Chapter: 第85話来た道を戻ると、だいぶ顔色がマシになった碧斗の姿が視界に入った。「――碧斗義兄さん!」紫苑はそんな彼に、真っ先に駆け寄った。買ったお土産の袋を全て由利に持たせ、自分は堂々と碧斗の手を取った。(さっき私があんなことを言ったから……遠慮しなくていいって思ったのかもしれないわね)傍から見れば、二人はとてもお似合いだった。地味な由利より、華やかな紫苑の方が碧斗の隣には相応しい。紫苑と碧斗が横に並ぶのを見るたびに、最初からあの子の居場所は彼の隣だったのだと感じられた。由利は両手に荷物を抱えながら、二人をじっと見つめていた。この頃には、彼女は最初から碧斗と紫苑の二人だけで来ればよかったのではないかとまで思い始めていた。――そんな彼女を現実に引き戻したのは、紫苑と話していたはずの碧斗だった。彼は紫苑の腕を引きはがし、由利の元へやって来た。「重いだろう?俺が持つ」彼はそう言いながら、由利が手に持っていた紙袋を奪い去った。いつも紫苑のことしか見てこなかった彼が、このような気遣いをするのは珍しかった。「いえ……平気よ、気にしないで」由利は取り返そうとしたが、碧斗はそんな彼女の手をさっと避けた。「碧斗、体調が良くないんでしょう?」「もう平気だ、妻に重いものを持たせるだなんて夫として失格だからな」だから今日くらいは俺に持たせてよ――と碧斗は口元に笑みを浮かべて由利を見下ろした。そのように言われてしまえば、彼女は受け入れるほかなかった。「………ありがとう、碧斗。助かるわ」そんな二人の仲睦まじい様子を、紫苑は眉間にシワを寄せながら見ていた。愛する碧斗を取られたとでも思っているのだろうか。しかし、そんなことは絶対にありえない。いつの人生も、結局最後は碧斗は彼女のものになるのだから。いや、思えば最初から由利のものだったことなんて一度もなかった。「そろそろ行こうか、二人とも」「そうね、行きましょう」「……」返事をした由利とは対照的に、紫苑は何が気に入らないのか黙り込んだままだった。しかし、碧斗が彼女に微笑みかけると機嫌を直したようで、彼に満面の笑みを返した。その笑顔はあまりにも愛らしく、万人を一瞬で虜にしてしまうだろう。(……やっぱり、紫苑は碧斗のことが好きなのよ)この旅行で二人の仲が深まったらいいな――とそう思いながら、由利は二人について行った。
Terakhir Diperbarui: 2026-07-18
Chapter: 第84話由利は紫苑の発言の意味がわからず、ただ彼女をじっと見つめていた。(……どういうこと?私が碧斗を愛していないのがそんなに悲しいの?)由利はその言葉を理解できずにいた。前世では紛れもなく、碧斗と紫苑の二人は愛し合っていた。由利の入る隙なんて無いくらい、お互いがお互いだけを見つめていた。それなのに、何故由利が碧斗への気持ちが無くなったことに対してショックを受けているのか。彼女が碧斗を愛しているのならば、むしろ喜ぶべきだろう。由利という邪魔者がいなくなったおかげで、二人の恋に障害は無くなった。両親も彼らの仲に反対などしないのだから、紫苑にとってこれ以上都合の良いことは無い。由利が身を引くことにより、紫苑にメリットはあってもデメリットは一切無かった。彼女は確信しているようだったし、由利はわざわざ嘘をつく理由も無いと思い、彼女の疑念を素直に認めた。「……そうね、私はもう碧斗をあまり愛していないわ」「姉さん……やっぱりそうだったのね。どうして?姉さんはずっと碧斗義兄さんのことが好きだったでしょう?」好きだったでしょう?――と言われた由利は、思わず拳を握りしめた。――あなたは、私が碧斗を愛していることに気付いていて彼と不倫をしていたのか。愛する碧斗と可愛がっていた実の妹からの裏切りで、彼女がどれだけ心を抉られたか。紫苑はきっと何もわかっていないのだろう。彼女は元々人の気持ちを慮って行動することのできない子だった。だからといって、不倫をしても仕方が無いとは言えなかった。「……人の気持ちに永遠なんてものは存在しないのよ、紫苑」「……姉さん」そう、この世に永遠なんてものは存在しない。結婚式の日、由利は碧斗と永遠の愛を誓った。しかし、二人の間にはそんなもの最初から存在せず、由利が立てた永遠の誓いは裏切りとなって返ってきた。――彼女はもう、永遠を信じてはいなかった。絶対に変わるはずがないと信じていた自分の気持ちも、結局は移り変わって跡形もなく消えてしまったのだから。「あなたの言う通り、昔は碧斗のことを心から愛していたわ。でもね、それはすべて過去の話なのよ。今はもうあの人のことを愛してない」「義兄さんの何がそこまで気に入らないというの?」「気に入らないところがあるわけではないわ……ただ、私の気持ちの問題なのよ」由利は紫苑を安心させるように、これは全て
Terakhir Diperbarui: 2026-07-17
Chapter: 第83話由利は前を歩く紫苑の後ろ姿から、目が離せずにいた。今日の彼女は長い髪の毛をゆるくアイロンで巻いてハーフアップにしている。その髪が吹き抜ける風でユラユラと揺れるたびに、由利は複雑な気持ちになった。旅行先で妹から重大な秘密を打ち明けられるとは、一体誰が想像できただろうか。それに、紫苑は由利が何も言わずとも彼女が回帰していることに気付いているようだった。(紫苑に前世の記憶があるのだとしたら……厄介だわ)もし、彼女が今世で何か仕掛けてきたとしたら――長く時間を共にしたからこそわかる。紫苑は絶対に由利に平穏な暮らしなどさせるつもりは無いのだということを。彼女に対する警戒を強めていたそのとき、紫苑が振り返った。丸い大きな瞳が自身を捉えると、由利はドキッとした。「――ねぇ、姉さん。このお菓子父さんと母さんに買っていきましょうよ」何の違和感も無い、いつものように愛らしい笑顔だった。しかし、どこかゾッとするのは気のせいだろうか。わからない、紫苑はこんなにも感情の掴めない子だったのか。「……そ、そうね」由利は頷き、紫苑が手に持っていたお土産用のお菓子をショッピングバスケットに入れた。紫苑が選んだのはマカデミアナッツ入りのオシャレなクッキーだった。(……父さんと母さんへのお土産は紫苑に任せよう)たとえお土産だったとしても、由利はとてもあの二人に対して何かを贈れる気にはなれなかった。「せっかくハワイに来たんだから、もう一つくらい買ってく?」「……父さんと母さんはあまり甘い物を食べないでしょう?一つで十分よ」「それもそうね」それから紫苑は気に入ったものをいくつかバスケットに入れて行った。チョコレートブラウニーやコーヒー好きな父親のためのコーヒー豆など、カゴはあっという間にいっぱいになる。一方で、由利は職場の人たちへのお土産用に大き目のお菓子の詰め合わせを一つ選んだ。そして、そのあとは――(……涼介兄さんには、何を贈ろうかしら)ネックレスのお礼も兼ねて、涼介にはきちんとしたものを渡したかった。「……あら、このTシャツ兄さんにとっても似合いそうだわ」由利は近くにあった白いTシャツを手に取って呟いた。白を基調としたクルーネックTシャツには、左側にハワイの文字とロゴが入っている。涼介に似合いそうと由利は目を引かれ、購入を決意した。バスケットにTシャツを入
Terakhir Diperbarui: 2026-07-16
Chapter: 第82話由利は呆然としながら、目の前にいる紫苑をじっと見つめていた。彼女は一切表情を崩すことなく、ただ何の感情も宿さない瞳で由利を見つめ返している。紫苑が放った何気ない一言に、由利は動揺していた。今回は勘が鋭いどころの話ではない。―――今、また死んでしまうって言ったの?由利が時を巻き戻ってきていることは、彼女しか知らないことだ。それなのに、どうして紫苑が。「紫苑……一体あなたは何を言っているの?人が二回も死ねるわけないでしょう?」「誤魔化す必要は無いわ、姉さん。私知ってるのよ、姉さんがすでに何度も回帰していて、そのたびに惨めな思いをしていることをね」紫苑は確信しているかのように、そう言い放った。由利はもはや、言い訳することができなかった。「どうしてそれを……」何故、彼女がそのことを知っているのか。もしかすると、紫苑もまた死ぬたびに時を巻き戻ってきているのだろうか。しかし、紫苑はそんな由利の疑問に気付いていながらもそのことについては触れなかった。「安心して、姉さん。このことを誰かに言う気なんて無いから。もちろん碧斗義兄さんにもね」「紫苑……」紫苑は由利に向かってニコッと微笑んだ。いつも通りの穏やかで愛らしい笑みではあるものの、由利は全く笑えなかった。「ただ、私は姉さんが心配なのよ。碧斗義兄さんと結婚していながら別の男性を慕っているなんて、そんなことがあったら大変でしょう?」「………誰のせいでそうなったと」由利はそこまで言いかけて口を噤んだ。紫苑はそんな彼女の心情に気付いたのだろう、呆れたように口を開いた。「姉さん、義兄さんに捨てられたのを私のせいにしているようね」「……そういうわけじゃ」ない――とは言い切れなかった。前世で碧斗が由利を蔑ろにし、紫苑と関係を持っていたのはたしかだったからだ。(いくら好意を寄せられたとしてもね、既婚者だと知りながら受け入れた時点であなたにも罪があるのよ……)浮気したパートナーよりも、相手の方に怒りが向くというのはどうやら本当だったらしい。由利は今になってそのことを知った。「……紫苑、あなたは一体どこまで知っているの?前の世界の記憶があるの?」「姉さん、私から言えることは何も無いわ」紫苑は何故か、その質問には答えなかった。自分から記憶があることを暴露したようなものなのに、何故核心に迫るようなことには触
Terakhir Diperbarui: 2026-07-15
Chapter: 第81話今、由利たちが訪れていたのはハワイ最大級のショッピングセンターだ。百を超えるショップやレストランが集まり、世界的に有名なブランドたちが立ち並んでいる。流石は有名な観光地というべきか、様々な国からの観光客で賑わっている。日本では見慣れないアパレルの店舗に、紫苑は釘付けになっていた。「姉さん、義兄さんはどこにいるの?」「碧斗はちょっと疲れているようだから、休んでるって。私と二人じゃ不安かしら?」「ううん、そういうわけではないの」紫苑はニコッと笑みを浮かべながら首を横に振った。彼女が何を考えているのか、最近は特に読みづらくなっている。(昔から誰よりも紫苑の傍にいてきたはずなのに……どうしてこんなにも居心地が悪いのかしら)由利はできるだけ離れないように、紫苑の隣を歩いていた。彼女たちが今いるショッピングモールはかなり大型であるため、何時間いても飽きないだろう。「姉さん、あとで父さんと母さんへのお土産を買いましょうよ」「そうね……私も個人的にあげたい人がいるし」そのときに由利の脳裏をよぎったのは、親しくしている職場の同僚たちと――涼介の笑顔だった。彼女と目を合わせて優しく微笑みかける彼の顔が、しばらく頭から離れなかった。(……こんなときにまで兄さんのことを考えてしまうだなんて)そういえば、昨日送ったメールは読んでくれたかな。後できちんと確認して返事をしないと。彼のことを考えると、由利の口元に自然と笑みが浮かんだ。そんな姉の顔を、紫苑が覗き込んだ。「――姉さん、何か良いことでもあったの?」訝しそうに自身を見つめる紫苑に、由利は慌てて我に返った。「良いことがあっただなんて、どうしてそんな……?」「ただ何となく嬉しそうに見えたから……まるで――好きな人のことでも想像しているみたい」「……」前から思っていたが、紫苑はやけに鋭いときがある。涼介から貰ったプレゼントのことも疑っていたようだし、最近は特に些細な由利の変化にも気付くようになった。紫苑は鋭い目で由利を問い質した。「ねぇ、姉さん……それってきっと、碧斗義兄さんのことじゃないわよね?」「な、何を言っているの……碧斗のことに決まってるでしょう……」本当はすでに碧斗に気持ちなんて無かったが、他の誰かを愛していると答えるよりかはマシだろう。彼のことはいずれ紫苑に譲ろうと思っているが、今はま
Terakhir Diperbarui: 2026-07-14
Chapter: 第80話紫苑のおかげで難を逃れた由利は、彼女が帰ったあと何事も無かったかのようにベッドに入った。碧斗が何か言いたそうな顔でこちらを見つめていたが、気にもしない。せっかく二つも大きなベッドがあるんだから、別々に寝ないわけにはいかない。碧斗としては同じベッドで寝たかったのだろうが、由利はその提案を断固として拒否した。そのせいで明日の観光に影響が出ることになったら最悪だからだ。「おやすみ、碧斗。良い夢を見てね」「……あぁ」碧斗は素っ気なく返事をして眠りに就いたかと思いきや、突然ベッドから起き上がって由利の元へ向かった。まだ諦めていなかったのか、と体を強張らせたそのとき――碧斗がベッドで横になる由利のおでこにキスをした。「……おやすみ」「……」チュッと音を立てて口づけが額に落とされた。前世ではほとんどなかったスキンシップをされるのも、もう何度目かわからない。キスをした後、碧斗は部屋の照明を消した。由利は特に深く考えることなく瞼を閉じ、眠りに就いた。***翌日、由利たちはホテルで朝食を摂ったあと、バスに乗ってハワイの有名なショッピングセンターへと訪れていた。「わぁ、とっても素敵ね!姉さん、義兄さん早く行きましょう!」「紫苑、あまり走ったら転ぶわよ」バスを降りた紫苑は、幼い子供のように駆けて行く。彼女を一人にするわけにはいかないので、由利と碧斗も慌ててそのあとをついて行く。しっかり睡眠を取った由利とは違い、碧斗は目の下にクマを作っていた。まだ朝だというのに、早速疲れきったような顔をしている。「碧斗ったら、昨日はよく眠れなかったみたいね」「……あぁ、変な夢を見てしまってな」「変な夢?」一体何の夢か尋ねても、碧斗は虚ろな目でわからないと口にするだけだった。そんな彼を見ていると、途中で倒れてしまうのではないかと不安になった。「……疲れているのね、紫苑のことは私が見るからそこのベンチで休んできたら?」「……いいのか?」由利はもちろんと頷き、碧斗はベンチにドサッと座り込んだ。彼が見た夢の内容はわからないが、今由利たちが彼にしてあげられることは何も無い。由利は碧斗に冷えたペットボトルの水を渡した。「本当は付き添ってあげたかったけど、紫苑がとっても楽しみにしているみたいだから……行かないと」「……迷惑かけてすまない、二人だけで楽しんできてくれ」
Terakhir Diperbarui: 2026-07-13
Chapter: 第251話湊斗は隣で横たわる彼女を数時間も拘束し、なかなか解放しなかった。何度もそろそろ起きなければならないと言ったが、彼はそんな瀬奈の心配を一蹴し、ベッドの中で彼女を抱きしめ続けた。「俺がどれだけお前を愛していたか……どれだけこの瞬間を待ち望んでいたか……お前は何も知らないだろう」「……」瀬奈は自身を抱きしめる彼を見上げたまま、黙り込んだ。真摯なその表情に、彼女は何も言えなくなった。湊斗はそんな彼女の頬に口付けを落とした。そして、どこか困ったように笑った。「いや、そうだな……知らなくていいことだ」――お前が、俺の傍にいてくれるのなら。と彼は付け加えた。湊斗は瀬奈に、お前は何もしなくていい、ただ俺に愛されていればいいのだと耳元で囁いた。(何もしなくていいだなんて……)彼の深い愛には、未だに困惑してしまうときがある。少し前の湊斗からすると、とても想像がつかない姿だった。彼はベッドに横たわりながら、大きな体でただ彼女を抱きしめていた。いくら休日とはいえ、彼がこんなにも遅くまでベッドから出ないのは珍しいことだった。(最近は相当疲れが溜まっていたようね……あの事件以降、あまり眠れていないようだし)彼女の背中に両腕を回し、肩口に顔をうずめる彼の頭を、瀬奈はそっと撫でた。それが心地よかったのか、彼は目を閉じた。このままだとまた寝てしまうと思い、瀬奈は慌てて口を開いた。「……湊斗、私あなたに話があるの」「……何だ?」湊斗の彼女を抱きしめる腕に、自然と力がこもった。瀬奈の心が変わり、彼女がまたどこかへ行ってしまうのではないかと不安になっているのだろう。しかし、いくら過去に色々あったからとはいえ、瀬奈は一度決めた誓いを破るつもりは無い。彼女は彼の胸に手を置き、半ば強引に湊斗を自身から引きはがした。「一度起きましょう、湊斗。大事な話だから……きちんと向かい合って話し合いたいのよ」「……そこまで言うなら」湊斗は渋々頷き、ようやく瀬奈を腕から解放した。上半身裸の彼は、ベッドから起き上がると、閉まっていた部屋のカーテンを開けた。カーテンが開くと、室内に眩しい朝の光が降り注いだ。今日は雲一つない快晴だ。瀬奈も彼に続いてベッドから起き上がり、窓の傍に近付いた。窓を開けると、風が部屋の中に吹き抜けた。「気持ちいい朝ね……」太陽の光が眩しかったが、夏の穏やか
Terakhir Diperbarui: 2026-07-19
Chapter: 第250話深い夜があっという間に過ぎ、朝になった。「ん……」外から聞こえてくる小鳥のさえずりで、瀬奈は目を覚ました。カーテンの隙間から、眩しい朝の光がまだ薄暗い室内に漏れている。今は何時だろう?そう思って時計を確認すると、まだ朝の六時を過ぎたあたりだった。今日はちょうど休日だった。休日とはいえ、瀬奈はここへ来てから仕事をしていないため、特に変わったところは何も無い。(昨日は……なかなかに激しい夜だったわ)湊斗と心を通わせた後に迎えた初めての夜。瀬奈にとっては初夜も同然だった。横を見ると、湊斗がぐっすりと眠りについていた。眠っている彼の布団から出た上半身は裸だった。既に四十近い湊斗だが、今でも忙しい合間を縫ってジムに通っており、体は引き締まっている。彼女はそんな彼の胸筋に軽く手を触れた。相当疲れているのか、起きる気配はない。そのまま瀬奈は彼の体をなぞり、腹筋を触った。「湊斗……」昨日はこの逞しい体に抱かれたのだと思うと、何だか急に顔が火照った。(な、何か恥ずかしくなってきた!先に起きちゃおう!)昨日の甘い夜のことも然り、湊斗の顔を見れる気になれなかった。そう思った瀬奈は、まだかなり早いが、先に起きようとした。しかし、上半身だけを起こした彼女は突然体を引っ張られた。「キャッ……!」腕を引かれ、彼女の体は再びベッドに沈み込んだ。そのまま瀬奈は、逞しい腕に抱きしめられる。「み、湊斗……!」「起きていたのか、何故行こうとしたんだ?」湊斗はベッドに横になったまま、瀬奈の体を両腕で力強く抱きしめた。今は瀬奈も服を着ておらず、素肌同士が隙間なくくっついた。「湊斗、あなたも起きていたのね……一体いつから?」「お前が……俺の体を触ってきた前くらいから」「……」起きていたのなら何らかの反応をすればいいものを。わざと寝たフリをするだなんて、何て意地悪なんだ。瀬奈は彼を恨めしく思いながらも、じっと胸に抱かれていた。「まだ朝の六時よ」「そうだな、今日は久々の休みだからもっと寝ていたい」彼はそう言いながら、眠たそうな目で瀬奈の額に口付けを落とした。瀬奈は自分だけ先に起きようと思っていたが、どうやら彼は彼女を離すつもりは無いようだ。寝るなら、お前と一緒に寝たいという意味だろう。(……まぁ、たまにくらいならいいかしら)瀬奈は湊斗の背中に腕を回し、彼を
Terakhir Diperbarui: 2026-07-18
Chapter: 第249話ギシッ……とベッドが軋む音がした。湊斗が膝をついて瀬奈に覆いかぶさっている。熱っぽい眼差しでこちらを見下ろす彼を、瀬奈はただじっと見つめていた。目を逸らすこともできず、吸い込まれるように美しい彼の瞳に釘付けになっていた。湊斗が今やろうとしていること、望んでいるものは瀬奈にもしっかりと伝わっていた。今までにもこういう展開は何度かあった。しかし、そのときは湊斗を受け入れることなんて到底できなかった。いつも寸でのところで彼を拒絶し、結局行為までには至らなかった。だけど、今は?湊斗はベッドに沈んでいた手を持ち上げると、瀬奈の頬にそっと触れた。その瞬間、彼女の心臓は激しく鼓動した。指先から感じられる熱が、彼女の頬に溶け込んでいく。その感覚が何故だか今は心地よく感じられた。(変ね……湊斗に触れられるのは初めてではないはずなのに、どうしてこうも緊張するのかしら)そこで、瀬奈はとうとう目を逸らしてしまった。その瞬間、湊斗は瀬奈の頬を包み込んで手で持ち上げると、二度目の口づけを交わした。唇が重なり合い、瀬奈の口内に湊斗の舌が侵入した。彼の舌は、遠慮がちに差し出された彼女の舌をすぐに絡め取った。「んっ……」頬を包み込んでいた彼の手が後頭部に回ってグッと彼女の頭を押さえ付けた。それと同時に、瀬奈もまた湊斗の首に腕を回して彼を抱きしめた。息が苦しくなるほどの長い口づけが続き、彼女の甘い声が漏れた。ようやく唇が離れると、湊斗は瀬奈と額を合わせ、満面の笑みを浮かべた。彼の笑顔につられて、彼女もまた笑ってしまう。そのまま羽根のように軽い口づけが何度も続いた。湊斗に抱かれるのは初めてではなかったが、あのときとはすべてが違う。柔らかい彼の表情も、自身に触れる優しい手も、初めての経験だった。後頭部をガシッと掴んでいた彼の手が下に滑り落ち、彼女の柔らかい髪の毛を優しく撫でた。そのまま一房持ち上げると、彼は髪の毛に口付けた。愛おしくてたまらないというその表情に、瀬奈は嬉しくなって彼の背中を抱きしめた。胸に顔をうずめながら、彼女は口を開いた。「湊斗……愛してるわ……!」その言葉を聞いた湊斗は、瀬奈を強く抱きしめた。彼女の耳元に唇を近づけると、そっと囁いた。「――俺も、愛してる」二人の気持ちがようやく通じ合い、二人は再び口づけを交わした。そしてそのまま、湊斗は瀬奈の
Terakhir Diperbarui: 2026-07-17
Chapter: 第248話湊斗は信じられないと言う顔で、瀬奈を見つめていた。彼がそうなるのも無理はない、瀬奈はこれまでずっと湊斗を拒絶し続けてきたのだから。突然受け入れるだなんて、想像もしていなかっただろう。「……瀬奈」「湊斗……」湊斗は突然彼女の頬から手を引いた。掴んでいた瀬奈の腕も引き剥がされ、彼女は一瞬呆気に取られた。しかし、その後すぐ彼は立ち上がると、彼女の腕を引いてその胸に抱きしめた。座った状態で、瀬奈は彼に力強く抱きしめられた。瀬奈はゆっくりと腕を上げ、彼の背中に手を回した。拒絶されるのではないかという恐れが未だにあったのか、湊斗の体の震えが次第に収まっていった。瀬奈は彼の背中で両手を握り、強く抱きしめ返した。お互いの体が隙間なく密着する。彼の腕の中で、瀬奈は幸せそうに笑った。このときを、彼女は二十年前からずっと待ち望んでいたのである。しばらく抱き合ったあと、湊斗は瀬奈の脇の下に手を入れ、その体を抱き上げて膝の上に座らせた。一瞬にして、瀬奈が湊斗を見下ろすような体勢になる。瀬奈は彼の首に腕を回し、二人は至近距離で見つめ合った。そしてそのまま、どちらからともなく自然と唇が重なった。ファーストキスではなかったものの、気持ちが通じ合ってからという意味では初めてのキスだった。(夢みたい……こんな日が訪れるなんて……)瀬奈は目を閉じ、彼からのキスを受け入れた。しばらく口づけを交わしたあと、湊斗は膝に跨っていた瀬奈を軽々と持ち上げた。「キャッ!」幼い子供のように前向きで抱っこされ、彼女は恥ずかしさで彼の肩口に顔をうずめた。そんな瀬奈が愛おしいのか、湊斗は彼女の頭を優しく撫でた。彼は瀬奈を抱き上げたまま、しばらく部屋の中を歩き回った。彼女は彼が何を考えているのか、そして何がしたいのかがわからなかった。瀬奈は湊斗の体にしがみついたまま、じっとしていた。そうしていると、まるで子供の頃に戻ったかのような気分になった。湊斗はしばらく室内を歩き回った後、ある一点へと真っ直ぐに向かった。(……どこへ行くんだろう?)彼女は不思議に感じながらも、彼に身を任せた。――その瞬間、突然抱いていた腕の力が緩くなり、瀬奈の体はベッドに沈み込んだ。「………………湊斗?」「……」気付いたときには、湊斗が彼女の頭の横に手を付いてこちらを見下ろしていた――
Terakhir Diperbarui: 2026-07-16
Chapter: 第247話瀬奈は自分の気持ちに説明がつかなかった。前はたしかに湊斗を受け入れることをハッキリと拒んでいた。しかし、今は何故か彼を拒絶することができなかった。誘拐されたとき、彼女が助けを求めたのは他の誰でもない、湊斗だった。やっぱり彼女は彼への想いを捨てることができなかったのだ。――彼女は今になってようやく、そのことに気が付いた。そのとき、瀬奈の目から一筋の涙が零れた。泣いてしまった彼女を見た湊斗は、また彼女を傷付けてしまっただろうかと焦った。彼が手を伸ばそうとするも、その手は空中でピタリと止まった。あまりにも儚く、高潔な彼女に、汚らわしい自分が触れて壊れでもしたらどうしようという思いからだった。湊斗は諦めてゆっくりと手を下げようとしたが、その腕を瀬奈が掴んだ。彼女が自分から彼に触れるのは珍しく、彼はビクッと肩を上げた。「……湊斗」「どうした?瀬奈」瀬奈は泣きながら、顔を上げて湊斗を見つめた。彼の腕を掴んでいた瀬奈の手に、僅かに力が込められた。「……誘拐されたとき、私あなたのことしか考えられなかった。あなたが助けに来ることを、何度も何度も心の中で願っていたの」「瀬奈……」彼が本心を包み隠さず口にした今、今度は瀬奈の番だった。湊斗が全てを話したのだから、自分にも隠し事があってはならない。――本当の気持ちを打ち明けるのなら、今しかない。「……私、あなたがどれだけ後悔しようと絶対に離婚するんだって……そう思ってた」「……」瀬奈がずっと彼との離婚を望んでいたことを、当然湊斗は知っていた。もし、湊斗は瀬奈が本当に自分の傍を離れることを望んでいるのなら、手放すつもりだった。どれだけ自身が辛くて苦しかったとしても、仕方が無い。瀬奈をそのような状況に追いやったのは紛れもなく彼だったからだ。彼女に辛い思いはさせたくなかったし、里亜にも幸せでいてほしかった。愛する妻と娘の幸せのために、自身が身を引く覚悟はできていた。瀬奈は掴んでいた湊斗の腕をゆっくりと動かし、大きなその手を自身の頬に当てた。彼女の柔い肌の感触が、彼を手にしっかりと伝わってくる。「――私、賭けに負けたみたい。あなたのことが好きなの」「瀬奈……」――瀬奈はとうとう、湊斗に嘘偽りの無い本心を打ち明けた。
Terakhir Diperbarui: 2026-07-15
Chapter: 第246話瀬奈の教育係だった陽子は、彼女に虐待紛いのしつけを繰り返していた。瀬奈の母親――暁夫人が亡くなってからは余計に酷くなり、瀬奈は長い間彼女に苦しめられていた。(……今思えば、我が家はとっても歪んでいたわ)――瀬奈の実家である暁家は、かなり闇深い家だった。元々、瀬奈たち三兄弟の両親は政略結婚だった。家同士の繋がりで得る利益を優先した末の婚姻で、そこに愛情など無いに等しい。それでもお互いを受け入れた両親だったが、次第に母は無関心で冷たい夫に疲れ果てるようになった。それに加えて第一子が女児であったことを父から責められ、彼女は心を病んでしまった。運良く男児を産むことができたものの、彼女の心の傷は癒えず、自殺未遂をしてしまうほどに精神状態が不安定だったそうだ。(……その点を言えば、母さんも被害者なのよね。父さんの)瀬奈や静香は母親に可愛がられた記憶が無かった。瀬奈の記憶にある母親は、いつだって泰西に執着とも呼べるほどの愛情を注いでいただけだったから。「瀬奈」「…………湊斗」じっと考え込んでいた瀬奈が顔を上げると、真剣な面持ちの彼と目が合った。彼はしばらく彼女を見つめたあと、ふぅと息を吐いてゆっくりと口を開いた。「今さらこんなこと言ったところでどうしようも無いかもしれないが……」「……」彼が何を言うつもりなのか、その真摯な表情から何となく想像がついた。湊斗からずっと目が離せないでいる瀬奈に、彼は口元に僅かな笑みを浮かべた。普段から冷静で感情を露わにすることの無い湊斗が、そんな風に穏やかに笑うのは瀬奈か里亜の前だけだった。「――俺は初めて出会った頃からずっと、お前だけを愛している」「湊斗……」彼の真剣な告白に、瀬奈の胸がギュッと締め付けられた。どうしてこんなにも、胸が痛いんだろう。彼がどんな目に遭ったところで、どうでもいいと思っていた。瀬奈は離婚を決意したとき、湊斗がどれだけ後悔しても絶対に受け入れないと誓っていた。しかし、今はどうだろうか。瀬奈は不思議と、目の前にいる湊斗を拒絶することができなくなっていた。彼女の胸の中に、ある疑問が浮かび上がった。――私は本当は、どうしたいというの……?
Terakhir Diperbarui: 2026-07-14
Chapter: 第206話気のせいか、香織に声をかけてきた彼は、亮太にどことなく似ていた。しかし、彼が亮太と関係があるわけがないということを彼女はよく知っていた。(……気のせいよ、彼と亮太は何の関係も無い)香織は亮太のことをすぐに頭からかき消し、きっと他人の空似というやつだろうと結論付けた。彼女がそう思ったのにはいくつか理由があった。まず、亮太に兄弟はおらず、一人っ子だということ。それに加え、今まで何度か参加したことのある羽川家の親族を集めた会でも、彼の姿は無かった。ボーッと自身を見つめている香織に、彼が声をかけた。「どうかしましたか?」「いえ……伊達さんが私のよく知る誰かに似ているような気がして」「そうでしたか……私はどこにでもいる顔ですから、よく言われます」「ど、どこにでもいる顔ですか……?」いや、決してどこにでもいるような顔ではない。しかし、世界には自分に似た顔の人が三人いると言うだろう。彼はきっとそのうちの一人なのだ。だから、あまり気にする必要も無いだろう。それから香織は、彼と他愛もない会話を続けた。亮太に似ていると思っていた彼だったが、性格は正反対だった。礼儀正しく、人当たりの良い紳士的な男性だった。(この若さで大手企業の役員だなんて……すごい人なのね)亮太よりも持つ地位は低いものの、彼よりもずっと人として尊敬できる。「どうやら話しすぎて、九条さんの大切な時間を奪ってしまったようです」「いえいえ、そんなことはありません。私もお話できてとても嬉しかったです」香織はニッコリ笑い返し、最後に彼と握手を交わした。ちょうど他にも挨拶をしたいと思っていた人たちがいたため、ここらで話を終えるのがちょうどいいだろう。「それでは失礼します」「ええ、また機会があれば」香織は挨拶をし、彼の前から立ち去った。きっと二度と会うことはないだろう。彼女はそう思っていたが、彼の方は香織と全く違うことを考えていた。***「……」伊達――と名乗った彼は、去って行く香織の後ろ姿をじっと見つめていた。そんな彼に声をかけたのは、香織をパーティーに誘った張本人である隼人だった。「伊達さん、九条さんと何を話していたんですか?」「隼人……ちょっとした世間話だよ」彼は気さくな性格で所属タレントたちから慕われており、普段からよく彼らとご飯に行ったりしていた。隼人はそういえばと何かを
Terakhir Diperbarui: 2026-07-19
Chapter: 第205話パーティーが始まってからしばらく経った頃、香織はカバンの中にいくつかのサイン入りの色紙を入れて満足げな笑みを浮かべていた。(みんな、何て優しい人なのかしら……!赤の他人も同然の私にサインをくれるだなんて)香織がサインを書いてくれないかと頼んだ有名人たちは皆、快く彼女の頼みを受け入れた。もちろん、香織が九条家の令嬢ということもあるのだろうが、彼らの優しさに彼女は感動してしまった。今、ここで彼女は社長の知り合いの娘という立ち位置だ。そのため、いくらよそ者とはいえ参加者たちも無下には扱えないのだろう。「あら、このお肉とっても美味しいわ。もっと取っちゃいましょう」用意された豪華な食事を口にしながら歩いていると、香織は突然後ろから声をかけられた。「――あの、もしかして九条香織さんですか?」「そうですけど何か……?」振り返ると、そこにはグレーのスーツに身を包んだ紳士的な男性が立っていた。黒い髪をオールバックにし、メガネをかけた長身の男の人だった。香織は何故か、その姿に既視感を感じた。どこかで見たことがあるような……?どう考えても初対面であるはずなのに、何故か他人とは思えなかった。年齢はおそらく香織よりも四、五歳上の三十くらいだろう。「初めまして、私はフォーサイドプロモーションの取締役をしています。伊達(だて)と言います」「取締役……初めまして、九条香織です」どうやら彼は、隼人の所属する事務所の役員のようだ。どこかで見たことがあるような気がしたのはそのせいだったのか。大手芸能事務所の幹部ならば、テレビやネットに出ていてもおかしくはない。「こうして九条様とお会いできるだなんて、とても嬉しいです」「嬉しい……ですか?」その言い方だと、まるで前々から香織のことを知っていて会いたかったと言っているように聞こえる。そんな彼女の疑念を感じ取ったのか、彼は弁解するように両手を横に振った。「いえ、九条様のお話は社長から聞いていましたので……少し興味があったのです」「あら……そうだったんですね」社長が自分のことを周囲に話していたとは、驚きだ。なかなか自分から喋ろうとしない香織に、彼がクスクス笑った。「どうやら緊張しているようですね」「あ、いえ……芸能人ばかりのパーティーに来るのは初めてなので……」「まぁ、初めてではそうなるのも当然でしょう」香織は目の
Terakhir Diperbarui: 2026-07-18
Chapter: 第204話一度隼人と別れた香織は、別の招待客たちに挨拶をしに行っていた。「今日はよろしくお願いします」「初めまして、よろしくお願いします」テレビで何度も見たことがある女優や俳優、アイドルたちが今彼女の目の前にいる。その事実だけで香織は卒倒しそうになった。(夢じゃないのよね……?信じられないわ……!)香織は目をキラキラ輝かせながら、会場内を回った。どこを見ても有名人ばかり。夢ではないのだということがとても信じられないほどである。そして最後に彼女が挨拶しに行ったのは、主催者であるフォーサイドプロモーションの社長だった。隼人の所属する事務所の社長は、父忠嗣と同じくらいの年齢であろう髭を生やしたスーツ姿の男性だった。「初めまして、九条香織です。今日は素敵なパーティーに招待して頂けてとても光栄です」香織は胸に手を当てて、軽く礼をした。「九条さん、お話は聞いておりました。父君とは昔からの知り合いなんですよ。私にもちょうど香織さんと同じ年頃の娘がいまして。是非お会いしてみたいと思っていたんです」「まぁ、そうだったんですね」社長と聞いて気難しい人かと思っていたが、その心配は杞憂だったようだ。社員や所属タレントたちにとっては少々厳しい相手だと聞いていたが、外部の人間には優しそうだ。「今日は楽しんでいってくださいね」「ありがとうございます、社長」社長が差し出した手を、香織はギュッと握り返した。まるで父のように温かみを持つ、素敵な社長さんだった。(そうだ、サイン貰わないと)香織は持っていたカバンから色紙を取り出し、お目当ての俳優の元へ駆けて行った。***そんな彼女の様子を、パーティーに参加していた一人の男がじっと見つめていた。血のように真っ赤なワインが注がれたグラスを片手に持ちながら、彼は忙しく動き回る香織を目で追っていた。周囲に聞こえないような小さな声で、ポツリと一言呟く。「……芹沢は思ったより役に立たなかったな」――彼が芹沢を唆した張本人であることを知る者は誰もいない。「それにしても……今日はいつもよりも美しいな」パーティーに参加するために着飾った今日の香織は、有名女優たちにも引けを取らないほどの美しさだった。あの見た目で家柄も良いのだから、彼女は世の女性陣の中でもトップクラスにハイスペックといえるだろう。「そうだ……次はあの馬鹿な元旦那を唆し
Terakhir Diperbarui: 2026-07-17
Chapter: 第203話翌日の夜、香織はパーティーに参加するための準備をしていた。ドレスに着替え、髪の毛をセットした香織はカバンを持って玄関にいた。パーティーが行われる高級ホテルまではかなり距離があるため、車で向かうこととなる。出かける前の香織を、継母の有真が見送る。「香織さん、色紙は持ちましたか!」「ええ、持ちましたよ!」香織のカバンの中には何枚もの色紙が入っている。この日のためにと、何日も前から用意していたものだ。今日のパーティーはいつもの富裕層たちが集まるものとは違う。(……心穏やかに、思う存分楽しめるといいな)香織はそんなことを心の中で願いながら、玄関のドアを開けて外へ出た。「では、行ってきますね」「いってらっしゃい」香織はこちらに向かって軽く手を振る有真に挨拶し、会場まで向かうための車に乗り込んだ。外に出ると、彼女は通りすがりの近隣住民たちからの視線を集めた。今日の着飾った香織は特段美しかったため、周囲の男たちが見惚れてしまうのも仕方のないことだった。しかし、そのせいで彼女は気が付かなかった。――見知らぬ怪しい男が、物陰から彼女をじっと見つめていたことに。***車を三十分ほど走らせると、パーティーが行われる高級ホテルに到着した。香織は運転手に礼を言って車から降り、招待状を提示して中へ入った。見るからに煌びやかな外観は彼女が今まで訪れたパーティーと似ていたが、会場に入るとこれまでとは違った雰囲気を感じ取った。「わぁ、とっても素敵……!やっぱり芸能関係者が集まる会だからか、綺麗な人ばかりだわ……!」テレビでよく見る俳優、アイドル、女優たち。芸能人は生で見た方が綺麗だという噂は本当だったらしい。会場にいる人たちがあまりにも眩しくて、彼女はクラクラしそうになった。知っている顔であることは間違いないのに、知り合いではない。何だか不思議な気分だ。そんな中、彼女はある人物の後ろ姿を見つけて顔を輝かせた。「如月さん!」「九条さん、来ていたのか」香織が声をかけたのは、彼女をパーティーに招待した張本人の隼人だった。隼人もいつもと違って今日は礼服に身を包んでいる。少し離れたところには、彼が所属するアイドルグループのメンバーたちまで。「よく来てくれたな、嬉しいよ」「こちらこそ、こんなにも素敵な会に誘ってくださってありがとうございます」香織はニッコリと笑
Terakhir Diperbarui: 2026-07-16
Chapter: 第202話ちょうど芹沢が香織の前から姿を消した頃、代わりにある人物が現れた。休日の夜遅く、仕事の合間を縫って彼女の元を訪れたのは、礼音だった。香織は玄関から外へ出ると、やって来た礼音を家に入れようとした。しかし、彼は手を軽く振ってそれを断った。話だけしたらすぐに帰るのだという。「礼音、どうしてここに?」「……お前のことが心配で」心配と言われた香織は、きょとんと首をかしげた。彼女は礼音が芹沢を排除した張本人であることを、このときまだ知らなかった。(また誘拐されるんじゃないかって、父さんや有真さんみたいに過保護になっているのかしら?)まるで兄みたいだなぁと香織はクスクス笑った。誘拐事件を経て、彼らの距離は以前よりもグッと縮まった。今では香織も敬語を外し、タメ口で彼と接しているほどだ。有名な実業家である礼音とここまで仲良くなれるとは、彼女自身も想像していなかったことだ。「心配してくれてありがとう、私は平気よ?そんなことより、あなたの方が大変でしょう?新しい事業を始めたと聞いたわ」「……あぁ、認めてもらいたい人がいてな」礼音は最近、ちょうど経営している会社で新しい事業を始めており、香織に会いに来ることもできないほど忙しくなっていた。香織はそのことをたまたまネットニュースで知った。礼音がいない生活はちょっと寂しかったけれど、新しいものにチャレンジする彼のことは応援していた。ところで、認めてもらいたい人とは一体どういうことだろうか。香織は不思議に思って尋ねた。「誰かのためにやっているの?」「いや……今の発言は忘れてくれ」礼音ははぐらかし、それ以上は何も答えなかった。香織は言いたくないことなのだろうと思い、追及はしなかった。「明日はね、パーティーがあるのよ。だから準備をしないといけなくて」「パーティー……?」小声で呟いた礼音に、香織はコクリと頷いた。「芸能関係者が集まるパーティーにね、私も特別に招待されたの」「そうだったのか」香織は良いことを思い付いた、と礼音にある提案をした。「そうだ、最近有名な美人女優さんのサインでも貰ってきましょうか?あそこは大手だし、綺麗な人がたくさんいるのよ」彼女は誰が一番タイプ?とニヤニヤしながら礼音を見つめた。しかし、礼音は香織が提示した誰にも興味を示さなかった。今や誰もが知る国民的女優であり、絶世の美女と言っ
Terakhir Diperbarui: 2026-07-15
Chapter: 第201話翌日の仕事終わり、迎えの車に乗り込んだ香織の視界の端に、見慣れたあの人物が映った。「ゲッ……アイツまだいるわ」香織は勤務先の会社の前で待ち伏せしている芹沢に、思わず眉をひそめた。車の後部座席で上半身を曲げて何とか彼から隠れる。そんな彼女の姿を見た運転手が、不思議そうに尋ねた。「お嬢様、お知り合いですか?」「……いいえ、知らない人よ」運転手に芹沢との間でトラブルを抱えていることがバレたら、間違いなく父に報告がいくだろう。それだけは避けなければならない。(もう、いい加減に私を自由にしてよね)香織は職場の前でキョロキョロと彼女を探す芹沢の姿を横目に、車で彼を通り過ぎた。九条家の力を使えば、彼が二度と自身の目の前に現れないようにすることくらいはできそうだが、できるだけ事を荒立てたくはなかったのだ。(……まぁ、拒絶し続けていればいつかは諦めるでしょう)香織の予想通り、この後彼女が手を下すまでもなく、一連の事態はすんなりと解決した。――彼女を一途に想う、ある人物の手によって。***「香織、出てこないな……あの女が今ここで勤務してるってたしかに”あの方から教えてもらったというのに……」芹沢は一人ブツブツと呟きながら、物陰に隠れて香織が出てくるのを待っていた。彼女はすでに車でこの場所を離れてしまったということを、当然彼は知らなかった。彼はあの日から、毎日のように香織に対してストーカー紛いの行動をしていた。全ては彼女を手に入れ、再び成り上がりたいという彼の思いからだった。香織は九条グループの一人娘であり、九条忠嗣に男児はいない。そのため、彼女の婿となったものが九条グループの全てを手に入れられると言っても過言ではなかった。美人な嫁だけでなく、高い地位と名誉まで手にすることができる。何て最高なんだと、彼はそんなありもしない夢を見て香織に狙いを定めていたのだ。いつまでも出てこない香織に痺れを切らし、彼は爪を噛んだ。「クソッ……いっそ既成事実でも作った方が……」「――何一人でブツブツ喋ってるんだ?」突然背後から聞こえてきた低い声に、芹沢はビクッと肩を上げた。彼はおそるおそる首を動かし、後ろを振り返った。「お、お前は一体……!?」そこに立っていたのは、礼音だった。しかし、芹沢は彼が誰だかわからなかった。「何だ、俺を知らないのか?羽川の秘書のくせに
Terakhir Diperbarui: 2026-07-14
Chapter: 第135話 番外編 一度目の宗助⑤――気付いた頃には、家族が全員いなくなっていた。美里は宗真の拉致拷問により亡くなった。そしてその宗真は薬物の過剰摂取により死んだ。一体誰がこんなことをしたのか。宗真は捻くれているが、元々穏やかでそのような残酷なことをするような性格ではない。誰か彼を操った者がいるということは明白だった。美里を失った宗助は死に物狂いで犯人を捜し出した。宗真が死んでしまった今、全てを明らかにすることは難しいかもしれない。しかし、彼は美里をあんな目に遭わせたその結果、中学時代の同級生の里奈とかいう女が関わっていることが判明した。宗助は彼女を捕らえ、一連の事態の顛末を問い質した。「そ、宗助君!?急に何なのよ!」宗助は里奈の胸倉を乱暴に掴んだ。女性に対してあまりにも無礼な行動だったが、そうでもしないと彼の気が収まりそうになかった。「宗真に薬を与え続けたのはお前だろう?」「な、何のことだか……」しらばっくれる里奈の首に、宗助は手をかけた。「そっ、そうよ!ただ私は彼を好きに操ることができればそれでよかったのよ!」「なら何故美里をあのような目に遭わせた?」「そ、それは――萌子って女がそうすれば宗助君を手に入れられるって言うから!」「……何だと?」何故、ここで萌子の名前が出てくるんだ。宗助はあ然とした。里奈は彼が動揺しているその隙を狙い、矢継ぎ早に話した。「薬を飲ませたのは私だけど、宗真君を唆したのは間違いなく萌子よ!その証拠にあの女とのやり取りのデータもちゃんと手元に残ってるんだから!」「……」宗助は呆然としながら、里奈の首から手を離した。***里奈から真実を全て聞いた宗助は、家に帰り、真っ暗な部屋の中から外を眺めていた。「あぁ、美里……」お前はこの広い邸宅で一人、どれだけ辛い思いをして過ごしていたんだ。愚かにも、自分はそのことに全く気付かなかった。俺も今、ここから飛び降りればお前の元へ行けるのか。いや、俺が死んだところでどうせ行くのは地獄だ。お前のように天国へは行けないだろう。なら、せめてもの贖罪としてアイツらを道連れにしないといけないな。その瞬間、彼の虚ろな目が狂気に染まった。部屋に飾られていた写真立てには、愛する女性の映る写真が入れられていた。彼はその写真を胸に抱きしめて呟いた。「俺が、必ずお前を傷付けた者たちを地獄に落としてやるからな」
Terakhir Diperbarui: 2026-05-18
Chapter: 第134話 番外編 一度目の宗助④萌子の何気ない一言は、その後ずっと彼の頭から離れなかった。あの一件は事故として処理され、すでに終わったことだった。しかし、聡明な宗助は何かがあるような気がしてならなかった。両親の死には彼女が関係しているのか。だとしたら、彼女を野放しにしておくわけにはいかない。「萌子……」宗助は最後に見た彼女の顔を思い浮かべた。社長夫妻の死を悼んでいるに見えたが、その口元は僅かに笑みを浮かべているようにも感じた。萌子は宗助を変わったと言ったが、彼にとっては変わったのはむしろ彼女のほうだった。お前はいつからそんな表情をするようになったんだ。まるで宗助を嘲笑っているようだった。そしてその日から、宗助は事故について独自に調査を進めた。***調査を始めてから一週間後。「犯人の男ですが……今野萌子さんの高校の同級生でした」「……何だと?」彼は部屋で秘書からの報告を受けていた。「萌子と深い仲にあったということか?」「いえ、そこまでは……しかし、萌子さんと同じ高校に通っていたことはたしかなようです」彼の予想は的中していた。やはりあの事故には萌子が関わっている。彼女が実行犯の男を唆したのか、どのような手を使ったのかはわからないが、間違いなく萌子が黒幕だろう。宗助の勘は昔からよく当たるほうだ。握られた彼の拳に力が入った。もし、萌子が今回の一件に関与していたとしたら……彼の目が氷のように凍てついた。両親の死が萌子によるものならば、彼は絶対に彼女を逃がさないだろう。「……萌子のことを調べろ。今何をしているのか、俺と出会う前の彼女のことまで、全て。余す所なく」「はい、宗助様」***萌子に関する調査を始めてからというもの、宗助の彼女に対する疑いは日に日に強くなっていった。初めて知った萌子の過去。彼女はかつて、宗助に男性との交際経験があまりないと言っていた。しかし、秘書からの報告によると、萌子は学生時代から恋人が途切れたことがなかったのだという。(全て嘘だったのか……俺に言っていた家庭の事情も……)そうやって平然と嘘をつくことのできる人間だ。宗助は彼女の本当の姿を垣間見たような気がした。「……萌子と、連絡を取ることはできるか?」「……宗助様、何をなさるおつもりですか?」秘書は宗助がどれだけ心の中で美里を想っているかをよく知っていた。不倫でもするつもり
Terakhir Diperbarui: 2026-05-17
Chapter: 第133話 番外編 一度目の宗助③その日、白羽区の自宅付近を歩いていた宗助は、たまたま萌子と出会った。六年前と変わっているところが何もなさそうだった。彼が最後に見た、美しい姿のまま。しかし、そんな彼女を見ても彼の胸がときめくことはなかった。――彼はもう、萌子を過去の女性として捉えていた。「……どうしてお前がここに」「たまたま近くへ来てね……懐かしくなっちゃって、ここへ寄ったのよ!」萌子は宗助を見上げながら、嬉しそうに顔を輝かせた。彼女は再会を喜んでいるようだったが、彼は全くそのような気持ちにはなれなかった。「……萌子、二度と白羽区に入らないと両親と約束したんじゃなかったのか?」「……宗助?」彼の冷たい口調に、萌子は一瞬にして真顔になった。どうしてそんなことを言うのか、困惑しているようだった。萌子は縋りつくように彼の胸に手を触れた。「宗助、どうしてあなたは私にそんな目を――」彼は冷たくその手を避けた。「萌子、俺たちはもう赤の他人なんだ。そういうのはよしてくれ」「……何ですって?」以前とすっかり変わってしまった彼の様子に、萌子はショックを受けたようだった。「お前も知っているはずだ。俺にはもう妻がいる」「……!」宗助は泣きそうな顔で俯く萌子をじっと見つめていた。付き合っていたあの頃のように抱きしめもしなかった。萌子はすでに彼の心に自分はいないのだということを、嫌でも思い知らされた。「……宗助、あなたはずいぶん変わってしまったのね」「……どういうことだ?」その言葉に宗助は眉を上げた。「私は六年前のあの日から、あなたを忘れた日は一日たりともなかったわ。そしてずっと、あなたも同じ気持ちでいてくれてるんだって、そう思ってた」「……」「だけど、過去にいつまでもしがみついていたのは私だけだったようね」そこで萌子は顔を上げ、彼と目を合わせた。返ってくるのは、やっぱり冷たい目。萌子は諦めたように、宗助から背を向けた。その姿を確認した彼も、来た道を戻ろうとした。「そういえば、あなたのご両親が事故で亡くなったって聞いたわ」「……」宗助は萌子のほうを振り返った。「薬物中毒者の運転した暴走車に轢かれて亡くなってしまうだなんて……何て酷い話……」萌子は手で口元を覆い、悲しそうに目を伏せた。その言葉が本心から出たものかどうか、彼には判断できなかった。「あんなにも偉大な
Terakhir Diperbarui: 2026-05-16
Chapter: 第132話 番外編 一度目の宗助②城田家の御曹司宗助と、永山家の令嬢美里の結婚は、政略的なものだった。宗助には元々相思相愛の恋人がおり、彼女がいなくなったことで美里が後釜に据えられた。――宗助は美里を愛してなどいない、彼女はただ萌子の代わりに過ぎないのだ。美里は愛し合う二人の間に割って入る邪魔者であり、宗助が愛するのは萌子ただ一人。二人の結婚は、世間からそのような印象を抱かれていた。しかし、少なくとも宗助は彼女を妻とすることを望んでいた。「――宗助、お前の婚約者っていつ見ても綺麗だよな」「……何を急に」ある日の昼休み、友人が彼にそう漏らした。美里が綺麗なのは当たり前だ。実際に彼は、彼女よりも綺麗な人を今までほとんど見たことがなかった。当然のことすぎて、いちいち言うまでもない。「あんなに美しい人はそうそういない。お前、あの子のこと別に愛してるってわけじゃないんだろ?なら今からでも俺に譲って――」「……お前、死にたいのか?」宗助の鋭い目に、彼は真っ青になった顔で両手を横に振った。「じょ、冗談だよ!」「……どうだかな」美里がどれだけ異性から人気があるかを宗助はよく知っていた。街を歩けば通りすがりの男たちが彼女に見惚れている。そんな男たちを見るたびに、彼らの目をえぐり取ってやりたかった。それからしばらくして、宗助は婚約していた美里と結婚した。二人の結婚式は両家の繋がりを誇示するために盛大に行われた。ウエディングドレス姿の美里は誰から見ても美しく、彼も目が離せないほどだった。美里と結婚したとき、宗助は世界を手に入れた気分になった。こんなにも美しく愛らしい彼女と結婚できるということがとても嬉しかったのだ。彼女と二人なら、きっと温かい家庭を築いていける。そう信じて疑わなかった。しかし、そんな彼の思いとは裏腹に二人の結婚生活はすれ違いの連続だった。ちょうどその頃、宗助の仕事が多忙を極め、美里は家に一人取り残されることが多くなった。彼は早く彼女を安心させてやりたいという思いから、仕事に精を出した。朝早くに家を出て、夜遅い時間に帰る。そんな生活を続けていたせいか、美里と顔を合わせる機会は減っていった。今思えば、あのときにしっかりと彼女と向き合っていればよかったのだろう。そしてその最中、両親が事故によって亡くなった。いつも厳しかった両親だったが、死ぬにはあまりにも早すぎた。彼
Terakhir Diperbarui: 2026-05-15
Chapter: 第131話 番外編 一度目の宗助①――何も、できなかった。別に彼女のことを嫌いだったわけではない。むしろ、とても大切に思っていた。愛する人を失って疲弊しきっていた彼を支えてくれた唯一の人。昔から、いつも彼の傍に寄り添ってくれた女性。何故、彼女の大切さに気付けなかったのだろうか。彼女がいなくなったあと、彼はとてつもない後悔の念に苛まれた。しかし、後悔したところで既に遅すぎた。***白羽区――都の北部に位置する特別区。富裕層が多いと言われる区内でもひときわ目を引く大きな邸宅。そこには少し前まで、一組の夫婦とその両親が住んでいた。しかし、今は何故かどの部屋も明かりがついていなかった。真っ暗な夜の闇の中で、静かに佇んでいた。「……」邸宅の一室で、彼は一人微動だにせず座っていた。時刻は深夜の一時。人々はとっくに眠りに就いている頃だったが、彼は真っ暗な部屋で目を開けたままある一点を見つめていた。机の上にはさっき開けたばかりの酒瓶が置かれていた。彼は元々そこまで酒が好きではない。こんな夜中に一人で飲むことなど初めてだった。現実逃避をするかのように、彼は浴びるように酒を飲んだ。とても眠れるような気分ではなかった。そういえば、昨日もこんな感じだった。彼女がいなくなってからというもの、仕事も何も手に付かなかった。重くなった瞼をそっと閉じれば、脳裏にその姿が浮かび上がる。『宗助、とっても綺麗なお花でしょう?あなたのために買ってきたのよ』いつだったか、彼女が彼のために白羽区の花屋で花束を買ってきたことがあった。満面の笑みで花を差し出す彼女に、自分は何て言ったんだったか。『あなたが最近寂しそうだったから……綺麗な花を見ると元気が出るかと思って』彼の記憶の中の彼女が切なげに微笑んだ。何故、そんな顔をするんだ?彼は泣きそうな彼女を前に、ただその場に立ち尽くしていることしかできなかった。どうすればいいかわからなかった。いつも笑顔だった彼女が、そのような顔をすると胸が締め付けられるように痛かった。お前にいつまでも笑顔でいてほしいから、ここ最近は仕事に専念していたというのに。『宗助……』彼女は彼の名前を呟き、一筋の涙を流した。涙を拭ってやりたくて手を伸ばそうとするが、何故か体は動かなかった。――彼女はそのまま彼に背を向けて、暗い闇の中へと消えて行った。「……」彼女がいなくなったあと
Terakhir Diperbarui: 2026-05-14
Chapter: 第130話五年後、城田家の本邸では。大きなお腹を抱えた女性が、急ぎ足で邸宅内を歩いていた。「宗助、宗真くんからハガキが届いたわよ!」「……美里、お前は身重なんだ。そうやってあまり動くものではない」書斎に座っていた宗助は、突然部屋へ入ってきた美里の膨らんだお腹をそっと撫でた。彼女が第一子を妊娠してからもう六か月だ。美里は不安そうに顔を歪ませる宗助を見て笑みを零した。「あら、ちょっとくらいは平気よ?」「俺がどれだけ心配していると思っているんだ」萌子が捕まり、宗真が海外へ旅立ったあの日から五年の年月が流れた。その間に宗助は父親の跡を継いで社長に就任し、美里と結婚した。先代の社長夫妻は田舎にある別邸へと住まいを移し、今や城田家の本邸は美里と宗助のものとなっている。二人は彼の書斎にあるソファに、横並びで座った。彼から届いたはがきを二人で眺めた。「宗真くん、今は海外で楽しく過ごしているようね。私たちの出産祝いのものまで贈ってきたわ」「ずいぶん気が早いけどな」宗真は一年間の留学を終え、今は海外で生活をしている。美里は最初そのことを心配していたが、上手くやっているようだ。「海外生活を謳歌しているようね。楽しそうでよかった」「……そうだな」宗助ははがきを見つめながら軽く頷いた。彼も弟のことはもう心配していないようだ。たびたび帰ってきてはつまらない冗談を言い合うくらいの仲にはなっているようだし。「そういえば、流星と瑠璃子の結婚式がもうすぐ行われるでしょう?招待されたから行きたいんだけど……」「絶対に行かなければならないのか?」流星の名前に、宗助がピクリと眉を上げた。宗助は今でも流星のことが気に入らないようだ。「宗助ったら、流星はもう瑠璃子のことが好きなのよ?そんな風に心配しなくても……」「俺はどれだけアイツがお前に惚れ込んでいたかを知っている」「それは過去の話よ」美里は不快そうに顔をしかめる彼の頭を撫でた。そんな嫉妬深いところも、彼女にとっては愛おしかった。「このあと、お義父さんとお義母さんが久々に来るそうよ」「そうか……楽しみだな」「……今、楽しみって言った?」「言ってない」宗助はそれだけ言うと、美里からぷいっと顔を背けた。いやいや、絶対言ってたと思うんだけど!?「宗助ったら、いい加減素直になりなさいよ」「俺は昔から素直だ」「どこ
Terakhir Diperbarui: 2026-05-13