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第6話

Author: クレヨンまるこ
咲夜が病院を後にして間もなく、真奈美から電話がかかってきた。

鳴り続けるスマートフォンを、咲夜は手に取ろうともせず放置したまま、自動的に通話が切れるのを待つ。

だが、着信は執拗に繰り返された。

出ない限り、母が決して諦めないことなど分かりきっている。

結局、咲夜は小さく息をつき、妥協するように通話ボタンを押した。

「咲夜、森崎家が資金を引き揚げるって!両家の提携も全部白紙よ。これで満足なの?」

電話の向こうから、激情に駆られた真奈美の罵声が飛んできた。

これまでどれほど理不尽を押しつけられても耐え続けてきた咲夜が、なぜ今になって意地を張るのか、真奈美には理解できなかったのだ。

その言葉を聞きながら、咲夜はスマートフォンを握る手に静かに力を込める。

理性を失った母親から浴びせられる罵詈雑言など、咲夜にとってはもはや日常の一部に過ぎない。

しばらく黙って聞き続けたのち、彼女はようやく口を開いた。

「……引き揚げるなら、そうさせればいいわ。会社のことは、自分でなんとかするから」

「簡単に言ってくれるわね!咲夜、森崎家が本当に手を引いたら、花江グループの数万人の社員がどうなると思っているの?彼らの生活なんてどうでもいいっていうの?」

真奈美の怒鳴り声が、咲夜の言葉を容赦なく遮る。

その言葉に、咲夜は沈黙した。

反論することもなく、ただ静かに母の非難を受け流す。

ここで真奈美に感情を吐き出させておかなければ、今後数日は平穏が訪れないことを、咲夜はよく理解していた。

だからこそ、気が済むまで発散させるに任せたのだ。

やがて真奈美は罵倒する気力も尽きたのか、電話越しに悲しげな啜り泣きを漏らし始めた。

咲夜は小さく溜息をつく。

「お金のことは私がなんとかするから。お母さん、とりあえず切るわね」

通話を終えると、咲夜はすぐにグループの現状確認に取りかかった。

森崎家が実際に資金を引き揚げ、提携プロジェクトの清算手続きに入っていることを知った瞬間、彼女は悟る。

晴南は、こうして自分を追い詰め、屈服させようとしているのだ。

かつて心から愛した男が、ついに自分へ刃を向けてきた。

咲夜の胸は、生きたまま抉られるような痛みに襲われた。

やがてその刺すような痛みがわずかに引くと、彼女は不動産会社へ電話をかけ、マンションの売却状況を確認した。

幸いにも、本日内見に訪れた者たちはいずれも物件を気に入り、購入の意思を示しているという。

まだ決断を迷っている者もいるが、残っている候補者の中から、咲夜が問題ないと判断した買い手を選べばよい。

あとは名義変更の手続きを進めるだけだった。

提示された売却価格を聞きながら、咲夜はわずかに眉を寄せる。

「価格は問題ありません。ただ、代金が最短で入金されることを優先してください」

マンションの売却金を独り占めするつもりはなかった。

名義こそ咲夜になっているが、購入資金の半分は晴南が負担したものだ。入金され次第、その半額を彼へ送金するつもりでいた。

不動産会社は咲夜の意図を理解し、直ちに手続きを進めると約束した。

通話を終えた咲夜は、一度マンションへ戻ることにした。

売却を決めた以上、もうそこに住み続けるつもりはない。

昨晩のうちに荷物はすでにまとめてある。引っ越し業者を手配すれば、この場所を完全に去ることができるはずだった。

だが、マンションへ戻った彼女を待ち受けていたのは、晴南の姿だった。

思いがけない再会に、咲夜は一瞬言葉を失う。彼はまだ病院にいるはずではなかったのか。

視線は自然と、晴南の右手へと向かった。

そこには、ピンク色の小さなスーツケースが握られていた。

一方の晴南も、わずか一時間足らずで再び咲夜と顔を合わせることになるとは思っていなかった。

彼は唇を固く引き結び、冷え切った眼差しを目の前の女へ向ける。

「……部屋が、随分と片付いているようだな」

洸の体調が思わしくなく、検査入院が必要となったため、晴南は入院手続きを済ませたあと、着替えを取りに戻ってきたのだった。

昨夜は気づかなかったが、改めて室内を見渡してみると、自分と咲夜のツーショット写真や、二人で共有していた生活用品がすっかり消えている。

咲夜が告げた頑なな別れの言葉が脳裏によみがえり、胸の奥に芽生えた焦燥は、やがて怒りへと姿を変えていった。

この女は、いつまで「駆け引き」を続けるつもりだ?

結局のところ、晴南は咲夜が本気で自分との関係を断ち切るなどとは信じていなかった。

咲夜は、それほどまでに自分を愛していたはずなのだから。

咲夜は彼の不機嫌そうな顔を一瞥すると、淡々と答えた。

「古くなったから、全部捨てたのよ」

その一言が、晴南の神経を逆撫でした。

言葉の裏に、別の意味が込められているように思えてならなかった。

晴南はしばらく、黙ったまま咲夜を凝視する。

「咲夜。俺に、何か言うことはないのか?」

彼には確信があった。森崎家の支援を失った花江家が、まともに存続できるはずがない。

咲夜がここへ戻ってきたのも、最終的には自分に折れるためだろう――そう考えていた。

だからこそ彼は、「歩み寄る余地」を与えてやったのだ。

いい加減、このあたりで矛を収めろという、無言の圧力でもあった。

晴南の言葉を受け、咲夜は静かに彼を見上げる。その声には、感情の欠片すら混じっていない。

「……ないわ」

もはや、彼と語り合うべきことなど何一つ残っていない――そう思っていた。

晴南の表情が強張る。

「お前……」

たった今、自分が示した譲歩に咲夜が気づかないはずはない。

それなのに、彼女は非を認めるどころか、どこまでも強情を貫こうとしている。

目の前にいる女は、もはや自分の知っている咲夜とは別人のようだった。

もちろん、晴南が「歩み寄る隙」を作っていることに、咲夜も気づいていた。

以前の彼女であれば、迷わずそこに縋りついただろう。

だが今の咲夜は、怒りを滲ませる晴南を見つめながら、ただ静かに言った。

「病院で付き添ってあげるんじゃなかったの?早く行けば?あなたの『お姫様』が、あなたを見失ってまた発作を起こしたら大変でしょう」

咲夜としては、ただ一刻も早くこの男に立ち去ってほしかっただけだった。

これまでだって、洸のこととなれば、彼は迷いなく背を向けてきた。

今回も同じだろう――そう思ったのだ。

しかし、晴南の顔色は暗く沈み、苛立ちを隠さぬ口調で言い返した。

「言ったはずだ。洸とは何でもないと。その皮肉めいた態度は、一体何のつもりだ?」

あまりにも一方的な物の見方に、咲夜は呆れ、言葉を失う。

だが、この話題にこれ以上時間を費やす気はなかった。

彼女は無造作に肩をすくめる。

「別にそういう意味じゃないわ。信じようと信じまいとあなたの勝手だけど……私は上に行くわね」

そう言い残すと、咲夜は晴南を無視し、階段へ向かった。

背を向けた彼女に、晴南が再び声をかける。

「咲夜」

呼び止められ、咲夜は足を止めて振り返った。

「……まだ何か?」

晴南はしばし沈黙し、やがて声の調子をわずかに和らげた。

「洸のことで、お前を疎かにしてきた自覚はある。時間を取って、一度ちゃんと話し合おう。俺は……」

言葉を続けかけた、その瞬間――スマートフォンの着信音が鋭く鳴り響いた。

画面を確認した途端、晴南は即座に通話に出る。

「洸か、どうした?……分かった、今すぐ行く。待っててくれ」

耳元を撫でるような、甘く優しい声だった。

咲夜は玄関へ急ぐ彼の背中を、自嘲気味な笑みを浮かべながら見送る。

ほら、見て。

結局、洸のこととなれば、彼はいつだって真っ先に駆けつける。

そして、自分を置き去りにしたまま去っていく。

何度も繰り返されてきたその光景に、咲夜はとうに慣れきっていた。

彼女は無表情に視線を戻し、ひとり二階へと向かう。

一方の晴南は、ただ咲夜に洸との通話内容を聞かせたくなかっただけだった。

彼女が再び機嫌を損ね、騒ぎ立てるのを避けたかったのだ。

ようやく洸をなだめて電話を切り、先ほどの言葉の続きを告げようと振り返る。

だが、そこにはすでに誰の姿もなかった。

咲夜がいなくなっていることに気づいた瞬間、晴南の胸を苛立ちがかすめる。

結局、彼は不満を押し殺したままマンションを後にした。

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