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最初の一歩(4)

last update publish date: 2026-10-05 23:54:06

 扉越しで声をかけてきた侍女の声だろうか、一人の女性が私に問いかける。彼女の声からは驚きの様なものを感じた。

 しかし私は答えられない。

 この部屋で自由を許されている侍女と違って、私は部屋の主人である夫人の許可なしに無用なことを喋る権利はないからだ。

「良いのですよ、ジャクリーン。彼女は、これで良いのです」

「しかし奥様…」

「ジャクリーン、マーサ、カレン、少し席を外してほしいの」

「そんな、なりません奥様!」

 夫人の言葉に侍女の三人が反発している声が聞こえるけど、正直侍女たちの困惑にはなんの不思議もない。

 一見こんな変哲もないメイドに見える人物で合っても、二人きりになった瞬間攻撃される…つまり暗殺の危険がある。貴族であるならば仲の浅い人間との一対一は普通避けるべきだ。それこそ自分より地位の高い存在相手ならそうもいかないけど。

 では、夫人はなぜそんなことをするのか。

「良いのですよ。私の孤児院で育った子が悪い子な訳…ないでしょう?」

「ですが…いえ、わかりました」

 夫人の言葉に、侍女の一人がもう一声をかけようとして引き下がった。侍女の人が何を思ったのかはわからないけど、今のやりとりに意味があったようには感じる。

 底からコツコツと複数人の靴の音がするけど、私は未だ頭を下げたままなので状況を見ることはできない。

 でもすぐに扉を開け閉めする音がして、底からさらに数秒間を置いてから夫人は言った。

「…頭を上げなさい」

 その時初めて、私はゆっくりと頭を上げる。

「少し、お話をしましょう?アニー…“アニー・ベイリー”」

 “話をしよう”と言うのは、私にこの部屋で話す権利が与えられた事を指す。私は、ゆっくりと口を開いた。

「…その姓は、もう使えません、奥様」

「あら、いいじゃない。この部屋には貴方と私だけ…昔みたいに“姪と叔母”としてお話ししましょう?」

 ソファの上で優雅に座るふくよかな夫人は、煌めく金髪を上質なドレスに包まれた肩に撫で下ろしながら言った。

 対して私といえば、座ることも許されず、夫人のドレスに比べたら安い綿のシンプルなドレスに傷んだ髪、体も細くて貧乏の体現って感じ。

 何より顔に酷いクマを抱えた令嬢なんて、早々いるものか。

 こんな私が、彼女に対して“昔のように”など、遥か遠く…それこそ文字通り言葉ばかり。

 “これを嫌味でなく言っているのだとしたら”、そう考えると余計心に棘が刺さった気持ちになる。

 でも確かに私の知っているレディ・スペンサーは…私の叔母は、嫌味でそんなことを言うような人でもない。

「…奥様のお言葉は大変ありがたいですが、今の私ではとても釣り合いません」

「そう…残念ね」

 夫人は寂しそうに肩をすくめた。それでもすぐに引き下がってくれたあたり、本人もダメ元だったのかな。

「にしても…あの挨拶はやり過ぎよ、アニー」

「…やり過ぎ、とは?」

 なんて事ない、目上のものに対する当たり前な挨拶だと思うけどな。そう教わってるし。

「さっきのは“貴族が”目上の者にする挨拶よ。孤児院の子は殆ど平民くずれや奴隷から逃げてきた子…そんな子たちが急にあんなことできると思う?」

「あっ…」

 しまった、確かに“やりすぎ”だったんだ。そう私は夫人の言葉にはっとする。

 …そっか、道理でさっき侍女が私にあんな質問をしてきたわけだ。

 私は“私の常識”で動いてしまったんだから、正しいのはあの人の方じゃないか。

「貴方は“最初から”教養があるからわかるだろうけれど…いつもここへ来る子達はそれがわからなくて、最初に私の侍女が教えるのが通例なのよ」

 その言葉に、私はそっと視線を逸らす。

 レンネットと呼ばれるこの国において、ファミリーネームを持つものは少ない。

 ファミリーネームを持つと言うことは、最低でも下級の貴族の血縁と言うことになる。各家の象徴であるその名はなんの変哲もない平民がおいそれと持てるものではない。

 そして私もまた貴族…貴族“だった”。

 先程夫人が口にした“アニー・ベイリー”とは、私の四年前までの名前。私の本来いた家であるベイリー侯爵家は国家会計士の家系で、父もまた国家会計士として王城に勤めていた。

 …でもあれは四年前、とても寒い夜のこと。

 簡単に言えば、屋敷に野盗が入った。

 もうみんな寝静まってるような時間なのに、なんの前触れもなく剣の音がしていたのをよく覚えている。

 当たり前だけど屋敷は騒然。慌てた様子で私の侍女が部屋に入ってきて、私を叩き起こすと二人で屋敷中を逃げ回った。

 あちこちに転がる死体も、むせかえる血の匂いも、遠くで聞こえる叫び声も…全部覚えている。

 あの時私は枕の下に大事に仕舞っていた両親からの手紙と宝物のネックレスを持ち出して必死に逃げて、首にかけたネックレスに必死に祈ることしかできなかった。どうか両親は無事である様にと。

 それでもやがて逃げるところが無くなったのか、最終的に私は厨房の地下室に押し込まれた。そして「ここで待ってるように、助けは来る」と侍女はそう言って、地下室のドアを閉めたあとは見かけていない。

 私は息を殺して待っていた。時折遠くで私を探してる様な、聞き覚えのない怒鳴るような声が聞こえる中で。

 暗い、電気なんてつかない地下室で、自分の家に何が起きてるのか、自分はこれからどうなるのかわからないことが怖かった。

 何もできない自分が悔しくて、どうしてこんな目にと思うと悲しかったのに。

 それなのにしばらくすると煙の臭いがして、それは数える間も無く強く濃い臭いになっていく。すごい速さでと濃くなる臭いに、私は屋敷に火がついたんだとすぐに気づいた。

 危ないと思って外に出ようと地下室の扉を内側から開けようにも、外から何か置いてあるのか開けられない。

 扉は開かないのに煙が隙間から入ってきて、咳き込む度に幸せな記憶が蘇る。

 周りの空気と同じように段々と熱を持つ鍵のネックレスを握り込んで…やがて力尽きたのか私はそこまでしか覚えていない。

 そして次に目が覚めた時、私だけが病院に居た。

 看護師が私を見て、大慌てで医者を呼んで、そこからさらに自警団が走ってベッドの前に駆け込んでくる。そして「何か見てないか、どうして私だけ生き残ったのか、何か覚えてることはないか」…そんなことを何度も繰り返し訊くんだ。

 でも私は死体しか見てないし、他は何も知らない。死体と血の臭い以外で覚えているのなんて絶望と恐怖だけだった。

 やがて私の態度にため息をついて、呆れたように帰っていく自警団の人間たちはついでのように両親が死んでいることを話して去って行った。

 それから今も涙は止まってないし、眠りも浅い。

 体が良くなった頃、親戚であるスペンサー家の孤児院に移ることが決まった。

 そこからはここに来るまでの四年間を孤児院で過ごして、貧しい生活と自分のことや自分の住環境を整える事を叩き込まれる生活。

 唯一の救いは、ネックレスと手紙は今も手元にあるということだけ。

 そして今、私は父の妹であった女性の前に立つ…という状況に至る。

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