LOGIN高級ブランドデザイナーの百合は、仕事で成功している上に、政略結婚予定の婚約者・矢絃とも順調に愛を育んでいた。お腹の中には彼との赤ちゃんもいて順風満帆。 そんな幸せを壊したのは、送り主不明の手紙。封筒の中には愛する矢絃が、女性とラブホテルに出入りしたり、キスしたりしている写真。ショックで倒れ、流産してしまう。 そんな百合に追い打ちを書けるように暴言を浴びせる矢絃。百合は別れを切り出したが、弱みを握られているため、矢絃に従うしかない。 矢絃の命令で晩餐会に出席すると、見世物にされてしまう。そんな百合を会場から連れ出したのは、裏社会との繋がりを噂されている財閥会長で……!?
View More平日の昼下がり。スーツを着こなした女性が、長い黒髪をなびかせながら高級住宅街を歩く。彼女の名は宝生百合。有名ブランドのデザイナーとして成功した上に、大企業の副社長という肩書をもつ優しくて顔のいい婚約者がいる。
セレブが多いこの高級住宅街の住人に身近な成功者を聞いたら、多くの人が彼女の名前をあげるだろう。百合は元々、高級住宅街に住めるような身分ではない。富裕層とは縁のない一般家庭で産まれ、物心付く前から、母とふたり暮らしをしていた。
熊谷矢絃《くまがいやいと》という肩書も顔も完璧な男と婚約し、高級住宅街に住むようになった。彼とは政略結婚の予定ではあるが、矢絃は百合を大事にしてくれている。最近妊娠が発覚すると、少し鬱陶しく感じるほど過保護になった。
誰もが百合を、「シンデレラのようだ」と羨ましがった。そんな百合が昼下がりに自宅に向かっている理由は、よくある話だ。仕事で急遽別の資料が必要になり、その資料を取りに帰路を歩いている。
豪邸に着くと、百合はポストを確認する。昔から帰宅したらポストを見るのがクセなのだ。
「あら?」
時間的にまだ何も入っていないだろうと思っていたが、1通の手紙が入っていた。不思議に思いながらも手紙を手に取る。どうやら百合宛のようだが、封筒に書かれているのは百合の名前のみで、送り主の住所や名前も書かれていなければ、切手も貼られていない。どうやら誰かが、直接ポストに入れたようだ。
「何かしら?」手紙の割には少し重さがある。それに、少し固い。入っているのは便箋の類ではないらしい。
気になってその場で開封してみると、裏返しの写真が何枚か入っている。
(誰かが自分でデザインしたものでも入れたのかしら?)
天才デザイナーと呼ばれるようになった頃から、デザイナー志望の人間が自分でデザインしたバッグや財布などのサンプルやラフ画、写真を送ってくるようになった。大半が百合がいる会社か、商品を取り扱っている店舗に送られてくる。
自宅に送られてきたのは初めてだが、交流をしてみると、デザイナーや芸術家を夢見ていた女性がそれなりにいる。きっと彼女達の中の誰かがポストに忍ばせたのだろう。
写真をめくり、頭が真っ白になった。そこに写っていたのは作品の写真ではなく、矢絃だった。写真の中の矢絃は、金草マキという女性と腕を組み、ラブホテルに入っていく。
金草マキは社長令嬢で、芸術大学時代の同級生だ。自分が1番でないと気がすまないマキは、いつも教授に褒められ、特別講師として来た現役デザイナーにも認められる百合を毛嫌いし、嫌がらせをしてきた。
大学を出て会うこともないと思ったが、矢絃と交際して社交界に顔を出すようになると、そこで再会し、会う度に嫌味を言ってきたり、足を踏んできたりする。挙句の果てにはこけたふりをして、食べ物や飲み物を百合にかけてきたりもした。
それだけでは飽き足らず、人気ブロガーでもあるマキは、ブランド品辛口レビューブログで、百合がデザインした商品を貶したり、パクリだと書いたりしている。
矢絃はふたりの因縁を理解し、百合の味方だと言ってくれた。実際、会場でマキを見つけると、遭遇しないように離れたところへエスコートしてくれたりもした。
「なんで? どうして?」
見たくないと思っても、写真をめくる手が止まらない。写真はどれも残酷な不貞行為を写している。路地裏や居酒屋でキスしている写真や、社内の会議室や休憩室などで性行為をしている写真もあった。
(なんで、よりによってマキとなんて……)
「ぐうっ!」
ショックで真っ白になった百合を現実に引き戻したのは、尋常ではないほどの腹痛。手から滑り落ちた写真は地面に落ち、その上に倒れ込んでしまった。
「い、いたっ……。ああっ!」
「ちょっと、大丈夫!?」
痛みに悶絶していると、買い物で通りかかった中年女性が買い物袋を投げ出して百合の元に駆け寄る。
「お腹が、赤ちゃんが……!」
「子供がいるの!? 待ってて、すぐ救急車呼ぶから!」
女性はカバンからスマホを出し、救急車を呼ぶと、投げ出した買い物袋からミネラルウォーターを出す。
「飲めそうなら飲んで。大丈夫、救急車すぐに来るからね!」
女性は救急車が来るまで、百合のそばにいてくれた。
(矢絃さん、どうして……。よりによって、マキとだなんて……)
脳裏によぎるのは、先程見た写真の数々。救急隊員の呼びかけには上の空で、絶望しながら病院に搬送される。
大学病院に運ばれると、治療を施され、病室のベッドに運ばれる。頭の中は不貞行為のことでいっぱいで、どんな治療を施されたのかはほとんど記憶にない。
無気力で天井を見つめていると、医師が入ってきた。
「残念ながら、流産です……」
「そんな……!」
百合にとって、お腹の中の赤ちゃんは希望だった。その希望が絶たれ、ショックで過呼吸になる。医師は看護師を呼び、吸入器を使って呼吸を落ち着かせてくれる。
「しばらく、安静にしていてください。なにかあったら、ナースコールを押してくださいね」
医師はそれだけ言うと、病室から出ていった。
(赤ちゃんが、もういない……)
流産という言葉と事実が、百合に重くのしかかる。受け入れられずに、動くことすらできない。
廊下からガシャン! と派手な物音が聞こえ、我に返る。
「もう、気をつけなさいよ」
「すいません」
新人がやらかしたと想起させる会話が聞こえてくる。
「連絡、しなきゃ……」
サイドテーブルに置いてあったスマホを手に取ると、矢絃に電話をかける。彼はすぐに電話に出た。
「もしもし、百合? こんな時間にかけてくるなんて珍しいね。どうしたんだい?」
いつもの優しい声は、今では凶器でしかない。この声でマキにも愛を囁いていたと思うと、胸が張り裂けてしまいそうだ。
「矢絃さん、私、私……!」
「百合? 落ち着いて。何があった? 今、どこにいる?」
「大学病院に……」
「なんだって? 赤ちゃんは、無事なのか?」
赤ちゃんという言葉に、息が詰まる。流産を伝えたら、彼はどんな反応をするのだろう?
(怖い……)
それでも、伝えなくてはいけないと分かっていた。不貞行為を問い詰めるためにも……。
「私、流産したの……」
「情けない女だ」
返ってきたのは嘲笑うような声。その声に怒りが込み上げてくる。
「情けないですって!? 私がどうして流産したと思う!? あなたがマキと不倫してる写真を見たせいで……!」
「写真だと? くだらん。そっちには行ってやる。それまでに冷静になって、本当に悪いのは誰か考えるんだな」 電話は一方的に切られてしまう。百合はベッドに身を預けた。ただでさえ心も体もボロボロなのに、怒りをぶちまけたせいで余計に悪化したような気がする。「どうして。こんな……」
百合は空になった腹部に手を添え、静かに涙を流す。
30分も経たないうちに、矢絃が来た。彼は病室に入るなり、百合を平手打ちする。
「いっ……! くぅ……!」
叩かれた頬は、痛みの後にじんわり熱を持つ。
「何が俺とマキのせいだ! お前が弱いから流産したんだろうが! 俺とマキに責任転嫁するな。この恥知らずが」 「なんですって……!」暴言を吐き捨てられ、再び怒りがこみ上げる。矢絃の言い分はあまりにも身勝手だ。彼が不貞行為などしなければ、百合は幸せのまま過ごせたし、赤ちゃんを失うこともなかったのだから。
「お前も、お前の母親も、うちに養われている身だ。自分の立場をよくわきまえろ」その言葉に、百合は唇を噛みしめる。あの豪邸に住めるのは、彼の言う通り矢絃のおかげではある。押し黙る百合を見て、矢絃は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。怒りが頂点に達した百合は、口を開く。
「あなたと別れる! 婚約解消よ。慰謝料も請求するわ。結婚してなくても、婚約関係にあるなら、請求できるんだから!」百合が婚約解消を言い渡しても、矢絃は笑ったまま。
数日後、秋明が退院して帰ってきた。紫苑が付き添いと荷物持ちをし、一緒に家に入ってくる。「おかえりなさい、秋明さん。帰って来るなら、連絡くれればよかったのに」「色々立て込んでてな。百合、少し話がある。リビングに行くぞ」「え? えぇ」 百合は戸惑いながらも秋明と共にリビングへ行く。ルリがすかさず3人分のお茶を持ってきた。少し遅れて紫苑が来ると、秋明は自分の向いに座るように促した。「紫苑、お前も座れ」「はい」 秘書である紫苑が座ることは滅多にない。百合はとんでもないことが起きているのだと身構える。「実はここ数日、妻夫木財閥が抱える会社の売上や株が、ほぼ同時に下がっていてな」 秋明は紫苑に目配せをする。紫苑は小さくうなずき、口を開く。「各社の責任者達に聞いた結果、優秀な社員達が次々に辞めているんです。そちらも、示し合わせたように、同時期に……」「それって、誰かが裏で辞めるように仕向けてるってこと?」 百合の問いに、秋明がうなずく。「どうやら、そうらしい。まだ、しっかりした証拠は出てきていないが、幹部の山本五郎という男が怪しい。専属の探偵に調べさせているところだ。まだ推測の域を出ないが、山本が他社と組んで、引き抜きに協力している可能性が他界。」「ねぇ、どうして私にそんな話を? 会社の話をされても、私には知識なんてないわ……」 できることなら力になりたいが、一介のファッションデザイナーが出る幕ではない。「熊谷矢絃が絡んでる可能性がある。だからお前に話した」「なんですって!?」 驚くのと同時に、矢絃の執念にぞっとする。いったい何がそこまで彼を動かしているのか、百合には分からない。「斎賀を呼べ」 秋明は紫苑に命じる。「斎賀って、斎賀梓さん? 彼女を呼び出してどうするの? 彼女、デザイナーであって、幹部とかじゃないでしょ」「ある意味、幹部よりも信頼できる」「連れてきます」
百合はマリを連れ、藤子の家に行った。マリは家庭菜園を眺めながら、外で待機する。「百合、おかえりなさい。外で待ってる子は?」 藤子は訝しげな目で、外にいるマリを見ている。「ただいま、母さん。あの子はマリちゃん。お手伝い兼護衛なの。秋明さんが、最近物騒だから連れて行けって言うから、ついてきてもらったの」「そうだったの……。入れてあげたいけど、事が事だから……。そうだ、ちょっと待っててくれる?」 藤子は台所に行く。彼女はペットボトルのお茶を持ってきて、百合に手渡した。「マリちゃんに渡してきてくれる?」「分かったわ」 百合は外に出ると、マリにお茶を差し出す。「マリちゃん、これ。母さんから」「わぁ、ありがとうございます」 マリは嬉しそうに受け取ると、早速ひと口飲んだ。「はぁ、生き返る……。藤子様に、ありがとうございますと伝えていただけますか」「えぇ、もちろん。マリちゃん、なんなら近場で涼んできてもいいのよ?」「いえ、今回は護衛ですので、お庭で待たせていただきます」「そう? つらくなったらすぐに言って」 百合はちらりと空を見る。9月上旬の曇りだが、まだ蒸し暑い。「お気遣い、ありがとうございます。暑さでやられそうになったら、車に避難するので大丈夫です」「できるだけはやく終わらせるから」 百合は家の中に戻ると、藤子の向かいに座った。藤子は1通の古びた封筒を、百合に差し出す。「これが、お父さんからの遺言書よ。中身は見てないから、私にも、何が書かれてるのか分からないの」「父さんからの……」 百合は慎重に封筒を手にする。カサリとした手触りとかすかに漂う古びたにおいが、短い歴史を感じさせた。「ねぇ、父さんって、どんな人?」 百合は初めて父について藤子に聞いた。父に関する記憶は、ほとんどない。父親
「大丈夫でしたか?」 正樹の病室から出ると、紫苑が心配そうに百合の顔を覗き込む。「えぇ、大丈夫よ。秋明さんの病室に戻りましょう」「はい」 百合は秋明の病室に戻ると、正樹から聞いたことすべてを伝えた。「ふん、思わせぶりな態度を取っておきながら、大した情報がない。つまらん男だ」 話を聞いた秋明は、吐き捨てるように言う。これには百合も同意だ。「ここまでの失敗をしたんだ。熊谷矢絃には、見捨てられただろう。中務正樹は、もう警戒する必要はない」「そうね。けど、あの誘拐が囮だったっていうのが気がかりだわ……」「分かってる。紫苑、調べておけ」「かしこまりました」「百合、念の為出かける時はあの双子を連れて行け。何かあったら困る」「分かったわ」「奥様、家までお送りしますよ」「ありがとう」 百合と紫苑は病室を後にすると、家に帰る。紫苑は百合を下ろすと、調べごとがあるからと行ってしまった。「厄介なことにならないといいけど……」 紫苑を見送りながら、ぽつりと呟く。 スマホが鳴り、メールが来たことを知らせる。「誰かしら?」 確認してみると母からで、遺言書を取りに来いとのことだった。 その頃秋明は、第2秘書に内密に持ってこさせたノートパソコンを枕の下から出し、起動させる。「やはり秘書は、2、3人いたほうがいいな。紫苑に頼んだら、持ってきてもらえるどころか、説教される……」 起動するのを待つ間、そんな独り言を言う。前回怪我で入院した時も、怪我人は安静にしてろと言われ、パソコンを持ってきてもらえなかったのだ。 秋明は自社ブランドの株や売上をチェックし、渋い顔をする。「おかしい……」 過去のデータを何度も見返す。どういうわけか、ほぼ同時期に、何10社もの株や売上が緩やかに落ち始めているのだ。ほんの2、3社なら、ただの偶然で済ませることができただろう。 さすがに20社以上の売上が同時期に落ちるのは、どう考えてもおかしい。秋明は紫苑に電話をかけた。『秋明様、どうなさいました?』「20社以上の売上が、同時期に下がっている。なにがあったのか調べてくれ」『かしこまりました。ですが、秋明様?』「なんだ?」『どうやってパソコンを持ち込んだんですか?』 紫苑の声は明るいが、どこかヒヤッとするものがある。「スマホで株を見てただけだ」『つくならもう少
「深い意味はあらへんよ。ただ、君だけ呼ぶって、映画のワンシーンみたいで、意味深な感じせぇへん?」「は?」 理解できずに思わず素っ頓狂な声を出すと、正樹はケタケタ笑う。「あっはは! えぇ反応するなぁ。っと、いたた……」 傷に障ったのか、顔をしかめる。それでも正樹はどことなく楽しそう。「はぁ、銃弾なんか受けるモンやないなぁ。百合ちゃんも気ぃつけるんやで」 どう返していいか分からずに黙っていると、正樹は力なく笑った。「ここ、笑うところなんやけど」「いいから、話して」「はいはい。相変わらずそっけないなぁ。ま、そういうところも好きやけど」 軽口を叩く正樹にイラっとした百合は、バッグを振り上げた。「冗談やって。妻夫木の妻やっとるだけあって、怖いなぁ」「はやく話しなさい」「その前に、百合ちゃんはシオン、やっけ? あれから話は聞いとるん?」「そうよ、だからここに来たの」「そらそうか。失礼しました。あの秘書くんにも言うた通り、熊谷サンとは手ぇ組んどるよ。前に商業パーティーで、君と熊谷サンがバチバチしとったやろ? あそこに俺もおったんや」 初めて参加した商業パーティーのことを思い返す。あの時百合は、熊谷矢絃とその恋人のマキに、パクリだなんだと言われたのだ。確かにあの会場には、和ニカケの新作も展示されていた。「それで熊谷サンと手ぇ組めば、妻夫木財閥に傷をつけるくらいはできる思うたんや」「そんな理由で、あの人と組んだの?」「和ニカケは、ある意味まっさらな会社なんよ。裏との繋がりなんて、なーんもあらへん。そないな会社が妻夫木財閥に喧嘩売っても、潰されるだけや。けど、熊谷サンも、妻夫木財閥と同じく裏との繋がりがあるやろ? その上、妻夫木財閥を恨んどる。せやから手ぇ組んだわけやけど、あかんかった……」 正樹は虚空を見つめる。彼が何を思っているのか、百合には想像することすらできない。「私の誘拐に、あの人はどれくらい関わってるの?」「君を眠らせた睡
「何がおかしいの? 言っておきますけどね、私ひとりの稼ぎでも、母とやっていけるのよ」 更に言葉を続けるも、矢絃の勝ち誇った顔が崩れることはない。「出て行くだと? お前の母親は終身サービス契約にサインしている。違約すれば8千万だ」「8千万!? どういうこと……!?」 母の藤子は、矢絃が副社長を務める会社で清掃員として働いている。母は常々、「今の生活があるのは熊谷さんのおかげなんだよ」と言っていた。百合はてっきり、母は矢絃が自分を雇ってくれたことに感謝しているのかと思っていた。(そういえば、最近そういう言葉聞かなくなった……)「聞いてなかったのか? お前の母親が、契約書をまともに読ま
平日の昼下がり。スーツを着こなした女性が、長い黒髪をなびかせながら高級住宅街を歩く。彼女の名は宝生百合。有名ブランドのデザイナーとして成功した上に、大企業の副社長という肩書をもつ優しくて顔のいい婚約者がいる。 セレブが多いこの高級住宅街の住人に身近な成功者を聞いたら、多くの人が彼女の名前をあげるだろう。百合は元々、高級住宅街に住めるような身分ではない。富裕層とは縁のない一般家庭で産まれ、物心付く前から、母とふたり暮らしをしていた。 熊谷矢絃《くまがいやいと》という肩書も顔も完璧な男と婚約し、高級住宅街に住むようになった。彼とは政略結婚の予定ではあるが、矢絃は百合を大事にしてくれている。
ビルから出ると、リムジンが停まっていた。ボディガードのひとりがドアを開ける。秋明は何食わぬ顔でリムジンに乗ると、困惑しながら立ったままの百合に目を向ける。「何ぼさっと突っ立ってるんだ。はやく乗れ」「え、えぇ……」 おずおずとリムジンに乗り、百合は目を見開く。L字型をした革張りの座席があり、その向かいには小さなバーカウンターを想起させるテーブルがある。小型の冷蔵庫と食器棚もあり、食器棚の中には高そうなグラスが並んでいた。「お前は俺の隣に座るんだ」「分かったわ」 少し距離を作って座ると、秋明はあからさまに不機嫌になる。どうしたらいいか分からずにいると、秋明は距離を詰め、百合の肩に手
百合は疲れ切った顔で家に帰る。あの後、秋明と情報を共有していて遅くなってしまった。彼は百合が矢絃の家に住んでいると知ると、新しい家を用意するからすぐに出られるようにしろと言っていた。 これは百合にとって嬉しい話だ。1秒でもはやく、この家から出たいと思っている。(色々話したいけど、母さんはもう、寝てるだろうな……) 腕時計を見ると、もう12時になろうとしている。早朝から仕事がある母はきっと寝ているはずだ。(私も、シャワー浴びてはやく寝よう……) 自室に戻ることを考えながら玄関の前に立つと、ドアが開いた。「母さん……!」「おかえり、百合」 パジャマにカーディガンを羽織った母・藤