LOGIN拓斗の中で燃え上がっていた熱い情欲が、一瞬にして氷のように冷え切って引いていくのを感じた。拓斗自身も、自分がどうしてしまったのか分からず激しく動揺した。なぜだ。なぜ俺は、今この瞬間に加奈子のことを思い出しているんだ?あまつさえ、目の前で俺を求めているこの女が「加奈子であればよかったのに」とまで思ってしまった自分がいる。いや、違う。そんなはずはない。「……あなた、どうしたの?」拓斗の明らかな変化に気づき、ナフィサの顔色は一瞬にして真っ白になった。自ら服を脱ぎ捨てて、彼の目の前ですべてを晒しているというのに、彼は……彼は私に対して欲望を感じていない。彼はもう、私を愛していないんだ。口では愛していると言いながら、心の中では私を求めていないんだ。その残酷な可能性に気づいた瞬間、ナフィサの全身がガタガタと震え始めた。「変な想像をするな」拓斗はナフィサの体を起こし、自分の腕の中にしっかりと抱きしめた。「俺はただ、俺たちが正式に結婚するその夜まで、お前を抱くのは待とうと思っただけだ。お前を安っぽく扱うような真似はしたくない」「私は、安っぽく扱われたって構わないわ!」「いい子だ。今日はもう家に帰って休みなさい」ナフィサは強く唇を噛み締めた。拓斗のお前を大切にしたいからという言い訳など、彼女が一ミリも信じるはずがなかった。彼はただ、自分を抱く気を完全に失っただけなのだ。「じゃあ……私たちは、いつ結婚するの?」拓斗は深いため息をついた。「……この騒動が、完全に落ち着いてからだ」「もし、一生落ち着かなかったら?」「そんなことは絶対にない」「私が言ってるのは『もしも』の話よ。私が世間から完全に犯罪者扱いされて、引退するしかなくなって、大スターのナフィサじゃなくなっても……あなたは私を愛し続けてくれる?私と結婚してくれるの?」拓斗は苦笑した。「当然だ。俺が愛しているのは、ナフィサというお前自身だからな」しかし、その優しい言葉を聞いても、ナフィサの心に安堵が訪れることはなかった。……加奈子がアパートに帰り着いた時、彼女は泥のように疲労困憊しており、そのままベッドに倒れ込んで眠りに落ちた。厳からの着信に気づいたのは、翌朝目を覚ましてからだった。「昨日、宗方先生との打ち合わせはどうだった?」「と
「ナフィサ。ほとんどの男にとって、肉体的な欲望と精神的な愛情を完全に切り離すことなんて不可能なのよ」「私はナフィサよ。私が、あんな地味で冴えないピエロみたいな女に負けるわけないじゃない!」ナフィサは澄子を鋭く睨みつけ、怒ったように肩を怒らせて拓斗のオフィスへと向かった。澄子は深くため息をついた。自分の忠告が、少しでも彼女の頭の片隅に残ってくれればいいのだが。実のところ、澄子にはもっと残酷で現実的な事実を伝える言葉があった。それは「これほど致命的な黒い噂にまみれた今のナフィサが、仮に女優として復帰できたとしても、二度と過去のような絶大な人気を取り戻すことは不可能だ」という事実だ。彼女が生き残る唯一の道は、拓斗の権力と莫大な資本力で強引に仕事をもぎ取ってくることだけだ。だからこそ、彼女は絶対に拓斗の機嫌を損ねてはならない。彼からの愛という、いつ冷めるか分からない不確かな感情だけに寄りかかっている場合ではないのだ。しかしナフィサは、澄子のその忠告を鼻で笑い飛ばした。彼女は拓斗の自分への愛を微塵も疑っていなかった。彼女がこれまで何度彼のプロポーズを冷酷に拒絶しても、彼は決して諦めずに彼女のそばに立ち続け、会社のすべてのリソースを彼女の足元に捧げ続けてくれたのだ。たとえ世界中のすべてを失ったとしても、拓斗だけは絶対に自分を裏切らないという絶対的な自信があった。オフィスのドアは少しだけ開いていた。ナフィサは足音を殺してそっと中に入り、彼を驚かせてやろうとした。しかし、彼は背を向けて大きなガラス窓の前に座り、グラスの水滴を指につけて、窓ガラスに何か文字を書いているところだった。彼が書いているのは、間違いなく今彼の頭の中を占めているものだ。ナフィサがこっそり背後まで近づき、そのガラス窓を覗き込むと、そこには一つの名前が無数に書き連ねられていた。鈴代加奈子。彼は、あの女のことを考えている。ナフィサの頭の中で、爆発音が響いた。先ほどの澄子の言葉が、呪いのように脳裏に蘇る。彼らはこの世界で最も親密な関係を結んでいた。でも、あなたと彼は違う。もし、彼らがあの親密な関係を今でも引きずっていたら?もし、拓斗が私を見捨てて、あいつの味方につくようなことになったら?ナフィサは恐怖で全身が小刻みに震え、それ以上深く考えることを脳
夜の十一時を回っても、拓斗はまだオフィスのデスクに座っていた。ナフィサのひき逃げ事件の事後処理に追われ、ここ数日、彼は毎晩深夜まで残業を余儀なくされていた。現在、会社が最優先で取り組んでいるのは、もはやナフィサのパブリックイメージを回復させることではない。彼女が飲酒運転による刑事責任を追及され、逮捕されるという最悪の事態を完全に防ぐことだった。「社長。雲上市交通警察が、今回の事件に関する公式の調査報告を発表しました」澄子がノートパソコンを抱えて足早にオフィスに入り、その画面を拓斗に向けた。「内容は非常に簡潔です。当時の事故は当事者同士の合意による示談で解決済みであり、またナフィサが飲酒運転をしていたことを裏付ける具体的な証拠が存在しないため、警察としてはこれ以上の立件・捜査は行わない、とのことです」そこまで報告して、澄子は深く、心底からの安堵の息を吐き出した。「この報告だけで世間の激しい怒りを完全に鎮火させることは不可能ですが、少なくともこの炎上のピークさえ過ぎ去れば、ナフィサを再び女優として復帰させる道は残されます」しかし、拓斗の表情は澄子のように明るくはなく、むしろさらに重い憂鬱に沈んでいた。「お前は本当に……相手がこれほど長い時間をかけて綿密に証拠をかき集め、完璧なタイミングで罠を仕掛けてきたのに、こんな紙切れ一枚の報告で簡単に引き下がると本気で思っているのか?」相手?澄子は一瞬ポカンとしたが、すぐに拓斗が言っている相手が加奈子のことだと理解した。「……確かに、私たちが今最も警戒すべきなのは、世間の熱が冷めかけた絶妙なタイミングで、彼女が自ら表に出てきて決定的な『追加の爆弾』を投下することです」拓斗は深く椅子に寄りかかり、疲労困憊した様子で額を揉みほぐした。加奈子は一年以上もの間、ナフィサのアシスタントとして彼女のそばに潜伏していた。自分の母親を轢いた絶対的な仇の顔を毎日見ながら、彼女はどれほどの血を吐くような忍耐力で自分を抑え込み、復讐の牙を隠し続けていたのだろうか。ナフィサが彼女を罵倒し、理不尽に殴りつけていた時、彼女の心の中ではどんな地獄の業火が燃え盛っていたのか。そして……自分だ。あの日、あの事故の事後処理をすべて隠蔽し、不当な示談を強要したのが自分であるという事実を、彼女は一体知って
「実は、その……」「俺は自分の家に他の女を留まらせて食事をさせることはない。手料理は尚更だ」「どうしてですか?」その質問は、彼女が思わず口にしてしまったものだった。別に彼の手作りハンバーグを食べたいわけではない。ただ純粋な好奇心だ。女と接触せず、自分の家で食事をさせることもない。過去に女から何か酷い仕打ちでも受けたのだろうか。聡は彼女がそんなプライベートな領域に踏み込んできたことに明らかな不快感を示したが、少し考えた後、短い言葉で答えた。「俺には愛している人間がいる。彼女に絶対の忠誠を誓っているからだ」加奈子は頷いた。なるほど、理由は理解できるが、同時に理解できない部分もある。そもそも彼女と彼との接点は完全に「仕事」に限定されており、男女の恋愛感情など入り込む余地は一ミリもない。したがって、「忠誠」などという重い言葉を持ち出すような関係性ではないのだ。「宗方先生のように優秀な方なら、先生が愛しているその方も、きっと先生のことを愛していらっしゃるはずですよ」「本当か?」聡の瞳が突然、期待に満ちた輝きを放った。「え、ええ。もちろんです」加奈子は乾いた声で答えた。彼女の言葉は完全な社交辞令であり、その真偽を彼と議論する気など毛頭なかった。しかし、そのたった一言が聡に絶大な自信を与えたようだった。彼はまるで厚い雲の隙間から太陽の光を浴びたように、その冷たい空気をふわりと和らげた。「お前がこのパートの脚本を書くにあたって、膨大な資料を読み込んで勉強したことは伝わってくる。実際、致命的な論理の破綻はない。人類の宇宙探査技術はまだ発展途上であり、多くの理論はあくまで『理論上』のものに過ぎず、実践で完全に証明されたわけではないからな。実践が伴わなければ、理論からの逸脱が生じる可能性は常にある」聡は加奈子が整理した原稿に素早く目を通し、修正が必要な箇所に赤いペンで線を引き始めた。「まずはこの部分から説明する……」加奈子は極めて真剣な態度で彼の言葉に耳を傾け、ノートにメモを取りながら、彼が話している内容を必死に理解しようと努めた。しかし、それは想像以上に困難な作業だった。彼の口から飛び出してくる専門用語の多くは、彼女がこれまでの人生で一度も聞いたことのないものばかりであり、ましてやその意味を理解するなど到底
加奈子はキッチンの入り口で呆然と立ち尽くし、しばらくしてようやく我に返った。この男、いったいどういうつもりなんだ?まあいい、彼がどういうつもりだろうと、私に指導をしてくれる気になったのならそれで十分だ。この丸太小屋は、外見こそ非常に古びていたが、一歩足を踏み入れると、その内部は極めて洗練されたデザインで統一されていた。壁一面の巨大なガラス窓、洗練されたデザインの暖炉、そして最高級の柔らかい絨毯。その巨大なガラス窓から外を眺めると、なだらかな斜面に広がる青々とした草原が遠くの川まで続いており、その川はまるで白い絹の帯のように激しい水飛沫を上げて流れ、さらにその先には雄大な山々がどこまでも連なっていた。そして何より素晴らしいのは、この絶景の中に人間が一切存在しないことだ。完全に孤立した、まさに真のユートピアだった。加奈子はチリ一つ落ちていないピカピカの部屋を見回し、さらに泥と草まみれになっている自分の無様な姿を見下ろした。こんな汚い姿で、彼の高価そうな椅子やソファに座る勇気などあるはずもなく、彼女は諦めて外の芝生の上に座り込んだ。彼女はパソコンを開き、聡の専門的な指導を仰ぐ必要がある箇所をすべてピックアップした。彼に「読みにくい」と難癖をつけられるのを恐れ、再びレイアウトを細かく調整し、可能な限り明瞭で整然としたフォーマットに整えた。すべての準備を終え、時間を確認するとすでに午後三時を回っていた。しかし、聡はキッチンに引きこもったまま、二時間経っても一向に出てくる気配がなかった。加奈子は徐々に焦りを感じ始めた。彼はこれから自分が作った料理を食べ、その後キッチンの後片付けをするのだ。それが終わる頃には完全に日が暮れてしまう。私は一体いつ下山すればいいんだ。彼女が焦燥感に駆られながらも、決して彼を急かすことができずにいたその時、背後のガラス窓がコンッ、と鳴った。振り返ると、聡がガラス窓の向こうに立っていた。彼の手には一枚の皿があり、その皿の上にはミニハンバーグが一つだけ乗っていた。彼はひどく不機嫌そうに加奈子を見下ろしており、彼女が状況を飲み込めずに固まっているのを見ると、さらに苛立ちを露わにして手招きをした。どうやら、中に入れということらしい。加奈子は慌てて立ち上がり、急いで小屋の中に入った。「宗方先生、私は……」「
間違いない、彼は明らかに怒っている。加奈子はどうしていいか分からず戸惑った。私はただ彼に一つ質問しただけなのに。何か彼を怒らせるような失礼なことを言っただろうか?「お前が鈴代奏男(すずしろ かなお)か?」「えっ?」「耳が遠いのか?」「い、いいえ。私の名前は鈴代加奈子です。奏男ではありません」ここで彼女もようやく事態を理解した。目の前のこの男が、あの天文学者の聡だったのだ。完全に想像と違っていた。彼女てっきり、彼が本物の野生の類人猿にでも「進化」しているかと思っていたのに、まさかこんな絵に描いたような高貴な御曹司のような外見だとは。しかし、こんな人っ子一人いない山奥で、彼はいったい誰に向けてそんな高貴さをアピールしているのだろうか。彼女の訂正を聞いて、聡の顔色はさらに暗く沈んだ。「今すぐここから立ち去れ」「えっ?」加奈子は無意識に聞き返してしまったが、彼が何を言おうとしているのか察し、慌てて弁明した。「私は耳が遠いわけじゃありません。ただ、先生の言葉の意図がすぐには理解できなかっただけで……あ、そうです、私は硯川監督からご紹介いただいてここへ来ました」聡は彼女の言葉を最後まで聞くことなく、そのまま丸太小屋の方へと歩き出してしまった。加奈子は思わず額の冷や汗を拭った。この男が極端にコミュニケーションが難しい人間だとは聞いていたが、まさかこれほどまでに常軌を逸しているとは。「宗方先生、もしかして私が遅刻したから怒っていらっしゃるんですか?でも、私たちのお約束の時間は午後二時で、今はまだ午後一時です。それとも、私が早く来すぎたからご迷惑だったのでしょうか?。私に至らない点があるなら、どうか遠慮なくおっしゃってください。次からは必ず気をつけますので。……どうか、何かお言葉をいただけませんか?私はこんなに遠くまで、本当に誠意を持って足を運んだんです」「お前……」聡はピタリと足を止めた。「厳の奴、どういうつもりだ。俺が知能の低いバカをこの世で一番毛嫌いしているのを知っているくせに」「えっ……」いきなりバカ呼ばわりなの?彼女は深く息を吸い込み、自分は彼に教えを乞う立場なのだから、絶対にここでキレてはいけないと必死に自分に言い聞かせた。「宗方先生。私の知能は極めて正常です。先生