LOGIN高校教師として働く華(はな)と浩二(こうじ)は、長年揃って婚活中の身だ。だがこの二人が婚姻関係になる気は微塵も無い。 そんな日々の中。 華の元に突然インキュバスを自称する少年が現れ「僕と結婚して下さい!」と迫った。結婚はしたいが、人外は対象外・論外だ。即座に断るも、行き場の無い彼はそのまま彼女の部屋に居着いてしまう。このままじゃダメだダメだとは思えど、この生活は意外にも心地よく、華は少しづつ絆されていく。 その一方。浩二の方にはサキュバスが現れ、「結婚しましょう!」ときたが、こちらもこちらで「帰れ!」と一蹴されてしまう。 婚活中の者達が、色々な事情と性癖を抱えつつ—— 少しづつ距離が近づいてゆく物語。
View More階段から舞うように落ち、片思いの相手である狸小路さんに抱きとめてもらえたあの日から、三日が経過した金曜日。 私は今、家庭科室で黙々とボウルに入った卵をハンドミキサーで混ぜ続けている。側には仲良しの華先生がナイフを片手にフルーツを綺麗にカットし、芸術品に近い細工を施してくれているのだが、いつものように止める気にもなれず、好きにさせている。 林檎だったはずの物は今にも羽ばたきそうなスワンに、複数の蜜柑は先程見事な噴水へと姿を変えた。まだお菓子が出来上がらなくって暇なのだろうが、ここまでやる意味がわからない。「すごいね。でも何に使うんだい?」と訊く事はかろうじて出来た。 「そうねぇ、写真にでも撮ろうかしら。クラスの生徒に見せたら喜んでくれると思わない?」 「うん、かなり高評価もらえると思うよー」 普通に受け答えはするが、実のところ、頭の中は三日前の出来事でいっぱいだ。 ——最初は夢かと思った。 人が動物になどなるはずが無いのだから。 だけど、目の前には壊れた扉が転がり、それを見た保健室の先生に何事かと問われ、翌日には目が合っただけで気まずそうに私を避ける狸小路さんの様子を見て、『アレは現実だ』と悟ってしまった。(狸小路さんって……狸だったんだぁ) 人に化け、この学校で勤務する理由など私には思い付きもしないが、ど直球な名前がちょっと可愛く思えてしまう。(マジで存在してたんだねぇ、人外って。いや、妖怪って呼ぶべき?) 何アレ怖いという気持ちより、無知だった自分を恥じた。きっと彼の人柄を知っているからだろう。少なくとも、他者に害をなす為に人里で暮らしている訳では無いと想像がつく。 だが、狸小路さんの正体を知ってしまった今、自分がどうするべきなのかが見えない。 誰かに相談でも出来れば答えを探せるような気がするが、事が事なだけに、話す相手がいない。同じように人外がこの世にも居ると知っている人ならば話せるだろうが、そんな人が世の中にどれ程いるんだろうか?「んー……」 かき混ぜながら、何度も唸り声をこぼす。するとミキサーの音に掻き消されたものと思っていたのに、華先生に「どうかしましたか?」と訊かれてしまった。 ここは『何でもないよ』と誤魔化してしまうのが正解だろう。そうわかっているのに、毎夜悩んで寝付きが悪くなっているせいか、上手く言葉が出てこ
「——これで、よしっと」 スマホの画面をお互いに近づけながら、登録用のQRコードを読み取ったりの作業などを一緒におこなう。「えっと“タヌ吉”って登録名が僕です。本名じゃなくってすみません、わかりにくいですよね」 「いいえ、平気ですよ」 狸小路さんが使っているアイコンも狸で、名前も“タヌ吉”とは実にわかりやすいと個人的には思ったのだが、彼はちょっとすまなそうに微笑み、後頭部を軽くかいた。 自分のスマホに彼の連絡先が入っている。それだけでニヤニヤが止まらず、口元が崩れてしまう。絶対に今の私は不審者だったが、彼は空気を読み、スルーしてくれた。「遠慮せず、いつでも好きな時に連絡して下さっていいですからね。同じ……職場の仲間なんですから」 「良いんですか?そんなふうに言われたら私、調子に乗って『今からお風呂入るわー』とか、どうでもいい事までメッセージ送っちゃいますよ?」 「お、おふぅ——ゲホッ」 顔を瞬時に真っ赤に染めて、狸小路さんが途中で咽せた。入浴シーンでも想像してくれたのだろうか?(おや?コレはもしや……マジで脈ありでは?) そう思った瞬間、今みたいに二人っきりになる機会なんかもうこの先無いんじゃないか?今が言うチャンスでは?という考えが頭に浮かんできた。 今までの約十年間。一度だってこんなに長い事二人きりで話したりなど無かった。仕事とは無関係な内容となると、飲み会で一緒にという機会もないので、これが初めての事だ。担当クラスも無い私では、事務局の人と話す機会は他の人よりも無くって、授業で教える前の練習という名目で作ったお菓子を差し入れて、無理矢理会いに行かねばならない程だったし。 無い無い尽くしだったのに、今目の前にしゃがむ狸小路さんの姿を見て、逃してなるものか!という気持ちで胸がいっぱいになる。 そのせいか、次に口を開いた瞬間、私は「す、好きです!」と口走っていた。「……ススキ?あぁ、もしかしてお月見のお誘いですか?いいですねぇ、でも今ってそんな季節でしたっけ?でもまぁ、月見団子とか用意して、色々な人を誘って見上げる月は、きっと綺麗でしょうねぇ」 眠そうなワンコに近い顔をしながら、狸小路さんがうんうんと頷いている。 確かに一緒に見上げる月はいつもより一層綺麗だろうが、この反応はまさか、わかっている上で流されたのだろうか……。
「ありがとう、ございます」 保健室にたどり着き、先生を探したが不在だった為、私の足は狸小路さんが手当てしてくれることになった。 痛くもない足なのに痛いフリをし、無駄に湿布を貼って包帯を巻いてもらう。ちょっとだけ罪悪感を抱きはしたが、やっと彼に触れる事が出来た喜びの方が大き過ぎて、そんなものはすぐに鳴りを潜めてしまった。「いいんですよ。むしろすみません、僕が受け止めきれなかったばかりに、八島先生の細足を怪我させてしまって……」 しゅんっと項垂れ、沈んだ声で謝りながら、包帯をテープで留めてくれる手付きがこれまたとても丁寧だ。狸小路さんの全身から優しさが溢れ出していて、不謹慎にも『可愛い!』と抱きつきたい衝動を感じてしまう。「でも、腫れたりはしていないみたいで良かったです。これなら治るのも早いかもしれませんね」 小さな瞳を嬉しそうに細め、私へ微笑んでくれる。はうんっ!と言いそうになるくらい、胸の奥がくすぐったい。「何か困った事があったらいつでも僕を呼んで下さいね、お手伝いしますから。もうさっきみたいな荷物を一人で運ぼうなんかしちゃダメですよ?八島先生、細くって小さいんですから無理はよくありません」 そう言って私の頭をよしよしと撫でてくれる。子どもをあやすみたいな行為なのに、大きくって温かな手のおかげで全然嫌じゃない。むしろ、もっと触っていてくれないかなぁと欲が出る。「わぁ、いいんですか?ありがとうございまーす」 礼を言って目を細めながら、彼の手に擦りつく。猫っぽい仕草をしてしまっていると自覚しながらも、甘えたい気持ちを優先してしまった。 こちらの心境を読み取ってくれたのか、狸小路さんはそのまま私の頭を撫で続けてくれた。椅子に座る私の前にしゃがみ、手を伸ばしたままでいる体勢はちょっと腕が怠くなりそうなのに、そんな事はお構いなしといった感じだ。(ホント、優しい人だなぁ……) 万年愛情不足な身な為か、こういった行為に耐性がない私は『もしかしたら、狸小路さんも私の事好きだったりしないかなぁ』とか考えてしまう。 若き日のグレていた時とは違い、今の自分ならば、比較的他者から好意を持たれる事が増えた。ここへ就職する前までは彼氏がいた事があったし、今もたまに告白されたりする事だってある。という事はだ、私の見た目は悪くない——はず。ここまで甘えさせてくれるし、
運のいい人、悪い人——私は明らかに後者側の人間だ。 両親には早々に相次いで先立たれ、引き取ってくれる優しい親戚もおらず、そのまま施設育ち。『自分は誰からも必要とされていない』なんて拗ねに拗ねて悪い仲間と遊び歩き、そのまま転落人生まっしぐら。……とは、幸いならなかった。 私は途中で拾われたのだ、この学校の前理事長に。 酔っ払った友人同士の喧嘩に巻き込まれ、近所の人の通報でやって来た警察から逃げている時、隠れた裏路地で突然知らない男に声をかけられた。『あはは!君ってば、テンプレ的な拗ね方をしてるね、これはまた——実に面白い』 んなセリフが背後から聞こえた瞬間はアイツを病院送りにするまで殴ってやろうかと思ったけれど、太った動物を抱きかかえた青い瞳のオジサマなんかとバッチリ目が合ってしまっては、現実味の無さに呆気に取られ、差し出された手を取る以外に何も出来なかった。『面白いものを見せてくれたから、今度は私が君に“別の人生”をプレゼントしてあげよう。あぁ、私は妻しか愛せないから、君に恩を売って愛人にしたいとかアホな理由じゃあ無い。だから安心してついて来ていいよ』 私の人生を面白いとか……。 巫山戯てる発言の筈なのに、不思議と同情や哀れみの目を向けられるよりも心地良かったのは、全てに現実味が無かったせいだろう。 その後は、本当にちゃんと私を支援し続けてくれ、高校・大学をまともに卒業し、今では彼の息子が管理している清明学園という高校で家庭科教師として働くまでに至ったのだから……私は、実は運がいいのかもしれないと最近は思っている。 ◇ 本日最後の授業が終わり、一旦学校で預かって管理する事となった教材の入る大きな箱を抱えて長い廊下をひたすら歩く。片付け先の実習棟はここから少し遠くって、荷物の重さのせいで腕が少し痛い。箱が大きくて足元もよく見えないし、生徒に手伝わせたら良かったなと少し後悔してきた。 頼めばいくらでも、優しいここの生徒達ならば持ってくれたろうに。なぜあの時の私は一人でも大丈夫だと思ったのだろうか。(……あの瞬間の己を恨みたい) 階段前に差し掛かり、階下を見て溜息が出た。「これ降りんのかよー」 中に壊れ物は無いし、ダンボールを下の階に放り投げたい気持ちに駆られた。だが、教師としてソレは流石にねぇなと諦める。『生徒の見本であれ!