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みそ煮
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Novels by みそ煮

二十年放置された妻、子供隠して離婚届にサイン後、元夫は狂おしく彼女を探す

二十年放置された妻、子供隠して離婚届にサイン後、元夫は狂おしく彼女を探す

暁家の令嬢・暁瀬奈(あかつきせな)と神宮司家の御曹司・神宮司湊斗(じんぐうじみなと)は政略結婚だった。 瀬奈は湊斗に熱烈な想いを寄せていたが、彼は結婚後も彼女を顧みることはなく、七人の愛人との間に五人の子供をもうける。 彼との結婚から二十年経ち、三十八歳になった瀬奈は結婚初日に湊斗から渡されていた離婚届にサインし、家を出て行った。 彼女は実は五年前に生まれた湊斗との子供を隠していた。 「これは一体どういうことだ……?」 帰宅した湊斗は机の上に置かれた離婚届を見て、顔を真っ赤にした。 「どんな手を使ってでも瀬奈を捜し出せ!」
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Chapter: 第314話
カフェに移動すると、松永は二人分のドリンクを注文した。元々暁家の令嬢であり、今は神宮司家の夫人である瀬奈をこんなチェーンの店に連れてくるのは憚られたが、仕方がない。他に良い店もなさそうだし、何より瀬奈自身が気にしてなさそうだ。松永は正面に座る瀬奈に、優しく声をかけた。「俺の奢りだから気にしないで」「いえ……そこまでしてもらうわけにはいきません。お代はきちんと払いますから」「いやいや、本当に良いから。今回くらい俺に出させてよ」瀬奈は遠慮していたが、松永が強引に押し通した。たった数百円のドリンクで、女性に割り勘させるわけにはいかなかった。たとえ大企業の社長を夫に持つご夫人だったとしても同じだ。女性を傷付けてきた経験のほうが圧倒的に多い松永だが、意外と紳士的な一面もあるようだ。しばらくすると、熱々のコーヒーとカフェラテが運ばれてきた。暑い夏が終わり、秋に入って間もない。最近は特に肌寒くなってきている。今日は湊斗が他の女性と一緒に歩いているところを見たからだろうか。いつもよりとても身体が冷えているように感じてしまう。(どうしてこんなにも寒いんだろう……)瀬奈は自身の身体を抱きしめるようにギュッと腕を掴んだ。そんな彼女に気付いた松永が、そっと椅子から立ち上がった。「――神宮司さん、これ着てな」「………松永さん」彼は自身の着ていた上着を、そっと瀬奈の肩にかけた。彼の気遣いに、身体だけでなく胸まで温かくなった。「ありがとうございます……」「ああ」テーブルの上に置かれたカフェラテを一口飲むと、その温かさで瀬奈の身体は徐々に落ち着きを取り戻していった。「神宮司さん、旦那さんのことで何かあったのか?」「……彼を疑っているわけではないんですけど、女の人と二人で歩いているところを見てしまって」瀬奈はついさっき見た光景を素直に打ち明けた。とても信じたくはなかったけれど、あれは紛れもなく現実だった。松永は憔悴している瀬奈に、かける言葉が見つからなかった。そのとき、瀬奈が突然テーブルに手をついて身を乗り出した。「それで一つ聞きたいんですけど」「何だ?」「――奥さんをどれだけ愛していても、綺麗な女の人がすり寄ってきたら、やはり関係を持ってしまうものなんでしょうか!?」瀬奈は助言を求めるように、松永に詰め寄った。何とも答えにくい質問に、彼は呆
Last Updated: 2026-09-02
Chapter: 第313話
その日、ちょうど瀬奈は仕事が休みだった。偶然か、休みなのは松永も同じで、彼は家で何もせずにくつろいでいた。そのため、すぐにでも瀬奈の元へ駆けつけることができた。「――神宮司さん!」「松永さん……」瀬奈は黒川区にある公園で、一人ベンチに縮こまって座っていた。その表情は暗く、今にも泣きだしてしまいそうだった。一体何があったのか、松永は事の顛末を聞いていなかった。何となく予想はつくものの、自分が知ってしまってもいいことなのか躊躇われた。瀬奈は自分のためにわざわざここまでやって来てくれた彼を見上げた。あのときはあまりのショックから、冷静な判断ができなかった。「松永さん……来てくださったんですか……」「神宮司さんが悩んでいるようだったから……心配で……」松永はベンチに座る瀬奈の横にそっと腰を下ろした。瀬奈が呼んだわけではない、ここに来たのは松永の意思だった。とはいえ、彼の家は黒川区ではなく隣の区にある。決して近いというわけでもないこの場所まで、わざわざ車を走らせて訪れるだなんて。俺はどうかしている――と、松永自身も感じた。彼はしばらくの間、何も言わずに横にいる瀬奈をじっと見つめていた。誘惑しようとしてキッパリ断られたときはなんて強い女性なんだと思ったが、今はとても弱々しく感じる。みんなの前では強い姿を見せておきながら、裏ではこんなふうに落ち込むこともあるのか。松永は瀬奈の意外な一面に、面食らっていた。とても、今の彼女を一人になどしてはおけなかった。「松永さん、ありがとうございます……」「気にしないでくれ、俺が自分からここに来たんだから」瀬奈が今何に悩んでいるのか、聞かずともわかる。おそらく夫のことで何かあったのだろう。夫を信用できないかもしれないと電話でたしかに言っていたし。夫と聞いた松永は、瀬奈の夫である湊斗を初めて見たあの飲み会の日のことを思い浮かべた。神宮司湊斗は、同じ男である彼から見てもカッコいいと思えるような人だった。整った顔立ち、引き締まった身体、放たれる異様なオーラ。まるでテレビに出てくる人気アイドルのような人だった。あんな見た目なら、既婚者だったとしても女性たちが放ってはおかないだろう。日常生活において常に誘惑が潜む中で生きているのだ。瀬奈の不安は尽きないだろう。しかし、松永は彼がどれだけ瀬奈を溺愛しているかを知って
Last Updated: 2026-09-01
Chapter: 第312話
松永の話を、瀬奈は黙って聞いていた。彼のことを女好きで不真面目な男だと勝手に思っていた彼女だったが、そのような悲しい過去を抱えていることは知りもしなかった。松永は幼い頃複雑な家庭環境で育ったこともあって、若いときから女遊びに走るようになった。そんな彼がようやく巡り会えた最愛の女性。夢のような暮らしを経て、絶対に幸せになれると信じて疑わなかっただろう。しかし、関係は上手くいかず、彼は最愛の人に捨てられてしまった。松永が何かをしたわけではない。ただ信用できないからという理由で。「あのとき、妻に言われた言葉は今でもよく覚えてるんだ。そう簡単には忘れられないさ」電話越しに聞こえる彼の声はとても悲しそうだった。愛する人を信用できない、信用されないことの辛さ苦しさは瀬奈もよく知っていた。彼女もまた、つい最近まで湊斗を愛しながらも彼を完全に信用できずにいたからだ。そして今も、彼に対して疑念を抱いてしまっている。湊斗は変わったのだから不倫なんてするはずがないという気持ちと、やはり人の性格は変わらないという気持ちの間で揺れていた。「だから、私に対して試すような真似をしたんですか?」「ああ、君と旦那さんの仲を壊そうと思ったわけではないよ」「そんなことばかりしていたら……周囲の人々に誤解されてしまいますよ」瀬奈の忠告に、松永はクスリと笑みを溢した。「まぁ、元々俺は同僚たちから好かれてないんでね……下がる評判もないから、特に気にしたことはないよ」そうは言いながらも、自身を気遣うような瀬奈の言葉を松永は嬉しく思っていた。社内で好かれていない彼にとって、誰かに優しくされるのは久しぶりだった。前妻と離婚してからというもの、彼は再婚することもなくずっと一人で暮らしていた。女遊びはするものの、誰も愛せなかった。そんな彼にとって、瀬奈との通話は新鮮で楽しかった。こんな純粋な子には絶対に手なんて出せない――と彼は思った。「松永さんの言葉を聞いて、考えが変わりました」「そう?それはよかった」松永の明るい声が聞こえてくる。やはり誰かの役に立つのは嬉しいのだろう。「私、夫のことを信じてみます!松永さん、ありがとうございました!」「ああ、頑張れ。また困ったことがあったら、いつでもかけてきていいから」いつでも相談に乗るよ――と松永は付け加えた。彼のその言葉を最後に、
Last Updated: 2026-08-31
Chapter: 第311話
松永に電話をかけると、彼は三コールほどで応答した。「もしもし、神宮司さん?」「あ、松永さん……急に電話してしまってすみません」電話の向こうから、いつものチャラチャラした松永の声が聞こえる。いくら心に余裕がないとはいえ、彼に電話をかけるだなんて。自分でもありえないと思っていた。「全然、気にしないで。だけど本当にかけてくるとは思わなかったから驚いたなぁ」「わ、私も電話をかけることになるとは思ってもいませんでした」その言葉に、松永はアハハッと声を上げて笑った。一生繋がることがないと思っていたのは、お互い様だ。「どうかしたの?旦那さんのことで何かあった?」「あ、いえ……そういうわけではないんですけど……」瀬奈は松永相手に、正直に事情を話すことができなかった。そもそも彼はつい最近出会ったばかりで、湊斗とは話したこともない。そんな彼にこのような話をするのは正解なのだろうか。そのような思いから素直に打ち明けることが出来ずにいたものの、松永はそんな瀬奈の気持ちを見抜いていたようだ。「いやぁ、神宮司さんがわざわざ俺に電話かけてくるってことは旦那さん関連だろ?」「そ、それは……」心の中を見透かされたようで、瀬奈は認めざるを得なかった。「旦那さんと上手くいかなくて寂しくなっちゃった?なら、俺が一日相手してあげようか?今から君の家に――」「冗談はやめてください、松永さん」瀬奈は松永の馬鹿げた提案に、即座に断りを入れた。悩んでいたから電話したというだけであって、彼女まで不倫をしようなんて意思はない。「まぁ、そうだな……俺が神宮司さんと関係持っちゃったら旦那さんが可哀相だもんな」「前から思ってたんですけど、私と夫どっちの味方なんですか?」松永は瀬奈のその質問には答えなかった。代わりに、彼はしみじみと過去を思い返していた。「神宮司さんを見ていると、昔を思い出すな……俺もそういうときがあったなぁ」「そういえば、松永さんって昔結婚してたんでしたっけ」「ああ、そうだよ。社員の誰かから聞いたのか」松永が過去に結婚しており、その後離婚したという話は飲み会で隣に座った女性社員から聞いた話だった。今どき夫婦の離婚なんてそれほど珍しいことではない。離婚したというだけで色眼鏡で見るのも間違いだろうと思い、そこまで気にはしなかった。「前に神宮司さんが旦那さんを
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第310話
里亜は呆然とする母親を、きょとんとした顔で見つめていた。彼女は幼さゆえに、事の重大さに気付いていない。たった今、大好きな父親に不倫疑惑がかけられたことなど知りもしないだろう。「……マナミって誰よ?」「パパのお友達?」その可能性も無くはないが、瀬奈は湊斗の不倫を疑わざるを得なかった。いくら妻とはいえ、夫の交友関係にまで口を出す筋合いはない。そのことをよく理解してはいるものの、嫌な予感がしてならない。年を取ってもなお、湊斗は若い女性たちから常に猛アタックされるような男だ。この世に瀬奈より若く美しい女なんてたくさんいるだろうし、彼さえその気になれば……。そこまで考え込んだ瀬奈は、あり得ないと首を横に振った。きっと何かの勘違いだと、彼女は湊斗を信じていた。「マナミって人と電話してたって?いつ?どんな話?」「昨日、部屋でパパが話してた。ホテルでマナミと会うって」「……」――ホテルですって?瀬奈の頭の中が真っ白になった。もしかして、最近帰りが遅いのはそのマナミという女と会っているせいなのか。二度と他の女と遊ばないというのは嘘で、本当はこっそり愛人を作っているのか。様々な考察が瀬奈の頭を駆け巡り、彼女は仰向けに倒れてしまった。「マ、ママー!」里亜が倒れ込んだ瀬奈に駆け寄った。彼女は目に涙を浮かべながら瀬奈の身体を揺さぶった。「ママー、死なないでー」「……里亜」身体は生きているが、心は死にかけていた。***その後、瀬奈はメイドの一人によってベッドまで運ばれた。彼女は自室のベッドに横たわり、目を閉じていた。そんな母親の姿を見た里亜が、ポツリと呟いた。「おばさん、ママ死んじゃうんですか?」「い、いえ……そんなことはありません、お嬢様!」俯く里亜の小さな背中を、励ますようにメイドがさすった。「里亜……大丈夫よ。心配しないで」娘にだけは心配をかけるまいと、瀬奈は何とか言葉を発した。「ねぇ……私が倒れたこと、湊斗には伝えないでおいてくれないかしら」「で、ですが……」渋るメイドに、瀬奈は頼み込んだ。「お願い、彼には言わないで。ただでさえ仕事が忙しいってのに、面倒かけたくないの」「……しょ、承知致しました」メイドたちは冷たい湊斗よりも親切な瀬奈に好感を抱いている。そのおかげか、彼女の願いを聞き入れた。瀬奈はベッドから上半身を起こ
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第309話
その後、瀬奈は愛斗を玄関で見送った。ちょうど外が暗くなり始めていた頃だった。瀬奈は送っていこうかと言ったが、愛斗はそれほど遠くはないからと断った。黒川区は都会であるため、夜に出歩いたところで別に危なくはない。最近は夜遊びをしているヤンチャな学生たちをよく見かける。それに加え、ちょうど雨が上がっていた。今の状況であれば、徒歩で家に帰ることができるだろう。「瀬奈さん……今日はご迷惑をおかけしてすみません」「いえいえ、気にしないで。あなたをここへ連れてきたのは私なんだから」湊斗の服を着ている愛斗の姿は、正直かなり違和感がある。しかし、それ以外に着るものがないため仕方が無い。「では……失礼します。今日はありがとうございました。明日にでも服を返しに来ます」「あら、別にもらっていってもいいのよ?湊斗は服が一着無くなったことくらい気付かないだろうし」「い、いえそういうわけには……!」ハイブランド好きな湊斗は、かなりの量の服やアクセサリーを所有している。年を取ってからは購入品も少なくなったが、若い頃に買った服が未だに大量に残っている。そのため、仮に愛斗が借りパクしたところで彼はおそらく気付きもしないだろう。「と、とにかく……服はきちんとお返しします」「そう、待っているわ」待っている――というその言葉に、愛斗の顔が少しだけ赤くなった。そういえば、さっき彼と抱き合ってたんだっけ。二十近く年が離れているせいか、瀬奈はあまり気にしなかった。きっと愛斗もさほど気に留めてはいないだろうと、瀬奈は勝手に思い込んだ。しかし、実際愛斗は瀬奈と抱き合ったことがいつまでも頭から離れなかった。「じゃあね、愛斗君」「はい」瀬奈は愛斗を見送り、家に戻った。湊斗が帰ってくる前に終わらせることができてよかったと、瀬奈は安堵の息を吐いた。そんな彼女の元に、里亜がやってきた。里亜は瀬奈が湊斗を受け入れたあの日から、正式に湊斗の子――神宮司家の令嬢となった。とにかく里亜を甘やかそうとする湊斗に対し、瀬奈はお灸をすえることも多い。「ママ、お腹空いた」「そうね、今日もパパ遅くなるみたいだし……先に食べちゃいましょう」瀬奈はキッチンに行くと、エプロンを身体に巻き付け、夕食の支度を始めた。よほどお腹が空いていたのか、里亜もキッチンまでついて来て支度を手伝った。「あら、ありがと
Last Updated: 2026-08-29
夫の拷問で死んだ私、今世は離婚します!今さら泣いて縋っても戻りません!

夫の拷問で死んだ私、今世は離婚します!今さら泣いて縋っても戻りません!

九条香織(くじょうかおり)は初恋の人である羽川亮太(はがわりょうた)と結婚し、幸せな毎日を送っていた。香織は亮斗に尽くし、彼のためなら何でもやってのけた。しかし待っていたのは亮太の裏切りだった。彼は会社の部下と関係を持ち、愛人との間に子供まで作った。その後愛人が毒を飲み、亮太は香織を犯人だと疑い凄惨な拷問を加える。失望のまま命を落とした香織の時間は巻き戻っていて…!?香織は亮太との離婚を決意する。一方、香織がいなくなった家で亮太は後悔に苛まれていた。
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Chapter: 第231話
香織が礼音の告白を受けて入れてからというもの、礼音は彼女との交際報道を認めた。そんなふうに堂々と交際宣言するのもどうかと思うが、香織は何も言わないことにした。礼音との交際を明らかにしたことで、話しかけてくる男性が少なくなるかもしれない。彼との関係は、彼女にとってもメリットが大きかった。当然、それ以外にも付き合った理由はあるのだが……それは香織だけの秘密である。いつか日菜乃や亮太とのいざこざが全て終わった後、礼音に本当の気持ちを伝えられたらいいな。香織はチラッと自分を抱きしめて横になる礼音を見上げた。「仕事に行かなくていいの?」「今日は休みを取ったんだ。お前のために」礼音はニッコリと笑いながら、香織の柔らかい髪の毛を撫でた。大きな手が髪の毛に食い込むその感触が、何だか慣れない。香織は亮太と結婚していたものの、男性との交際経験はゼロだ。礼音は顔を真っ赤に染める彼女を面白がってか、その額に口付けを落とした。「キャッ!」驚いた香織は礼音の胸に手を置いて彼を押し退けようとしたが、礼音は絶対に彼女を離さなかった。男慣れしていないところが、余計に愛おしい。「いくら何でも驚きすぎじゃないか?」「し、仕方ないでしょう……今まで男の人と付き合ったことなんてないし、キスをしたのも初めてなんだから……!」「…………初めてなのか?」礼音は驚いた様子で聞き返した。香織は既婚者ではあったものの、亮太と夫婦の営みをしたことは一度もない。亮太は日菜乃を愛していたため、香織には指一本触れようとしなかった。強いて言うとするのなら――(そういえば……あの日、亮太とキスしたんだっけ……)まだ亮太と結婚していた頃、彼女は一度だけ彼に強引に口付けをされたことがある。しかし、あれは事故のようなもので、香織が望んでいたものではない。「……」香織が黙り込んだのを見て、礼音の表情が暗くなっていった。「どうやら、初めてではないようだな……」「あ、ち、違うの!」香織は慌てて否定しようとしたが、口付けをしたのが事実である以上、ハッキリ違うと言うこともできなかった。「あれは……事故のようなもので……!」「事故?やっぱりキスしたのか」彼女が言葉を発すれば発するほど、礼音の疑念は深まるだけだった。まだ彼と知り合って数ヵ月ではあるが、香織にはわかる。――礼音は今、かなり頭に来てい
Last Updated: 2026-09-01
Chapter: 第230話
――ようやく目が覚めた頃、亮太の目からは涙が溢れていた。「お、俺は……一度死んでいたのか……!?」我に返った亮太は慌ててベッドから身体を起こした。身体中から汗が流れ、悪夢を見たせいか頭痛がする。部屋に飾られている時計に目をやると、時刻は深夜の三時だった。まだまだ、外は暗い。部屋の中も真っ暗で、電気を点けなければ何も見えない。しかし、目が暗闇に慣れてしまっているせいか、ある程度の物の位置はわかった。彼は部屋にあったペットボトルの水を手に取ると、中身を一気に飲み干した。常温でぬるい水だったが、おかげで頭の中はスッキリした。「……あれは、一体」今でも鮮明に残る、ついさっきまで見ていた夢の記憶。今日に限ってなぜこんなにも記憶に残っているのだろうか。いつもは見たところですぐに忘れてしまうというのに。夢にしてはあまりにも鮮明で、生々しかった。彼は最後の最後、囚人に踏みつけられた右腕をそっと手で押さえた。当然、そこには傷も無ければ痛みも無い。しかし、なぜか震えが止まらなかった。またあのような経験をするのではないかと、恐ろしくてたまらなかった。明日も仕事がある。亮太は当然、毎日暇ではない。しかし、彼はこれ以上眠れなさそうだった。(もし、あの夢をあと一回でも見てしまったら……)――次こそ、彼は壊れてしまうかもしれない。あんな体験をするだなんて、二度と御免だ。眠れそうになかった亮太は、そのまま部屋にあるソファにドサッと腰を下ろした。未だ、僅かに痛む頭が、あれは夢ではないのだということを伝えているようだった。なら、あの一件は現実に起きたことだというのか。自分が刑務所に入れられたなどとても信じられないが、それ以外には考えられない。――確かめなければならない、あの夢の真相を。真実を知るためには、何をすればいいのか。彼はしばらくじっと考えた後、夢の中で何度も出てきた一人の女を思い浮かべた。「香織……」最後まで、彼の心の中にいた女性。彼は死ぬ寸前、あれほど愛した日菜乃ではなく香織のことを思いながら死んでいった。香織なら、もしかすると何か知っているかもしれない。そうだ、彼女に会いに行ってみよう。***一方その頃、香織は礼音の家でベッドに横になっていた。「ちょ、ちょっと何するのよ!」「いいだろう?俺たちは正式に恋人同士になったわけだし」ベッドに横た
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第229話
亮太の刑期は無期懲役。有期刑ではないため、いつ頃出られるのかは誰にもわからない。亮太は今すぐにでもここを出たかったが、やはり再審請求はいつまでも通らなかった。気付けば、刑務所に入ってから一年が経過していた。こんなにも上手くいかないことだらけだと、流石の亮太も諦めるようになった。囚人たちから常に暴力を受け続けているせいで、彼の身体はアザだらけになっていた。亮太は喧嘩なんてほとんどしたことがない。唯一やったことがあるとすれば、日菜乃の元恋人を暴行したあの一件だ。繋がりのある警察上層部の権力を使ってもみ消してもらった暴行事件。そういえば、その件でも起訴されたっけ。犯した罪が多すぎて、もはや何で捕まっているのかすらよくわからない。一番の罪は香織を殺害したあの事件だろうが、それ以外はほとんど覚えていなかった。仮に覚えていたとしても、彼には反省する気など微塵もなかった。そして今日も亮太は、囚人たちからの暴力に耐えていた。「ウッ……」一人の囚人が腹いせに放った一発が、彼の腹部にめり込んだ。彼は何人もの男たちに取り囲まれ、壮絶な暴力を受けていた。「は、離せ……」後ろから羽交い絞めにされているせいで、抵抗することもできない。喧嘩慣れしている彼らの前では、自分などあまりにも無力だった。彼が収監された刑務所は凶悪犯が多いうえに、刑務官も腐敗している無法地帯だった。かなり昔に見た、海外の映画に出てくる悪辣刑務所にそっくりだ。ようやく解放された亮太は、血まみれの状態で地面に倒れ込んだ。そんな彼を気にかける人間は、少なくともここには誰一人としていない。亮太は痛みにうめきながらも、何とか唇を動かした。「お前ら恥ずかしくないのか……一人の人間を大勢で攻撃するだなんて……」「………何だと?」その言葉を聞いた途端、暴行していた男たちは大口を開けて笑い始めた。(な、何がそんなに笑えるんだ!)亮太は自分を見下すように笑い続ける彼らを前に、羞恥心で身体が震えた。リーダー格の男は倒れ込んだ彼にゆっくり歩み寄ると、そのまましゃがみ込んだ。「恥ずかしいのはどっちだよ?なぁ、お前だって似たようなことしてたんだろ?しかも一度は愛した元嫁に」「……!」――そのとき、亮太はようやく自身の犯した罪に気が付いた。亮太は自ら手を下してはいないものの、香織を激しい拷問の末に死なせて
Last Updated: 2026-08-27
Chapter: 第228話
亮太の刑務所生活は、最初から思い通りにならないことばかりだった。大企業の社長として贅沢な暮らしを送ってきた彼にとって、刑務所暮らしは耐えがたいものだった。部屋も小さいし、食事だって質素で美味しくない。今まで高級ディナーばかり食べてきた美食家の彼の口にはとても合わないものばかりが出された。それに風呂も、一週間に二回ほどしか入れなかった。そのせいで髪の毛はべたつくし、汗臭いしで最悪だった。刑務作業は単純すぎてつまらないし、長く働いたところで大した額を稼げない。――汗水たらして働くというのは、こんなにも大変なことだったのか。亮太はこのときになってようやく、労働の大変さに気が付いた。彼は大学卒業後、すぐに羽川の社長となった。学生時代はアルバイトもしていなかったため、刑務作業は初めての経験だらけだった。刑務作業と言ってもいくつか種類がある。物を製作する生産作業、除草などを行う社会貢献作業、刑務所内の炊事や洗濯をする自営作業。そのほかにも事務や図書などがある。亮太が配属されたのは炊事だった。彼は当然、生まれてから一度も料理なんてしたことがない。羽川家では基本的に家政婦が炊事を担当していた。なぜ、美味しくもない飯を時間をかけて作らなければならないのか。とても無駄な時間を送っているような気がして、彼はここにいる自分に嫌気が差した。しかし、抵抗したところでどうにもならないことを知っている。こんなにも毎日のように働いても、給金は月千円にもならないのだから驚きだ。生活に困ることはないものの、千円で何ができるというのか。亮太の普段の金銭感覚からすれば、千円はランチすらできないような額である。来月からは少し時給が上がるようだが、最高でも月給は一万以下だ。あまりの惨めさに、亮太は本気で死にたくなった。(クソッ……早くここを出なければいけないというのに……)極めつけは、同じ刑務所に収監されている囚人たちからの執拗な虐めだった。亮太は元大企業の社長で、お坊ちゃま。それに加えて元妻を拷問の末に殺害させた男だった。拷問の中に性的暴行が含まれていたことも、世間に公表されていないはずなのにいつの間にか知れ渡っていた。性犯罪者は刑務所内でも最底辺であり、囚人たちから軽蔑の対象となる。そのせいか、亮太は初日から激しい嫌がらせを受けるようになった。暴言を浴びせられるのは日常
Last Updated: 2026-08-24
Chapter: 第227話
刑務所内では、亮太の存在はかなり異質だった。若く美しく、さらには社会的地位の高い人間がこんなところに入ってきたのだから当然だ。彼のことはあっという間に噂になった。羽川の元社長であり、元妻を拷問殺害した罪で捕まったこと。わざわざ彼が喋らずとも、誰から聞いたのか、彼の罪状はいつの間にか刑務所に収容されている全員が知るところとなった。当然、再審請求をすることに夢中だった亮太は自身が置かれた状況に気付いていなかった。この場所に、彼の味方は誰一人としていない。刑務官ですら、彼を嫌悪しているほどだった。亮太の刑務所暮らしが始まってからしばらくすると、彼への嫌がらせが始まるようになった。ある日、彼は公衆の面前で知らない受刑者に絡まれた。「お前、元妻を拷問したんだって?綺麗な顔してとんでもねえことするんだな」「何だと?お前こそ犯罪者のくせに、生意気だぞ!俺を誰だと思って――」言い終わる前に、男の拳が腹にめり込んだ。「グッ……!」亮太はうめき声を上げて、後ろに倒れ込んだ。男は尻餅をついた亮太にゆっくり近づき、髪の毛を掴んで持ち上げた。「お前、誰に向かって口利いてるんだ?」「ッ……」そのまま倒れ込んだ亮太に、何発も蹴りを入れた。騒ぎを聞いた刑務官が止めに入るまで、男からの暴力は続き、亮太はボロボロになった。喧嘩慣れしていない彼は、やり返すことすらできなかった。刑務所に入る前に彼が常に振りかざしていた羽川家の権力など、この場所では何の役にも立たなかった。それを表に出せば出すほど、彼は嫌われていった。プライドの塊である亮太は、刑務所内で序列が上の囚人たちから目を付けられてしまったのだ。刑務官が止めに入り、事態は収束したと思ったが、何と罰として独房に入れられたのは亮太だけだった。喧嘩を仕掛けた側の男は何の罰も課されることなく、亮太だけが一人ぼっちで辛い目に遭う羽目となった。後に知ったことだが、あの場にいた全員が、亮太から先に手を出したから正当防衛だったと証言したのだ。結果、亮太のみが罰を受けることとなった。もちろん彼は刑務官に真実を訴えたが、彼一人の証言ではとても信用されなかった。元より彼は、残酷な罪状と生意気な態度で刑務官からも毛嫌いされていた。そのため、話を聞いてすらもらえなかった。(クソがッ……!アイツら覚えてろよ!俺が刑務所から出たら羽川
Last Updated: 2026-08-22
Chapter: 第226話
裁判が終わり、亮太は地方の刑務所に入れられることとなった。彼は今日を以て羽川の社長という地位を失い、無期懲役囚となる。「ふざけやがって!俺を誰だと思っているんだ!」彼の逮捕に尽力した礼音や忠嗣たちが安堵する反面、本人は当然納得いっていなかった。(俺はあの女を殺してなんていない!殴ったのは別の人間で、外へ放り出したのも俺ではない。それなのに、なぜ俺が捕まらなければならないんだ!)刑務所へ放り込まれた彼は、不満を隠しきれなかった。亮太はたしかに実行犯ではなかったものの、犯した罪は最も重いと言えるだろう。当然、愚かな亮太はそのことに気付いてもいなかったが。(無期懲役だなんて……馬鹿げている。俺は再審請求をするからな。絶対に諦めない)状況を考えれば再審請求が通るわけもないのだが、彼は心に余裕がないせいか、まともな考えができなかった。必ず生きてここから出ると決意を固め、今は仕方なく刑務所に入った。通された部屋は質素で、彼が暮らしていた羽川家の部屋とは雲泥の差だった。亮太が新しく住まいとするのは雑居と呼ばれる共同部屋で、彼以外にも二人の囚人が暮らしていた。――この俺が、こんなにも薄汚い部屋で他人と共同生活を送らなければならないとは。亮太の胸に沸々と不満や怒りがこみ上げてくる。彼は抑えることができず、ポロッとこぼした。「……こんなところで暮らさないといけないのか?」その一言に、同部屋の囚人たちが眉をひそめた。常に自分のことしか考えていない亮太は、当たり前のように気付いていない。(……まぁ、どうせすぐに出られるはずだ。少しくらい、我慢してやるか)亮太はそんな甘い考えで、刑務所での生活をスタートさせた。――彼が本当の地獄を味わうのは、ここからだった。***亮太が収容された刑務所は、生命犯と呼ばれる人を手にかけた凶悪犯が大半を占めていた。彼は直接手を下したわけではないが、やったことは彼らとそう大差ない。彼も社会に出ていた頃は周囲に比べて残酷な考えの持ち主だったが、ここにいる者たちはハッキリ言ってレベルが違った。強盗をするために家に入ったら家主にバレてそのまま殺してしまったとか、まだ幼い子供を誘拐して何の迷いもなく手にかけたとか。亮太ですら吐き気を覚えるほどだった。(納得できない、なぜ俺がこんなヤツらと一緒に暮らさなければならないんだ!)彼は自
Last Updated: 2026-08-21
今世は貴方を愛さないと誓ったのに、何故縋りついてくるのか

今世は貴方を愛さないと誓ったのに、何故縋りついてくるのか

初恋の相手である城田宗助(しろたそうすけ)と結婚した永山美里(ながやまみさと)。 しかし夫の昔の恋人であり、初恋の相手・今野萌子(こんのもえこ)が帰ってきた。宗助を貶めたい何者かの手によって美里は拉致され、壮絶な拷問を受けることとなる。結局、宗助は最初から萌子のことしか頭になかったのだ。絶望のまま命を落とした美里は、目を開けると宗助と結婚する前に時間が戻っていた。 今度こそ貴方と結婚したりしない。しかし、美里が距離を置こうとすればするほど宗助が近づいてきて……?
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Chapter: 第135話 番外編 一度目の宗助⑤
――気付いた頃には、家族が全員いなくなっていた。美里は宗真の拉致拷問により亡くなった。そしてその宗真は薬物の過剰摂取により死んだ。一体誰がこんなことをしたのか。宗真は捻くれているが、元々穏やかでそのような残酷なことをするような性格ではない。誰か彼を操った者がいるということは明白だった。美里を失った宗助は死に物狂いで犯人を捜し出した。宗真が死んでしまった今、全てを明らかにすることは難しいかもしれない。しかし、彼は美里をあんな目に遭わせたその結果、中学時代の同級生の里奈とかいう女が関わっていることが判明した。宗助は彼女を捕らえ、一連の事態の顛末を問い質した。「そ、宗助君!?急に何なのよ!」宗助は里奈の胸倉を乱暴に掴んだ。女性に対してあまりにも無礼な行動だったが、そうでもしないと彼の気が収まりそうになかった。「宗真に薬を与え続けたのはお前だろう?」「な、何のことだか……」しらばっくれる里奈の首に、宗助は手をかけた。「そっ、そうよ!ただ私は彼を好きに操ることができればそれでよかったのよ!」「なら何故美里をあのような目に遭わせた?」「そ、それは――萌子って女がそうすれば宗助君を手に入れられるって言うから!」「……何だと?」何故、ここで萌子の名前が出てくるんだ。宗助はあ然とした。里奈は彼が動揺しているその隙を狙い、矢継ぎ早に話した。「薬を飲ませたのは私だけど、宗真君を唆したのは間違いなく萌子よ!その証拠にあの女とのやり取りのデータもちゃんと手元に残ってるんだから!」「……」宗助は呆然としながら、里奈の首から手を離した。***里奈から真実を全て聞いた宗助は、家に帰り、真っ暗な部屋の中から外を眺めていた。「あぁ、美里……」お前はこの広い邸宅で一人、どれだけ辛い思いをして過ごしていたんだ。愚かにも、自分はそのことに全く気付かなかった。俺も今、ここから飛び降りればお前の元へ行けるのか。いや、俺が死んだところでどうせ行くのは地獄だ。お前のように天国へは行けないだろう。なら、せめてもの贖罪としてアイツらを道連れにしないといけないな。その瞬間、彼の虚ろな目が狂気に染まった。部屋に飾られていた写真立てには、愛する女性の映る写真が入れられていた。彼はその写真を胸に抱きしめて呟いた。「俺が、必ずお前を傷付けた者たちを地獄に落としてやるからな」
Last Updated: 2026-05-18
Chapter: 第134話 番外編 一度目の宗助④
萌子の何気ない一言は、その後ずっと彼の頭から離れなかった。あの一件は事故として処理され、すでに終わったことだった。しかし、聡明な宗助は何かがあるような気がしてならなかった。両親の死には彼女が関係しているのか。だとしたら、彼女を野放しにしておくわけにはいかない。「萌子……」宗助は最後に見た彼女の顔を思い浮かべた。社長夫妻の死を悼んでいるに見えたが、その口元は僅かに笑みを浮かべているようにも感じた。萌子は宗助を変わったと言ったが、彼にとっては変わったのはむしろ彼女のほうだった。お前はいつからそんな表情をするようになったんだ。まるで宗助を嘲笑っているようだった。そしてその日から、宗助は事故について独自に調査を進めた。***調査を始めてから一週間後。「犯人の男ですが……今野萌子さんの高校の同級生でした」「……何だと?」彼は部屋で秘書からの報告を受けていた。「萌子と深い仲にあったということか?」「いえ、そこまでは……しかし、萌子さんと同じ高校に通っていたことはたしかなようです」彼の予想は的中していた。やはりあの事故には萌子が関わっている。彼女が実行犯の男を唆したのか、どのような手を使ったのかはわからないが、間違いなく萌子が黒幕だろう。宗助の勘は昔からよく当たるほうだ。握られた彼の拳に力が入った。もし、萌子が今回の一件に関与していたとしたら……彼の目が氷のように凍てついた。両親の死が萌子によるものならば、彼は絶対に彼女を逃がさないだろう。「……萌子のことを調べろ。今何をしているのか、俺と出会う前の彼女のことまで、全て。余す所なく」「はい、宗助様」***萌子に関する調査を始めてからというもの、宗助の彼女に対する疑いは日に日に強くなっていった。初めて知った萌子の過去。彼女はかつて、宗助に男性との交際経験があまりないと言っていた。しかし、秘書からの報告によると、萌子は学生時代から恋人が途切れたことがなかったのだという。(全て嘘だったのか……俺に言っていた家庭の事情も……)そうやって平然と嘘をつくことのできる人間だ。宗助は彼女の本当の姿を垣間見たような気がした。「……萌子と、連絡を取ることはできるか?」「……宗助様、何をなさるおつもりですか?」秘書は宗助がどれだけ心の中で美里を想っているかをよく知っていた。不倫でもするつもり
Last Updated: 2026-05-17
Chapter: 第133話 番外編 一度目の宗助③
その日、白羽区の自宅付近を歩いていた宗助は、たまたま萌子と出会った。六年前と変わっているところが何もなさそうだった。彼が最後に見た、美しい姿のまま。しかし、そんな彼女を見ても彼の胸がときめくことはなかった。――彼はもう、萌子を過去の女性として捉えていた。「……どうしてお前がここに」「たまたま近くへ来てね……懐かしくなっちゃって、ここへ寄ったのよ!」萌子は宗助を見上げながら、嬉しそうに顔を輝かせた。彼女は再会を喜んでいるようだったが、彼は全くそのような気持ちにはなれなかった。「……萌子、二度と白羽区に入らないと両親と約束したんじゃなかったのか?」「……宗助?」彼の冷たい口調に、萌子は一瞬にして真顔になった。どうしてそんなことを言うのか、困惑しているようだった。萌子は縋りつくように彼の胸に手を触れた。「宗助、どうしてあなたは私にそんな目を――」彼は冷たくその手を避けた。「萌子、俺たちはもう赤の他人なんだ。そういうのはよしてくれ」「……何ですって?」以前とすっかり変わってしまった彼の様子に、萌子はショックを受けたようだった。「お前も知っているはずだ。俺にはもう妻がいる」「……!」宗助は泣きそうな顔で俯く萌子をじっと見つめていた。付き合っていたあの頃のように抱きしめもしなかった。萌子はすでに彼の心に自分はいないのだということを、嫌でも思い知らされた。「……宗助、あなたはずいぶん変わってしまったのね」「……どういうことだ?」その言葉に宗助は眉を上げた。「私は六年前のあの日から、あなたを忘れた日は一日たりともなかったわ。そしてずっと、あなたも同じ気持ちでいてくれてるんだって、そう思ってた」「……」「だけど、過去にいつまでもしがみついていたのは私だけだったようね」そこで萌子は顔を上げ、彼と目を合わせた。返ってくるのは、やっぱり冷たい目。萌子は諦めたように、宗助から背を向けた。その姿を確認した彼も、来た道を戻ろうとした。「そういえば、あなたのご両親が事故で亡くなったって聞いたわ」「……」宗助は萌子のほうを振り返った。「薬物中毒者の運転した暴走車に轢かれて亡くなってしまうだなんて……何て酷い話……」萌子は手で口元を覆い、悲しそうに目を伏せた。その言葉が本心から出たものかどうか、彼には判断できなかった。「あんなにも偉大な
Last Updated: 2026-05-16
Chapter: 第132話 番外編 一度目の宗助②
城田家の御曹司宗助と、永山家の令嬢美里の結婚は、政略的なものだった。宗助には元々相思相愛の恋人がおり、彼女がいなくなったことで美里が後釜に据えられた。――宗助は美里を愛してなどいない、彼女はただ萌子の代わりに過ぎないのだ。美里は愛し合う二人の間に割って入る邪魔者であり、宗助が愛するのは萌子ただ一人。二人の結婚は、世間からそのような印象を抱かれていた。しかし、少なくとも宗助は彼女を妻とすることを望んでいた。「――宗助、お前の婚約者っていつ見ても綺麗だよな」「……何を急に」ある日の昼休み、友人が彼にそう漏らした。美里が綺麗なのは当たり前だ。実際に彼は、彼女よりも綺麗な人を今までほとんど見たことがなかった。当然のことすぎて、いちいち言うまでもない。「あんなに美しい人はそうそういない。お前、あの子のこと別に愛してるってわけじゃないんだろ?なら今からでも俺に譲って――」「……お前、死にたいのか?」宗助の鋭い目に、彼は真っ青になった顔で両手を横に振った。「じょ、冗談だよ!」「……どうだかな」美里がどれだけ異性から人気があるかを宗助はよく知っていた。街を歩けば通りすがりの男たちが彼女に見惚れている。そんな男たちを見るたびに、彼らの目をえぐり取ってやりたかった。それからしばらくして、宗助は婚約していた美里と結婚した。二人の結婚式は両家の繋がりを誇示するために盛大に行われた。ウエディングドレス姿の美里は誰から見ても美しく、彼も目が離せないほどだった。美里と結婚したとき、宗助は世界を手に入れた気分になった。こんなにも美しく愛らしい彼女と結婚できるということがとても嬉しかったのだ。彼女と二人なら、きっと温かい家庭を築いていける。そう信じて疑わなかった。しかし、そんな彼の思いとは裏腹に二人の結婚生活はすれ違いの連続だった。ちょうどその頃、宗助の仕事が多忙を極め、美里は家に一人取り残されることが多くなった。彼は早く彼女を安心させてやりたいという思いから、仕事に精を出した。朝早くに家を出て、夜遅い時間に帰る。そんな生活を続けていたせいか、美里と顔を合わせる機会は減っていった。今思えば、あのときにしっかりと彼女と向き合っていればよかったのだろう。そしてその最中、両親が事故によって亡くなった。いつも厳しかった両親だったが、死ぬにはあまりにも早すぎた。彼
Last Updated: 2026-05-15
Chapter: 第131話 番外編 一度目の宗助①
――何も、できなかった。別に彼女のことを嫌いだったわけではない。むしろ、とても大切に思っていた。愛する人を失って疲弊しきっていた彼を支えてくれた唯一の人。昔から、いつも彼の傍に寄り添ってくれた女性。何故、彼女の大切さに気付けなかったのだろうか。彼女がいなくなったあと、彼はとてつもない後悔の念に苛まれた。しかし、後悔したところで既に遅すぎた。***白羽区――都の北部に位置する特別区。富裕層が多いと言われる区内でもひときわ目を引く大きな邸宅。そこには少し前まで、一組の夫婦とその両親が住んでいた。しかし、今は何故かどの部屋も明かりがついていなかった。真っ暗な夜の闇の中で、静かに佇んでいた。「……」邸宅の一室で、彼は一人微動だにせず座っていた。時刻は深夜の一時。人々はとっくに眠りに就いている頃だったが、彼は真っ暗な部屋で目を開けたままある一点を見つめていた。机の上にはさっき開けたばかりの酒瓶が置かれていた。彼は元々そこまで酒が好きではない。こんな夜中に一人で飲むことなど初めてだった。現実逃避をするかのように、彼は浴びるように酒を飲んだ。とても眠れるような気分ではなかった。そういえば、昨日もこんな感じだった。彼女がいなくなってからというもの、仕事も何も手に付かなかった。重くなった瞼をそっと閉じれば、脳裏にその姿が浮かび上がる。『宗助、とっても綺麗なお花でしょう?あなたのために買ってきたのよ』いつだったか、彼女が彼のために白羽区の花屋で花束を買ってきたことがあった。満面の笑みで花を差し出す彼女に、自分は何て言ったんだったか。『あなたが最近寂しそうだったから……綺麗な花を見ると元気が出るかと思って』彼の記憶の中の彼女が切なげに微笑んだ。何故、そんな顔をするんだ?彼は泣きそうな彼女を前に、ただその場に立ち尽くしていることしかできなかった。どうすればいいかわからなかった。いつも笑顔だった彼女が、そのような顔をすると胸が締め付けられるように痛かった。お前にいつまでも笑顔でいてほしいから、ここ最近は仕事に専念していたというのに。『宗助……』彼女は彼の名前を呟き、一筋の涙を流した。涙を拭ってやりたくて手を伸ばそうとするが、何故か体は動かなかった。――彼女はそのまま彼に背を向けて、暗い闇の中へと消えて行った。「……」彼女がいなくなったあと
Last Updated: 2026-05-14
Chapter: 第130話
五年後、城田家の本邸では。大きなお腹を抱えた女性が、急ぎ足で邸宅内を歩いていた。「宗助、宗真くんからハガキが届いたわよ!」「……美里、お前は身重なんだ。そうやってあまり動くものではない」書斎に座っていた宗助は、突然部屋へ入ってきた美里の膨らんだお腹をそっと撫でた。彼女が第一子を妊娠してからもう六か月だ。美里は不安そうに顔を歪ませる宗助を見て笑みを零した。「あら、ちょっとくらいは平気よ?」「俺がどれだけ心配していると思っているんだ」萌子が捕まり、宗真が海外へ旅立ったあの日から五年の年月が流れた。その間に宗助は父親の跡を継いで社長に就任し、美里と結婚した。先代の社長夫妻は田舎にある別邸へと住まいを移し、今や城田家の本邸は美里と宗助のものとなっている。二人は彼の書斎にあるソファに、横並びで座った。彼から届いたはがきを二人で眺めた。「宗真くん、今は海外で楽しく過ごしているようね。私たちの出産祝いのものまで贈ってきたわ」「ずいぶん気が早いけどな」宗真は一年間の留学を終え、今は海外で生活をしている。美里は最初そのことを心配していたが、上手くやっているようだ。「海外生活を謳歌しているようね。楽しそうでよかった」「……そうだな」宗助ははがきを見つめながら軽く頷いた。彼も弟のことはもう心配していないようだ。たびたび帰ってきてはつまらない冗談を言い合うくらいの仲にはなっているようだし。「そういえば、流星と瑠璃子の結婚式がもうすぐ行われるでしょう?招待されたから行きたいんだけど……」「絶対に行かなければならないのか?」流星の名前に、宗助がピクリと眉を上げた。宗助は今でも流星のことが気に入らないようだ。「宗助ったら、流星はもう瑠璃子のことが好きなのよ?そんな風に心配しなくても……」「俺はどれだけアイツがお前に惚れ込んでいたかを知っている」「それは過去の話よ」美里は不快そうに顔をしかめる彼の頭を撫でた。そんな嫉妬深いところも、彼女にとっては愛おしかった。「このあと、お義父さんとお義母さんが久々に来るそうよ」「そうか……楽しみだな」「……今、楽しみって言った?」「言ってない」宗助はそれだけ言うと、美里からぷいっと顔を背けた。いやいや、絶対言ってたと思うんだけど!?「宗助ったら、いい加減素直になりなさいよ」「俺は昔から素直だ」「どこ
Last Updated: 2026-05-13
愛人の死に耐えられなかった夫、お前が死ねばよかったのにと言い残し自死ー妻は回帰したー

愛人の死に耐えられなかった夫、お前が死ねばよかったのにと言い残し自死ー妻は回帰したー

夏目家の長女・夏目由利(なつめゆり)は幼馴染で初恋の相手である薄井碧斗(うすいあおと)と結婚した。しかし、彼の本命は由利の妹の夏目紫苑(なつめしおん)だった。体の弱い紫苑は両親から溺愛されて育ち、由利は姉なのだからといつも我慢を強いられた。紫苑が病死したあと、碧斗は由利に「お前が死ねばよかったのに」と言い残し、彼女の目の前で自ら命を絶った。彼の死体を眺めていた由利の時間は巻き戻り、紫苑が亡くなる前に戻っていた。そこから何度か回帰を繰り返すが、由利は自らが死ぬ運命から逃れることができなかった。四度目、彼女はとうとう愛する夫から離れる決意を固める。今さら気遣ったってもう遅すぎた。
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Chapter: 第109話
後に夏目社長夫人となる淳子(じゅんこ)は、元々一般家庭の生まれで、大企業の御曹司と結婚できるような家柄の人間ではなかった。そもそも彼女には結婚を約束した恋人がいたし、夏目家の御曹司とは接点すらなかった。そんな淳子が一体どのようにして、今の夫と出会い、結婚するに至ったのか。二人が結婚するまでの経緯は、実はかなり複雑だった。淳子は当時、勤めていた会社内で話題を集めていた。二十代前半だった彼女は、芸能人顔負けの輝くほどの美貌を持ち合わせていたからである。一言で言えば、今の紫苑によく似ている。そんな彼女には、婚約していた恋人がいた。恋人との付き合いは学生時代からで、何と七年にも及んでいた。彼はお金持ちでもなく、特別何かに秀でているわけでもなかったが、誰よりも優しい淳子の一番の理解者だった。結婚相手は彼以外にあり得ないと、淳子はそう思っていた。交際七年の記念日を迎えた日、淳子は彼からのプロポーズを受け入れた。あの日は人生で最も幸せな一日となり、数十年の年月が流れた今でもよく覚えている。このまま彼と結婚し、温かい家庭を築いていくのだと信じて疑わなかった。しかし、結婚を間近に、淳子はある不幸に見舞われてしまった。クリスマスの夜、淳子は恋人と共に高級フレンチレストランへと訪れていた。都内でも有名な場所で、芸能人などの富裕層が多く訪れることでも知られている。ワインの入ったグラスを片手に、淳子は微笑んだ。「こんなに良い店を用意してくれるだなんて、嬉しいわ。ありがとう」「この場所が、美しい君に相応しいと思ったんだ」恋人は特別裕福というわけではない。しかし、クリスマスくらいはと愛する彼女のために奮発したのだ。その気持ちを、淳子はしかと受け取った。(もうすぐ籍を入れる予定だし……楽しみだわ)淳子は近いうちに来るであろう恋人との幸せな未来を待ち望んでいた。しかし、魔の手は彼女に刻一刻と差し迫っていた――「式場はどこがいいかしら。ドレスはもう決めてあるのよ」「楽しみだな、君ならきっと何を着ても綺麗だろう」和気あいあいとフレンチのディナーを楽しむ淳子を、遠くからある人物がじっと見つめていた。「……何だ、あそこにいる女は」「初めて見る女性ですね。どこかの社長令嬢でしょうか?」それは、後に淳子の夫となる夏目洋介(なつめようすけ)だった。彼は初めて見る淳子の
Last Updated: 2026-09-02
Chapter: 第108話
その頃、由利が出て行った夏目家では。夜になっても帰ってこない由利に、母親は自身の夫を問い質した。由利は子供の頃から無断外泊も夜遊びもほとんどしたことがないほど真面目な子だった。そんな由利が何の連絡もなく家に帰ってこないのだから、驚くのも当然だろう。しかし、それは娘の身を案じる心配から来るものではない。ただ、夏目家の名前に泥を塗らないでほしいというとても親が娘に抱くようなものではない感情からだった。父は眉をひそめる母に、事の事情を説明した。「……あの子が碧斗君の実家に泊まるですって?どうして急に?」「薄井夫人が由利を誘ったそうだ。夫人は昔から由利を可愛がっていたからな」「だからといって……紫苑や碧斗君は誘わずに由利だけを招くだなんて……明らかに贔屓してるわよね、あの人」最も子供たちを贔屓しているのが自分であるということに、彼女は気付いていなかった。ただ、由利が家からいなくなると家事を手伝う人がいなくなるから困る。今日は雇っている家政婦が休みで家にいないし。「あなた、どうして許可したのよ」「……由利にも、たまにくらい息抜きさせてあげるべきだろう」「息抜き……?何のことを言って……」わけがわからないというような妻を、夫は呆れたような目で見た。この期に及んで、気が付いていないのか。「――これまで由利には、色々と苦労をかけてきたからな」「……」その言葉を最後に、彼は妻から顔を背けた。これ以上、犯した罪に気付かない彼女を視界に入れていたくはなかった。結局父親もまた、心が弱いのだ。気付いていながらも、認めたくはない。そのような感情が見て取れる。母は、そんな父の後ろ姿をただじっと見つめていた。その瞳に宿っているのは、少なくとも夫に対する愛情ではなかった。――一言で言うのならば、憎悪。「何よ……アイツ、ムカつくわ」母は誰にも聞こえないような小さな声でポツリと呟くと、そのまま近くにあったソファに腰を下ろした。ちょうど部屋に飾ってあった結婚式の写真が視界に入る。その一枚の写真に写っている二人は、若い頃の夏目夫妻だった。幸せそうに笑みを浮かべる新郎と、暗い表情の新婦。二人は正反対の表情をしていた。愛し合って結婚したとは思えないほど、新婦の顔色は悪かった。その写真に隠された真実を知っているのは、当の本人たちだけである。彼女は写真を手に取り、口
Last Updated: 2026-08-31
Chapter: 第107話
そして、その日はあっという間にやってきた。「あらぁ、由利ちゃん!久しぶりね、会えて嬉しいわ!」薄井家を訪れた由利を快く出迎えたのは、涼介と碧斗の産みの親である薄井社長夫人だった。ついこの間のパーティーで会ったばかりだというのに、少々大げさな反応である。「夫人……お久しぶりです」「あらあら、どうしたの?お義母さんとは呼んでくれないのかしら?」「お義母さん……お久しぶりです」お義母さん――というと、薄井夫人は嬉しそうに由利に抱き着いた。この方は昔から少々他人に対する距離感がバグっているところがある。由利は息子の妻、義理の娘なので他人ではないかもしれないが、義母が息子の嫁にいきなり抱き着くのはかなり稀だろう。まぁ、由利は彼女のそんなところが好きではあったが。夫人は由利を家に通しながら口を開いた。「涼介が由利ちゃんと会うって聞いてね……ぜひウチに来るよう誘って!ってお願いしたのよ」「あら、お義母さんだったんですね」薄井グループは由利の生家に引けを取らないほどの大企業だ。そのため、当然社長夫妻が住んでいる邸も大きい。由利は今日、この場所に一泊することになっている。碧斗の実家に泊まるのは初めてではないが、一人で……というのは初である。いつも碧斗か紫苑と一緒に泊まりに来ていたから、一人というのは何だか慣れない。邸宅内を歩きながら、夫人が由利に声をかけた。「ところで、紫苑ちゃんは相変わらずかしら?」「え?えぇ……家で療養しています」由利の答えに、夫人はわかりやすく眉をひそめた。そして周囲に聞こえないような小さな声で、ボソッと呟く。「そう……あのご両親にも困ったものね――結婚する経緯がかなり複雑だったのは有名だけれど、娘を偏愛するだなんて……」「………夫人?何か言いました?」理解できなかった由利が聞き返すと、夫人はニコッと笑った。「いいえ、何でもないわ。それより、部屋に案内するわね。由利ちゃんのために特別な部屋を用意したのよ」「まぁ、本当ですか?」夫人のあとをついて行き、由利は邸の二階にある部屋に通された。広い一室に、アンティーク調の家具や天蓋付きの大きなベッドが設置されている。夏目家の由利の質素な部屋とは天と地の差だ。「とっても大きな部屋……!こんな部屋を、いいんですか?」「もちろんよ、実はこの部屋……元々由利ちゃんのために用
Last Updated: 2026-08-29
Chapter: 第106話
由利と涼介は二人並んで近くにあるレストランへ入った。駅の近くにある高級レストランは、涼介が由利のためにと選んだ場所だった。由利は普段、外食なんてほとんどしない。身体が弱くてあまり外出できない紫苑に合わせるため、大体は家で食事を済ませている。もういい年なのだから一人で行ってもいいだろうと思われるかもしれないが、それを許さないのが我が夏目家なのだ。紫苑を置いて一人だけ高価な食事を楽しむなど、母親に知られたら何て言われるか。想像もしたくない。二人は店員に案内された席に、向かい合って座った。「ハワイ旅行は楽しかったか?」「ええ、もちろん。予期せぬ事態は発生したけれど……とても楽しいゴールデンウィークになったわ」由利は笑顔で答えた。久しぶりだったからか、涼介との時間がとても楽しく感じられる。「楽しめたのならよかった。紫苑がついて来ると聞いて心配していたんだが……」「ええ、そうね。紫苑のことは私も心配だったけれど、何とかなったわ」涼介も昔から、由利の妹である紫苑のことはよく知っている。彼女がお転婆で、すぐどこかへ行ってしまう性格だということも。そのせいで、余計な心配をかけてしまっていたようだ。「空港で迷子になっちゃったけど……すぐに見つけられたからよかったわ」「空港で迷子に?紫苑は相変わらずだな……昔と何も変わっていない」涼介は呆れたようにため息を吐いた。彼は由利に対しては必要以上に気にかけてはくれるものの、紫苑のことはあまり良く思っていないようだった。「まぁ……そういう天真爛漫なところがみんなに好かれるんじゃないかしら」「しかし、限度というものがあるだろう」涼介の言っていることはもっともだ。(旅行で色んなことがありすぎたせいか……未だに理解に追い付いていないところがあるわ)紫苑が前世の記憶を持っていたこと、碧斗の気持ちの変化。新婚旅行を通じて、由利の世界は大きく変化した。今世はただ穏やかに過ごすつもりだったのに、こうも予想だにしない事態ばかり起きるとそうもいかなかった。前世の記憶を持つ紫苑がいつ何を仕掛けてくるかわからない。警戒を怠ってはならなかった。(父さんと母さんの抱える秘密も……過ごしているうちに明らかになるんだろうか)由利は死後のループを何よりも恐れていた。しかし、今世では明らかに周辺の状況が変わっている。そのおかげで二度
Last Updated: 2026-08-28
Chapter: 第105話
翌日、由利はある人物に会うため最寄駅に訪れていた。今日はちょうど仕事が休みで、碧斗や両親も家にはいなかった。その隙を狙って、彼女は旅行後最も会いたかったある人と約束をしていた。(似合わないなぁ……でもたまにくらい、こういう服を着てみてもいいよね)由利は近くにあるお店のショーケースに反射している自分を見つめた。いつものカジュアルな服装とは違って、今日は紫苑のような花柄のワンピースを着用している。靴は高めのヒールを履き、少しだけ伸びて肩についた髪の毛をハーフアップにしていた。由利は華やかな紫苑と違って、地味な見た目をしている。そのため、このような格好があまり似合わないのは自分でもよくわかっている。知っていながらも、チャレンジしたのだ。(どうせなら、いつもと違う私を見せたかったし……前世ではできなかった格好もしてみたかったのよね……)それからしばらくすると、駅の前で待っていた由利の元に”彼”がやって来た。「――由利!」「……涼介兄さん!」その姿を見た途端、由利はヒールを鳴らしながら彼に駆け寄った。高いヒールに慣れていないせいか、途中の段差でつまずきそうになってしまった。「キャアッ!」「――おっと」前に倒れそうになった由利を、涼介が受け止めた。「……兄さん」「大丈夫か?由利、そういうところは昔から変わっていないんだな」顔を上げると、微笑んだ涼介が由利を見下ろしていた。その穏やかな表情が、昔よく一緒に遊んだ涼介のものと重なった。「に、兄さん……」涼介は由利を抱きしめたまま、しばらくその華奢な身体を離さなかった。由利は顔を赤くしながらも、何とか彼の身体を押し返した。本当はもう少しそうしていてもよかったけど、人の目がある以上いつまでも抱き合っているわけにはいかなかった。由利は一応既婚者であるため、こんなところが見られてはいけない。今回の外出でも、義理の兄妹という関係を超えるようなことがあってはならない。由利は高鳴る胸を何とか抑えながら、カバンからとあるものを取り出した。「今日は、兄さんにプレゼントがあるのよ」「プレゼント?」由利はハワイ旅行で購入したお土産のTシャツを、涼介に手渡した。「これ……俺に?」「ええ、兄さんのことを思って買ったの」その言葉に、涼介は嬉しそうに笑みを浮かべた。それほど高くない一枚のTシャツに、薄井家
Last Updated: 2026-08-25
Chapter: 第104話
紫苑の何気ない質問に、両親は固まった。由利は何て余計なことを――と思ったが、両親や碧斗の前で彼女を責めることはできなかった。いつものように由利が悪者扱いされて終わるだけだからだ。母親は相変わらず興味のなさそうな瞳で紫苑を見つめ、父親はどこか焦りを感じさせる様子で口を開いた。「……あぁ、由利の写真はきっと他のアルバムにあるんだ。探せば出てくるはずさ」「なぁんだ、そうだったのね」その言葉に、紫苑は安心したように微笑んだ。本当のことか、それともその場しのぎの嘘かはわからない。しかし、それが本当だったところで由利の心が明るくことはないし、両親への期待が再び湧き上がることもないだろう。「姉さんの子供の頃の写真がなかったらどうしようって思ってたの……あるんならよかったわ」「……?」なぜ紫苑がそこまで嬉しそうなのかはわからない。彼女のことだからどうせただの気まぐれだろうと思い、由利は特に気に留めることもなかった。「……」「……父さん?」ふと視線を移すと、父親がこちらを見つめていることに気が付いた。幼い頃からいつも後ろ姿ばかり見続けてきた父。そんな彼がなぜか、今は罪悪感に苛まれたような目を由利に向けている。何だか居心地が悪くなった彼女は、父から視線を逸らした。今さら、そんなどうしようもない感情を抱かれたところで困るだけだ。由利は背中に刺すような父の視線を感じながらも、振り返ることなくリビングを出た。***自室へ戻ろうとしていた途中、碧斗が声をかけてきた。「……由利、待ってくれ」「……碧斗?どうかしたの?」無視してさっさと部屋に戻りたかったが、話しかけてきた以上そのまま立ち去ることはできない。由利は仕方なく立ち止まり、彼が話すのを待った。「……新婚旅行の件、悪かったよ」わざわざ呼び止めてまで言うことがそれだなんて、一体どういうつもりなのか。由利には理解できなかった。「どういう意味よ、それ」「……君の気持ちを尊重するべきだった」碧斗は由利との新婚旅行で彼女の意思を無視し、紫苑の同行を許可したのだ。その結果、碧斗と由利はいらぬ苦労をすることになってしまったが、大事には至らなかったし楽しめたので結果オーライだ。「もう終わったことでしょう、今になってそんなふうに言う必要はないのよ」「……それでも、君に一言言っておきたかったんだ」碧斗は
Last Updated: 2026-08-22
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