LOGIN「何言ってるんだ」優斗は微笑みながら夏鈴を慰めた。「君と一緒にいることを、僕がつらいなんて思ったことは一度もないよ。君と一緒にいられるなら、どんなことでも一緒に向き合う」もともと夏鈴にアプローチしたのは彼のほうだった。夏鈴は心を動かされたあと、自分の家庭事情を正直に打ち明けた。それでも優斗は受け入れると決めた。だからこそ二人は交際を始めたのだ。当時受け入れると決めた以上、今になって後悔するつもりなど、微塵もなかった。さすがに、この状況では食事どころではない。夏鈴は何度も奈穂に謝った。奈穂は気にしなくていいと言ったものの、夏鈴の罪悪感はなかなか消えなかった。どうしても申し訳ない気持ちが残ってしまう。奈穂は、夏鈴のどこか魂が抜けたような表情を見て、わずかに眉をひそめた。しばらくして、三人は店を後にした。店の外へ出たとき、奈穂は一目で正修の車に気づいた。少し驚く。迎えに来ることは聞いていたが、もし恵子が騒ぎを起こしていなければ、まだ食事中だったはずだ。どうしてこんなに早く着いているのだろう。もしかして、恵子が騒ぎを起こしたことを知っていた?だが、まだ彼には何も伝えていない。車内にいた正修も奈穂に気づき、ドアを開けて降りてきた。夏鈴は正修の姿を見た瞬間、びくりと身をすくめる。「正修兄さん……」「夏鈴、先に帰っていいよ」奈穂が言った。「今は気分も落ち着かないでしょう。牧野さんに送ってもらって、ゆっくり休んで」夏鈴はほっと胸をなで下ろした。優斗の車は店の前に停まっていた。彼が鍵を開けると同時に、夏鈴は逃げるように素早く乗り込む。正修に対して恐れもあって、同時に申し訳なさもあって、どうしても正面から向き合う勇気が出なかったのだ。もっとも正修は、夏鈴の態度を特に気にする様子もなかった。彼はあくまで奈穂を迎えに来たのだ。優斗は二人に軽く挨拶をしてから車に乗ろうとしたが、奈穂が呼び止めた。「牧野さん、少し待って」優斗はすぐに足を止める。奈穂は声を落として言った。「夏鈴の様子が、少し気になるの。ここ数日は、できるだけ一人にしないであげて」優斗は一瞬驚いたようだったが、すぐに真剣な表情で頷いた。「分かりました。必ずそばにいます」そう言ってから車に乗り込み、そのまま走り去ってい
――なんて愚かなことをしてしまったのだろう。恵子はようやく思い出した。今、自分の家がどんな状況に置かれているのかを。すでに一度、奈穂の機嫌を損ねてしまったせいで、会社の立場は危うくなっている。もし今回さらに彼女を怒らせてしまったら、泰司と二人、本当に路頭に迷いかねない。「……わ、分かった」恵子の表情が引きつった。「それなら、夏鈴は家に連れて帰って話すわ。ここで迷惑をかけるわけにはいかないから」そう言って、優斗の脇をすり抜けて、夏鈴の腕を引こうとした。しかし優斗はしっかりと夏鈴をかばい、夏鈴自身も必死に首を振り、強く拒んだ。「先ほども申し上げましたが」奈穂が再び口を開く。「今夜は夏鈴が私を食事に招いてくれたんです。まだ食事は終わっていません。ですからおばさん、先にお引き取りください。もしこれ以上居座るのであれば、こちらも別の対応を取らざるを得ません」恵子は怒りで震えた。だが、どうすることもできない。優斗をひと睨みすると、今度は夏鈴へ怒鳴りつけた。「食べ終わったらすぐ家に帰ってきなさい!」夏鈴は涙をこぼしながらも、何も答えなかった。奈穂の冷たい視線に耐えきれず、恵子はそれ以上留まれず、個室を出ようとした。恵子が個室の扉に手をかけたとき、優斗が口を開く。「おばさん、僕は本気で夏鈴を愛しています。どうか、僕にチャンスをください。必ず彼女を幸せにします」その声は真剣で、揺るぎない決意がこもっていた。だが恵子は冷笑を浮かべただけで、振り返ることもなく部屋を出て行った。恵子にとって優斗の言葉など、どうでもよかった。娘を九条家本家に嫁がせ、自分が正修の義母になる――それだけが目的だった。恵子が去り、ようやく部屋の中に静けさが戻る。テーブルの上にはまだ料理の香りが漂っていたが、誰一人として食欲はなかった。優斗はティッシュを一枚取り、夏鈴へ差し出す。その目には深い心配の色が浮かんでいる。「もう泣かないで……夏鈴。何があっても、僕は君と一緒に向き合うから」その言葉を聞いた瞬間、夏鈴はついに声を上げて泣き出した。優斗の目にも涙がにじむ。奈穂の目元も、わずかに赤くなっていた。おそらく恵子は店の外で待ち伏せし、食事が終わったところで夏鈴を連れ戻そうとするだろう。そう考えた奈穂は、外に
優斗は指先をぎゅっと強く握りしめ、目元まで赤くなっていた。夏鈴の様子が、痛いほど胸に刺さる。本当に、胸が痛んでならなかった。「まったく、恩知らずね!」恵子は夏鈴を睨みつける。「全部あなたのためを思ってやってるのよ?もっといい生活をさせてあげたいからじゃない。……まあいいわ、今日は水戸さんの前だし、この話は後にしましょう……」そのとき、ふと恵子の視線が夏鈴の指先に止まった。指に光るリング。恵子ははっと目を見開き、すぐさま優斗の手へ視線を移す。――優斗の指にも、お揃いのリングがある。しかも、どう見てもペアリングだ。「その指輪、どういうこと?」恵子は鋭く叫んだ。「どうしてこの男と似たようなものをつけてるの?それ、ペアリングなんじゃないの?あなたたち、一体どういう関係なの!」夏鈴も優斗も、一瞬で顔色が変わった。それは二人で特注したペアリングだった。値段は決して高くない。だが、二人にとっては何よりも大切なものだった。家族に知られるのが怖くて、これまではずっと優斗が預かっていた。夏鈴が実家を離れる決意をして、ようやく身につけられるようになったのだ。まさか恵子が突然現れるとは思わず、指輪のことまで気が回らなかった。「わ、私は……」夏鈴は完全に動揺し、頭の中が真っ白になる。どう答えればいいのか、まったく思いつかなかった。優斗は歯を食いしばり、ついに堪えきれなくなった。彼は素早く前に出て、夏鈴の前に立つ。「おばさん、この件は僕を責めてください。夏鈴を責めないでください!」恵子の頭に血が一気に上る。怒りで全身が震えた。「やっぱり、普通じゃない関係だったのね!」奈穂は思わず眉をひそめた。真剣に付き合っている恋人同士なのに、どこが「普通じゃない」というのか。「夏鈴、いい度胸してるわね!私に隠れてふしだらな真似をするなんて!」恵子はテーブルを叩き、立ち上がった。「お母さん!」夏鈴は悲しさと怒りが入り混じった声で叫ぶ。「どうしてそんな言い方をするの?私はお母さんの娘だよ、それなのに『ふしだら』だなんて言うの?」「じゃあ、この男とは何なの?」「私たち、付き合ってるの!」夏鈴はほとんど叫ぶように言った。優斗は振り返り、夏鈴を深く見つめる。そして、強い決意を込めて夏鈴の手を握り、顔
このまま隠し続けるくらいなら、いっそ早くはっきりさせたほうがいいと、奈穂は思っていた。だが、奈穂は夏鈴本人ではない。勝手に他人の秘密を明かすわけにはいかない。懇願するような眼差しを見て、心が少し揺らぐ。そして口を開いた。「彼は、私の社員なんです」その言葉を聞いた瞬間、夏鈴の張りつめていた体が、わずかに緩んだのが見て取れた。優斗も夏鈴を気遣うように一瞬視線を向けたが、何も言わず、奈穂の説明に合わせた。「そうなの?」恵子は疑いの目で優斗を見る。社員だというのなら、どうして一緒に食事をしているのか。しかも、なぜわざわざ夏鈴の隣に座っているのか。だが、今は奈穂の機嫌を損ねるわけにはいかない。当然、これ以上強く問い詰めることもできなかった。恵子はずかずかと優斗のそばへ行き、その腕を引っ張った。「立ちなさい!どうして娘の隣に座ってるの?」力そのものは大したことがなかったが、優斗は相手が夏鈴の母親であることを考え、強く抵抗しなかった。立ち上がると、そのまま少し離れた場所へ移った。「お母さん!」夏鈴は声を震わせ、必死に泣き出しそうになるのをこらえながら言った。「どうしてここに来たの?どうやってこの場所を知ったの?」今夜ここで食事をすることを知っているのは、自分と奈穂、そして優斗だけだ。この三人の誰も、恵子に伝えるはずがない。「何よその言い方。まるで私を敵みたいに扱って」恵子は優斗が座っていた席にどかりと腰を下ろし、媚びるような笑みを浮かべて奈穂を見る。「水戸さん……」探しても見つからなかったものが、思いがけず向こうから転がり込んできたようなものだ。本来は夏鈴を探しに来ただけだった。それなのに、まさか奈穂までここにいるとは。――これは自分からしつこく付きまとったわけじゃない。娘に会いに来たら、たまたま居合わせただけ。そういう体裁も保てる。「こんなところでまた会えるなんて、本当に偶然だね、水戸さん。実はずっと、きちんと謝りたいと思っていたの。せっかくだし、今夜は私に奢らせてもらえないか……」「おばさん」奈穂の表情は冷えきっていた。「私は今夜、夏鈴と食事をするために来たんです。他の話をするつもりはありません。申し訳ありませんが、お引き取りください」「そんなこと言わずに……水戸さん」
雲翔は若菜の言いたいことを察し、困ったように笑った。「考えすぎだよ。俺たちのことは、本当に水戸社長とは関係ない」だが次の瞬間、ふと表情が引き締まる。「まさか、また彼女に失礼なことを言ったんじゃないだろうな?」もし若菜がまた奈穂に食ってかかったりして、それが正修の耳にでも入ったら――考えるだけでも頭が痛い。若菜は後ろめたさから目をそらした。「わ、私は……別に。ちゃんと、その……そのあと普通に話したわ」曖昧な言い方だった。どうせ最後には謝ったのだ。それ以上、奈穂に何を求められるというの?「それならいい」雲翔は彼女の手を握り直した。「若菜、俺たちは俺たちで穏やかにやっていけばいいんだ。他の人を巻き込む必要はない」若菜は唇をぎゅっと結んだ。……その夜、奈穂は約束どおり、夏鈴が送ってきたレストランへ向かった。夏鈴はすでに到着しており、店の入口で待っていた。奈穂が車から降りると、すぐに駆け寄ってくる。「水戸さん!」本当に嬉しいのだろう。その笑顔は、いつもよりいっそう明るかった。奈穂もつられて微笑む。「さあ、入りましょう。最近よくこのお店の広告を見かけて、すごく良さそうだったから、今日はぜひ一緒に来てほしくて。あ、そうだ、彼氏は今ちょっとお手洗いに行っていて、私たちは先に入りましょう」夏鈴は事前に、今夜は恋人も連れてきて紹介したいと話していた。奈穂に異論があるはずもない。二人が席について間もなく、夏鈴の恋人である牧野優斗(まきの ゆうと)も入ってきた。背が高く整った顔立ちで、年齢も夏鈴とそれほど変わらないように見える。眼鏡をかけていて、どこか知的で穏やかな印象だった。丁寧に奈穂へ挨拶をしてから、そのまま夏鈴の隣に腰を下ろす。食事の間、二人はわざとらしくいちゃついたりはしなかった。だが、それでも奈穂には、二人の間に流れる自然な親密さが感じ取れた。きっと、とても良い関係なのだろう。もし、あそこまで支配欲の強く、無理に別の相手と結婚させようとする母親がいなければ――夏鈴の恋愛は、もっと素直に幸せなものになっていたはずだ。料理がひと通り運ばれ、夏鈴がグラスを持ち上げ、奈穂に何か言おうとした、そのときだった。個室の扉が、突然外から押し開けられた。三人は同時に入口の方を
若菜はこくりと頷き、ふいに顔をそらした。目元が赤く染まっている。雲翔はため息をついた。「ごめん、若菜。つらい思いをさせたね」「つらいこと自体は構わないの」若菜は声を詰まらせながら言った。「でも、雲翔……私、本当に怖いの。今日、お母さんとお会いしたとき、緊張しすぎて、失礼なことを言ってしまった気がして……余計に印象が悪くなってしまった気がするの」「気にしなくていい」雲翔は彼女の背を優しく撫でた。「親世代の人って、どうしても俺たちとは考え方が違うこともある。だから『ジェネレーションギャップ』なんて言葉があるんだろう?」「でも……もっと私たちのことを反対されたらどうしよう。私たち、別れたくないのに……そうなったら、あなたにだって大きな負担がかかるわ」若菜はためらいがちに続けた。「それに、お母さんが言ってたの……その……」「何て言われたの?」と雲翔。「やっぱりいいわ。あなたとお母さんの関係を悪くしたくないもの」「変なこと言うなよ」雲翔は軽く笑った。「君は嘘をついてるわけじゃないんだろ?それでどうして、俺と母の仲を裂くことになるんだ?何を言われたのか、ちゃんと教えて」――嘘、という言葉に、若菜の体が一瞬ぴくりと震えた。だが、雲翔の母親とのやり取りに関しては、本当に嘘はついていない。恐れる必要なんてない。そう自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせてから、弱々しい表情を浮かべて雲翔を見つめた。「今は宋原グループの大半をあなたが取り仕切っているけれど……でも、お父さんがその気になれば、いつでも全部取り上げられるって……そう言われたの」雲翔は小さく笑ったが、何も言わなかった。その反応に、若菜はかえって真意が読めなくなる。「雲翔……本当なの?私のせいで、あなたに迷惑がかかったらどうしようって……」「本当だよ」雲翔は淡々と答えた。「会社の最終的な決定権を持っているのは、確かに父だ」はっきりとした答えを聞き、若菜は今にも泣き出しそうな表情になる。「大丈夫だよ」彼は彼女の様子を見て、穏やかに慰めた。「俺にだって個人資産がまったくないわけじゃない。たとえ父が俺の権限を全部取り上げたとしても、食べるのに困ることはないし、生活水準だって変わらない」そう言って彼女の頬に軽く触れた。「君を養えないなんてことはないよ」確かに、彼に個人
奈穂の視線は、【さっさと死ね】と書かれた六文字に止まった。眉間がわずかに寄る。そのアカウント名はあまりにも刺々しく、露骨な悪意に満ちていた。しかも投稿された内容は誘導性が強すぎる。どう見ても、ただのネット民が気まぐれで投稿したものではない。だがすぐに、その投稿は削除された。何度も更新して確認した。――本当に消えた。それだけではない。その投稿をきっかけに始まった全ての議論やコメントまでもが、跡形もなく消されていた。奈穂はゆっくり顔を上げ、向かい側に座る正修を見た。彼もまたスマホ画面を見下ろしていた。表情は冷静だが、その眼差しには冷たい光が宿っている。「……正修もあのトレン
北斗の心の中では、当然逸斗を見下していた。たとえ逸斗が四大財閥のひとつ――秦家の出だとしても、所詮は一日中遊び歩く放蕩息子にすぎない。将来、秦家の後継者になるのは間違いなく逸斗の兄か姉だ。逸斗など、適当に遊んで一生を終えるのが関の山だろう。――心の中ではそう思っていても、表に出すわけにはいかない。だから北斗は表面だけ笑みを作った。「秦さん、考えすぎです。ただ……俺には、ぜひお兄さんとお話ししたい重要なことがありまして」「重要なことなら、俺でも聞けるだろ」そう言って、逸斗は薄く、どこか不気味な笑みを浮かべた。「というか、伊集院社長が言わなくても……俺、もう察してる
「もちろんよ。あなたは赤ちゃんのパパなんだから。血が繋がってるのよ」「じゃあ、ゆっくり休んでて。すぐ向かう」「……うん、待ってる」電話を切ったあと、北斗はすぐにでも病院へ行くつもりだった。だが、まるで魔が差したように、彼はまた奈穂と正修の写真を開いた。彼は必死に、その写真の中から奈穂が「本当は正修と一緒にいたくない」という痕跡を探そうとした。しかし、どう見ても――彼女の笑顔は、刺すように眩しかった。しばらく茫然と写真を見続けていると、北斗はふいに大学時代の記憶を思い出した。その時、学生会のメンバーと一緒にゲームセンターへ行ったことがあった。その頃の奈穂はすでに彼の恋
正修はすでに加減していたつもりだったが、それでも抑えきれなかった。「大丈夫」奈穂はそっと首を振った。「ただ……」彼女の耳はほんのり赤くなり、身を寄せて、彼の耳元で小さな声で囁いた。「あなたのキス……ちょっと下手」そう言われても、正修は怒ることもなく、ただ慈しむように微笑んだ。「俺は初めてキスしたんだ。まだ慣れていない。奈穂、許してくれる?」「ってことは、今の……あなたのファーストキス?」「もちろん」正修は躊躇いもなく答えた。奈穂は以前、正修が女性に興味を持たず、そばに女の影すらないと聞いたことがあった。今思えば――女がいなかったのは本当だ。だが、女性に興味がない







