「こんなにデブになって、あんたの旦那から嫌われないように気をつけなさいよね。あんたがブスだから嫌われて、若い綺麗なお嬢さんに旦那を取られた時、泣くことになるわよ」この言葉が佐々木唯月の急所を突いた。彼女が焦って仕事を探しているのは、まさに夫が彼女に嫌気をさして不倫したせいだ。息子の親権を取られないように稼ぎが必要だ。そのために自分の要求を下げて、普通の社員に応募しに来たのだ。それがまさか面接で嫌味を言われ皮肉にも侮辱されることになってしまうとは。「もう一度私を侮辱してみなさいよ!」面接官の女性はデスクから立ち上がり、佐々木唯月の前まで出てきて、彼女を押して外に追い出そうとした。そして遠慮なく彼女を罵った。「このデブ女、ブス、何度でも言ってあげるわ。さっさと出ていけ!」佐々木唯月が太っていることのメリットは、彼女がそこに立って断固として動こうとしなければ、その女は彼女を一歩も動かすことができないことだ。「謝りなさい。絶対に私に謝ってもらうわ。あなたが謝罪しないというなら、私はここから一歩も動かないからね!」その女はかなり怒っていて、後ろを振り向いてデスクの前まで行くと、電話を取り警備室に内線をかけて、警備員を呼び佐々木唯月を追い出そうとした。そしてすぐに二人の警備員がやって来た。男の力のほうが大きい。しかも男二人だから、簡単に佐々木唯月を押して外に追い出すことができた。「あんた達、私を放しなさい。彼女に謝ってもらわないと、あの女が私に悪口を言ったのよ!」佐々木唯月は一生懸命抗った。ずっと仕事が見つからない焦りと、夫からの裏切り、将来への不安、それがまるで炎のように彼女の心の中に燃え盛った。その勢いがこの時の彼女を特に興奮させ、異常なまでに激怒させていた。彼女は太っているし、力も強い。彼女の懸命な抵抗に、二人の警備員は彼女を動かすことができなかった。面接官の女はこの状況を見て、面接室を出ると数人の男性職員を呼び、彼らに警備員に助力させ、佐々木唯月を下まで連れていかせた。数人の男が力を合わせてようやく佐々木唯月をオフィスビルの外に追い出すことに成功した。「これはどういうことだ?」東隼翔は顧客を連れてちょうどオフィスビルに入るところだった。そこにこの一行と出くわした。秘書はすぐに顔を曇らせて、どういうことなのか
「ここが東さんの会社?」佐々木唯月は少し驚いた後、それを疑わなかった。ここは東グループという名前だったからだ。結城理仁は東隼翔が彼の会社の重要顧客だと言っていた。彼女はただその彼が東グループの社長だとは思ってもいなかったのだ。東グループが勢いに乗っていた頃、彼女はバリバリのキャリアウーマンで、東グループの実力をよくわかっていた。彼女はずっと東隼翔と東グループの社長を関連付けて考えていなかった。「東さん、私は別に問題を起こしに来たのではなくて、面接をしに来ただけです。あなたの会社の面接官に私の容姿は応募した仕事には適していないと言われて、その理由を尋ねたんです。彼女は私が太っているからだと答えました。太っていることを軽蔑してきたので、腹が立って文句を言ったんです。そうしたら、彼女がデブ女は出ていけと罵倒してきたんですよ。東さん、あなた達東グループはここ星城ではとても有名な大企業の一つですよね。私はずっとあなたの会社の社員はとても品のある方々だと思っていました。それがまさかこんなことを言うような低レベルの人がいるなんて」「東社長、私は……」面接官をした長澤は二歩進み、言い訳をしようとしたが、東隼翔に睨まれて言葉が出てこなかった。東隼翔は佐々木唯月に尋ねた。「あなたはどの部署の面接に来たんですか?」「財務部の一般社員です。私は以前財務部長をしていたから、経験ならあります」東隼翔は彼女の手から履歴書を受け取った後、彼女に言った。「少し待っていてください。後で結果をお教えします」そう言いながら、彼は申し訳ないといった様子で顧客に話しかけた。「大塚社長、少々処理しなければ問題が発生しましたので、応接室でお待ちいただけないでしょうか」秘書に指示をして大塚社長を先に上に連れて行かせた。東隼翔はオフィスビルを出ると、携帯を取り出して彼の親友に電話をかけ、相手が電話に出ると声を低くして言った。「理仁、また君の義姉さんに出くわしたよ。彼女がうちに面接に来て、面接官と喧嘩したんだ。それで危うく警備員が彼女を追い出してしまうところだったよ」結城理仁「……」彼の義姉は最近気分が最悪だ。「何の面接に来ているんだ?」結城理仁は一言尋ねた。「財務部の一般職員だ。彼女は以前財務部長をしていたんだろ。財務に関しては経験が豊富なようだ
東隼翔の話を聞き、長瀬は顔を真っ青にさせた。しかし、自分で言い訳をすることもできず、大人しく彼に返事した。「社長、私が間違っていました。このようなことは二度といたしません」そして、佐々木唯月の前までやって来ると、申し訳なさそうに言った。「佐々木さん、人を見た目で判断して、あなたに侮辱的なことを言ってしまいました。大変申し訳ありませんでした。すみません。お許しください」佐々木唯月も怒りを収め、すまなさそうに言った。「長澤さん、私も悪かったです。激怒して、口調が悪くなってしまいました。私のことも許してください」二人はお互いに謝罪をし、長澤は佐々木唯月にいつから仕事に来られるか尋ねた。仕事が決まって、佐々木唯月は内心とても喜び、笑顔になって言った。「私はいつからでも働けます」「それでは、明日から会社に来てください」「わかりました。長澤さん、ありがとうございます。東さんも」佐々木唯月はお礼を言った後、履歴書を持って嬉しそうに出て行った。「佐々木さん」東隼翔は彼女を呼び止めた。佐々木唯月はすぐにその足を止め、後ろを振り返って笑顔で彼に尋ねた。「東さん、何かご用でしょうか」「あなたは明日から仕事に来るんですよね。仕事の前に毎朝外の花壇周りの道を五周走るようにしてください。しっかり五周走ってから仕事に来るように」東隼翔も佐々木唯月は太り過ぎで見た目が悪いと思っていた。親友の面子を考えて佐々木唯月を雇用したのだ。他の社員が彼女を見たら、その醜い容姿を嫌悪するかもしれないから、佐々木唯月にダイエットするように要求したのだった。これは佐々木唯月のためにも言ったことだ。それを聞いて、佐々木唯月の笑顔は消え、凍り付いた。まだ仕事を始めていないのに、社長から毎日花壇の周りを五周走るように言われてしまった。オフィスビルの前にある花壇を見てみると、一周するのにだいたい100から200メートルくらいだろう。五周すれば、確かに疲れる。「東さん、わかりました。毎日走ります」今日のようなことを経験し、佐々木唯月もこれ以上太ってはいけないと肝に銘じた。東隼翔は彼女が急ぎで仕事を見つけないといけないという心理を利用して、仕事として彼女にダイエットをするように命じたのだった。佐々木唯月は東隼翔が厳しいとは思わなかった。それとは逆に彼が
東隼翔と佐々木唯月が去った後、そこにいた面々はざわつき始めた。みんなは社長と佐々木唯月がどうやって知り合ったのか予想していた。さっきの様子を見るからに、社長は佐々木唯月をとても気にかけているようだった。「もしかして社長の親戚かな?」「親戚なわけないよ。あの太い女性は『東さん』って礼儀正しく呼んでいたし、二人はきっと顔見知り程度で、仲が良いってわけじゃないと思う」「なあなあ、うちの社長ってもしかしてあの太った女性が好きだったりして?社長ももう35歳なんだ。彼女もいないし」東隼翔も若くて有能な大物社長の一人だ。しかし、彼の顔にはくっきりと刀傷があり、背も高く勇猛である。目つきは鋭く、彼を見た人はヤクザなのではないかと直感的に思ってしまう。それで35歳に至るまで彼女がいなかった。みんなはその言葉を言った人のほうを見つめ、長澤はその相手の頭をぽんと叩いて言った。「このアンポンタン。なんでそんな考えになるのよ。あの太った女の人、女である私も毛嫌いするくらいよ。あんたたち男は尚更でしょう。うちの東社長だって顔にあの傷があるだけで、その傷があるほうの顔を見なければ彼ってすごくイケメンでしょ。東社長の身分も考えれば、彼がその気になればどんな美人とだって結婚できるわよ。なんでデブ女なんかに手を出さないといけないのよ。それに、佐々木さんは結婚してて、2歳過ぎの息子がいるわ」それを聞いて野次馬たちはあの二人が男女関係にあるという妄想をやめた。しかし、それでも佐々木唯月と東隼翔の関係が気になっていた。東隼翔は佐々木唯月にジョギングをしてダイエットする要求までしていた。これは明らかに佐々木唯月に良かれと思ってのことで、二人が全く何の関係もないと言われても信じる人はいないはずだ。彼らの噂を聞いたら東隼翔は自分は彼女とは何も関係がないのにとぼやくことだろう。……神崎姫華は昼の十一時に唯花の店を出ると、急いでスカイロイヤルホテルに結城理仁を待ち構えに行った。内海唯花がご飯を作り終わったところに、結城理仁が店に着いた。「おいたん」おもちゃで遊んでいた佐々木陽は結城理仁が入って来るのを見ると嬉しくなって呼びかけ、手に持っていたおもちゃを置き、大喜びして理仁のほうへ走っていった。内海唯花はどうして甥が氷のように冷たい顔をした結城理仁
彼女のそのセリフを聞いて、結城理仁は口を引き攣らせた。しかし、言い返すことはしなかった。なぜなら、あれは彼が彼女に部屋に入るなと言ったからだ。それと同じように、彼女の部屋にも彼は入ってはいけない。結城理仁はまた自分が作成したあの契約書は自分の首を絞めることになったと思った。彼はまさか自分が先にその契約を破りたいと思うことになるとは夢にも思っていなかった。後悔してもいいだろうか?彼女の分の契約書はどこにあるのだろう?彼が彼女の不在時にこっそりとあの契約書を取り戻して跡形もなく消し去ってもいいだろうか?このような考えが結城理仁の頭の中によぎったが、彼はそれをすぐに抑え込んだ。結城家の当主たる者、そのような恥知らずな事はできるはずもない。「可愛い犬ね」牧野明凛は犬のフサフサな毛を撫でて、可愛いと褒めた。結城理仁の目利きは良い。選んだ犬と猫はとても可愛かった。佐々木陽は言うまでもなく、結城理仁に抱っこされていた彼は下に降りると暴れ出した。犬と遊びたかったのだ。内海唯花は携帯を取り出すと、犬と猫の写真を撮った。しかし、すぐにはインスタにアップしなかった。結城理仁はちょっと前まで彼女のインスタもフォローしていたのだが、今は……彼はフォローを外していたのだ。「内海さん、さっき撮った写真を俺に送ってくれないかな」結城理仁は彼女の機嫌が良い隙を見計らって、彼女のLINEを取り戻そうとしたのだ。内海唯花はしれっと「あなた、私のLINE友だちを削除したでしょ。どうやって写真を送るのよ。自分で好きなだけ写真を撮ったらいいわ」と言った。結城理仁は黙ってしまった。少しして、彼は内海唯花の傍に近寄っていくと、こっそりと彼女の服を引っ張った。内海唯花が彼のほうへ目線を向けた時、彼の整った顔が少し赤くなっていた。「内海さん、俺が間違ってた。俺達、もう一回友だち登録しないか?」内海唯花は目をぱちぱちさせた。彼の顔はどんどん赤くなっていった。彼のようにプライドが高い人がこのように低い姿勢を見せて、わざわざ犬と猫を買ってきて飼ってもいいと言ってくれたので、唯花は寛大にLINEのQRコードを開き友だち登録をした。「今後、また私を削除したら、永遠にブロックして二度と友だち登録してあげないんだからね」結城理仁は彼女と友だ
「結城さん、あなたも来ていたのね」妹の旦那もいるのを見て、佐々木唯月は彼に笑顔を見せた。そして、息子を抱き上げてその可愛い顔に何度もキスをした。キスされた陽は嬉しそうにキャッキャッと笑った。「義姉さん、こんにちは」結城理仁は義姉に挨拶をした。「あら、このワンちゃんと猫ちゃんどうしたの?可愛いわね!」佐々木唯月は息子にキスをした後、店に増えた新しい仲間を見つけた。「結城さんが飼っていいって私にプレゼントしてくれたの。お姉ちゃん、仕事が見つかったって?」姉が入って来る時に見せたあんなに嬉しそうな様子を内海唯花は久しぶりに見た。佐々木唯月は先に義弟が買って来たペットたちが可愛いと褒めて、妹に返事をした。「見つかったの。本当に不思議なんだけど、知り合いに会ったのよ。唯花、私がどこで働くと思う?東グループよ」内海唯花は普段からあまり大企業に関心がなかった。この町にある有名な結城グループは親友がよく結城家の御曹司の話をしていたので彼女は知っていた。結城理仁とスピード結婚した後は、理仁が結城グループで働いているから、彼女はこの会社についてよく知ることになった。神崎グループについては、神崎姫華のおかげで彼女は知ることになったのだ。それ以外の大企業の名前に関しては、内海唯花は本当に関心を持ったことがなかった。彼女はそのような大企業に勤める人とは知り合うことはないと思っていて、興味を持つことすらなかったのだ。もしそんな時間があるなら、ハンドメイドをして売ってお金を稼いだほうがいい。東グループだと聞いた後、彼女は笑って尋ねた。「お姉ちゃん、東グループって大企業なの?そこに転職した昔の同僚と会ったの?」佐々木唯月は仕事が見つかって機嫌がとても良かった。妹の前で隠し事をする必要もないので、正直に事の経緯を妹に話した。内海唯花は姉からそれを聞いて少し腹を立てた。姉は確かに太ってはいるが、その長澤とかいう面接官が姉を軽蔑するとは、少し性格が悪いと思った。東さんに偶然会わなかったら、姉は外に放り出されていたのだから。「唯花、お姉ちゃんも悪かったの。私もその時かなり衝動的に話しちゃったし、長澤さんを怒らせてしまったのよ。もう終わったことだし、仕事も見つかったし、長澤さんとは今後同僚になるんだから、今日あった嫌な事はもう言わないことにするわ。
彼は振り向いたが、内海唯花は彼を見ておらず、料理を盛ったお皿二つを持っているのを見た。そのお皿を見てみると、一つは野菜炒めで、それ以外は全部海鮮料理だった。これは、神崎姫華が彼女に持って来た海鮮じゃないか!彼は大きな歩幅で近づいて行き、内海唯花の手から二つのお皿を受け取って言った。「キッチンに入ったんだし、これは俺が持って行くよ。君が何度も取りに来る必要ないだろう」「ありがとう、結城さん」そのお皿を持って行こうとしていた結城理仁は突然足を止め、振り返って彼女を見た。「どうしたの?」内海唯花は彼にお皿二つを渡した後に、また他の料理が入ったお皿二つを持った。真っ黒な瞳で見つめられて、彼女は顔を下に向け自分の服が汚れているのかと思ったが、別に汚れてはいなかった。「あの、今後『結城さん』って呼ばないでもらえるかな?」結城理仁は少し怒った様子で自分の不満を吐き出した。彼女との付き合いにおいて、彼が何か不満があるのなら直接彼女に言ってしまったほうがいい。曖昧な態度では彼女に気づいてもらおうとしても、申し訳ないが、彼女にはそんな時間もないし、どういうことなのか考えようともしないのだから。彼女は頑なに契約書に書かれてあることを厳守している。「じゃあ、なんて呼べばいいの?」結城理仁は唇を一の字に結び、瞬時には彼女にどう答えればいいのかわからなかった。「さん」付けで呼んでもらっても、まだ距離を感じると思った。呼び捨てで呼んでもらおうか。でも、よくよく考えると彼女は呼んでくれないだろう。それに彼も彼女からそう呼ばれるのは慣れないようだ。「好きに呼んでくれていい」結城理仁はそう言うと、お皿二つ持って出て行った。内海唯花は小声でぶつぶつ言った。「『結城さん』って呼ばないで、『理仁』って親しげに呼んでも、返事してくれるのかしら?」彼は今は結婚を隠しておくと言っていた。今に至るまで彼ら二人が夫婦だと知る者は多くない。内海唯花はもう気にせず、すぐに料理を運んで行った。牧野明凛と佐々木唯月はすでにテーブルや椅子を整え、きれいに拭いていた。夫婦二人が料理を運んで来るのを見て、牧野明凛と佐々木唯月も手伝った。今日はおばあさんがこの場にいなかったから、結城理仁に唯花のためにエビの殻を剥くようにという指示はなかったが
結城理仁もこう言っているので佐々木唯月はそれ以上何も言わず、息子に使い捨て手袋をはめてあげた。食事の後、結城理仁はまた妻を手伝いに食器を片付けてキッチンに入り皿洗いをしようとしていた。佐々木唯月は妹の前で義弟を褒め、妹にも結城理仁に必ずよくするように言っていた。彼女は自分の結婚が失敗したので、妹に結婚に対する悪い印象を植え付けてしまうのを恐れていたのだ。佐々木俊介はゲス男だが、全ての男が彼のようであるわけではないのだから。この世には良い旦那さんもいるのだ。ただ佐々木唯月の運が悪く、そのように良い男性と巡り合えなかっただけだ。内海唯花はしょうがないといった様子で言った。「お姉ちゃん、わかってるから。一日に何百回も彼を褒めなくていいってば。私もキッチンに行ってお皿洗い手伝ってくる」そう言うと、急いでキッチンに入っていった。また姉から結城理仁がいかに素晴らしいか説かれ、理仁によくしてやれと聞かされるのを避けるためだった。姉の言いっぷりでは、まるで彼女がいつも結城理仁をいじめて、悪く扱っているかのようだ。牧野明凛はその横でこっそり笑っていた。結城理仁が食器を洗おうとしたところに足音が聞こえてきて、キッチンの入り口へ目をやってみると、そこには内海唯花がいた。「俺が洗うよ。君は座って休んでて。こんなにたくさんの海鮮料理を作ったんだから、とても疲れているだろう」「あなたも食べにくると思ったから、こんなにたくさん作ったのよ」内海唯花は彼を押しのけた。「あなたこそゆっくり座ってお茶でも飲んでて、私が洗うから。お姉ちゃんったら私があなたを悪く扱って、いじめてるんじゃないかって心配してるんだからね。一日中私の前で『結城さんは良い人だから、よくしてあげなさい』ってぶつぶつ言われるのよ。もう耳にタコができるくらい」結城理仁は食器洗い争奪戦には参加せず、手を洗った後、それに賛同して言った。「お姉さんは自分自身で経験したから、何もかも全部わかっているわけだ。彼女の話は間違っていない」内海唯花「……」「君の義兄さんが不倫している証拠、持って来たよ。車に置いてあるんだけど、今お義姉さんに持って行こうか?」「こんなに早く証拠が集まったの?」結城理仁はうんと一言答え、言った。「俺の友人は情報網がすごいからな。あっという間に集めてくれ
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら
「そうね、姫華にも彼女のプライドっていうものがあるんだもの。神崎家の娘は条件も整ってるから結婚に悩む必要もないし」神崎夫人は娘のことをやはりよく理解しているのだった。姫華が諦めると言えば、必ず諦めるのだから。その時、外から車の音が聞こえてきた。理紗が立ち上がり、外のほうへと歩いていき言った。「きっと姫華ちゃんが帰ってきたんです」彼女が外に出ると、やはり義妹が帰ってきたのだった。姫華は車を降りて義姉のほうへとやって来ると、キラキラと輝く笑顔を見せて言った。「お義姉さん、お母さんはまだ家にいる?」義妹が輝くような笑顔を送ってきたので、それを見た理紗は心がとても痛んだ。彼女は義妹がつらい気持ちを吐き出すために、このように無理して笑うより、泣いたほうが良いと考えていた。姫華がこんな笑顔を見せるたびに、彼女の心が傷ついているというのは明らかだからだ。ああ。自分を愛してくれない男を好きになってしまうのは、こんなにもつらいことなのだ。その相手が結婚したばかりだと知ったら、その苦しみはもっと深くなるだろう。「お義母さんは家にいるわよ。姫華ちゃん、あなた大丈夫?」「お義姉さんったら、そんなふうに見える?心配しないで、私は大丈夫だから。ただ過去と決別してきただけよ」姫華はもう吹っ切れたような言い方だったが、それでもあまり理仁のことについては話したくなかった。彼女は親しそうに義姉の手を引っ張って言った。「お義姉さん、さあ、中に入りましょうよ」姫華が帰って来ると、神崎夫人はさらに居ても立ってもいられなくなった。それで、神崎夫人は家族に付き添われて、鑑定機関へと赴いた。神崎夫人がとても緊張しているのと比べて、唯花のほうはとても落ち着いていた。彼女はレジの後ろでハンドメイドをしていた。陽と一緒に遊ぶおばあさんと清水をちらりと見て、明凛に言った。「うちの理仁さんは出張に行ったわ。ここ数日なにか面白いことがあって、私も参加できそうなら一声かけてよね」最近嫌なことが多すぎて、日々は張り詰めた空気に包まれていた。だから親友と一緒に遊んで、気分を上げる必要があるのだ。その時は姉と陽の二人も一緒に連れ出そう。明凛は笑って言った。「それなら、ショッピングか、美味しい物を食べるか、唯花が好きなことって他に何があるかしら?社交界のパ
それを聞いて姫華は笑った。笑ってはいたが、手で瞳に滲んだ涙を拭きとり顔をそむけて遠くの方を見つめていた。そして少ししてから、ようやくまた顔を理仁のほうへと向けて、落ち着いた表情になりまた笑って言った。「理仁、あなたからそんな言葉が聞けて、それだけでもよかったわ。何年もあなたに片思いしてた甲斐があったっていうものよ」彼女はおおらかにも理仁のほうへ手を差し出し、理仁も同じようにして彼女と握手を交わした。「理仁、奥さんと年を取るまで、いつまでも幸せでいてちょうだいね」「ありがとう、神崎さん」「あなた達が結婚式を挙げるなら、私も参加させてもらえたら嬉しいわ」理仁は手を引っ込め、優しく言った。「良い日取りを決めて、結婚式を挙げる時は、神崎社長と、君に招待状を送るよ」「じゃ、あなた達をお祝いできる日を楽しみにしているわね」姫華は笑って言った。「結城社長は忙しいでしょうから、貴重な時間の邪魔はもうしないわ。さようなら」彼女は理仁に手を振り、背中を向けて彼女のスポーツカーに乗り、すぐに結城グループの前から去っていった。さようなら、はじめて深く愛した人。今後は二度と彼女がここに現れることはない。彼女は傷を癒したら、また新たに自分の人生を歩んでいくのだ。理仁が車に戻ると、運転手は急いで車を出した。運転手はこの二人がまた揉めるのかと思っていたが、まさか神崎家の令嬢が祝福を送りに来るとは思わなかった。神崎お嬢様は正直に人を愛し、また憎み、そしてすぐに決断してスカッと自分の気持に区切りがつけられる性格の持ち主なのだ。運転手にしろ、ボディーガードたちにしろ、みんな神崎姫華への考えを改めた。少なくとも、彼女が引き続き彼に纏わりつくことはなくなったのだ。姫華は唯花のところに行こうと考えていたのだが、行く途中でまた考えを変えた。彼女は家に帰って母親と一緒にDNA鑑定機関に赴き、その結果を取りに行かなければならない。それで、姫華はUターンできるところで引き返し、家へとルート変更して車を走らせていった。家に到着した時には、すでに午前九時過ぎだった。神崎夫人は早く出かけて結果を知りたがっていたが、夫に「まだ早いだろう。そんなに焦らないで。結果が出るのは出るんだから、誰もそれを取って行ったりなんかしないって」と繰り返し諭して
電話を切った後、理仁は七瀬に指示を出した。「俺がいない間、しっかりと妻の警護にあたってくれ」「若旦那様、ご安心ください。私がしっかり若奥様をお守りしますので」若奥様はもともと強いお方だ。そんな彼女を警護する仕事なら楽勝だ。さらにさらに、ボーナスが倍に!七瀬はそれを考えただけで顔がほころんだ。これこそ若奥様とお近づきになる最大のメリットなのだ!「もし妻が何か困って助けが必要な時には、ばあちゃんに言えば解決方法を指示してくれるだろう。それか、辰巳に相談してくれてもいい」「若旦那様、ご安心を。若奥様が何かお困りになられたら、おばあ様がすぐにおわかりになることでしょう」おばあさんはもはや、神的存在だ。そんな彼女の孫たちは神の掌の上で泳ぐしかない。理仁は祖母の能力を考え、それ以上は何も言わなかった。それから、理仁にある意外な出来事が起こった。暫くの間、会社の前に現れなかった神崎姫華がこの日また現れたのだ。彼女は自分の赤いスポーツカーに寄りかかっていて、理仁の専用車の列がゆっくりと近づいてくるのを見ていた。それを見て運転手が言った。「若旦那様、神崎お嬢様がまたいらっしゃったようです」理仁は少し黙って、運転手に言いつけた。「神崎さんの前で車を止めてくれ」それを聞いた運転手と七瀬はとても意外だった。確かに神崎家の令嬢と若奥様は仲のいい友人同士である。しかし、今まで若旦那様は一度も神崎家の令嬢には優しくしたことはなかった。少しだけ彼が優しくしているのは牧野家のお嬢さんだ。彼女は若旦那様と交友関係にあるからだ。それに、牧野家のお嬢さんは若奥様と一緒に本屋を経営している。理仁にそう指示されて、運転手は言われた通りにした。姫華はその時どうしようか迷っていた。以前と同じように死ぬ気で彼の車を妨害しようかと思っていたところ、理仁が乗ったあのロールスロイスのほうから彼女の前に止まってくれた。車のドアが開き、理仁が車から降りてきた。暫くの間会っていなかったが、彼は彼女の瞳には依然として超絶な美形に映っていた。姫華は暫くじいっと彼に見惚れていたが、すぐに自分自身にそれを止めるよう言い聞かせた。彼はすでに他の女性の夫なのだから。「結城社長、あまり警戒しないで、今日私がここに来たのは、あなたに付き纏うためじゃないから
顔をあげて彼を暫く見つめ、唯花は仕方なく彼の首に手を回し、自分のほうへ引き寄せて甘いキスを彼に捧げた。理仁は妻のほうからキスをしてもらい、上機嫌になって、片手でスーツケースを引き、もう片方の手で唯花の手を繋いで一緒に家を出ていった。おばあさんは一階でこの二人を待っていた。その時、おばあさんと一緒にいて話をしていたのは七瀬だった。唯月の引っ越しを手伝った時、唯花は七瀬も手伝いに来てくれたことに気づき、彼はきちんと報酬がもらえれば、どんな仕事でも請け負うと言っていた。そして、また唯花に会った時、七瀬はもうわたわたと焦ることはなかった。正当な理由をようやく見つけて堂々とできるという感じだ。「結城さん、内海さん、おはようございます」七瀬のほうから挨拶をしてきた。唯花はそれに微笑んで、ついでに「お名前は?あの日、すっかり名刺をいただくのを忘れていました」と言った。七瀬はその時、素早く主人である理仁のほうをちらりと確認し、彼の表情が変わらないのを見て何も恐れることなく彼女に答えた。「私は七瀬と申します」そして、ポケットから一枚の紙を取り出して唯花に渡し、申し訳なさそうに言った。「家に帰って名刺がもう切れていることに気づいたんです。まだ印刷しに行っていないので、携帯番号を紙に書いておきました」唯花は彼の電話番号が書かれた紙を受け取り、自分の横にいる夫に言った。「七瀬さんがどんな仕事でも受けてくれるらしいわ。今後自分でできないことは七瀬さんにお願いしようと思って」こう言って理仁がまたヤキモチを焼き始めるのを阻止しようとしたのだ。理仁は低い声で言った。「七瀬さんはとても頼りになるからね。何か力仕事があれば、彼に頼むといい」七瀬は素直に笑った。「はい、その通りです。きちんとお金をいただければ、どんな仕事だっていたしますよ。ところで、結城さん、出張ですか?」理仁は「ええ」とひとこと言った。「では、私はこれで」七瀬は夫婦二人に挨拶をしてからおばあさんに手を振り、自然にその場を離れた。今回、若旦那様は出張に半分のボディーガードしか連れて行かない。その中に七瀬は含まれておらず、ここに残って若奥様の護衛をするのだった。自分の主人の出張について行けないことを七瀬は少しも残念には思っていなかった。なぜなら、女主人にゴマすりで
朝食を終えると、理仁はまた唯花の携帯に百万円送金した。唯花は彼がお金を送ってきたのを見て言った。「別に必要ないよ」彼が彼女に渡していた家庭内の出費用のカードが空になったことは一度もなかった。「俺が出張で家にいないし、いつ帰るかもまだはっきりわかっていないんだ。もうすぐ年越しだし、その準備にもお金がいるだろうから、これくらい送っておけばその準備に問題ないだろう?適当に使ってくれ」お金を送る理由としては彼が言った言葉は十分だった。「年末の28日に、俺の実家に帰って年越ししよう。うちは親戚が多いからたくさん正月の贈り物を用意しないといけないんだ。ばあちゃんに何を買っておいたらいいか聞いてみてくれ、時間がある時に買っておいたほうがいいよ。さっき送った百万で足りないなら、俺に言って。また送金するから」彼がこう言うので、唯花は彼からもらった百万をおとなしく受け取るしかなかった。結婚してからかなり時間が経っていて、彼がはじめて彼女を実家に連れて行く話をしてきた。以前、お互いの家族が顔合わせをする時に、彼は両親とおじ、おば達も来るように伝えていた。おばあさんはそれを聞いて瞳をキラキラと輝かせたが、何も言わずにただニコニコと微笑んでいた。唯花がベランダの花に水をやりに行っている時、おばあさんはシロを抱きかかえて孫の傍に腰をおろし、小声で彼に尋ねた。「年越しに唯花さんを連れて帰るって、どの家にするの?」理仁の実家である結城家の邸宅か、それとも適当にどこかに部屋を見つけてそこでごまかすのか?「ばあちゃん、うちのご先祖さんが残してくれたほうの実家は片付ければ住めるか?」それを聞いておばあさんはニヤリと笑った。「片付ければ住めるわよ」今、結城家の邸宅はおばあさん夫婦が建てたもので、ある山の上にある家なのだ。そこを琴ヶ丘邸と名付けている。そして結城家の先祖たちが残してくれた邸宅こそが結城家の本当の実家であるのだ。その邸宅は古色蒼然としていて、時代を感じさせる趣ある邸宅だ。そこは琴ヶ丘邸からそこまで遠くなく、車で十分ほどの距離だ。毎年の正月には、おばあさんは子供や孫たちを連れてこの家に行き、先祖たちに新年の挨拶をするのが習わしだった。「今年の正月は、あの家で数日過ごそう」先祖代々続く家のほうが造詣が深い。ただそこは琴ヶ丘邸よ
おばあさんはぶつくさと呟いた。「辰巳か、三番目の奏汰(かなた)にしようかしら?」理仁はそれには何も言わなかった。余計な口を挟んで、他の弟たちから彼のせいにされるのを避けるためにだ。「やっぱり、あなたの次に大きい辰巳にしましょう。辰巳には誰がお似合いかしらね?」この時、理仁はやはり何も言わなかった。そもそも彼自身には知り合いの若い女性など、無に等しい。このことを理仁に任せたら、辰巳が一生結婚できないのと同義だろう。おばあさんも理仁に誰かを紹介してもらおうとは、これっぽっちも期待などしていない。「入りなさいよ」理仁は首を傾げておばあさんのほうを見て、その顔にクエスチョンマークを浮かべていた。おばあさんはやきもきした様子で「あなたもうすぐ出張に行くんでしょうもん、中に入って唯花さんとちょっとお話でもしないの?」と尋ねた。何をするにも彼女が彼に教えてやらないといけないとは。まったく、当時この孫を育てる時には何でも教えてあげたというのに。ただ誰かを愛する方法だけは教えていなかった。その結果、この家の男どもはみんな女心が理解できず、どうやって女性のご機嫌取りをすればいいのかもわからない人間に育ってしまった。おばあさんは、誰かを愛するのは人としての本能みたいなものだから、教える必要などないと考えていたのだった。おばあさんは楽天的に考えすぎていたのだ。理仁は少し黙ってから、どもりながら言った。「彼女が荷造りをしながら楽しそうに鼻歌を歌っているのが見えないのか?」おばあさん「……」唯花は荷物をまとめ終わった後、理仁が日常生活に必要な物が全部揃っているかをもう一度確認してからスーツケースを閉めた。そして、携帯を取り出してそのまとめあげた荷物の写真を撮った。そして、携帯をまたポケットになおして、スーツケースを引っ張って持って行こうとした時、数歩歩いてから部屋の入り口に理仁とおばあさんが立っているのに気がついた。「おばあちゃん」唯花は笑っておばあさんにそう声をかけてから、スーツケースを引っ張って彼らのもとへとやって来た。「理仁さんが出張するから、荷物をまとめてあげていたの」孫の嫁が孫に対してとても優しく気配りをしてくれて、おばあさんは心のうちはとても喜んでいたが「次はこの子に自分で用意させていいわよ。お腹が空いたで
佐々木英子は弟に電話をかけた。「姉ちゃん、今向かってる途中だ」俊介は両親と姉たちが皆来るのを知ってすぐに起き、莉奈も起こして二人は簡単に身なりを整え、急いで久光崎のマンションへと向かった。「俊介、私たち、まだ朝ご飯も食べていないのよ」「姉ちゃん、今向かってるからさ。後で朝ごはんを食べに行こうよ」英子は言った。「あんた成瀬さんと一緒に住んでるんじゃないの?彼女に私たちの朝食を用意させればいいじゃない。外で食べたりしたら、人数も多いし、二、三千円はかかっちゃうでしょうもん」「姉ちゃん、俺たちも今はホテルに泊まってるんだ。まだ部屋を探しに行く時間がなくてさ。あっちの家には今何もないから、料理はできないんだって」唯月が自分のやり方で内装費を回収したので、今俊介のあの家は水も電気も使える状態ではなかった。キッチンなんてほとんど何も残っておらず、莉奈が彼らのためにご飯を作ろうにも、どうしようもないのだ。英子は少し黙ってから言った。「唯月のやつ、うちらをブロックしてるのに、あんたはどうやって彼女に連絡するの?陽ちゃんに会いたくたって、会えないんじゃないの?」「陽は普通唯花の本屋にいるから、あそこに行けば会えるさ。別に唯月に連絡する必要もないって」唯月に自分がブロックされても俊介は全く意に介していないようだった。唯月が家の内装をめちゃくちゃにしたので、俊介はかなり怒りを溜めていたが、それでも全く後悔などしていなかった。彼は離婚してから莉奈が嫉妬するといけないので、唯月には連絡したくなかった。「連絡がつかなくったっていいけどね。陽ちゃんの養育費を払えない口実にできることだし。そしたら毎月六万も節約できるのよ」英子はただそう思い込むことでしか、自分を納得させられなかった。俊介は何も返事しなかった。彼は家族に、すでに一年分の養育費を支払い済みだということを教えていないのだ。「姉ちゃん、今運転中だから、後で会った時にまた話そうよ」「わかったわ」英子は電話を切った後、両親に言った。「俊介、今来てる途中だって。家は水も電気も使えない状態だから、料理できないらしいわ。だから外で朝ごはんを食べようって言ってたよ。しばらく朝食なんて外食してなかったし、どこかレストランに行って食べましょうよ」佐々木母はお金を使うことをつらそう
佐々木父は暗い顔で妻を睨んで、問い詰めた。「どのじいさんにそれを頼んだんだ?」「唯花の実のじいさん以外、他に誰がいるんだい?彼女のばあさんが入院しているでしょ?病院へ行ってお願いしたのよ。そしたら、あのじいさんが図々しくて、口を開けるとすぐ二百万を要求してきたのよ。もちろんそれは受け入れられなかったから、散々値切って、結局百二十万渡すことになったわ。絶対唯花を説得するって何度も保証したくせに、全くできなかったのよ。唯花は全然唯月を説得しなかったわ。お金を取って何もしてくれなかったってことでしょ?」佐々木母が言い終わると、佐々木父は彼女の腕をビシッと叩いた。「お前、アホじゃないか!唯月の実家の連中が信用できると思ったのか。それに、唯花は実家の人たちと仲が悪いって知ってるだろうが!誰に頼んでも、あいつらに頼む馬鹿がいるか!普段は賢いのに、とんでもない真似をしやがって!百二十万!百二十万を渡したって?」佐々木父は妻の愚かさに目の前が暗くなり、卒倒しそうだった。佐々木母は悔しそうに言った。「唯花はあまり話が通じないからさ、内海家の人間に出てきてもらったら、どうなっても内海家の家族同士の喧嘩になるし、私が唯花のせいで辛い思いをしなくてもいいって思ったのよ。あのじいさんはちょうど病院に奥さんの医療費を八十万円請求されて困っていて、私が百二十万払ってあげたら、残った四十万を唯花を説得する費用にするって言ったのよ」内海ばあさんの治療費は最初は彼女自身が貯金で支払ったが、後で子供たちに少しずつ出させたのだった。最近そのお金を使い切ったところに、また八十万円を請求され、ちょうど佐々木母が訪ねて来たのを、内海じいさんはチャンスと捉えたのだ。「本当にどうしようもない馬鹿だな。あの連中にお金をやったら、海に水を注ぐのと同じだろう、全く無意味なことなんだぞ!」英子も言った。「お母さん。内海家の人間に頼んでって言ったけど、お金を払えとは言ってないじゃないの」そう言いながら、心の中で母親にはまだそんなにへそくりがあったのかと思った。俊介が普段両親にたくさんお金を渡しているようだ。両親が彼女の家に使ったお金は、俊介が渡したお金の半分しかないだろう。「内海じいさんからお金を取り返さなくちゃ。約束を果たしてくれないんだから、きっちり返してもらわない