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第357話

Author: 十一
そう言いながら、美琴はふと、今日出会った凛の家族のことをまた思い出した。

天井から吊り下がっているクリスタルのシャンデリアをぼんやりと見つめながら、ぽつりと呟いた。「……こんなことになるなら、あの時、凛を受け入れればよかった……」

少なくとも、あんな厄介な母親や下品な弟と関わることはなかったはずだ。

那月もため息をついた。「そうね……」

もしあの時、母親が凛を受け入れていたら、今頃は彼女と海斗の子どもがもうお使いに行ける年齢になっていたかもしれないし、修士の席を争うこともなかっただろうに――

残念ながら……

「あの時こうしていれば」という後悔には、いくら金を積んでも叶わない。

この世には「後悔の薬」なんて存在しないのだから。

……

すみれは一本の電話を受けると、そのままレストランを後にした。

帰り際、さりげなく会計も済ませた。

「これは私がご両親にご馳走する分だから。勘弁してね」

そう釘を刺すと、すみれは颯爽とレストランを出て、車に乗り込み、アクセルを踏み込んで、あっという間に姿を消した。

30分後、すみれの車はブルーメープルエンターテインメントのビルの前に停まった。

回転ドアのそばに立っていた若い男性が、彼女の車を見つけると目を輝かせ、すぐに助手席のドアを開けて、身をかがめて乗り込んできた。

「すみれ、やっと来てくれた」

男性の名前は丹羽敬也(にわ けいや)ショートドラマでデビューしたばかりの小物俳優だった。

顔立ちは悪くなく、色白で、身長は一八五センチ。外見のスペックは申し分ない。何より性格が素直で甘え上手、ベタベタと懐いてくるその「子犬系」の可愛さは、すみれの大好物だった。

「急に呼び出して、どうしたの?」

敬也は唇を少し噛みしめ、か細い声で言った。「マネージャーが食事会を入れたんだけど……ちょっと怖くてさ。ねえ……一緒に来てくれない?」

そう言いながら、目元にはうっすらと涙の色が浮かんでいた。

もともと白い肌が、その赤みを一層引き立たせていた。まして、彼がおそるおそる哀れっぽく見上げてくるものだから、すみれは到底抗うことなどできなかった。

「わかった、一緒に行くわ。怖がらないで」

「すみれ、ありがとう……」子犬系男子は一瞬で笑顔になり、堪えていた涙までぽろりとこぼした。

その様子を見て、すみれはまたしても胸がき
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