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第4話

Author: クレヨンまるこ
実家へ向かう帰路の途中、咲夜のスマートフォンに晴南から着信が入った。

受話器越しに響いてきたのは、怒りに我を失った彼の声だった。

「咲夜、今すぐ病院に来い。這いつくばってでも洸に謝るんだ」

背後では、洸のすすり泣く声がかすかに混じっている。

想像するまでもない。晴南は洸を不憫に思うあまり、怒りの矛先をすべて自分へ向けようとしているのだ。

咲夜は深く考えることもなく、電話口から浴びせられる怒号を無視し、そのまま通話を切った。

しかし晴南は執拗だった。すぐさま何度もかけ直してくる。病院へ来て謝罪するまで決して許さない――そんな執念すら感じさせる勢いだった。

苛立ちが限界に達した咲夜は、ためらいなく晴南の番号を着信拒否へと放り込んだ。

耳元にようやく静寂が戻り、彼女は深く息を吐く。

実家である花江家へ到着すると、待ち構えていたのは、不機嫌さを隠そうともしない母・花江真奈美(はなえ まなみ)だった。

咲夜が声をかける間もなく、真奈美は詰め寄り、顔色を変えて問い詰めてくる。

「また晴南さんを怒らせたの?咲夜、あれほど言ったでしょう。わがままは言わずに、彼を立てて機嫌を取りなさいって。どうしてそんなに聞き分けがないの?

さっき晴南さんから私に電話があったのよ。あなたに着信拒否されたって。今すぐ彼に電話して謝りなさい、早く!」

まくし立てながら、真奈美は咲夜のバッグへ手を伸ばし、スマートフォンを奪い取ろうとする。

かつての彼女なら、娘にここまで卑屈な態度を強いることなどなかったはずだった。

花江家が没落する以前、森崎家とも対等に渡り合える地位にあったのだから。

だが三年前、父・花江雅紀(はなえ まさき)の致命的な経営判断ミスにより、花江家は倒産寸前にまで追い込まれた。

その後どうにか持ち直し、倒産こそ免れたものの、グループはいまなお崩壊の瀬戸際に立たされ続けている。

現在、咲夜が晴南と交際し、森崎家という後ろ盾を得ていることで、花江グループはかろうじて首の皮一枚で希望を繋いでいる状態だった。

そうした事情の中で、二人の関係はいつしか歪み、不平等なものへと変質していった。

晴南がわずかでも不機嫌になれば、真奈美は決まって咲夜に頭を下げさせ、彼をなだめるよう命じる。森崎家が資金援助を引き揚げれば、花江家は今度こそ終わる――その恐怖に支配されていたからだ。

咲夜もこれまでは、脳卒中で寝たきりとなった父のため、そして母のなりふり構わぬ泣き落としに押し切られ、自分を押し殺して従ってきた。

だが今の咲夜には、はっきりと分かっている。

どれほど身を低くし、尊厳を捨てて尽くしたところで、晴南から顧みられることも、慈しまれることも決してないのだと。

弱みを握られているがゆえに、当然のように軽んじられ、傷つけられ続けてきたのだと。

「お母さん、私、晴南と別れることにしたわ」

咲夜はついに、胸の内で固めていた決意を口にした。

母が受け入れるはずなどないことは分かっている。

それでも、今日のような事態を二度と繰り返さないためには、はっきり宣言しておく必要があった。

「別れる」という言葉を聞いた瞬間、真奈美は激昂した。

「何を言っているの!誰が別れていいなんて言ったの?認めないわよ、冗談はやめて。いいから早く晴南さんに謝りに行きなさい!」

真奈美は咲夜の手首を力任せに掴んだ。

「私がついて行ってあげるから。一緒に森崎家へ行って、許してもらえるまで謝るのよ。

この親不孝者!だから言ったでしょう、余計な感情は出すなって。どうして言うことが聞けないの!」

「お母さん!」

咲夜は強引にその手を振り払った。

「私は何も間違ったことはしていないわ。どうして謝らなきゃいけないの?前にも言ったはずよ。晴南は私のことなんて少しも好きじゃないって。これ以上、彼と一緒にいるのはもう無理なの」

別れ話は、これまでも何度か口にしてきた。

だがそのたびに母が泣き喚き、強引に阻止してきたのだ。

しかし今回の咲夜は、もう二度と妥協するつもりはなかった。

真奈美は信じられないという表情で咲夜を見つめ、激しく叱りつける。

「なんて馬鹿なことを言っているの!森崎家の助けがなくなったら、うちがどうなると思っているの?好きでもないのに、晴南さんがあなたとこんなに長く付き合うわけないでしょう!?

たかが昨日、区役所で待ちぼうけを食らったくらいで何よ。もっと寛大になりなさい。彼には優先すべき大事な用があったのよ。どうしてそんなに聞き分けがないの?」

どうやら母は、昨日晴南が約束を破ったことをすでに知っていたらしい。

それでも慰めの電話ひとつ寄こさず、今日になって娘に謝罪しろと強要している。

自分は何一つ間違っていないというのに。

咲夜は静かな瞳で母を見つめた。

「お母さん、いい加減目を覚まして。晴南が好きなのは白羽さんよ。昨日だって、白羽さんのために私との約束を破ったのは、もう三度目だった。お母さん……私だって、もう疲れたの」

澄んだ瞳には、もはや感情の揺らぎすら残っていなかった。

どうせ何を言っても、「我慢しなさい」と切り捨てられるだけだと分かっているからだ。

案の定だった。

真奈美は納得できない様子で、咲夜の額を指先で強く小突いた。

「男一人つなぎ止めておけないで、誰のせいにしてるのよ。みっともない!とにかく、別れるなんて絶対に認めないからね。

いい?森崎家だって、あんな白羽なんて娘を認めるはずがないのよ。それなのに、晴南さんに彼女のことを忘れさせて、あなたと結婚する気にさせることもできないなんて――彼が離れていく理由を、少しは自分で考えたらどうなの?」

言葉を重ねるほど、真奈美の怒りは熱を帯びていく。

花江家が生き残るには森崎家に縋るしかない。その焦燥が、娘への苛立ちとなって噴き出していた。

咲夜は、ただ乾いた笑いが込み上げてくるのを感じた。

「お母さん、私は……」

「お母さんなんて呼ばないで!」

真奈美は感情を爆発させ、金切り声を上げた。

「私を親だと思うなら言うことを聞きなさい。別れるなんて許さない。絶対によ!

よく聞きなさい。もし晴南さんと別れて、そのせいで花江グループが潰れるようなことになったら――私はあなたの目の前ですぐ死んでやるわ。幽霊になってでも、あんたを呪ってやるからね!」

血走った目で咲夜を睨みつける。

これまでも、咲夜が別れを口にするたび、真奈美は躊躇なくこの言葉を突きつけてきた。

そしてそのたびに、咲夜は折れてきたのだ。

頭痛を覚えながら、咲夜は母の執拗な視線を受け止めた。その偏執的な態度に、心は氷原のように冷え切っていく。

母の目にとって、娘の幸福など花江家の未来に比べれば塵芥に等しい。

晴南と結婚して幸せになれるかどうかなど問題ではない。

重要なのは、花江家が存続すること――ただそれだけだった。

二人は視線をぶつけ合い、互いに一歩も引こうとしない。

咲夜が言い返そうとしたその瞬間、真奈美は乱暴に彼女の手首を掴み、無理やり部屋の外へ引きずり出した。

何が何でも今日中に晴南のもとへ連れて行き、謝罪させるつもりなのだ。

引きずられる咲夜は最初こそ激しく抵抗したが、やがて力を抜き、抗うことをやめた。真奈美に引かれるまま、身を委ねる。

こうして咲夜は、病院へと連れて来られた。

病室の外に立ち、中の光景を目にした瞬間――咲夜の胸に、皮肉な笑いが静かに広がる。

室内では、晴南がわずかに腰をかがめ、慣れた手つきで、この上なく優しい手つきで洸の頬に薬を塗っていた。

洸は身を縮め、消え入りそうな声で甘える。

「……晴南さん、痛い」

「痛くないよ。今、ふーってしてあげるからね」

まるで幼い子どもをあやすかのように、晴南は優しく洸をなだめる。

その言葉に、洸は可憐な微笑みを浮かべた。

晴南の瞳がわずかに揺れる。

彼は顔を寄せ、洸の額へそっと口づけを落とした。

洸は恥ずかしそうに手を伸ばし、晴南の首へ抱きつく。

「晴南さんがいてくれて、本当によかった」

晴南は彼女の頭を撫で、柔らかく笑った。

「馬鹿だな」

その言葉に応えるように、洸は背伸びをし、晴南の唇へ自分のそれを重ねた。

真奈美が勢いよくドアを開け放った先には、そんな甘やかな光景が広がっていた。

一瞬にして、真奈美の表情に気まずさが走る。

その戸惑いの奥には、隠しきれない卑屈さが滲んでいた。

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