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最初の一歩(3)

last update publish date: 2026-10-05 23:52:58

 ***

 衣服を探し終えたあたりでアリアが部屋にやってきてくれた。服の着かたやエプロンやカフスの付け方を教わり、ポニーテールにしていた髪もまとめ直してキャップにしまい込む。

「はい、出来上がり」

 アリアは部屋の中にある姿見の布を外して私を映す。そこには、見た目だけは一端に見えるメイドが映っていた。

「よく似合ってるわ」

「…ありがとうございます」

 なんだか照れ臭い…。新しい服ってなんだか緊張するし、人に服を褒められるなんてどのくらいぶりだろう。

「靴はこれに履き直して。着替えたものは私が部屋に持っていっておくね」

「そんな、自分でやります」

 思わぬ一言に靴を履き替えながら慌てて断る。自分のものくらいは自分で世話をしなければ。

「いいのいいの! それよりアニーって呼んで良い? 私のこともアリアて呼んでね!」

「それは、良いですけど…申し訳ないですよ、自分の服を他人に持っていってもらうなんて」

「大丈夫よ。それよりアニーには他に行ってほしいところがあるから、そのためだって思って」

「行ってほしいところ、ですか…」

 アリアは慣れた手つきで私の荷物をまとめ始める。

 あぁ、そんな、孤児院あるあるみたいなことをしないで。それ年長の子供が小さい子に対してできない片付けとかをやる時のやつ!

 恥ずかしいからやめて!

「そうだ、フィン様…坊っちゃまのお部屋に行くようにってことで最初はお伺いをたてに行ったんだけど…その前に奥様のお部屋へご挨拶に行って欲しいんだった」

「い、いきなり奥様の部屋にですか!?」

 こういう時のセオリーもわからないけど、最初は屋敷の案内とかからでは無いだろうか。

 それかさっき伺いを立てに行った坊っちゃまにご挨拶に行くとか…。この屋敷の管理は主人であるスペンサー公爵じゃなくて、その息子であるフィン様がやってるとは聞いているし。

「奥様直々のお呼び出しなの。部屋までは私がついて行くから、そこからは一人でお願いね」

「は、はぁ…」

 ここの女主人、レディ・スペンサーことナタリー・スペンサー。

 スペンサー家の経営する孤児院で生活していたから噂もよく入ってくる。

 ナタリー夫人はドレスのデザインが趣味で自ら店を持ながら、そのことを鼻にかけず温厚な態度が評価されており、孤児院の経営も実質夫人の店の売上で成り立っている…と言われていた。本当のことは知らないけど。

 でも確かに記憶の中の夫人はいつも笑みを絶やさず、優しい人だったのを覚えている。孤児院にも時折顔を見せてくれて、小さい子には人気だったな。

「優しい方だから大丈夫よ。奥様からも是非にって言われてるから、早速いきましょうか」

「わ、わかりました」

 私が今緊張してるのは顔合わせの雰囲気だろうか、それとも…あの頃を思い出すからだろうか。

 物置部屋を出て夫人の部屋に向かう。

 アリアによると、三階にスペンサー家個人の部屋と書斎、二階にゲストルーム、一階に応接間や執務室、ダンスホールなどがあると言う。屋根裏部屋と別棟に使用人の生活スペースがあるとも聞いた。

「三階は使ってる人が少なすぎて一部物置になってるけどね…」

 と、アリアは言っていた。先ほどの衣装部屋なんかがそうなんだろう、マチルダさんの言っていた通りだ。中には夫人の試作した服のみの部屋もあるとマリアは言っていた。

「さ、着いたわよ」

 三階は左側廊下の一番奥に、その部屋の扉がある。私はその前に立ちながら、緊張で少しだけ痛い心臓を抱えていた。

「ここから三つ隣がフィン様のお部屋、奥様のお部屋のお向かいが旦那様のお部屋ね」

「奥様のお部屋から三つはなんの部屋なんですか?」

「元々は隣にフィン様のお部屋があったらしいんだけど、今では奥様の衣装部屋になってるわ…」

「なるほど、よくわかりました…」

 あはは…と困った様に笑うアリアを見て、私も苦笑いを返す。なるほど、ドレスブランドを持っているだけあって衣裳持ちなんだな…。

 そうでなくても貴族は頻繁にドレスを仕立てる。それは趣味だったり必要な場面だったりするので、結果的に膨れ上がっていったのだろう。

「さ、私はあなたの着替えを置きに行くから。あとは頑張って!」

 そう言ってアリアは綺麗なウィンクを残して去っていった。

 そして私はその姿を見送って、扉の前でゴクリと息を呑む。

 夫人に面と向かって会うのはもう何年ぶりだろうか、なんて考えて薄ぼやけた記憶を辿っても意味はないけど。

 ふぅ、と一息ついてから意を決して、少し震える手でノックする。

「どちら様?」

 侍女の声だろうか、それとも屋敷だからお付きのメイドか…どちらにせよ記憶の中の夫人とは違う声が聞こえた。

「お、お呼び頂き参上しました。本日よりお世話になりますメイドのアニーと申します。ご挨拶に伺いました」

 そう告げると、少しだけ間を置いてゆっくりと扉が内側に開く。頭を下げてから一歩進んで部屋と廊下の境目に立つと、広い部屋の中に置かれた柔らかなペールグリーンの壁と、白を基調とした家具達が視界に映った。

 向かって部屋の右側には天蓋付きのベッドが、一番奥の壁に埋め込まれた暖炉を挟んで左側にはソファとローテーブルが見える。

 そのソファで、夫人は侍女を侍らせソファでお茶を楽しんでいるようだった。

「どうぞ?」

 入り口で固まる私に短い声がかかる。

 この声は確かに記憶にある夫人の声だ、私の記憶は間違っていなかったようだ。

 そういえば、どうしてこんなに記憶から夫人の声は遠かったんだっけ、なんて考える。でも答えは明白だ、私が勝手に避けていただけ。

「…ありがとうございます、失礼致します」

 一歩部屋に入って、そこからはゆっくりと歩き夫人の前に出る。

 それからドレスの裾を両手で摘んで広げ、左足を一歩下げて膝を軽く曲げ、同時にできうる限り滑らかに頭を下げた。

「ご挨拶が遅れました。ご無礼をお許しください。本日よりこのお屋敷でお世話になります、メイドのアニーと申します。以後お見知りおきいただきますと幸いです」

 挨拶の後は、頭を下げたまま黙って固まるのが一般的な作法。

 この部屋で最も階級が上なのは夫人なので、夫人がよしとするまで私は頭を上げてはならない。

「…」

 沈黙している自分に複数の人間の視線を感じる。

 ここにいるのは自分と夫人以外に侍女が三人。

 挨拶として無礼のない様にしたつもりだけど、この異様な視線は、私は何か間違えただろうか?

 いや。流石に遠い記憶を辿った上でのぶっつけ本番となると、何か間違いがあってもおかしくないな…。

「…貴方、その挨拶をどこで覚えたのかしら?」

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