Mag-log in章はそんな野暮な真似をするつもりはなく、口元にかすかな笑みを浮かべる。「じゃあ、俺はこの辺で。夫婦水入らずの時間を邪魔するつもりはない。何かあったら、いつでも呼んでくれ」章が立ち去ると、裕也は視線を戻し、穏やかな眼差しに探るような色を滲ませて絵里を見つめる。「さて、何があったのか、ちゃんと話してもらえるかな?」「はいはい、話せばいいんでしょ」絵里はころころと表情を変えて明るく笑い、今日の出来事を包み隠さず裕也に打ち明ける。あの時、彼女がわざと護衛を遠ざけたこと。そしてLINEで指示を出し、カフェの裏口で待機させた後、密かに自分の後を尾行させたことまで。護衛は手際が良く、彼女の命令通りに動いてくれた。彼らはドアの外に控えており、たとえ部屋が内側から施錠されていようと、踏み込むことなど造作もない状況だったのだ。だから、彼女が傷を負うような危険は万に一つもなかった。だが、事の顛末を聞き終えた裕也の顔色は暗く沈んでいた。「お前が警戒していたからよかったものの、万が一のことがあったらどうするつもりだったんだ?」絵里は彼の視線を真っ直ぐに受け止める。「昔みたいに、簡単に騙されたりしないわ。ほら、私、ピンピンしてるでしょ?」裕也は伏し目がちに彼女を見下ろした。今回の彼女の立ち回りの見事さには、彼も感心させられる。それでも、心配なものは心配だ。「確かに昔よりは逞しくなった。だが、今後こういう事態に遭遇しても、決して無茶な真似はしないこと。どんな時でも、自分の安全を最優先にしてくれ」「はいはい、肝に銘じておきます。これでいい?」絵里は驚くほど素直に笑って頷くと、彼に抱きつき、甘えるようにその腕を数回揺さぶる。「もう心配しないで、ね?笑って」裕也は彼女の愛らしく表情豊かな顔立ちを見つめる。このような顔を見せるのは、一度や二度ではない。ここへ来る道中、ずっと張り詰めていた心が、ようやくふっと解けていく。唇が微かに綻び、穏やかな笑みが浮かぶ。彼は元々、彫りが深く端正な顔立ちをしている。笑うとさらに知的で優しげな雰囲気が増し、見惚れるほど魅力的だった。その時、病室の中から数回の咳払いが聞こえてくる。和也が目を覚ましたのだ。絵里は病室のドアに視線を向け、裕也の手を離す。「行って。いくつか、ち
和也の声は次第に掠れ、やがてそのまま意識を失う。頭部は鮮血に染まり、目を覆いたくなるような惨状だ。それでも、絵里の耳には確かに届いている。「十年前」という言葉が。十年前、一体何があったというのか。だが、今は深く考えている余裕などない。彼女はすぐさま護衛に命じ、和也を病院へ運ばせる。一方、その場を離れたかに見えた芳昭は、密かに物陰に潜んで様子を窺っている。絵里は芳昭の存在に気づくことなく、和也を連れてその場を後にする。和也の頭が血まみれになっているのを目撃した芳昭は、血の気が引き、顔面を蒼白にする。走り去る車を見送るや否や、彼は慌ててどこかへ電話をかける。「……大変だ。和也がやられた」その頃、絵里は和也を病院に運び込んで検査を受けさせていた。命に別状はないと確認すると、護衛に病室を見張るよう指示を出す。裕也に連絡しようとした矢先。タイミング良くスマホが鳴る。画面には裕也の名前が表示されている。「まだ会社か?もうすぐ仕事が終わるから、迎えに行くよ」電話越しに響く裕也の声は、相変わらず穏やかだった。ここ数日、裕也は目が回るほど忙しく、絵里を迎えに来る時間すら取れずにいた。毎日朝早くから夜遅くまで、グループ内部の人事刷新に奔走していたのだ。藤原グループでは、上層部がほぼ総入れ替えとなっていた。以前、洋二が失脚した際にも、裕也は大規模な人事刷新を行っている。しかし、その時はまだ洋二の息がかかった者が少なからず残っていた。だが今回は違った。雪枝派であろうと洋二派であろうと、関係なく一人残らず排除された。その徹底した人事刷新によって社内は一時大きく揺れたものの、わずか数日で藤原グループは再び安定を取り戻した。G市におけるその地位も、以前にも増して揺るぎないものとなっていた。「私、今病院なの。和也もここにいるから、こっちに来てくれない?」絵里は電話口で、あえて詳しい事情までは話さなかった。裕也は微かに眉をひそめ、短く答える。「分かった。今すぐ向かう」通話を切り、立ち上がって社長室を後にする。外で待機していた健は、裕也の険しい表情を見て、ただ事ではないと瞬時に悟った。余計な詮索は一切せず、無言でその後を追う。三十分後。裕也は病院に到着し、絵里と合流する。
絵里は彼の言葉を疑わない。数日前に丈裕に彼の行方を調べさせ、すでにその程度の情報は掴んでいたからだ。かつて、洋二と雪枝は和也をこれ以上ないほど溺愛していた。和也は何不自由なく育ち、これまでの人生も順風満帆そのものだった。もし裕也を幾度となく挑発し、グループ本社の実権に手を出そうなどと企まなければ、一生裕福な暮らしを享受できたはずなのだ。だが、世の中はどう転ぶか分からない。あれほど寵愛を一身に受けていた和也は、その立場が一変しただけでなく、洋二から徹底的に命を狙われる羽目になった。洋二の底知れぬ冷酷さが窺える。だからこそ、洋二がかつて裕也を実の息子ではないと誤解した際、殺し屋を雇ってまで彼を消そうとしたその残忍さにも、絵里は少しも驚かなかった。「絵里、頼む、助けてくれ!ここ最近、ずっと命を狙われてるんだ。もうどうしようもなくて、芳昭に頼んでお前を呼び出してもらったんだよ。父さんが……あの人が俺を殺そうとしてるんだ。絵里、お願いだ、助けてくれ!」和也の顔には焦燥と恐怖が張り付き、焦点の合わない瞳が激しく泳いでいる。その姿は以前より一回りも痩せこけていた。彼は絵里にすがりつき、今にも土下座せんばかりの勢いで哀願し続ける。絵里は力を込めてその手を振り払い、冷たく言い放つ。「それ、私には関係ないわ」和也は信じられないといった顔で彼女を見る。「見捨てるっていうのか?」「助けられないし、助ける気もないわ」絵里は彼の目を淡々と見据える。「この数年間、あなたは藤原家が与えてくれた富も、寵愛も、好きなだけ受け取ってきた。雪枝はあなたを可愛がり、洋二はあなたを甘やかした。本来なら裕也のものだったすべてを、あなたは当然のように手に入れてきたのよ。今、雪枝が罪を償うことになったのも、自業自得よ。そして、あなたも同じ。自分のものでもないものを返しているだけ。それの何が不満なの?むしろ、私があなたに何もしないでいることを感謝してほしいくらいよ。跪いて礼を言ってもいいんじゃない?」今日彼女がここへ足を運んだのは、和也がどこに潜伏し、今度はどんな小細工を弄しようとしているのかを探るためでしかなかった。和也は血走った目を剥き出しにし、凶悪な形相で絵里を睨みつける。「つまり、絶対に俺を助けないってことだな
「多喜さんが和也の居場所を知っているというのは、本当なのですか?」絵里は彼が視線を向けた先をさりげなく一瞥し、再び彼の顔に目を戻して尋ねる。立ったままの彼女を見上げ、芳昭は不機嫌そうに眉をひそめる。「そんなに大勢引き連れて、俺に危害を加えられるとでも思っているのですか?そこまで警戒するくらいなら、最初から来なければいいでしょう」絵里は彼の不機嫌な態度を気にも留めない。むしろ、彼が何を企んでいるのかに興味を惹かれ、椅子を引いて向かいに腰を下ろす。「あなたは私からの恩返しなんて鼻で笑って、求めもしなかったのに、和也のことで私を呼び出すなんて、思ってもみなかっただけです」絵里は片眉を上げる。その眼差しは冷ややかで、鋭く相手を射抜いている。「言ってください。彼はどこですか?」芳昭は警戒するように、背後に控える数人の護衛たちをねめつける。「あいつは自分の居場所をあまり知られたくないんです。今、あいつが信じているのはお前一人だけです。この人たちを外に出してください。二人きりで話しましょう」「いいわ」絵里は二つ返事で承諾し、外で待機するよう護衛たちに顎でしゃくる。彼らが店を出て行くのを見届け、芳昭の瞳の奥に一瞬、狡猾な光が閃く。絵里はスマホを取り出し、LINEでいくつかメッセージを送信する。そして、再びバッグの中に放り込む。カフェの壁は全面ガラス張りで、外の様子がよく見える。同時に、外からも店内の様子は丸見えだった。「和也はこの近くにいます。俺が案内します」絵里は目を細める。口元に微かな笑みを浮かべ、すぐにそれを消し去る。まるで最初から笑ってなどいなかったかのように。「分かりました。護衛も呼んできます」芳昭は慌てて引き止める。「呼ばないでください。和也はお前にだけ会いたがっているんです。恩返しなんていりません。ただ、今すぐ俺と一緒にあいつに会いに行ってくれれば、それでいいんです。お前が行ってくれさえすれば、俺たちの間の貸し借りはこれで帳消しです」絵里は少し躊躇する素振りを見せる。少しの間を置いてから立ち上がり、彼に続いてカフェの裏口から外へ出る。裏手は人通りの少ない路地だった。表通りの喧騒から完全に切り離されている。ビルとビルが隙間なく立ち並び、路地には陽の光さえ届かず
「あいつと雪枝はすでに自業自得の報いを受けた。和也についても、すぐに片をつける」裕也は軽く笑みをこぼし、逆に絵里を慰め始める。彼が醸し出す空気がいくぶん和らいだのを感じ、絵里の締め付けられていた胸の奥もゆっくりと解けていく。だが、まだ完全には安心できなかった。「和也のことがお爺さんに知られたら、大丈夫なの?」ためらいがちに尋ねる。言葉を濁したが、裕也には彼女の言わんとしていることが痛いほど分かっていた。「心配ない。今日の午後、すでに爺さんにはすべて打ち明けた。怒ってはいたが、幸いにも倒れるようなことはなかったよ」絵里の瞳がぱっと輝く。「もうご存知なの?」どうやら、自分が一番最後に知らされたらしい。彼女は眉をひそめ、裕也の胸をぽかっと叩く。その力は弱く、まるで甘えているかのようだ。絵里は少しすねたように言う。「私が聞かなかったら、いつまで黙っているつもりだったの?」裕也は彼女に叩かれるがままになりながら、その目で彼女をじっと見つめている。暗く漆黒の瞳の奥には、深い優しさが宿っている。「シャワーを浴びたら話すつもりだった。最初は、お前でさえ俺のそばにいたくないと思うんじゃないか、俺を愛してくれないんじゃないかと思っていたんだ」男としてのちっぽけな自尊心が邪魔をしていた。絵里が真実を知れば、こんなにも壊れきった家庭を持つ自分を疎ましく思うのではないかと恐れていたのだ。ようやく手に入れた結婚生活。今日まで歩んできて、ますますこの手を離したくないと強く願うようになっている自分に気づいた。絵里は鼻の奥がツンとし、一瞬にして目元を赤く染める。「ばか。私がそんな人間だと思ってたの?もしそうなら、私なんてあなたの愛を受ける資格もないわ。どうしてそんなふうに思うのよ」絵里は真剣な眼差しで、一言一言噛み締めるように言う。「裕也、私たちは夫婦なのよ。一生、死ぬ時も生きる時も一緒。あなたと私は一つなんだから」裕也の胸が大きく震える。彼女はまるで夏の太陽のように、心をぽかぽかと照らし、心の奥底に巣食っていた冷たい闇を追い払ってくれる。それは十年前と同じだった。眩いほどの光を放ちながら誰かを守ろうとするその姿。小さな身体には、溢れんばかりのエネルギーが満ちていた。これまで一
裕也の瞳がかすかに揺れ、彼は呆然と絵里を見つめる。生まれてから今日まで、こんな言葉をかけてもらったのは初めてだった。健が今日の出来事を彼女に話したのだと、彼は思った。両手で彼女の頬を包み込み、親指でそっと涙の痕を拭うと、顔を寄せてそのまぶたに口づけを落とす。そのキスは限りなく優しく、深い愛情に満ちていた。「今の言葉、本当か?」裕也は低い声で問いかけながら、伏し目がちに彼女を見つめる。その瞳は激しい感情に揺れている。絵里は彼をきつく抱きしめ返し、力強く頷く。「本当よ。あなたが過去にどんな思いをしてきたとしても、これからの未来は私がそばにいる。私をいらないって言うまで、ずっと、ずっと一緒にいるわ」裕也の胸の奥に、温かな安堵が広がっていく。「ずっと俺のそばにいろ。今日言った言葉、絶対に忘れるなよ」絵里は真っ直ぐな眼差しで答える。「忘れないわ。私、いい加減な約束はしないもの」彼女は鼻をすすった。先ほどほどの激しい悲しみは引いたものの、それでも胸が張り裂けそうに痛む。修司の言っていたことが、まさか本当だったなんて。それでも、ちゃんと確かめておきたかった。「ねえ、今日何があったのか、教えてくれるの?」「ああ、全部話すよ」裕也は彼女の手を引いてベッドに戻ると、ヘッドボードに背を預け、絵里をその腕の中に抱き寄せる。「今日の午後、洋二が和也を連れてDNA鑑定をしたんだ。それで和也が実の息子じゃないと知って、二人は大喧嘩になった……」裕也はここ最近起きた、俊介や洋二たちにまつわるすべての出来事を絵里に打ち明ける。「あの日、俺が刺されたのは、洋二が小針に依頼したからだ。あいつはすべてを計算し尽くした気でいた。小針が事情を知らないと思い込み、小針の手を借りて俺を始末しようとしたんだ。その後のことは、お前も知っての通りだ」絵里は言葉を失うほど衝撃を受ける。和也が小針の息子だったなんて!かつて雪枝は俊介を深く愛していたが、二人の仲は無情にも引き裂かれた。俊介に捨てられ、遠くへ去られたと思い込んだ彼女は、絶望と当てつけの怒りから洋二との政略結婚に身を投じたのだ。それ以来、雪枝は実家である葉山家を激しく憎むようになった。葉山家は雪枝を藤原家へ嫁がせることで破産の危機を脱したというのに。







