Se connecterその頃、神宮司邸にいた瀬奈の元へ一馬が見舞いに訪れていた。「瀬奈ちゃん、退院おめでとう」「ありがとうございます、中田さん」一馬はお祝いとして、近所の花屋で買った花束を瀬奈に手渡した。瀬奈は花を受け取り、微笑んだ。「瀬奈ちゃんが誘拐されたって聞いて気が気じゃなかったよ……まぁ、一番取り乱していたのは湊斗だけどさ」「湊斗が……」瀬奈の捜索、そして犯人たちの厳罰に最も尽力したのがまさに湊斗だった。彼は法スレスレの手段を使い、瀬奈を朝まで探し続けていた。そのことは既に、静香から聞いていた。いつも冷静な彼の慌てふためく姿なんて想像がつかなかった。一馬ですら、あんな湊斗は初めて見たと笑みを溢した。「犯人たちも全員無事に捕まってよかったな」「中田さん、そのことなんですけど……」瀬奈は話すべきかを迷ったが、一馬なら彼女のことを何か知っているかもしれないと思い、口を開いた。「この一件……黒幕がいます」「黒幕だと……?」湊斗から既に終わったことだと聞かされていた一馬は、瀬奈の発言に衝撃を受けた。驚きで声も出ない一馬をよそに、瀬奈は言葉を続けた。「――嶋田沙織、彼女が犯人に違いありません」「沙織……あの女が……」湊斗の秘書として長く彼と共にいる一馬も、もちろん沙織の存在は知っていた。湊斗との付き合いも長い、美しいが危険な女。「実は、湊斗にも言ったことなんですが……事件が起きる前、沙織に呼び出されたんです」「沙織に?一体何の用で?」「里亜が……湊斗の子ではないのかと疑っていました」その一言で、一馬は事件が起きた経緯を一瞬で理解した。沙織、やっぱりあの女はとんでもないやつだった。「元々犯人たちの狙いは私ではなく、里亜でした。沙織があの子を消したいと思うのも当然でしょう。正妻である私の子が明らかになれば、自分が生んだ子を後継者の座に就けることは難しくなるのですから」沙織は神宮司財閥の次期社長の座に固執しており、息子の愛斗を何が何でもその座に押し上げようとしていた。そんな彼女ならば、一連の事件を企んでいてもおかしくはなかった。「そのことを、湊斗も知っているのか?」「ええ、きちんと話しました……驚いているようでしたけど、調査すると言ってくれました」湊斗が沙織ではなく、瀬奈の言うことを信じたのは幸いだった。いくら付き合いが長いとはいえ、そこまで彼女
千郷は意味がわからず、首をかしげた。隠された真実?一体何が隠されているというのか。神宮司湊斗が不倫をしているのはたしかで、その隠し子たちも実在する。「何を言っているのですか?神宮司社長のあの噂は本当のことでしょう?」「いえ……何でもありません。そうですね、今のは忘れてください」涼は失言をしてしまったかのように、苦笑いを浮かべた。結局、千郷がその発言の真意を知ることはできなかった。しかし、何か深い意味があるような気がしてならなかった。「奥様は、義理の妹さんと仲がよろしいんですか?」「い、いいえ……元々夫があの方と疎遠だったこともあって……ほとんど話したことはありません」千郷は親族とはいえ、暁家の面々とはあまり親しくなかった。義父は明らかに彼女を毛嫌いしているし、義姉となる静香とは会ったことすらない。千郷が泰西と結婚した頃には、既に彼女は暁家と絶縁し、家を出ていたのだからそうなるのも当然だった。泰西が瀬奈と距離を取っていたため、わざわざ自分から会いに行くようなこともしなかった。「高橋さんは、知り合いなのですか?神宮司さんと」「ええ、社長のほうとは昔からの仲なんです。奥様とも……最近たまたま話す機会があって」「そうだったんですね……」千郷は神宮司湊斗という人間を全く知らなかった。夫の妹の旦那なので、他人というわけではなかったが、関わる機会があまりにも無さすぎたのだ。涼はあ、そういえばと軽い口調で言葉を続けた。「そうだ、この間社長の愛人と言われている女性に会いました」「あ、愛人……!?」驚いて動いた千郷の椅子が、ガタンッと音を立てた。一体愛人と何を話したのか。気にはなるものの、踏み込んで聞くことはできなかった。「気が強くて我儘で、それでもって頭の中はお花畑。あんな人のどこらへんが良いのか全く理解できませんでした」涼は不快そうに眉をひそめた。温厚そうに見える彼がそこまで不快感を感じるとは、相当なのだろう。――泰西の愛人も、もしかするとそういう人なのだろうか。実在しているかさえわからないが、そう考えずにはいられなかった。そして、このとき千郷は、離れて暮らす瀬奈のことが妙に気にかかった。彼女は自分と少しだけ似ているかもしれない。そう思えてならないのだ。(結局あのとき……その意味を知ることはできなかったけれど……)「お見舞いも兼ねて……一
瀬奈が拉致され、救出されてから数日が経った頃、ちょうど黒川区では彼女の誘拐監禁に関する噂が流れ始めていた。暁家の副社長夫人である千郷は、窓の外を見つめながら呟いた。「妹が危ない目に遭ったっていうのに、泰西は相変わらず平然としているのね……」瀬奈が死にかけたという話は、親族である泰西の元にも当然届いていた。しかし、彼はその話を聞いてもなお取り乱すことはなく、妹に会いに行くこともしなかった。(最近、泰西がとても冷たい人であるかのように感じてしまうわ……)いや、元々そういう人ではあったけれど、少なくとも千郷など身内に対しては優しくしていたはずだ。近頃はそれすらなくなり、全員に冷たくなってしまったが。(そういえば、前にあの人に会いに行ったとき……)千郷は前に、泰西の知り合いである涼に会ったときのことを思い浮かべた。二人が会ったのは、楽名区にあるカフェだった。「奥様の方から会いに来てくださるとは思ってもいませんでした」「ええ、私も会いに来るつもりはありませんでした。ただ、どうしても高橋さんに聞きたいことがあったんです」「聞きたいこと……ですか?」涼はコーヒーの入ったカップを置き、千郷を見つめた。「単刀直入に言います――私の夫は……不倫しているのでしょうか?」「…………何を」彼は突然の問いかけに目を見開いた。泰西が不倫しているかどうか彼は知らないが、千郷がそう疑っているということは疑惑になるような何かがあるのだろう。どいつもこいつも何故妻を大切にできないんだ、と涼は呆れた。「……さぁ、私は泰西と特別仲が良いというわけではありませんので」「……そうですよね」泰西はあまり他人にプライベートの話をしない人だ。スキャンダルを恐れている彼は、きっと妻以外の女性と会うときも徹底しているだろう。「泰西と何かあったのですか?」「いえ、そういうわけではないんです。ただちょっと最近彼が冷たくて……」「アイツは元々誰にでもそういうヤツですよ」涼はむしろ誰かに優しくすることなんて元々できないのだ、と笑った。「不倫といえば……奥様の義妹に関する噂をご存知ですか?」「ええ、もちろん知っています。女好きな神宮司湊斗に隠し子がいるという……」そう口にした千郷に、涼は意味深な笑みを浮かべた。彼は彼女から視線を逸らすと、ポツリと呟いた。「……噂なんて、案外当て
その頃、沙織は部屋で実行犯たちが捕まったと言うニュースを耳にしていた。当然、心穏やかでいられるはずがない。――里亜の誘拐を指示したのは彼女だったからだ。最初から、沙織の計画は上手くいっていなかった。里亜を誘拐するつもりが、実行犯たちが拉致してきたのは瀬奈だった。沙織は名前だけを伝え、里亜の詳しい情報を何も言っていなかった。(いっそ、瀬奈が死んでいればよかったのに……)彼女が死ぬ直前、救出したのは湊斗だった。彼は瀬奈を救い出し、実行犯たちに極刑が下るよう動き回っていたのだ。沙織は読んでいた新聞を握りしめた。クシャッという音と共に、新聞に痕がついた。「どうやらあの女に対する湊斗の愛は相当深いようね……」もし、自分が誘拐されていたとしたら彼はそこまでしただろうか。そんなことを考えてみるものの、全く想像がつかなかった。沙織は惨めさと悔しさで心がズタズタになった。計画が失敗したことよりも、そちらの方が彼女にとっては悔しかったのだ。沙織は新聞をグチャグチャに丸めると、ゴミ箱に投げ入れた。「マズいことになったわね……」彼女は一人、部屋でポツリと呟いた。その顔には、焦りの色が滲んでいる。「手下たちはあの男の存在しか知らないし……アイツには、私のことを喋ったら報酬は無しと言っているから……」きっと大丈夫だ、と思いながらも確信はできなかった。沙織は今のうちに、事件に関する証拠となるようなものを全て抹消した。男とのやり取りのメールも、事件が起こった当時の完璧なアリバイ作りまで。沙織は悪知恵の働く女だった。仲間をあっさりと切り捨て、自分の利益のためだけに動く。彼女は昔からずっとそうだった。何も変わっちゃいない。もしも家が家宅捜索されてしまったら、ということを想定し、彼女は部屋の中の物を処分し始めた。「ああ、そうだわ!あれも捨てておかないと!」いっそこの際、余計なものは全て捨ててしまおう。「絶対に捕まるわけにはいかないわ……あの女だけが幸せを手に入れるなんて、絶対に許さないんだから……!」沙織は気味の悪い笑みを浮かべながら、何かに取り憑かれたかのように物を捨て始めた――
しばらくして落ち着きを取り戻したのか、平静を保った湊斗が口を開いた。「沙織が今回の一件を仕組んだというのはわかった……だが、彼女に関する証拠は今のところ何一つ上がっていない。すぐに検挙というわけにはいかないだろう」「別にいいわ、いつか捕まるのならね」里亜に危害を加えられるのだけは恐ろしいものの、一度失敗してしまっている以上、すぐに二度目とはならないだろう。しばらくは彼女も大人しくしているはずだ。湊斗はポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかけようとした。「さらなる調査が必要だな。神宮司家の者総出で……」「……ねぇ、湊斗。本当にいいの?」電話をかける前の彼に、瀬奈が話しかけた。その言葉の真意がわからず、湊斗は通話ボタンを押そうとしていた指を止めた。「……何を言っている?」「あなた、沙織のことあれだけ愛していたでしょう?そんな彼女を警察に突き出すだなんて……」瀬奈は湊斗が沙織を捕まえることを渋ると思っていた。しかし、今の彼には一抹の迷いすら生じていないようだった。どうして、そんなにも平然としていられるのか。瀬奈はそのことを疑問に思って尋ねたのだ。彼女は結婚生活の間、どれだけ湊斗が沙織を愛していたかをよく知っていた。そんな彼なら、多少なりとも沙織を庇うと思っていたのに。彼はゆっくりとその手を伸ばすと、瀬奈の頬に触れた。白く柔らかい肌に彼の指先が触れ、そのまま長い髪の毛に指を通した。「――何を勘違いしているのか知らないが、俺と沙織はそういう関係ではないんだ」「……どういうこと?」「里亜が待っているはずだ、先に行っていてくれ」湊斗はその問いに答えることなく、ある場所に電話をかけ始めた。瀬奈は彼に追い出されるように、部屋を出た。(そういう関係じゃないってどういうことなの?たしかにあなたたちは心から愛し合う恋人同士のはずで……)そういえば、瀬奈が邸を出て行ってからも彼は沙織と再婚しなかった。あれほど再婚秒読みとまで言われていた二人だったのに、湊斗は離婚にすら応じることはなかった。(湊斗が前に沙織の子たちを自分の子供じゃないって言っていたことも引っかかるし……)このときの瀬奈は、ある疑念を抱き始めていた。――もしかすると、私の知らない何かが二人の間にあるのではないかと。
湊斗は信じられないのか、固まった。瀬奈はそんな彼を、複雑な気持ちで見つめていた。それほどまでに沙織のことを信用していたのか。(沙織がやったなんて、当然信じたくはないんでしょうね……)彼にとって沙織は他の愛人たちとは違う、大切な存在だっただろう。「事件が起きる前、あなたに内緒で沙織に会ったのよ。彼女に手紙で呼び出されたの。真夜中に個室居酒屋でね」「何だと?」当然、湊斗は知らないだろう。彼女が沙織と個人的に会っていたことも――沙織の心の醜さも。「そこで沙織と話したの。彼女はね、里亜が湊斗の子供なんじゃないかって言っていたわ。当たっているわ。本当、勘が鋭いわよね」「里亜が俺の子供ではないかと、沙織が?」「あなたは知らないでしょうけど、元々この一件は私ではなく里亜を狙っていたのよ。実行犯たちは里亜の年齢を聞いていなかったんでしょうね。間違えて私を拉致していったの」湊斗は解せない、といった様子で口を開いた。「……何故、沙織が里亜に危害を加える必要があるんだ」「……湊斗、あなた気付いていないわけ?」長く時間を共にしているにもかかわらず、そんなことすら知らないのか。どれだけ鈍感なんだと、瀬奈は呆れ果てた。何も知らない彼のために、瀬奈は丁寧に教えてあげた。「沙織は自分の子を神宮司財閥の後継者にしたいのよ。そんな彼女にとって、里亜の存在は目の上のたんこぶのようなもの。排除しようという考えになるのは当然のことよ」「沙織の子を後継者に?そんな……ありえない」湊斗は何度もあるはずがない、とそう繰り返した。沙織がそんなことをするわけないという意味か、彼女の子供を後継者にするのがありえないという意味か。どちらを指しているのかはわからなかった。「そういう理由で、今回の一件の黒幕は沙織よ。間違いないわ」「沙織……よくも……」湊斗は拳をギュッと握り、唇を噛んだ。その瞳には、沙織に対する憎しみともとれる感情が宿っていた。







