夕焼け色を通り過ぎ薄闇が広がりはじめ、ポツポツとパーク内に灯りがつくと途端に物悲しい雰囲気を感じたのは僕だけだろうか。
勿論、パークはもっと遅くまで開いてるし、アトラクションもまだまだ終わらない。夜のパレード待ちの人達が、そこかしこの道の端で場所取りをし始めていた。「お城、ライトアップされてる」
「ほんとっすね。近くまで行ってみますか」
次第に濃くなる闇夜の中で、パークの灯りが際立ち始め、装いが代わる。
近づいた頃にはとっぷりと暮れて、シンデレラ城がたくさんの光を浴びて夜の中で一番に煌めいていた。「綺麗ですね。ほんとに、夢の国にいるみたい」
お城のすぐそばの広場は、案外人が少なかった。
パレードの方へと人が移りはじめているからかもしれない。ライトアップされた空間は昼よりも華やかにさえ見えるけれど、さっき感じたもの悲しさの理由が、少しわかった。
夜は一日の終わりを示していて、それが寂しく感じるからだ。陽介さんが何も言わないのをいいことに、僕から話しだそうとしないのも、楽しい時間が終わってほしくないからで。そう気づいたと同時に、陽介さんから話を切り出された。「こないだのことですけど」
びくっ、とおびえるみたいに肩が跳ねて隣を見上げる。
すると、僕はよほど酷い顔をしたらしい。陽介さんが、苦笑いをする。「もう泣きそうな顔してる」
それが余りに優しい声だったから、僕はこみあげてくるものが堪えられなかった。
「……ごめん」
「はい」
「ごめんなさい」
「……ほんと、泣き虫になっちゃいましたね、真琴さんは」
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【バレンタインの認識が変わるとき】朝食のコーヒーを飲みながら、軽い頭痛を緩和しようと眉間を指で押さえた。大体、僕はいつも血液が足りない。貧血からくる頭痛は月に2、3度やってくる。病院から出る鉄剤は、飲むと気分が悪くなるし、どうすりゃいいんだと自分の身体ながら腹立たしい時がある。だったらちゃんと飯を食え。全くその通りなのだが。朝は、あんまり食べる気がしないし、それでコーヒーだけで済ませると昼はすきっ腹になりすぎて食べる気がしない。昼食を逃すと、流石に何か食べないといけない気がしておやつを食べる。そしたら晩御飯が入らない。……つまり、いいかげんな食生活が原因であることはわかってるんだが、いまいち食に興味が沸かない僕は、正さなければいけないという意識も薄い。「ほら、ちゃんと食えよ」「……うっ」どん、と目の前に佑さんお手製の朝食が置かれた。トーストにベーコン、スクランブルエッグにカットバナナ。朝からフルセット過ぎんだよ。とりあえずトーストを手に取って噛り付く。パンの耳付近をちみちみ齧りながら、バターの香りを漂わせる卵を睨んだ。「……朝からこんなに食えない」「俺だって毎朝来てやれるわけじゃねんだから。作ってやった時くらい食え」「せめて半分」「……しょーがねーやつだな」ようやく折れてくれた佑さんが、フォークと小皿を持ってきて卵を半分とベーコンを一枚浚っていく。こうしてたまに佑さんが朝食を作りに来るのに加えて、土日は陽介さんが焼き立てパンを買って来てくれたり無理やり食事に連れてったりするので、これでも以前よりは随分食べるようになった。プラス、レバーだとか鉄分が豊富に含まれた食べ物を摂ればよいんだろうが僕はレバーは食べられない。あれだけは絶対無理だ。「お、そういやもうすぐバレンタインだな」佑さんがベーコンを咀嚼しながら、カウンター上の卓上カレンダーに手を伸ばし、続けて言った。「お前、今年はどうすんの?」「どうするって……頑張って食べるしかないだろ」毎年のことながら、積み上げてタワーを作りたくなるくらいのチョコレートの量を思い出すと溜息が漏れた。どう見たって本命だろうっていう高級チョコから可愛らしい義理チョコまで、毎年山ほどチョコレートがやってくる。一番多くもらったのは、五十個くらいだったと思う。数を気にするわけでも
「そやったら、お重もう一段持って帰りよ!」「は?いや、いいよもう充分。二段も入ってるし」「だって、陽介さん身体大きいしたくさん食べるやろ。すぐやから」おせちのお重が追加されるのを断ろうと、お母さんと押し問答する真琴さんの横顔を見ながら、自分で吐いた言葉に俺自身が苛まれていた。『身動き出来ない状態で、弄くり回してやろうか』真琴さんではなくあの男に向けて言った言葉だ。だけど、真琴さんと準えて言ったことに間違いはなく、俺の言葉が真琴さんを傷付けてしまったような気がして、酷い罪悪感に胸の奥が軋んだ音をさせる。どこをどう触られたかなんて、聞いてない。だけど、俺が言ったようなことをされたかもしれないのだ、あの男に。漸く玄関の外に出て、念のために周囲を見渡してあの男がいないことを目視で確認する。「陽介さん?」「あ、それ、持ちます」おせちの入った紙袋を真琴さんの手から受け取って、そのまま手をつないで歩きだす。「佑さんと喧嘩でもしたんですか?」「なんでですか?」「いえ、なんか。なんとなく?」「なんもないですよ、仲良しです」「仲良し、と言われたらそれはそれで違和感あるんですけど」「俺は離婚してるはずの佑さんがなんの違和感もなくあの場にいるのが不思議でしたけど」「言ったじゃないですか、別れてからのが良い関係みたいだって。その内よりを戻すんじゃないかなあ。今日もちゃんとお父さんしてて機嫌良さそうだったのに」佑さんがいつもと違っていたことを、不思議がっている様子で、そこから話を逸らしたくて彼女の手を持ち上げた。細い手首、指。壊れ物みたいに繊細で、その手で必死に暴れたのだろうか。……なんで、俺じゃなかったんだろう。思っても仕方ないことを、胸の内で呟いて、労わるようにその手に唇をくっつけた。あの男にどこまで触られたのだろうか、と考え始めれば冷静でいられない自分がいて、必死で脳内を切り替える。手にキスをしたまま、彼女の顔を覗き込むと、またほんのり頬を染めて困惑した表情で俺を見ていた。「……な、なんですか、急に」「へへ、今日何回も顔真っ赤にして可愛かった」「あれは貴方が恥ずかしいこというからっ」「いいっすか?」「こ、ここで? でも、人が」「暗いし誰も居ないっすよ」「そんな暗くないじゃないですか」唇にキス、の合図に戸惑う彼女に「ち
首を絞めようとしたわけじゃない。ただ頭に血が上って、指先に力は入る。手のひらが咽喉仏に当たったのか、男が顔を歪ませて咳き込んで「陽介!」と、鋭い声にはっと我に返った。首から手を離し、すぐに胸倉を掴みなおして引きずりながら階段を下り、門の外まで連れ出すと道端に放り出す。「てめえ!」「騒ぐなよ、周りにバレて本当に困るのはどっちだ」知られたくないって真琴さんの心理に乗っかって胡坐かきやがって。喉を押さえ黙り込む男を、頭の天辺から足まで視線を巡らせた。脳が沸騰しそうな怒りを無理矢理抑え込んだせいで、荒くなった自分の息遣いを聞く。ここまでクズな男を、初めて見た気がする。この男に真琴さんが何をされたのか、事細かに聞いたわけじゃない。ただ『誰もいないところで無理矢理抑えつけられて身体を触られた』と簡潔な事実を説明されただけに過ぎない。俺にはわかんねえ。力づくで抑えられたら恐怖でしかないのは誰にだってわかりそうなもので、なのになんで幼馴染に向かってその力を鼓舞しようとしたのか。黙々と見下ろす視線が異様だったのか、男が少し青ざめた顔色で口元をにやつかせる。「……悪かったよ、ほんとに。だけどほら……ガキの頃の出来心っつうか、俺もあの頃は落ち着きなかったしさ。結局未遂なんだし、せめてちゃんと謝罪くらいさせてくれよ」未遂未遂、謝罪謝罪……いちいち怒りを助長する言葉しか吐かない男に、治まらない憤りの出口を求めて、握りしめた拳が震えた。「結婚式にどうせ顔合わせるだろ、その時に気まずいのも周囲から変に思われるし」「結局、それが理由なんだろうが」「
【本編:貴女が涙を呑んだ理由:陽介VS篤】慎さんの実家で、帰りがけに玄関で彼女を待っていたときだった。 外の階段を上がってくる足音がしたかと思うと、扉が開く。「陽介? もう帰んのか」「あれ、どっか行ってたんすか」姿が見えなかったから、てっきり酔いつぶれてどこかで寝てるのかと思っていた佑さんがコンビニの袋をぶら下げて入ってきた。「煙草買いに行ってた。ちょっと待てよ、真琴は?」「今台所に呼ばれてって」その佑さんの後ろに、知らない若い男が立っていて目が合い会釈する。 おいおいおい。 どう見ても社会人って年齢だよな? 初対面の相手に眉を顰めるってどうなんだよ。 如何にも「お前誰だ」って視線を向けてんじゃねーよ。 男の態度に呆れていれば、佑さんがぽんと俺の肩を叩いて「こいつ、真琴の彼氏」と簡単な紹介をしてから今度は俺に向かって言った。「隣の、真琴の幼馴染の篤。二月に結婚するやつ」感情を水面に例えるなら、この時の俺の水面は意外にもさざ波一つ立たない、静かに置かれたコップの水のようなものだった。「今そこで会ったんだよ、久々に真琴に会いたいっつーから」「へえ……」と、一言漏れただけで、その男から目を離すことはできず身体ごと向き直って凝視する。 ただ、これ以上先に進ませるわけにはいかないと、それだけを咄嗟に思いついて男の前をふさぐ形で立っていた。「陽介?」「真琴さん、呼ぶ必要ないっすよ」「は?」男が、一層眉を顰める。 訝しむ佑さんの声に振り向かず、男を見下ろしたまま言った。「俺が追い
【だからいわんこっちゃない:陽介side2】『は?!……昨日から?! なんで言わないんですか!』「すんません……だって、どうしても、遊園地が……熱さえ下がったら行けるかもって」『そんなことはどうでもいいんです馬鹿!』『寝てなさい!』電話越しの声は明らかに怒っていて、最後はブチッと通話は切られてしまった。ううう。わかってます。昨日から熱出てんのに、なんで当日のドタキャンなのかというと、なんとしても下げて遊園地に行きたかったんです。携帯を未練がましく手に握りながら、ちょっぴり泣きたくなった。本当なら今頃は、二人で遊園地に向かっているはずだったのに。ジェットコースターとかアトラクションもいいけど、ただ歩いているだけでも楽しいし、遊園地特有のあの可愛いアイテムとか。ネコミミのやつ、慎さんにつけて欲しいなー……とか。色々考えて子供ん時の遠足みたいに楽しみにしてたのに。熱のせいで頭がぼんやりとして、顔が熱い。なのに身体はぞくぞくして寒いのかなんなのかわからないけど震えがくる。慎さんに散々忠告されて心配もしてくれてたのに、会いたさに全部無視して店に通い詰めて、罰が当たったのかも。嘆きながらいつの間にか熟睡して、手から携帯がすり抜けてベッドの下に落ちていた。その後慎さんが連絡をくれていたのに、全く気付かずに寝こけていて、妹の「お客さん来てるよ!」の声で起こされる。重たい頭で辛うじて目だけ開けると、枕元に紗菜がいた。「客?」「そう、神崎さんだって」神崎……神崎?俺の知って
【本編『だからいわんこっちゃない!』陽介side】終電を逃したからといって、まさか……あの慎さんがまさか!泊めてくれるとは思わなかった。慎さんのベッドになんて、当然入れるわけもなく(瞬く間に変態になる自信がある)出してくれたスエットに着替えて、とりあえずソファに座る。テーブルの上にあるものに触れていいか迷って、テレビのリモコンならいいだろうかと手に取った。テレビを付けてみる。付けたもののイマイチ集中できないので―――やっぱり消してみる。ソファをやめて床にしてみる。「…………」所在がねえ!落ち着くわけねえし!それでも、確かに疲れは溜まっていたのか。堅苦しいスーツを脱げて少し、身体の力が抜けて楽にはなった。ソファの足部分に凭れて、首が丁度座面の高さでそこに頭を預けると斜め上に天井が見える。廊下を挟んで扉二枚で隔たれているから、店内の音は聞こえない。大きな音がすれば、また別だろうけど。今頃慎さんは、あのOLさんの話し相手を続行しながら次のカクテルを作ってるんだろうか。女の人だから今夜はまだいいけど、男の客が長く慎さんに絡んでると、本当苛々させられるんだよなあ。しん、と静まり返った部屋でそんなことを考えていると、いつの間にか目を閉じていて、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。どれくらいの時間が過ぎていたのか。ふと気が付いた時には、微かにシャンプーの良い匂いがしていた。まだ眠くて目は開かないけれど。なんで気が付いたんだっけ。そうだ、ついさっき。顔に、目の下