LOGIN僕、河内純一(かわうち じゅんいち)は三人兄弟の次男だ。家の中では、誰からも気にかけてもらえない「透明人間」のような存在だった。 パパとママは、兄と妹の誕生日を毎年丁寧にカレンダーに書き込んでいる。でも、僕の誕生日はいつも忘れられてしまう。 兄と妹はいつも、新しいおしゃれな服を買ってもらえる。僕の分の服が買い忘れられることは、よくあることだった。 正月の時期になると、兄と妹はお年玉をもらえるけど、僕は一度ももらったことがなかった。 パパの車が高速道路を走って、家族全員でおばあちゃんの家に帰省する日もそうだった。 外は氷点下で凍えるような寒さだった。そんな中、パパとママは僕をサービスエリアに残したまま出発してしまった。
View More「純一、誕生日おめでとう」ママは泣きながら言った。「今回は覚えてるよ……お花、綺麗でしょ……」パパは墓の前にしゃがみ込み、墓石を水で流して綺麗に拭いた。眠った人を起こしたくないような、とても優しい手つきだった。「純一、悪かった……」パパは声を詰まらせて呟いた。「お前はいつもグズグズしてるなんて言うんじゃなかった……迎えに戻ればよかった……許してくれないか……」兄がママに続いて小さな白い花を添え、妹は一番お気に入りのぬいぐるみを供えた。墓地に吹く風が木の葉っぱを揺らした。いなくなった人が家族に応じる声に聞こえ、溜め息のようにも聞こえた。叔父の家族は、それからあまり僕の家に来なくなった。あの喧嘩以来、二つの家の関係はどんどん悪くなった。表向きは親戚として付き合っているけれど、二つの家族の間にできた溝がなくなることはないと、誰もが心の中でわかっていた。おばあちゃんはよく溜め息をついた。「あんなに仲の良かった家族同士が、どうしてこうなってしまったのかね……」深夜に、ママが突然ベッドの上で目を覚まし、パパの肩を揺らして起こすことがよくあった。「聞いて、純一がどこかで泣いてるの。寒いって私に教えてる気がするわ……」パパはママを抱きしめ、ただ静かになだめた。「気のせいだよ。夢でも見たんだろ」「夢なんかじゃないわ……本当に聞こえたのよ……」ママは独り言のように繰り返す。「純一が寒いって言ってる。一人でサービスエリアに残されて……きっと泣いてるのよ……」そんな夜が、日常になっていった。翌年の正月、パパとママは実家へ戻らなかった。ママは、もうあの高速道路や、あのサービスエリアのような、僕を思い出してしまうようなものに耐えられないのだと言った。静かな家で過ごす正月は、ご馳走が並んであっても雰囲気は暗いままだった。テレビでは年末特番が流れ、司会者は笑い、演者たちは歌を披露している。ママは僕の席に茶碗と箸を置き、僕が好きな料理を並べた。「純一、食べて。全部あなたの好物よ」パパはそれを静かに見つめ、酒の入ったグラスを手に取って僕の席に向けて話しかけた。「純一、明けましておめでとう」兄と妹もそれに続く。「純一、明けましておめでとう」「お兄ちゃん、明けましておめでとう」
去年、学校で撮った証明写真が、遺影として真ん中に飾られている。制服を着た僕は、レンズに向かって笑っていて、瞳は輝いていた。僕の身に起きたことを知った親戚や、近所の人たちが悲しんでくれた。「あんなに良い子が。どうして死んじゃったんだろう」「外で凍死したそうよ。親って気を抜いちゃいけないわね」「せっかくの新年に。本当にかわいそう……」ママは遺影の前でひざまずき、泣き崩れながらこう言った。「純一、ごめんね……許してちょうだい。帰ってきて……」パパの目の下に濃いクマができて、少し老けたように見えた。兄も悲しんでいて、僕の写真を見つめながら言った。「純一、ごめんな……あの日、列に割り込まなければよかった。本当にごめん……」幼い妹は死の概念が分からず、ママの服の裾を引っ張って無邪気に聞いた。「ママ、お兄ちゃんはいつ帰ってくるの?一緒におもちゃで遊びたいよ」その様子を見ていると、僕の体は少しずつ透明になっていった。太陽の下で消える露のように、風で消える霧のように。まるで最初からいなかったかのように。親にがっかりしたこともあったし、兄や妹に嫉妬したこともあった。叔父には恨みさえ抱いたこともある。けれど、今はもう何も感じない。愛も恨みも命とともに消えて、二度と戻らないのだ。最後の瞬間に目に映ったママの絶望した表情。パパの疲れ切った背中。兄の涙と妹のつぶらな瞳。そして、僕は完全に消えていなくなった。煙が空気中に散っていくように。雪が融けて水滴になるように。僕がこの世界にいたことが嘘だったように。……僕が消えた後も、時間は流れ続けた。葬儀が終わってから、家の中はしばらく暗い雰囲気のままだった。ママは一日中泣き続け、僕の写真を持ってじっと眺めた。夜は眠れず、夢の中でサービスエリアで寒さに震える僕の姿を見た。目が覚めるたび、ママは泣き叫んでいた。パパは口数が減り、仕事も上の空だった。子供の話題を避け、街で歩く子供の姿さえうまく直視できなくなった。親戚付き合いも旅行に出かけることもしなくなって、代わりによく一人でタバコを吸うようになった。兄は、一晩で大人になったように見えた。わがままを言わなくなり、一日中パパとママに甘えることもなくなった。そして勉強に夢中だった。
警察は信じられないといった表情で言った。「サービスエリアに子どもを置き去りにして、4時間も迎えに行かなかったんですか?しかも、氷点下のなか、そんな薄着のまま待たせるなんて?」「弟がすぐに行ってくれると思っていたんです……」パパの声が次第に小さくなった。「それと……」警察が記録を見返しながら言った。「防犯カメラの映像によると、午後8時前後にサービスエリアに入った車は一台だけで、運転手は降車もせず、1分後くらいにそのまま車で離れています」叔父が慌てて説明を加えた。「ちゃんと外を見たんです!誰もいなかったんです!この子の親が一回戻って来て連れて帰ったって普通思うじゃないですか!」「車の中で見えなかったからってそのまま離れたんですか?こんなに幼い子供ですよ。車を降りて確認したり、電話で聞いたりするのが当たり前でしょう!」警察の声には抑えきれない怒りが混じっていた。「夜7時の監視カメラの映像では、この子の姿はまだ映っていました。そして子供の死体を見つけたのは8時半です。あの時もし車を降りて探していれば、この子の両親に電話をかけていれば、彼は助かっていたかもしれないんですよ!」その言葉が、全員の心を打ち砕いた。ママは息ができなくなるほど泣きじゃくり、パパは青ざめた顔で立ち尽くした。叔父はうつむき、誰とも目を合わせようとしなかった。この瞬間、彼らはようやく気付いたようだ。僕の死は、決して不慮の事故なんかじゃない。仕方のない運命でもない。僕に構うのが面倒で、みんなが責任を押し付け合い、少しずつ僕を死へと追いやったのだ。……手続きを終え、遺体を引き取ったころには、外が明るくなり始めていた。本来なら晴れやかな正月の朝だ。それなのに、家族の車には小さな棺が載せられた。おばあちゃんの家へ向かう車内は、沈黙に包まれた。ママの泣き声と、妹のあどけない質問だけが響く。「ママ、お兄ちゃんはどうしたの?まだ寝てるの?」おばあちゃんの家に到着した後、棺を見たおばあちゃんが涙を流した。「かわいそうな純一くん……どうしてこんなことに……」叔父一家は、気まずそうにその場に立ち尽くしていた。突然、ママが駆け寄り、叔父の胸ぐらをつかんだ。「なんで探さなかったの?あなたが探していれば、純一は死ななか
さっきまで賑やかだった食卓が一瞬で静かになって、テレビから流れる司会者の陽気な挨拶だけが聞こえた。「あ、ああ……すぐに向かいます」パパは電話を切って、力が抜けたように、深いため息をついた。「どうしたの?誰から?」ママの声が震えていた。パパが顔を上げた。目は赤く、唇は震えていた。「警察だ……サービスエリアで凍死した男の子が見つかったらしい。身元は……どうやら純一らしいんだ」「うそでしょ!」ママが悲鳴を上げた。「ありえないわ!純一が……どうして……」言い終わるか終わらないうちに、ママはその場で倒れそうになった。おばあちゃんが慌ててママを支え、叔父は信じられないという顔をしていて、リビングは混乱に包まれた。警察署へ向かう車の中で、ママの涙は止まらなかった。「私の純一……死ぬはずないわ……きっと誰かと間違えたのよ」パパはハンドルを握りしめ、一言も発さなかった。後部座席では叔父が泣いている兄をなだめていて、妹はまだ何が起きたのか理解できていないのか、夜景をじっと眺めていた。僕は宙に浮かび、その様子を見下ろした。不思議と心は落ち着いている。死ぬと本当に幽霊みたいになるんだな。心残りがあれば、こうして家族の後をついてこられるんだ。警察署の明かりが眩しい。警察がパパとママの姿を見て、深刻な面持ちで近づいてきた。「純一くんの家族ですね。こちらへどうぞ」通されたのは、タイル張りの部屋で、中央に金属製の台が置いてあった。警察が白布の端をめくった。ママは布の下の顔を一目見ると、甲高い叫び声を上げて、そのまま気を失ってしまった。パパは後ずさり、呼吸が止まった小さな顔を食い入るように見つめた。それは、僕の顔だった。溶けた雪で髪が濡れ、目は閉じたまま。顔や唇から血色がなくなり、所々に凍傷の跡が見える。台の上にいる僕は静かで、まるで眠っているようだった。しかし、もう二度と目を覚ますことはないと、みんなが理解した。兄は口元を抑え、泣き崩れた。妹はパパの背中に隠れ、小さく呟いた。「パパ、お兄ちゃんどうしたの?なんでここで寝てるの?寒くないのかな」警察はママを休ませたあと、話を切り出した。「この子をサービスエリアに残したのは、何時頃ですか?」パパは枯れた声で答えた。