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第3話

Author: 稲すわ
「ペンダントなんてどうでもいい。それより怪我はないか!?」

次の瞬間、彼は慌ててカバンを掴み、外へ飛び出そうとした。

「触るな、待ってろ、すぐ帰る!」

私は咄嗟に彼の腕を掴んだ。

「……そのペンダント、私があげたものなの?」

必死の問いに、天満は苛立ったように吐き捨てる。

「余計なこと言うな!」

そして振り返りもせず、雨の中へ駆け出して行った。

――あのペンダント。

胸の奥が冷たくなる。

やがて天満は箱を開ける。

中には、やはり私が贈ったペンダントが入っていた。

だがそれは、無惨にも八つに砕け散り、もう二度と元には戻らなかった。

天満は小さく咳払いをし、何事もなかったかのように私の手を取る。

「月咲、ペンダントなんか壊れたって構わない。俺と戻る気さえあるなら、十個でも百個でも買ってやる」

――そう、これが彼の本質。

私を、道端の草より軽く扱う人。

私は静かにその手を振りほどき、淡々と告げた。

「もういいわ。あなたの想う相手が私じゃないなら、これ以上私に構わないで」

正直に言えば、天満が桜雨と駆け落ちしたあの日、私の中の彼は死んだ。

今さら戻って来られても、望むのはただ一つ――関わらないでほしい。

だが人生は、そう簡単に思い通りにはいかない。

背後から、冷ややかな声が響いた。

「天満……何をしているの?」

桜雨だった。

その姿を見た途端、天満は私を置き去りにして駆け寄る。

「桜雨!体が悪いんじゃなかったのか。なんでここに?」

そう言いながら、自分の上着を脱いで彼女に掛ける。

――昔、何度も見せつけられた光景。

だが今の私は、不思議と心が波立たなかった。

ただ桜雨は違った。

天満に手を引かれている私を見た瞬間、彼女の顔は険しく歪む。

口では天満に答えながら、その目は鋭く私を射抜いていた。

「近くに大富豪の林社長が住んでるって聞いたの。運がよければ、あなたの力になってもらえるかと思って」

その言葉に、天満の目が一気に和らぐ。

「やっぱり桜雨だな。こんな時でも気が利く」

――吐き気がする。

背を向け、立ち去ろうとした。

だが、天満は私の腕をつかんで引き留め、桜雨に向かって言った。

「桜雨、君は帰って休め。俺はここで林社長を待つ。ちょうど月咲もいるし、一緒に連れて帰って、これからは君の世話をしてもらえばいい」

「いいわね!」

桜雨は満面の笑みで私を見下ろした。

「月咲さんは昔から人の世話が得意だもの。あなたがいてくれたら、私も安心だわ」

――昔と変わらない。

人を傷つけるのが一番上手な女。

屈辱に顔が引きつる私を見て、天満はただの嫉妬と勘違いしたらしい。

「いい加減にしろ。仕事を与えてやるだけありがたく思え。桜雨が体弱いからこそお前を使うんだ。そうでなきゃ、うちにお前みたいな女の居場所なんかない」

私は冷ややかに笑う。

「心配しなくてもいいわ。池羽はあなたに投資なんてしない」

――そう、私は知っていた。

桐生家は天満の代になってから急速に傾き、資金集めに奔走している。

だがまさか、私の夫・林池羽(はやし いけば)にまで手を伸ばそうとしていたとは。

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