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第7話

Author: ゴーヤの卵炒め
雪子は寮に戻ると、裕司から電話がかかってきた。

彼女は出なかったが、しばらくしてルームメイトの叫び声が聞こえた。

「向かいのビルを見て!」

寮の向かいにあるショッピングモールの明かりが半分ほど消え、残りが「雪」の文字を浮かび上がらせていた。

ルームメイトが興奮して叫んだ。

「雪子、あのおじ彼の仕掛けでしょ?うわっ、超ロマンチック!」

裕司から再び電話がかかり、今度は雪子は応じた。

「寮の前にいる」

降りて行くと、黒いベントレーの横に立つ男の姿があった。地面には吸い殻が散らばり、どれほど待っていたのかわからなかった。

男は何も言わず、彼女の顎を上げて頬の傷を親指でなぞった。

男の瞳の色が暗くなり、嗄れた声で聞いた。「痛いか?」

雪子は淡々と答えた。「平気」

本当のことだった。

鉄板の火傷や、昔裕司を助けた時に受けたアキレス腱断裂の痛みに比べれば、これなど何でもなかった。

裕司の目はさらに曇った。

「今日は俺がきつかった」珍しく男は姿勢を低くした。「だが先に手を出したのはお前だ。妙子の姉は俺の恩人だから、面倒を見ねばならん!

だが俺たちの間には何もなかった」

要点を避けたこの説明に、雪子は俯いて嘲るように笑った。

理解できなかった。

あさってが25歳の誕生日なのに、なぜ今さら説明する必要が?

25歳ぴったりで別れるのがそんなに大事なのか?

ばかばかしいと思いながらも、コーチから届いたビザのことを考えると、やはり波風を立てずに済ませようと考えた。

そこで彼女は素直にうなずいて、「分かった」と返事した。

目の前の少女がおとなしくしている様子を見て、裕司はまたもや理由もない焦燥感に襲われた。

雪子が騒がないほど、なぜか彼はかえって落ち着きを失っていった。

目前の女を車に押し込んで激しく抱きしめ、密着したままの距離で胸のざわめきを鎮めたい衝動に駆られた。

だが、本当に彼女を怒らせてしまうのではないかという心配が頭をよぎった。

結局「明日のオークション、迎えに行く」と言うしかなかった。

雪子は反射的に断ろうとしたが、明日のオークションが負傷アスリート支援のチャリティーだと気づいた。

そもそもこのオークションは、雪子が偶然知って裕司に無理やり参加させたものだった。

唇まで出かかった拒否の言葉を飲み込み、彼女は軽く頷いた。

翌日。

裕司はスタッフを手配し、雪子を先にスタイリングと衣装チェンジに連れて行ってから会場へ向かわせた。

オークションはクルーザーで開催された。

裕司が船に乗らない理由を、雪子は今ならわかった。八年前のあの事件のせいだった。

最初は参加を拒んでいた裕司を、事情を知らない雪子がしつこく説得してようやく承諾させたのだった。

船内の宴会場に入ると、雪子は裕司の姿を目にした。

妙子もそこにいた。

裕司が歩み寄ろうとした瞬間、ウェイターが雪子のコートを脱がせ、中のドレスを見た彼の表情が激変した。

「雪子!その格好は何だ!」

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