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第328話

Author: 無敵で一番カッコいい
明日香の髪はヘアピンで無造作にまとめられ、耳元にはいくつかの髪の毛がはらりと垂れていた。どこか気だるく、無頓着な雰囲気をまとっている。白いカシミアのルームウェアには、長く垂れたウサギの耳がついたフードがついており、その姿は妙に目を引いた。

遼一は黙って彼女を見つめていた。その視線は深く、感情の読めない闇をたたえていて、何を考えているのかまるでわからなかった。

明日香はグラスの水を半分だけ飲み、置いたあと部屋に戻ろうとした。だが振り返ったとき、ちょうど遼一の視線とぶつかり、不安が胸をかすめた。また、あの時のように彼が理性を失って襲ってくるのではないかと、思わず身をこわばらせた。

遼一の頭の中では、江口の言葉が何度も反響していた。

「康生は昔、雪代にも同じことをしたのよ!あんな男、人間の皮を被った化け物よ!」

「康生のせいで命を落とした人間なんて、一人や二人じゃ済まないでしょう?あなたも本当はあいつを殺したいんじゃないの?」

「何を迷ってるの?もしかして、明日香のために躊躇ってるの?」

「はっ、最初から気づいておくべきだった......遼一、あなた......明日香のこと、好きなんだね」

好き?

遼一は嘲るように唇を歪めた。そんなはずがない。明日香など、ただの駒にすぎない。自分が動かし、必要になれば切り捨てるだけの存在。そのはずだった。

明日香は小さく唾を飲み込み、彼の横を足早に通り過ぎようとした。だが突然、手首を掴まれた。

遼一の目には、いつものような欲望や怒り、悪意の色はなかった。けれどそれが逆に、彼女の背筋をぞくりとさせた。今、彼が何をしようとしているのか全く読めなかった。

「ちょっ......何する気?」

その瞬間、遼一は明日香の手を引いて、一階のトイレへと無理やり連れていった。明日香は父に見つかるのが怖くて、大声も出せずに引きずられるまま。

壁に押しつけられたとき、背中に鈍い痛みが走った。

「やめてってば、遼一!お腹、痛いの!」

明日香は今にも泣き出しそうだった。情けないけれど、本当に限界が近かった。それでも、口に出すにはあまりにも恥ずかしくて言えなかった。

しかし、遼一が動くより先に、彼女は腹部を押さえて前かがみになり、顔色が青ざめていった。その異変に、さすがの遼一も動きを止めた。

「お願い......早く出てって。トイレ
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