LOGIN
俺は目を閉じ、飛び降りた。……目を覚ますと、真っ先に飛び込んできたのは、泣き腫らした陽菜の顔だった。彼女は俺の手を強く握りしめていて、俺が目を覚ましたとたん、慌てて医師を呼んだ。俺はやっとのことで手を持ち上げた。「泣かないで」陽菜は勢いよく俺に抱きついた。俺がなだめるように背中を軽く叩くと、ようやく腕をほどいてくれた。父と母は反対側に立ち、心配そうに、そして申し訳なさそうに俺を見ていた。陽菜が俺の耳元で小さく囁いた。「陸崎社長が見つけたの。時沢悠真が金貸したちと組んで、あなたを陥れた証拠。もう全員、捕まってる」母は涙を拭い、俺の名を呼んだ。「晴人」けれど、呼んだきり、なかなか言葉を続けなかった。俺は自嘲気味に口を開いた。「悠真を許してほしいのか?産んでくれた恩を持ち出して頼むなら、頷いてもいいよ」陽菜が俺をにらむように見た。けれど母は、俺が想像していたような喜び方はしなかった。何度も首を振った。あまりに不安だったのか、俺に直接話しかけることもできず、父のほうを見た。父はため息をついた。「晴人、父さんも母さんも、自分たちが間違っていたとわかっている。お前がここまで追い詰められたのは、私たちが悠真を大事にしすぎたせいでもある。父さんと母さんを、許してくれるか」母はすがるような目で俺を見ていた。俺はうつむいた。「お母さん、俺に返してくれたあのカード、覚えているか。あのとき俺がそれを持っていたら、こんなことにはならなかった。俺が言いたいのは、もう遅いということだ」あなたたちがくれた愛は、あまりにも遅すぎた。俺にはもう、必要なかった。「帰ってくれ。眠いんだ」俺は横になり、彼らに背を向けた。背後から母が声を殺して泣く音が聞こえた。それでも、俺は考えを変えなかった。この世には、許せないこともある。汐音は、自分こそが俺を飛び降りさせた元凶だと痛いほどわかっていたのだろう。それ以来、俺の前に姿を現す勇気はなかった。ただ、決意を固めたように、悠真を徹底的に追い詰めた。裁判の日、俺は行かなかった。俺はもう陽菜と一緒に、帰るべき家へ向かっていたからだ。俺が縁側に腰かけて本を読んでいると、陽菜は小さなスコップを手に花を植えていた。「どうして去年植えた花って、
俺がベッドの上で身を起こすと、汐音が口を開いた。「晴人、大丈夫?」俺はベッドに座ったまま、もう何も言えなくなっていた。やっぱり、俺には幸せに生きる資格なんてなかったのだ。陽菜と過ごした日々は、まるで夢のようだった。今、その夢は覚めた。俺はまた、暗闇の中へ戻るべきなのだ。俺はベッドの上に座ったまま、聞こえていないかのように動かなかった。汐音は長いこと待っていたが、俺が何も言わないので、ゆっくりと近づいてきてベッド脇に腰を下ろした。ためらいながら、俺の額に触れて熱を確かめようとする。「触るな」俺はかすれた声で言った。「君に触られると、吐き気がする」汐音は、やはりその場で手を止めた。彼女の目の縁も赤くなっていた。いつも高いところから人を見下ろしていた汐音が、俺の前でこんな表情を見せたことなど、これまで一度もなかった。「晴人、私は知らなかったの。本当にあなたがあんな目に遭っていたなんて……」俺は顔を向け、月明かりの中で彼女を見た。彼女の顔には罪悪感が滲んでいて、どうしようもなく白々しく見えた。「本当に知らなかった?違う。君は知っていた。闇金から金を借りて返せなかった人間がどうなるかくらい、知らないはずがない。殴られるだけならまだ軽い。ひどければ、手足を折られることだってある。君は知っていた。ただ、悠真の言葉が君の本音に都合よく重なったから、知らないふりをしただけだ」汐音は唇を引き結んだ。顔に浮かぶ後悔の色は、いっそう濃くなった。「晴人、私が悪かった。もう一度、やり直せない?」左脚がじくじくと痛んだ。「おじいちゃんに会いに行ったときには、もうかなり悪くなっていた。医者には、一刻も早く手術したほうがいいと言われた。でも、俺には金がなかった。両親に電話しても誰も出なかった。君に電話したら、君は、俺が君に連絡を取るためならどんな手でも使うんだなって言った。あいつらの股の下もくぐった。そうしたら、三万円を俺の顔に投げつけて、俺みたいな惨めなやつが陸崎社長に釣り合うわけがないって笑った。そうやって頭を下げて、頼んで、それでも金はどうしても集まらなかった。おじいちゃんは病院で死んだ。葬儀を出す金もなくて、借りるしかなかった。何とかすれば返せると思っていた。その金で葬儀を出したのに、返済
こいつに、そんな資格があるのか。どうして、そんなことができる。頬に痛みが走ったとき、俺はようやく我に返った。目の前には汐音が立っていた。その目には、隠しきれないほどの苛立ちが滲んでいる。悠真はといえば、俺に襟元をつかまれたまま壁際に押しつけられていた。髪は乱れ、頬は赤く腫れている。その瞬間、どちらが狂っているのか、自分でもわからなくなった。汐音は手を下ろし、冷たい声で言った。「藤崎晴人、気でも狂ったの?今の自分の姿を見てみなさい。時沢家の人間には少しも見えないわ。まるで精神異常者じゃない」「汐音、大丈夫だよ。晴人が俺を恨むのは当然だから」悠真は口元を歪め、痛みに小さく息を吸った。「悠真を放しなさい」俺は呆然としたまま、動けなかった。汐音は苛立ったように、俺を引き離そうと手を伸ばしてきた。そのとき、腕に温かな感触が触れた。そちらを見ると、痛ましそうな陽菜と目が合った。彼女はそっと俺を引き離し、乱れた髪を整えてくれた。「晴人、もう大丈夫。私が来たよ。怖がらないで」目の奥が熱くなり、涙が一気にこぼれ落ちた。俺は陽菜を強く抱きしめた。汐音の瞳に、ふいに冷たい光が宿った。彼女は問い詰めるように言った。「その人は誰?晴人、私のことをいったい何だと思っているの!」陽菜はつま先立ちになり、不器用に俺の背中を撫でた。「陸崎社長ですよね。晴人とあなたの婚約は、もう解消されています。それに、私が誰かなんて、あなたには関係ありません」汐音は言い返した。「あなた、何様のつもり?」陽菜は答えなかった。俺の感情が少し落ち着いたのを見て、俺の手を引き、部屋へ戻ろうとした。「待ちなさい!晴人、私と帰るのよ!」陽菜は足を止め、俺を見上げて、問いかけるような目を向けた。俺は彼女の服を軽く引き、低い声で言った。「戻ろう。お願い」彼女はもうためらわなかった。汐音のやり場のない怒りごと、ドアの外へ閉め出した。部屋へ戻ると、陽菜はコップに水を注いでくれた。それからポケットから胃薬を取り出し、飲むように促した。俺が薬を飲み、気持ちが少しずつ落ち着いてから、彼女は自分を責めるような目で俺を見た。「ごめん。私、出ていくべきじゃなかった」「君のせいじゃない」俺は彼女の手をぎゅっと握りしめた。彼女に支えてい
陽菜はしばらく、いい気味だと言わんばかりに俺をからかっていたが、それでも慌てて上着を羽織り、胃薬を買いに出ていった。けたたましくインターホンが鳴ったとき、俺は陽菜がスマホを忘れたのだと思った。彼女はいつも、そうやってうっかりする。「そんなに慌てて出ていくから、スマホ忘れたんだろ」俺の声は、開けかけたドアと同じように、そこでぴたりと止まった。ドアの外にいたのは陽菜ではなく、いかにも育ちのいい御曹司のような格好をした悠真だった。彼は俺を値踏みするように見た。手には、パンの入った袋をいくつか提げていた。ろくでもない用件で来たのだと、すぐにわかった。俺は眉をひそめ、冷たく問いただした。「どうしてここがわかった」悠真は、馬鹿を見るような目で俺を見た。「まさか知らなかったの?お前が住んでいるこの建物、陸崎家の持ち物だよ。それにお前の住所は、もちろん汐音が教えてくれた」俺はドアノブを強く握りしめた。指の関節が白くなるほど、力がこもっていた。汐音。また汐音だ。何年も彼女にしがみついてきた、そのつけが回ってきたのだろうか。逃げようとすればするほど、結局彼女から逃れられなくなる。悠真はドアを押さえ、手にした袋を軽く揺らした。俺を見る目は、まるで笑いものを眺めているようだった。「どうしてそんなに歓迎してくれないの?お前の大好きなパンを持ってきてやったのに」ドアを閉めようとしたが、びくともしなかった。俺は彼を睨み、歯を食いしばって答えた。「勘違いしているようだな。俺はパンなんか食べない」「そんなはずないでしょ?」悠真は片眉を上げ、わざとらしく驚いた顔をした。それから俺の耳元に顔を寄せ、得意げに囁いた。「前は、カビの生えたパンにだって、必死に頭を下げて食いついてたじゃないか」俺は大きく目を見開いた。あの耐えがたい記憶を再び引きずり出され、歯ががちがちと鳴った。「知ってたのか」悠真は、俺が悪夢に落ちていく様子を楽しむように、満足げな笑みを浮かべた。その声は、俺には悪魔の囁きのように聞こえた。「知ってるよ。お前が四つん這いになって犬みたいに鳴いて、カビの生えたパンひとつを恵んでもらったことも、頭を便器に押し込まれて、あいつらに面白がられていたこともね」無理やり、あの暗い記憶がよみがえった。
陽菜は、納得したようにうなずいた。「ねえ、外を案内してあげようか?私、ここに半年住んでるから、けっこう詳しいんだ」俺は少し戸惑った。「どこへ?」陽菜は昔と同じように、つま先立ちになって俺の額を軽く弾いた。「もちろん、家具を買いに行くの。それに、外に出なきゃ、病気だってよくならないでしょ?でも安心して。話すのは私がやるから、あなたは私のそばにいるだけでいいよ。焦らなくていいからね」不思議だった。彼女に触れられても、少しも嫌だと思わなかった。まるで高校の頃に戻ったみたいだった。俺が無理やり千メートル走に出されたとき、大声で応援してくれたのは彼女だけだった。俺がゴールを越えたとき、駆け寄って支えてくれたのも彼女だけだった。見下すことも、嫌がることもなく、ただ温かかった。俺は顔を上げ、まっすぐで優しい彼女の目を見た。そして、何かに導かれるようにうなずいていた。実は、俺は陽菜に片思いしていたことがある。あの頃の同級生たちは、思い返しても、子どもだからといって純粋とは言えなかった。相手を見て態度を変えるのが当たり前だった。俺は貧しく、祖父が小さく仕立て直してくれた古い服を着ていたせいで、年寄りみたいだと笑われ、仲間外れにされた。身なりの整った彼らの中で、俺だけが浮いていた。女子たちでさえ、俺と友達になろうとはしなかった。陽菜だけが、俺を輪に入れてくれた。休み時間に俺と話してくれて、俺がひとりぼっちに見えないようにしてくれた。俺が同級生に金を盗んだと濡れ衣を着せられたときも、立ち上がって俺をかばってくれたのは彼女だけだった。本当は、彼女には友達がたくさんいた。それでも、傷つきやすく卑屈だった俺の心を気遣って、俺を置き去りにはしなかった。俺にとって彼女は、学生時代の俺を照らしてくれた、たったひとつの小さな太陽だった。あんなに温かい彼女を、好きにならないわけがなかった。けれど、新学期が始まったとき、彼女は俺に何も言わずに転校してしまった。そして俺たちは、過去のことには示し合わせたように触れなかった。陽菜と数日を過ごすうちに、俺は少しずつ心の警戒を解いていった。果物屋の店主と、二、三言なら話せるようにまでなった。そして俺たちは、以前のことには示し合わせたように触れなかった。俺がソファに座ってテレビを
俺は郊外に部屋を借りた。繁華街から離れていて、気持ちを落ち着けるにはちょうどよかった。余計なことを考えずに済む場所だった。デリバリーを頼み、玄関先に置いてもらうよう伝えた。配達員の足音が少しずつ遠ざかっていくのを聞いて、俺は大きく息を吐き、外に出て受け取ろうとした。けれど腰をかがめた瞬間、脚に鋭い痛みが走った。冷や汗が噴き出し、その場に崩れるように座り込んでしまった。痛みをこらえながらドアに手をついて立ち上がろうとしたとき、目の前に白い手が差し出された。細くて、ひと目で女の子のものだとわかる手だった。俺は少しためらったが、その手は取らなかった。痛みが少し引くのを待って、自分の力で立ち上がる。その手は、そっと引っ込められた。顔を上げる勇気がなく、俺は小さな声で礼だけを言い、デリバリーの袋を持って部屋に戻ろうとした。「藤崎晴人(ふじさき はると)?」澄んだ女の子の声が、かつての俺の名を呼んだ。俺は反射的に目を上げ、彼女と目が合った。不意に目が合った瞬間、懐かしさや温かさより先に、恐怖が込み上げた。まるで怯えきった小動物のように、反射的に身を隠したくなった。金貸しどもに壁際につながれていたとき、少しでも連中のほうに目を向けると、すぐに怒鳴り声が飛んできた。次の瞬間には、棒が容赦なく振り下ろされる。俺はただ、必死に身をよじって避けるしかなかった。それを見て、周りの連中は腹を抱えて笑った。俺に向けられる視線は、芸を仕込まれた猿でも眺めるような、下卑たものだった。最初のうちは、屈辱も惨めさも感じていた。けれど次第に、そんなことを考える余裕すらなくなっていった。少しでも殴られずに済めば、それでよかった。尊厳とは何だ。それがあれば、俺は逃げ出せるのか。逃げられない。だから俺は、それを捨てた。彼女は俺の異変に気づいたようだった。声は落ち着いていて、穏やかだった。「そのことは考えないで。深呼吸して」彼女の声に合わせて何度か深呼吸をすると、ようやく心が落ち着いてきた。ただ、体はまだ少し震えていた。「私のこと、覚えてない?」目の前に立つ彼女を見ながら、俺は必死に記憶を探った。いつまで経っても俺が名前を呼べずにいると、彼女は目元をやわらかく細めた。その笑顔は、昇りたての朝日のように、俺