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50話

last update publish date: 2026-10-08 11:04:17

 雪乃の背中しか見えない黒木には、彼女がなんと唇を動かしたのか分かる由もなかった。

 ただ、目の前に立つ柊也の表情が、口元に笑みを作る途中で固まっているのを目にして不穏な空気は読み取れた。

 柊也は固まった口元をわざとらしく歪めると、貼り付けたような笑みを浮かべた。

「……ふっ、急に何を言い出すかと思えば」

 その笑みは、眼球の奥までは一切届いていないような作り物だと分かるものだった。苛立ちを隠しきれていない声が病院の廊下に落ちる。

「海に落ちた衝撃で、パニックになって頭が混乱しているんじゃないか? そこまで追い詰められていたとはね」

 柊也は哀れむような視線を雪乃に向け、言葉を続けた。

「まだ体が本調子じゃないんだ。休みなさい――」

 柊也はそう言いながら、雪乃の肩へ手を伸ばした。その指先が触れようとした、その瞬間――雪乃はその手をやんわりと払いのけた。

『私の話を聞いて下さい』

 ゆっくりとした唇の動きだが、それは力強かった。宙で止まったままの柊也の
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小林aya
黒木クビならもう来ない。クビやめて。
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     雪乃の背中しか見えない黒木には、彼女がなんと唇を動かしたのか分かる由もなかった。 ただ、目の前に立つ柊也の表情が、口元に笑みを作る途中で固まっているのを目にして不穏な空気は読み取れた。 柊也は固まった口元をわざとらしく歪めると、貼り付けたような笑みを浮かべた。「……ふっ、急に何を言い出すかと思えば」 その笑みは、眼球の奥までは一切届いていないような作り物だと分かるものだった。苛立ちを隠しきれていない声が病院の廊下に落ちる。「海に落ちた衝撃で、パニックになって頭が混乱しているんじゃないか? そこまで追い詰められていたとはね」 柊也は哀れむような視線を雪乃に向け、言葉を続けた。「まだ体が本調子じゃないんだ。休みなさい――」 柊也はそう言いながら、雪乃の肩へ手を伸ばした。その指先が触れようとした、その瞬間――雪乃はその手をやんわりと払いのけた。『私の話を聞いて下さい』 ゆっくりとした唇の動きだが、それは力強かった。宙で止まったままの柊也の手が、所在なさげに揺れている。 払われた手を見つめたまま、柊也の笑みが深まった。「なぜ庇うんだ?」 その声は、怒鳴り声よりもずっと冷たく、底に何の感情もない空洞のようだった。 雪乃は、一切怯まなかった。柊也から目を逸らすことなく、彼の瞳を真摯に見つめる。柊也の瞳に嫉妬が揺らいでいる。そのことに、柊也自身も、対峙する雪乃も気付いてはいなかった。『海に落ちたのは、私の不注意です』 柊也がこの唇を読んでくれるかどうか、賭けだった。 前回のようにはぐらかされるかもしれない――だが、柊也は雪乃の唇をしっかりと読んでくれた。「不注意、か」 柊也は低く呟き、喉の奥で嘲るように笑った。「そんな不注意を起こさせること自体、警護としての無能の証明だろう。なぜそいつを庇う必要がある?」 不快そうに眉を顰め、視線を雪乃へと向けた。「屋敷で二人きりで過ごして……二人の間になにかあったのか?」『何もありません』 雪乃は毅

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