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傷痕を抱いて悔やみなさい

傷痕を抱いて悔やみなさい

Por:  アイスコーラCompletado
Idioma: Japanese
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大学の同級生グループチャットで、匿名の暴露話が流行り出した。ルールは、ある人物の特徴を描写し、それが誰かをみんなで当てるというものだ。 誰かがこんなメッセージを送信した。【大学1年の新入生歓迎フェスで司会を務めた、クール系イケメン】 話題は瞬時に私の彼氏、九条北斗(くじょう ほくと)に絞られた。 続いて、その匿名の人物は爆弾発言を連発する。 【左の肩甲骨に火傷の跡がある。ある女子を熱湯から庇ってできたものだ】 【酔うと甘えん坊になって、ベタベタくっついてはハグをせがんでくる】 皆は騒然となり、次々と北斗をメンションして【本当なの?】と問い詰めた。 北斗は呆れたようなスタンプを送信した。【誰だよ、暇なやつ。でたらめ言うな】 しかし匿名の人物はさらに図に乗って送信した。【彼の背中には隠しタトゥーがある。アルファベットのTだ】 これにはグループチャットも蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。なぜなら、クラスのマドンナの名前が橘朋美(たちばな ともみ)だからだ。 タイミングを見計らったように、朋美が本アカウントでメッセージを送ってきた。【もうみんな、からかわないで。北斗が怒っちゃうから】 北斗は怒るどころか、私に個人メッセージを送ってきた。【同級生同士の冗談だから、本気にしないで】 私は呆然と北斗のアイコンを見つめていた。 彼の背中にある「T」は、そもそも彼が私を引っ張って彫りに行ったものだった。 「T」は私の名前である高梨紬希(たかなし つむぎ)のイニシャルで、私を一生守るために体に刻むのだと彼は言っていた。 今になってようやく分かった。あれは彼が他の女のために体に刻んだ証だったのだ。 私たちの秘密の交際は2年になり、彼はいつも「大学を卒業したら公表しよう」と言っていた。 だけど今回は、もう無理に求めるのはやめようと決めた。

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Capítulo 1

第1話

キッチンでは、北斗の好物であるしじみ汁が、小鍋の中でことことと温められていた。

菜箸を握ったまま、私の視線は調理台に置いたスマホの画面に釘付けになっていた。

グループチャットでは冷やかしの声が絶えない。

同級生たちはこぞって北斗と朋美をメンションし、【早くごちそうしろ!】と囃し立てている。

朋美は照れたようなスタンプを送信した。

その下には【運命の二人だな】と感嘆するメッセージが続いた。

北斗はグループチャット内で自ら否定することはなかった。

代わりに、私との個別トーク画面に通知が届いた。

【毎日顔を合わせる仲なんだし、俺が否定したら朋美のメンツが丸潰れになる。お前も大人になって、いちいち拗ねるなよ】

スマホの画面を長いこと見つめ、私はコンロの火を消した。

胸の奥がツンと痛み、息苦しくなる。

あの熱々だったしじみ汁がすっかり冷め切ってしまっても、北斗が帰ってくる気配はなかった。

壁の時計は午前3時を指していた。

スマホがブブッと一度震えた。一通のメッセージだ。

送信元は間違いなく北斗の番号だったが、その文面は彼のものではなかった。

【北斗ったら酔っ払って、抱きついて全然離してくれないの。今夜は私が面倒を見るから、安心してね】

私はすぐに電話をかけた。

呼び出し音が一度鳴っただけで、相手に切られてしまった。

再びかけ直すと、すでに電源が切られていた。

翌朝の早朝、ドアの鍵がカチャリと回った。

ドアが押し開けられる。朋美が北斗を支えながら入ってきた。

北斗は彼女の肩にもたれかかり、目をうっすらと閉じている。

朋美はドアのそばに立つ私を見ると、口元に笑みを浮かべた。

彼女は私を避けることなく、あろうことか私の目の前で、乱れた北斗のシャツの襟元を直すように手を伸ばした。

そのわざとらしい仕草で、襟ぐりがわずかに引き下げられる。

露わになった彼の首筋には、くっきりと生々しいキスマークが残っていた。ひどく目に刺さる。

朋美は声を潜めて口を開いた。

「昨夜、北斗がどうしてもって暴れて聞かないから、ベッドで休ませるのに一苦労だったわ。この人、胃が弱いから、早く何か温かいものを作ってあげて」

そう言い残すと、彼女は北斗の体を私に預け、背を向けて去っていった。

私は北斗を支えてソファに座らせ、キッチンから温め直したしじみ汁を運んできた。

北斗はお椀を手にとって一口飲んだ。すると即座に眉をひそめ、ドンッとお椀を強く置いた。

「なんだこれ、不味すぎる。昨日は迎えにも来ないくせに、今日はしじみ汁一つまともに作れないのか。紬希、お前どんどん物分かりが悪くなってるぞ」

私は何も反論せず、うつむいてまな板の上のリンゴを切り始めた。

心が少し動揺していた。

刃先がスルッと滑り、人差し指の腹を深々と切り裂いた。

カチャンと澄んだ音を立てて、フルーツナイフがシンクに落ちる。

北斗が振り返った。彼の顔から苛立ちが綺麗さっぱり消え失せ、血相を変える。

彼はすぐにキッチンに飛び込んできて、私の手を掴むと蛇口の下へ持っていき、水で洗い流した。

冷たい水が傷口を洗い流す。

北斗の両手は震えていた。「なんて不注意なんだ!こんなに深く切って……絵を描く手に何かあったらどうするんだ!」

彼は焦った様子で救急箱を引っ張り出し、うつむき加減で慎重に薬を塗り、包帯を巻いてくれた。

この瞬間、彼はまたその目に私しか映していなかったあの頃の北斗に戻っていた。

しかし手当てが終わると、彼は私の手を離した。そしてため息をついた。

「朋美は一晩中、俺の面倒を見てくれて疲れてるんだ。周りの無責任な噂話のせいで、あいつに敵意を向けるのはやめてくれ。いつもそうやって意地を張るの、いい加減にしてくれないか」

北斗は立ち上がった。彼の着ているシャツは完全に前がはだけていた。

私に背を向けた時、左肩の後ろにあるタトゥーがむき出しになる。

黒々とした「T」の文字。

彼へのすべてのときめきが、このアルファベットの前で粉々に打ち砕かれた。

私はフルーツ皿を片付け、静かに後ずさりした。

「わかったわ。もう意地は張らない」

北斗は一瞬きょとんとした。私が今日これほど落ち着いているとは予想外だったようだ。

彼はこくりと頷き、寝不足を補うため寝室へと入っていった。

机の上のスマホが突然震えた。指導教官からファイルが送られてきた。

【S市芸術大学・進学特別推薦申請書】

添えられたメッセージが続いた。

【高梨さん、これはまたとないチャンスだ。あちらへ行けば、業界トップクラスの現場でイラストの技術を磨くことができる。締め切りは1週間後だ。よく考えてみなさい】

ファイルを開き、画面を一番下までスクロールする。私の視線は、署名欄の空白に釘付けになったまま、長いあいだ動かなかった。

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雨降る雪降る
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盗作女と一生はぐしてろ。
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松坂 美枝
松坂 美枝
いや主人公が吹っ切れてるんだから這い上がりなさいよ あれだけ主人公傷つけて二股して卒業式ですらそっちの女に語りかけといてさあ 大して大事にしてないなら何を後悔することがあるのか
2026-10-17 10:30:37
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9 Capítulos
第1話
キッチンでは、北斗の好物であるしじみ汁が、小鍋の中でことことと温められていた。菜箸を握ったまま、私の視線は調理台に置いたスマホの画面に釘付けになっていた。グループチャットでは冷やかしの声が絶えない。同級生たちはこぞって北斗と朋美をメンションし、【早くごちそうしろ!】と囃し立てている。朋美は照れたようなスタンプを送信した。その下には【運命の二人だな】と感嘆するメッセージが続いた。北斗はグループチャット内で自ら否定することはなかった。代わりに、私との個別トーク画面に通知が届いた。【毎日顔を合わせる仲なんだし、俺が否定したら朋美のメンツが丸潰れになる。お前も大人になって、いちいち拗ねるなよ】スマホの画面を長いこと見つめ、私はコンロの火を消した。胸の奥がツンと痛み、息苦しくなる。あの熱々だったしじみ汁がすっかり冷め切ってしまっても、北斗が帰ってくる気配はなかった。壁の時計は午前3時を指していた。スマホがブブッと一度震えた。一通のメッセージだ。送信元は間違いなく北斗の番号だったが、その文面は彼のものではなかった。【北斗ったら酔っ払って、抱きついて全然離してくれないの。今夜は私が面倒を見るから、安心してね】私はすぐに電話をかけた。呼び出し音が一度鳴っただけで、相手に切られてしまった。再びかけ直すと、すでに電源が切られていた。翌朝の早朝、ドアの鍵がカチャリと回った。ドアが押し開けられる。朋美が北斗を支えながら入ってきた。北斗は彼女の肩にもたれかかり、目をうっすらと閉じている。朋美はドアのそばに立つ私を見ると、口元に笑みを浮かべた。彼女は私を避けることなく、あろうことか私の目の前で、乱れた北斗のシャツの襟元を直すように手を伸ばした。そのわざとらしい仕草で、襟ぐりがわずかに引き下げられる。露わになった彼の首筋には、くっきりと生々しいキスマークが残っていた。ひどく目に刺さる。朋美は声を潜めて口を開いた。「昨夜、北斗がどうしてもって暴れて聞かないから、ベッドで休ませるのに一苦労だったわ。この人、胃が弱いから、早く何か温かいものを作ってあげて」そう言い残すと、彼女は北斗の体を私に預け、背を向けて去っていった。私は北斗を支えてソファに座らせ、キッチンから温め直したしじみ汁を運ん
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第2話
北斗は卒業制作展に向けて、昼夜を問わずアトリエにこもりきりで作業を続けていた。私は新しく買った輸入物の絵の具を手に、彫刻科のアトリエの前までやって来た。ドアノブに手をかけた瞬間、ふと動きを止めた。廊下のガラス窓越しに、室内に二つの人影が見えた。作りかけの粘土彫刻の前に立つ北斗と、そのすぐ隣にぴったりと寄り添う朋美の姿だった。アトリエの中は冷房が強烈に効いているようだった。朋美は黒いマウンテンパーカーを羽織っている。それは北斗が一番気に入っている上着だった。普段なら他人が少し触れただけで露骨に嫌な顔をするくせに、それが今、朋美の肩に掛けられている。北斗はうつむき加減で、この上なく優しい眼差しを向けていた。彼が握る彫刻刀が、少しずつ胸像の輪郭を整えていく。その彫像の目鼻立ちは、もともと私をモデルにして作られたものだった。私が丸2日間もモデルを務め、彼が丹念に彫り上げたものだ。すると朋美が顔を寄せ、彫像の目元を指差した。「ここ、もう少し柔らかい感じにした方が素敵になると思うな。北斗はどう思う?」北斗は笑みを浮かべて頷いた。彫刻刀が彼女の言葉通りに動き、元のシャープな輪郭を削り落としていく。まるで見知らぬ別物へと変わってしまった彫像を見つめながら、私は大学1年の頃を思い出した。あれは土砂降りの雨の日だった。私が焼き栗を食べたいとこぼした。北斗は二つ返事で雨の中へと飛び出していった。戻ってきた時、彼の全身はずぶ濡れだった。ただその腕の中にだけは、あの紙袋入りの焼き栗を濡らすまいとしっかりと抱きかかえていた。彼はまだ温かい焼き栗を私の手に押し付け、「お前は俺のたった一人のミューズだ」と言ってくれた。それなのに、今はどうだろう。彼はそのミューズの座を、いともあっさりと他の女に譲り渡してしまった。私は胸の奥に込み上げるツンとした痛みをぐっと飲み込み、ドアを押し開けて足を踏み入れた。ドアが開く音がアトリエに響いた。振り返った北斗は、相手が私だとわかると即座に眉根を寄せた。彼は無意識のうちに横へ一歩ずれ、朋美を庇うように背後に半ば隠した。「何しに来たんだよ」私は手元の絵の具を机の上に置いた。視線は、朋美が羽織っているその上着に真っ直ぐ注がれていた。「絵の具を届けに来た
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第3話
卒業の祝いを兼ねたクラスの打ち上げは、大学の裏通りにある一番大きなレストランで開かれた。私が個室のドアを押し開けて中に入ると、室内はすでに学生たちで埋まっていた。メインテーブルの真ん中には、二つ並んだ空席が残されている。ある男子がみんなにグラスを配りながら声を張り上げていた。「おい、そこはまだ座るなよ。ど真ん中の特等席は北斗とマドンナのために空けとくんだからな!」ちょうどその時、北斗と朋美が前後に並んで個室に入ってきた。その瞬間、室内はドッと沸き返り、からかい交じりの歓声が響いた。「お似合いカップルの登場だ!」「ほんと美男美女のおでましだな!」北斗はそれを否定しようともしなかった。彼は笑みを浮かべたまま歩み寄り、椅子の一つを引いて朋美を座らせる。そして、ごく自然な動作で彼女の隣に腰を下ろした。彼の本物の恋人である私は、すっかり忘れ去られていた。私はメインテーブルから一番離れた隅の席にひっそりと座った。この茶番劇を冷めた目で見つめるしかなかった。酒が進むにつれ、場の空気は最高潮に達した。誰かが空の酒瓶を回して、「真実か挑戦か」をやろうと言い出した。テーブルの中央で酒瓶が勢いよく回される。そして、ぴたりと朋美の正面で止まった。朋美は頬を赤らめて立ち上がった。「私、挑戦にするわ」提案した男子が、すかさず椅子の上に立ち上がって叫んだ。「なら、朋美からうちの看板イケメン・北斗に、10秒間の本気ハグだ!」場内から割れんばかりの歓声と指笛が鳴り響いた。朋美は両手で顔を覆い隠すようにしながらも、期待に満ちた上目遣いで北斗を見つめている。北斗は手にしたライターを、指先でくるくると弄んでいた。ふと、その動きが止まる。人だかり越しに、彼の視線が隅にいる私へと向けられた。私は無表情のまま彼を見つめ返した。北斗の目の奥に、ありありと苛立ちの色が走った。彼は視線を逸らすと、迷いなく立ち上がった。その口元には薄く笑みが浮かんでいる。朋美の前まで歩み寄り、自ら両手を広げて彼女の華奢な体をぎゅっと腕の中に抱きしめた。皆が手拍子に合わせてカウントダウンを数え上げる。朋美はうっとりと北斗の胸元に顔を埋めていた。10秒が過ぎ、北斗がそっと腕をほどくと、朋美は頬を朱に染めて恥じらうように甘
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第4話
卒業式当日、大学の大講堂は立錐の余地もないほど人で埋め尽くされていた。この日は、北斗にとって最も晴れがましい1日だった。彼は卒業生代表として、パリッとしたスーツに身を包んで壇上に立っている。まばゆいスポットライトが彼を照らし出していた。だが、彼の視線が客席にいる私を探すことはなかった。代わりに、彼は最前列の中央席を、熱を帯びた眼差しで見つめていた。そこには、朋美が座っていた。北斗はマイクに向かい、低く穏やかな声で語りかけた。「この4年間、一番感謝を伝えたいのは――いつも陰で支えてくれた、大切な人です」会場は一気に沸き返った。無数の視線が、一斉に朋美へと注がれる。朋美は両手で顔を覆い、目元を潤ませながら、周囲からの羨望の眼差しをたっぷりと浴びていた。一方、大講堂の最後列の隅――本来なら私が座っているはずの席は、ぽっかりと空いたままだった。私は大講堂には行かなかった。一人きりのアパートで、部屋の片付けを淡々と進めていた。特大の黒いゴミ袋を引っ張り出して口を広げる。引き出しを開け、中に入っているものを次々と取り出していった。1年間愛用したお揃いのマグカップ。躊躇なく袋の中に放り込んだ。続いて、バレンタインに彼がくれたシルバーのネックレス。チェーンを引きちぎり、ゴミ袋へ投げ捨てた。最後に、鍵をかけていた金属製の缶箱の中から、赤いベルベットの小さな箱を取り出した。蓋を開ける。中には、シンプルなペアリングが静かに収まっていた。大学2年の時、二人で毎日カップラーメンをすすり、生活費を極限まで切り詰めてようやく買ったペアリングだ。私はその指輪を指でつまみ上げ、数秒見つめた。そして、ぱっと指を離し、ゴミ袋の底深くへと転がり落とした。部屋の中から、私という存在の痕跡が少しずつ、完全に消し去られていく。洗面用具、衣服、画材。持っていかないものは、すべて捨てた。テーブルの上で、スマホが震えた。北斗からのメッセージだった。【夜の打ち上げには行かないことにしたよ。早めに帰って、二人だけで卒業のお祝いをしよう。だから、もう怒らないでくれ】私は画面をじっと見つめ、文字を打ち込んだ。珍しく、たった一言だけ返信する。【わかった】メッセージを送信すると、私はスマホからSIMカードを抜き取り、真っ二つに
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第5話
北斗は足を踏み出したが、ひどく狼狽し、足元がふらついていた。彼は寝室へ飛び込み、クローゼットの扉を力任せに引き開けた。中には、空っぽのハンガーが並んでいるだけ。私のスカートも、コートも、私に関する衣類はすべて跡形もなく消え去っていた。「紬希!」彼は切羽詰まった声で絶叫した。空っぽの部屋にその声が虚しく反響し、どこまでも無様で滑稽だった。彼はきびすを返し、洗面所へ飛び込み、さらにキッチンへと駆け込んだ。洗面台は空。食器棚も空。北斗の心臓は狂ったように早鐘を打ち、喉の奥が激しく締め付けられ、息苦しさが込み上げてきた。彼は靴を履き替えることすら忘れ、大股で部屋を飛び出した。階下のゴミ箱に向かって、階段を猛然と駆け下りる。大型ゴミ箱からは、鼻をつくような悪臭が漂っていた。北斗はそんなことには構わず、吐き気のするような汚物の中に直接両手を突っ込み、狂ったように中を掻き回した。やがて、あの特大の黒いゴミ袋を力任せに引きずり出した。震える両手でビニール袋を乱暴に引き裂く。1年間一緒に使っていたお揃いのマグカップがゴロンと転がり落ち、アスファルトの上で無惨に砕け散った。彼は赤いベルベットの小箱を、すがるように掌に握りしめた。パチンと蓋を開けると、薄汚れた箱の隅に、飾りのない二つのペアリングが静かに収まっていた。北斗は目を血走らせ、尖った鋭いガラスの破片で指先をざっくりと深く切り裂いた。瞬く間に鮮血が溢れ出し、掌を伝ってぽたぽたと滴り落ちる。だが、彼は痛みなど微塵も感じていなかった。ただ必死に、ゴミ箱の中から私に関するものを一つでも多く見つけ出そうとしていた。その背後から、コツコツと甲高い足音が近づいてきた。お洒落なワンピースで着飾った朋美が、路地の入り口に立っていた。北斗の無様な姿を目にして、彼女の瞳の奥に、思い通りになったというような得心の笑みが走る。朋美は歩み寄ると、ハンカチで口元を押さえ、わざとらしい甘えた声を出した。「北斗、何してるの?こんなところで全身汚れちゃって。紬希、またあなたに当てつけて意地張ってるの?」彼女はさらに一歩詰め寄り、いかにも心配そうな猫なで声で焚きつける。「彼女、学校じゃあんなにあなたに依存してたじゃない。一人じゃまともに生活もできないくせに。今はちょっ
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第6話
2年後。S市は相変わらず、雨が降り続いていた。私は美術館の休憩スペースに座り、温かいコーヒーの入ったカップを両手で包み込んでいた。個展の準備はすでに最終段階に入っている。これは、S市芸術大学を卒業してから初めて開く私自身の個展だった。展示室のちょうど中央には、今回のメインとなる作品「新生」が飾られている。その画風は鋭く冷ややかで、決意に満ちていた。かつて北斗の好みに迎合しようと、無理に描いていたような柔らかいタッチは、もう微塵も残っていない。神崎湊真(かんざき そうま)が資料を手に、私の方へ歩いてきた。彼は今回の個展のキュレーターであり、この2年間を共に過ごしてきた、私の恋人でもある。物腰が柔らかく知的な彼は、仕事となれば一切の妥協を許さないプロフェッショナルだが、二人きりになると、惜しみない愛情と甘やかしのすべてを私だけに注いでくれる。湊真は私の隣のソファに腰を下ろすと、私が持っていたコーヒーカップを極めて自然な動作で取り上げた。「少し冷めちゃったね。温かいのに替えてくるよ」私は微笑みながら、彼の服の裾をそっと引いた。「このままでいいよ。ちょうどいいから」彼はそのまま私の手を取り、親指の腹で手の甲を優しく撫でた。その瞳には、私への労わりと底なしの甘やかしが浮かんでいる。「今夜はメディアの取材も多い。疲れたらすぐに言ってね、僕がうまく対応するから」私は小さく頷き、彼が私の少し乱れた髪を整えてくれるのに身を任せた。その時、入り口から騒がしい足音が聞こえてきた。顔を上げると、スーツを着た一行が展示室へと入ってくるところだった。先頭を歩く男は、長身で体格が良い。彼の視線は室内を品定めするように巡り、最後に中央に飾られた「新生」でピタリと止まった。北斗だった。彼も彫刻チームを率いてS市の展示会に来ており、偶然にも私の個展会場へと足を踏み入れたらしい。2年ぶりに見る彼は、ひどく痩せこけていた。その眉間には、拭い去れない濃い陰鬱さが深く刻まれている。彼はその絵を食い入るように見つめ、瞳の奥に驚愕の色を走らせた。そして、弾かれたように展示室内で何かを血眼で探し始めた。ちょうどその時、メディアの記者たちが一斉に私の方へと詰め寄り、フラッシュが次々と瞬いた。湊真はとっさに私の前へ立
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第7話
夕暮れ時、S市は激しい土砂降りになった。個展が終わる頃には、美術館の外にはいくつもの水たまりができていた。湊真は、黒い大きな長傘を広げた。彼は傘を私の方へ傾け、濡れないように差し掛けてくれた。自分自身の右半身はずぶ濡れになっているというのに、まったく意に介していない。ガラスの扉を抜けた先、雨の中に北斗が立っていた。頭の先からつま先まで雨に打たれ、髪が額にへばりついている。彼は傘もささず、その手にはクラフト紙に包まれた何かを大切そうに抱えていた。私の姿を見るなり、すかさず歩み寄ってくる。顎の先から、雨水が絶え間なく滴り落ちていた。彼は手にしたクラフト紙の袋を私に差し出した。「紬希、これ……焼き栗だよ。ずっと並んで、やっと買えたんだ。まだ温かい」大学1年の頃と同じ哀れみを誘うやり方で、私から同情を引き出そうとしているのだ。私は、寒さで紫色に変色した彼の唇を冷ややかな目で見つめた。湊真は足を止め、私を庇うようにして水たまりを迂回した。私は北斗に一瞥もくれることなく、湊真が開けてくれたドアからまっすぐ車内に乗り込んだ。黒いセダンが発進する。水たまりを踏んだタイヤが泥水を跳ね上げ、北斗のズボンの裾を汚した。バックミラー越しに見る彼は、それでも頑なにあの焼き栗の袋を抱きしめたまま、微動だにせずその場に立ち尽くしていた。翌日の早朝。湊真の運転する車で、私は自分のアトリエへと向かった。車が敷地のゲートをくぐり抜けた、その直後だった。道端から不意に人影が飛び出し、車の前に立ちはだかった。湊真が急ブレーキを踏み込む。タイヤが路面と擦れ、けたたましいスキール音を響かせた。北斗だった。両目は真っ赤に血走り、目の下にはどす黒い隈がくっきりと浮かんでいる。彼はふらつく足取りで助手席側に近づき、窓ガラスをバンバンと力任せに叩いた。私がパワーウィンドウを下ろした。すると北斗は、すかさずポケットから赤いベルベットの小箱を取り出した。パチンと蓋を開ける。そこには、私が捨てたはずのあのペアリングが並んでいた。彼は両手で小箱を捧げ持ち、膝の力を抜いて今にも地面に崩れ落ちそうになっていた。その掠れた声には、すがりつくような嗚咽が混じっている。「紬希、指輪、見つけてきたよ。もう一度だけチャンスをくれ。誓うよ
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第8話
朋美は一瞬言葉を失い、その瞳に明らかな動揺を走らせた。だが必死で平静を装い、声を張り上げる。「どうやってって、あなたが誰かの恨みでも買って、仕返しされたに決まってるじゃない!」私は彼女の言い逃れを意に介さず、振り返ってバッグからタブレット端末を取り出した。画面を操作し、再生された動画を彼女と北斗の目の前へと突きつける。それは、復元された大学のアトリエ棟の防犯カメラ映像だった。当時、アトリエ棟の監視カメラはずっと故障したまま放置されていた。湊真がトップクラスの技術者を探し出し、半月かけてすべてのデータを復元してくれたものだった。画面に映し出された映像は、極めて鮮明だった。廊下の奥、給湯室の死角――そこには、私に隠れて密会していた北斗と朋美の姿が映っていた。大学2年の時、イラストコンペの結果が発表され、私が唯一の推薦枠を勝ち取った日のことだった。朋美は北斗の服の裾にしがみつき、ふたりは薄暗がりで激しく揉み合っていた。そこへ、廊下の向こうから私が歩いてきた。私の姿に気づいた朋美の顔に、見るに堪えない嫉妬と悪意が歪むように浮かんだ。彼女は台にあった、熱湯で満たされた大ぶりのマグカップをひったくり、私を狙って死角から飛び出そうとした。私に見つかるのを恐れた北斗が慌ててその場を離れようと、死角から身を乗り出した、まさにその瞬間だった。朋美は私に向けて熱湯をぶちまけようと腕を突き出し――飛び出してきた北斗と衝突しそうになり、咄嗟に彼を前へと力任せに突き飛ばした。その反動で、熱湯はすべて、前によろめいた北斗の背中へとまともに浴びせられた。偶然の事故などではない。悪意に満ちた傷害行為だった。私は映像を一時停止した。そして、すでに顔面蒼白になっている北斗へと冷たい視線を向ける。「北斗。自分がその時、そこで何をしていたか、よく見たらどう?」北斗はずっと、私の命の恩人を気取ってきた。あの火傷の痕を盾にして、私が抱え込んだ罪悪感からくる献身を、さも当然のように享受し続けていた。この2年間、彼が朋美を露骨にひいきし、私に惨めな思いをさせても耐え忍んできたのは、かつて彼が言ってくれた、「紬希、怖がるな。俺がお前を守るから」という言葉があったからこそだった。だが今、白日の下に晒された真実が、彼が身に
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第9話
これで、すべてが終わったわけではない。私は分厚く束ねた告発資料を、母校の学術委員会、ならびにS市とW市の彫刻家協会へ実名で直接提出した。資料の中には、あの意図的な傷害事件の監視カメラ映像だけでなく、最も致命的で決定的な証拠も同封してある。朋美を無事に卒業させたあの半身像の彫刻――全体の骨格から作品の纏う気品に至るまで、すべて私がアトリエのゴミ箱に捨てたデッサンの盗作だという動かぬ証拠。彼女が誇らしげに出展していた数々の粘土彫刻も例外ではない。削り出された彫り跡の一つひとつに、私の原稿の面影が克明に刻み込まれていた。わずか3日後、調査結果が公表された。処分を告げる公式文書が、大学の公式サイトのトップページに掲示された。朋美の学位は正式に取り消され、業界団体からは追放処分が下り、彼女はアート界から永久に締め出された。ギャラリーからも多額の違約金で提訴され、朋美は完全に発狂した。彼女は北斗の滞在先であるホテルまで押しかけ、エントランスに土下座をして助けを乞うた。だが、北斗は無表情に彼女を見下ろすだけだった。その瞳には、深い嫌悪しか宿っていない。彼は冷淡な声でロビーの支配人に告げた。「この汚らわしいゴミを叩き出せ。ここが汚れる」駆けつけた数人の警備員が朋美の腕を両脇から強引に掴み上げ、そのまま路傍の泥水の中へと放り投げた。北斗はきびすを返し、雨の中へと歩き出した。そのままS市で最も寂れた路地裏にある、地下のタトゥースタジオへと向かう。錆びついたドアを押し開けると、彼は上着を脱ぎ捨て、みすぼらしいレザーチェアにうつ伏せになった。背中に彫られた黒い「T」の文字を指差し、彫り師に向かって口を開いた。「この文字を、跡形もなく消し去ってくれ」彫り師が麻酔の準備をしようとするのを、北斗は手で制した。「麻酔はいらない。このままやってくれ」処置が始まると、焼き付くような激痛が背中を貫いた。麻酔なしの痛みに、彼の筋肉は激しく痙攣した。彼は一本のタオルを噛み締め、額に青筋を浮き出させて耐え抜く。裏切りの証を消し去るため、彼はその過酷な痛みを、自らへの罰のようにただ耐え続けた。処置が終わった後、背中にはあの文字の代わりに、痛々しく生々しい傷痕だけが残されていた。その日の夜。S市美術館の最上階に
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