした。「お連れの方は?こんな状態なのに、お一人で戻られたんですか?」私はカウンターに手をつき、かすれた声で答えた。「みんな、景色を見るのに忙しいので」解熱剤を飲んで間もなく、ドアの向こうから大地の笑い声が聞こえた。「あの写真、最高だったな。夕焼けが差して、めちゃくちゃいい雰囲気になってた」ドアが開いた。ベッドの端に座る私を見て、裕真が足を止める。「湖に行ったのか?」私は答えなかった。泥と砂のついた靴に目を落とすと、裕真の声が低くなった。「ホテルで休んでろって言っただろ。熱があるのに歩き回って、本当に入院する羽目になったらどうするんだよ」その後ろから、裕真の上着を羽織った咲穂が入ってきた。手には、すっかり冷めたうどんの入った袋を提げている。何も悪いことなどしていないような顔だった。「奈月、ご飯買ってきたよ。もっと早く戻るつもりだったんだけど、夕焼けがすごくきれいで、大地もずっと撮ってたから……」大地がカメラをテーブルに置き、鼻で笑った。「4年も楽しみにしてた夕日を見損ねたんだから、機嫌が悪くなるのはわかるけどさ。俺たちに当たるのは違うだろ。急に熱出したのは、そっちなんだし」私は顔を上げ、大地を見た。裕真と咲穂のキスを撮っていた人間が、今度は私に説教をするらしい。裕真が近づき、私の額に手を伸ばした。私は顔を背けた。伸ばした手が宙で止まり、彼の目に驚きが浮かんだ。この4年間、彼の手を避けたことは一度もなかった。喧嘩をしても、目を赤くして、抱きしめてくれるのを待っていた。けれど今は、ただ嫌悪感しか湧かなかった。「今度は何だよ」裕真は早くも苛立ちを隠さなくなった。「一度夕日を見逃しただけだろ。明日、また一緒に行けばいいじゃないか」私は彼を見つめた。「明日は、私と二人だけで?」咲穂の表情がわずかに変わった。大地は軽く咳払いをして、カメラをいじり始めた。裕真は少し黙った。どうして急にそんなことにこだわるのか、わからないとでもいうように。「みんなで来てるんだ
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第2話
翌朝、熱がようやく38度まで下がった頃、裕真が部屋を訪ねてきた。温かいミルクの入ったカップをテーブルに置き、何事もなかったように言う。「着替えろよ。近くの病院まで送るから」彼なりに歩み寄ったつもりなのだろう。以前の私なら、彼が少しでも折れてくれれば、あとは全部、都合のいい理由をつけて許していた。けれど私が上着を手に取った途端、隣の部屋から咲穂が出てきた。白いサイクルウェアを着て、ヘルメットを抱えている。「裕真、湖を回るレンタサイクル、届いたよ。でも私、昨日の夜、ずいぶん息苦しかったでしょ。大地が、一人で走るのは危ないって」裕真はほとんどためらわなかった。「俺がついていく」そう言ってから、ようやく部屋にいる私を思い出した。「奈月、病院は近いから、先にタクシーで行っててくれ」私は彼を見た。「送ってくれるって、今言ったよね」「予定が変わることだってあるだろ」苛立った声だった。「咲穂は長距離に慣れてないんだ。途中で何かあったらどうする?」咲穂はすぐにうつむいた。「いいよ、私、行くのやめる。奈月の体のほうが大事だもん」そう言いながら、着替えようとはしない。ヘルメットを抱く腕には、むしろ力がこもった。ドアにもたれた大地が急かした。「時間で料金かかってるんだぞ。ぐずぐずしてたら、3人分無駄になるだろ」裕真は咲穂のヘルメットを取り、かぶせてバックルを留めた。「行こう」部屋を出る間際、私を振り返った。「診察が終わったら連絡して。走り終わったら迎えに行く」私はドアを閉めた。「迎えはいらない」廊下が少しの間、静かになった。やがて3人は、笑いながら階下へ降りていった。私は一人で病院に行った。検査結果を見た医師は、厳しい顔をした。「急性気管支炎ですね。高熱があるのに湖で冷たい風に当たるなんて、無理をしすぎですよ」点滴を受けた2時間、スマートフォンは静かなままだった。電話もなければ、具合を尋ねるメッセージもなかった。代わりに、咲穂がSNSに写真を投稿していた。走り疲れた彼女が、裕真の背中におぶさっている。横では大地が飲み物を手に、意味ありげな笑みを浮かべていた。添えられていたのは、こんな言葉だった。【面倒だって言いながら、結局こうしてくれる
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第3話
その夜、セレナ湖では急に風が強まった。湖畔の道路が一時通行止めになると知らせが入り、翌日の予定も中止せざるを得なくなった。裕真は何事もなかったように、パソコンをスイートルームのリビングに持ってきた。「どうせ出かけられないんだし、卒業後のことを決めよう」事業計画書を開き、続けてあのマンションの間取り図を表示した。「大家さんから、本契約を急いでほしいって連絡が来てる。帰ったらすぐ引っ越そう。もう先延ばしにするのはやめようぜ」私より先に、咲穂がパソコンを受け取った。間取り図をスクロールする咲穂は、まるで自分の家のことを決めているかのように真剣だった。「リビング、木目でそろえると地味じゃない?アイボリー系のほうが写真映えするよ。それに、この部屋がいちばん明るいから、配信用にしたらよさそう」裕真はうなずいた。「いいよ。好きなようにして」私は咲穂を見た。「私と裕真が借りる部屋なのに、どうして咲穂の好みに合わせるの?」咲穂は言いすぎたことに今気づいたような顔をして、慌てて説明した。「奈月、誤解しないで。卒業後に住む部屋が、まだ見つからなくて……裕真が、3部屋あるから、しばらくいてもいいって」裕真は平然としていた。「咲穂を一人で住まわせるのは心配だろ。どうせ部屋は空いてるんだし、しばらく泊めてやったっていいじゃないか」当然だと言わんばかりだった。まるで私のほうが、突然割り込んできた他人のように。私はパソコンを閉じた。「私は嫌」裕真は明らかに面食らった。この4年間、私は彼の頼みをほとんど断らなかった。起業したいと言われれば、希望していた就職先を諦め、チーム作りに付き合った。大地に機材がなければ、予備のカメラを貸した。咲穂がプロジェクトに入りたがれば、応募書類を3回書き直してやった。3人とも、私が譲ることにすっかり慣れていた。だから私が「嫌」と言うと、誰もが私のほうをわがままだと思うのだ。大地の顔が険しくなった。「十何年も付き合ってる友達だろ。たった数か月泊めるだけなのに、そんなに心狭かったっけ?」咲穂が目を赤くして立ち上がった。「もういい。自分で探すから。私のせいで二人が喧嘩するのは嫌だよ」そう言いながらも、視線はまだ、あのいちばん日当たりのいい部屋に向いて
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第4話
翌朝、風はやんでいた。湖畔の立ち入り規制も解除され、大地がヨットの体験クルーズを予約した。白いワンピースに着替えた咲穂が、ホテルのロビーで不安そうに裕真の袖をつかんでいた。「こんなに深い湖に落ちたら、どうしよう」裕真はしゃがんで、彼女のライフジャケットのバックルをしっかり留めた。「俺がいるんだから、怖がることないだろ」大地が私にカメラを押しつけた。「お前、熱が下がったばかりだし、船には乗らないほうがいいだろ。岸に残って、ついでに俺たちを撮ってくれよ」私はカメラをロビーのベンチに置いた。「撮らない」大地が顔をしかめる。「シャッター押すだけだろ。今度は何なんだよ」「具合が悪いから、部屋で休みたい」裕真が顔を上げ、ちらりと私を見た。どこがつらいのかとは聞かず、面倒そうに言った。「好きにしろよ」外に出ようとした咲穂が、ふと手首に触れた。「あれ、ブレスレットは?」服のポケットを探り、たちまち目を赤くした。「裕真にもらった卒業のプレゼントなのに。さっきまで、ちゃんとつけてたんだよ」裕真はすぐになだめた。「落ち着けよ。部屋に落ちてるかもしれないだろ」咲穂は首を振った。「下に降りるときにも触ったもん。絶対この辺にあるはず」裕真は彼女と一緒に、ホテルの入口から来た道をたどって探し始めた。大地もスマホのライトをつけ、植え込みのそばにかがんで探した。私の横を通るとき、裕真が慌ただしく言った。「先に部屋に戻っててくれ。ブレスレットが見つかったら、昨日の話をしよう」私は、遠ざかっていく3人を見送った。部屋に戻り、昨夜のうちに荷物を詰めておいたスーツケースを引き出した。帰りの航空券は、二人分ともキャンセルした。部屋の予約金のうち、裕真が出した分も、元の口座に振り込んだ。ペアのブレスレット、合鍵、そして交際4周年の記念アルバムを、テーブルにきちんと並べた。アルバムには、二人で思い描いた将来が書き込まれていた。卒業したら、一緒に会社を立ち上げる。仕事が軌道に乗ったら結婚する。毎年、初めての場所を一つ訪れる。30歳になるまでに、西域地方の湖を全部見て回る。最後のページには、18歳の裕真が私に宛てて書いた言葉があった。【奈月、振り返れば、俺はいつだ
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第5話
裕真たちがホテルに戻ったのは、昼になってからだった。咲穂のブレスレットは、駐車場の石の隙間で見つかった。失くしたものが戻り、咲穂はすっかり機嫌を直していた。戻る間も、ずっと裕真の腕に自分の腕を絡めていた。「一緒に探してくれてよかった。一人だったら、どうしていいかわからなかったよ」裕真はブレスレットの埃を拭い、優しく言った。「今度はちゃんと留めろよ」大地が横からからかった。「ブレスレット一つだろ。失くしたら、また裕真に買ってもらえばいいじゃん」3人は笑いながらロビーに入った。裕真は何気なく、さっき奈月がいた場所を見た。ベンチは空っぽで、風で隅に寄ったSIMカードだけが残っていた。彼は足を止めた。「奈月は?」フロントの女性が顔を上げた。「チェックアウトされました」「いつですか?」「1時間あまり前です。迎えにいらした方と、お荷物も全部持って出られました」真っ先に大地が笑った。「本当に帰ったのかよ。昨日は部屋をキャンセルして、取引も引き上げて、今日は一人で先に帰るって。何が何でも、お前に追いかけさせたいんだな」裕真は答えず、まっすぐ上の部屋に戻った。部屋のドアには鍵がかかっていなかった。テーブルには、物が整然と並んでいた。ペアのブレスレット、合鍵、そして4年間の思い出を収めたアルバム。裕真は鍵を手に取り、顔を曇らせた。「どんどんわがままになるな」咲穂が後から入り、おずおずと口を開いた。「奈月、私のせいで帰っちゃったのかな。私から電話して、説明しようか」「いい」裕真はスマホを取り出し、奈月の番号にかけた。聞こえるのは、電源が入っていないことを告げる無機質な音声だけだった。さらに2回かけても、同じだった。ドア枠にもたれた大地が、気にも留めない様子で言った。「もうやめとけって。わざと切ってるんだから。前に言ってただろ。あいつが拗ねたって、3日もすれば自分から連絡してくるって」裕真はアルバムを開いた。最初のページには、18歳の二人の写真が貼ってあった。奈月は彼の肩に寄りかかり、目を細めて笑っていた。隣には、こんな言葉が書いてあった。【裕真、卒業したら、一緒にセレナ湖の夕日を見ようね】彼の指はその文字の上で少し止まったが、すぐにアルバ
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第6話
3日後、裕真は大学に戻った。奈月がとっくに部屋に戻り、彼を待っていると思っていた。これまで喧嘩をしても、奈月がそっけなくしているのは、せいぜい2日だった。3日目にはいつも、自分から連絡をし、適当なきっかけを作って、何事もなかったように振る舞っていた。ところが、午後になっても奈月からの通知はなかった。「気が済んだら戻ってこい」というメッセージにも、返事は来なかった。先に混乱したのは、起業チームのほうだった。話をつけていた機材業者が急に値段を上げ、無料で借りられるはずの撮影スタジオも、予約を取り消してきた。契約手続きに入っていたクライアント2社も、そのまま取引を見合わせた。起業仲間が新しい見積書を手に、学生向けアパートの入口で裕真を待ち構えていた。「裕真、奈月といったい何があったんだ?同じ機材なのに、ほかで借りると3割も高い。来週から撮影だぞ。今からどこを探せっていうんだよ」詰め寄られ、裕真は苛立った。「あいつがいないだけで、仕事ができなくなるのかよ。別の業者に当たればいいだろ」相手は呆れて笑った。「簡単に言うなよ。安くしてもらえたのは、奈月が学生のうちにドキュメンタリーを3本手がけて、全国学生映像賞も取ったからだぞ。あの2社だって、奈月の企画を気に入ったんだ。あいつが抜けたら、制作スタッフだって必要な人数がそろわない」見積書を見つめる裕真の顔が、ますます険しくなった。彼はずっと、奈月がチームのためにしてきたことは、自分の夢をかなえる手伝いにすぎないと思っていた。奈月が協力をすべて取りやめて、初めて気づいたのだ。チームから消えたのは、奈月の名前一つではない。計画を実現させるための土台そのものだった。咲穂がパソコンを抱えて駆けつけ、優しく慰めた。「奈月、まだ怒ってるんだよ。戻ってきたら、一緒に話そう。私も説得するから」裕真は答えず、もう一度奈月に電話をかけた。やはり、つながらなかった。メッセージにも返信はない。とうとう苛立ちを募らせ、彼は奈月の部屋まで足を運んだ。ドアが開くと、中では見知らぬ女子学生が二人、荷物を片づけていた。裕真は眉をひそめた。「水野奈月は?」一人がきょとんとした。「もう引っ越したけど」「いつ?」「卒業の手続きを終えた日。荷物は
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第7話
1週間後、予定どおり卒業式が行われた。裕真はずいぶん早く来ていた。講堂の前から3列目に座り、数分おきに入口を振り返った。卒業式は人生で特に大切な節目の一つだと、奈月は以前話していた。何があっても戻ってきて、卒業写真を撮るつもりだと。だから彼は、奈月が必ず来ると信じていた。ポケットには、あのマンションの合鍵まで入っていた。奈月が自分から折れれば、鍵を返してやってもいい。そう決めていたのだ。セレナ湖でのことも、少しなら譲歩するつもりだった。これからは、奈月の前で咲穂をあまり特別扱いしない。少なくとも、奈月には見せないようにする。けれど式が始まっても、奈月の席は空いたままだった。担当教員が出席を確認したときも、奈月の名前は読み飛ばされた。裕真はとうとう、じっとしていられなくなった。「先生、奈月は来ないんですか?」教員は不思議そうに彼を見た。「聞いていないの?西域の撮影は途中で抜けにくいから、オンラインで参加するって。卒業証書も、指導教員に代理で受け取ってもらう手続きをしているよ」裕真の顔色が変わった。「戻ってこないんですか?」「しばらくは戻らないと思うよ」教員はそう言って、仕事に戻った。裕真はその場に立ち尽くした。ポケットの中で握りしめた鍵が、手のひらに食い込んでいた。咲穂が彼の腕を取った。「あのプロジェクト、1年だけでしょ。終わったら、奈月も戻ってくるよ」裕真は少し黙ってから答えた。「仕事も会社もこっちにあるんだ。当然、帰ってくるだろ」口にしたことで、また自信を取り戻したようだった。式が終わると、みんな講堂の外に集まって写真を撮った。咲穂が花束を抱えて、裕真の隣に立つ。大地がカメラを構え、笑いながら声をかけた。「もっとくっつけよ。もう卒業したんだし、隠すことないだろ」咲穂は頬を赤らめ、裕真の腕に抱きついた。周りから冷やかす声が上がった。「二人、けっこうお似合いじゃん」「裕真くんって、彼女いなかった?」以前なら、裕真は必ず、彼女は奈月だと答えただろう。けれど今度は、笑うだけで何も説明しなかった。そんな状況を、まだ楽しんでいるようだった。奈月がいなくても、そばには自分を慕う女がいる。その気になれば、いつでも人に羨ましがら
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第8話
その夜、裕真は卒業祝いの食事会に出なかった。一人で事務所に戻り、奈月が残した引き継ぎ資料を何度も読み返した。会社の設立手続きから顧客向けの提案書、機材の型番から撮影予算まで、どの案件にも奈月の仕事の跡があった。ブランド名を考えたのは、奈月だった。宣伝用の映像を編集したのも、奈月だった。最初のクライアントは、奈月が7回足を運んで、ようやく契約にこぎつけた相手だった。起業コンテストで賞を取った裕真のスピーチ原稿も、奈月が2晩続けて徹夜し、直したものだった。それなのに、授賞式で彼は壇上に立ち、こう言った。「これは、僕が一人で追いかけてきた夢です」カメラが客席に向いた。いちばん後ろに座った奈月は、笑顔で拍手を送っていた。あのとき彼は、何もおかしいと思わなかった。彼を愛しているのだから、奈月が喜んで彼の成功を支えるのは当然だとさえ思っていた。今、すべて滞りなく引き継げるよう整えられた資料を前にして、ようやく気づいた。奈月はもう、離れるための準備を済ませていたのだ。スマホが震えた。咲穂から、映画のチケットのスクリーンショットが送られてきた。【卒業祝い、一緒に行くって約束したよね】裕真は返事をしなかった。10分後、事務所のドアが開いた。咲穂がケーキを提げて入ってきた。目が赤かった。「どうして電話に出ないの?」「忙しいんだよ」「仕事で?それとも、奈月を捜すのに?」彼女はケーキの箱を、音を立ててテーブルに置いた。「もう連絡も拒まれてるのに、そんなもの見てどうするの?前は『奈月は俺から離れられない』って言ってたよね」裕真の顔が険しくなった。「出ていけ」咲穂は呆然とした。「私に怒るの?先にキスしてきたのは、裕真でしょ。奈月にあれこれ言われるのは、もううんざりだって言ったのも。仕事しかできなくて、何の面白みもないって言ってたじゃない。いなくなって、せいせいしたんじゃないの?」裕真の顎に力が入った。確かに、そう言ったことがあった。奈月の存在が気に入らず咲穂が拗ねるたび、奈月を悪く言って機嫌を取っていた。けれど奈月が朝食や企画書、顧客資料を用意しているのを見ると、この先ずっと一緒にいるなら、やはり奈月のほうがいいと思った。咲穂といる新鮮さも、手放したくなかった
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第9話
それから半年間、裕真はほとんど毎日、メールを送ってきた。初めのうちは、まだ滑稽なほどのプライドにしがみついていた。【プロジェクトはいつ終わるんだ?】【帰ってきたら、話そう】【会社のお前の席は残してある】私は一通も返さなかった。私が去って1か月後、起業チームは完全に解散した。機材や撮影場所の費用は倍に膨らみ、2件の仕事で立て続けに契約を守れなくなった。投資家は資金を引き揚げ、共同経営者も離脱を申し出た。大地は責任をすべて裕真に押しつけた。二人は事務所で激しく言い争い、とうとう殴り合いになった。出ていく間際、大地は裕真の鼻先を指さして怒鳴った。「今さら一途な男ぶってんじゃねえよ!奈月が熱出したとき、放っておけって言ったのはお前だろ。約束さえ果たせばいいからって、あいつを騙してセレナ湖に連れてきたのもお前だ。捨てられてから焦ったって、遅いんだよ!」裕真は荒れ果てた事務所に立ち、何も言い返せなかった。咲穂だけは、ずっとそばにいた。けれど堂々と付き合えるようになると、かえって二人は頻繁に喧嘩をするようになった。裕真は、咲穂が仕事を理解せず、何の役にも立たないことに不満を募らせた。咲穂は泣きながら責めた。「前は、何もしなくていいって言ってたじゃない。私が楽しく過ごしていれば、それでいいって」裕真はそこでようやく気づいた。以前、私が一緒に夜更かしして企画書を書き、機材を担いで街中を駆け回っていたことは、当然だと思っていた。咲穂は食事や映画に付き合い、甘えるだけ。それなのに彼は、彼女にはどこまでも辛抱強く、優しかった。ほかの女を特別扱いしたのは、自分だ。そのくせ私には、いつまでも同じ場所にいて、自分が困れば支えてくれるよう求めていた。ある喧嘩のあと、咲穂はとうとう、優しいふりをやめた。「今さら後悔して、何になるの?あの日、展望デッキに奈月がいたこと、私はとっくに気づいてたよ」裕真が、はっと顔を上げた。「何だって?」「人だかりの後ろに立ってるのが、見えてた」咲穂は目を赤くして、仕返しをするように笑った。「でも、教えなかった。裕真が私にキスするところを見て、自分から消えてほしかったから。だけど、私があそこまで強気になれたのは、大地がいたからじゃない。裕真がいたからだよ。キ
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第10話
映像展の開幕日、私は自分の作品の前で取材を受けていた。大きなスクリーンには、千年を経た廃墟を吹き抜ける砂が映っていた。崩れた壁の隙間から朝の光が差し、修復士が腰をかがめて、壁画の埃をそっと払っている。作品の題名は、「黄昏の、その先へ」記者が尋ねた。「この題名には、どんな思いを込めたんですか?」私は画面の中で、少しずつ明るくなっていく空を見た。「黄昏は、終わりではないからです。歩き続ければ、必ずまた新しい光に出会えます」取材を終えて振り返ると、人の輪の外に裕真が立っていた。1年ぶりに見る彼は、ずいぶん痩せていた。いつもきちんとしていたシャツにはしわが寄り、目元には疲れがにじんでいた。彼は長い間私を見つめてから、かすれた声で呼んだ。「奈月」私は軽く会釈した。「久しぶり」よそよそしい声を聞いた途端、彼の目が赤くなった。足早に近づき、鞄から4周年の記念アルバムを取り出した。「これ、ずっと持ってたんだ。マンションの部屋も、もう一度借りた。仕事だって、またやり直せる。映像の仕事がしたいなら、もう絶対に邪魔しない。咲穂とも大地とも、縁を切った」言葉がせわしなく続いた。条件をそろえさえすれば、18歳のあの頃に戻れるとでも思っているようだった。私はアルバムを見たが、手は伸ばさなかった。「裕真、まだわかってないんだね。変わってほしくて離れたんじゃない。もう、あなたと一緒にいたくないからだよ」彼の手が宙で止まった。「でも、4年も一緒にいたんだぞ。たった一度間違えたからって、4年間を全部なかったことにするなよ」「一度?」私は小さく笑った。「父の手術の日、大地が事故に遭ったって嘘をついて、咲穂の誕生日を祝いにセレナ湖に行った。私が高熱で病院に行かなきゃいけないときには、置いていって、咲穂とサイクリングをした。一緒に暮らすつもりで私が借りようとした部屋に、先に咲穂を連れ込んで、お酒を飲んで、シャワーまで浴びた。4年前から一緒に夕日を見るって約束していたのに、あなたは私の目の前で咲穂にキスをした」私は静かに彼を見た。「一度じゃないよ、裕真。どちらかを選ぶたびに、あなたは私を選ばなかった」彼の顔が、次第に白くなった。「悪かったと思ってる。奈月、もう一度だけチャンスをく
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