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第84話

Author: こふまる
社員たちと冬真の間で、気まずい視線が行き交う。

「社長、風邪でも?」

「大丈夫ですか?お顔色が悪くて……額の相まで暗くなってますよ……」

社員たちの心配そうな声に、冬真の表情は一層険しくなっていく。

清水秘書が社員たちを叱責しようと前に出ようとした時、冬真は既に正面玄関へ向かって歩き出していた。

慌てて追いつき、車のドアを開ける秘書。

「ロビーで無駄話をしていた社員は全員特定し、給与から減額させていただきます」

車内に座った冬真の周りには、まるで冷気が漂っているかのよう。

彼が顔を上げると、鋭い眼差しが秘書を貫く。

「ほう、私が藤宮夕月の見る目のない元夫だということを、大々的に宣伝したいのか?」

秘書の額から大粒の汗が零れ落ちる。

その場に凍りつき、唇は震えが止まらない。

「い、いえ……そんなつもりは!ただ……ネット上であなたに不利な書き込みが急増していまして……」

震える手でスマートフォンを差し出す。

画面には、トレンド一位の「#藤宮夕月の元夫」の文字。

冬真は侮蔑的な冷笑を浮かべた。

まさか自分が藤宮夕月によって有名になる日が来るとは。

冬真はトレンドの下のコメントなど見向きもしなかった。足元で蠢く大衆など、一瞥の価値もない。

もし夕月が決勝でいい成績を収めたら……

冬真は思案する。寛大な心で彼女を会社に迎え入れ、年収2千万の職位を与えて、自分の下で働かせてやるのも悪くない。

そんな思考に耽っていると、携帯が鳴った。

楓からの着信を確認し、通話ボタンを押す。

「冬真、今夜、鐘山でレース大会があるんだ。悠斗を連れて行きたいんだけど」

「悠斗には相応しくない」冬真の声音は冷たかった。

「夜の山道だから心配?なら、あなたも来れば?……それに、今日が何の日か覚えてる?」

楓の言葉が、冬真の心の琴線に触れた。今日は汐の命日。かつて妹の汐がモータースポーツを愛していたからこそ、冬真は鐘山オフロードレースに投資したのだ。

「私たちが地上を疾走すれば、空の汐にも見えるはずさ」楓の瞳には、確信に満ちた微笑みが宿る。

彼女は知っていた。汐の死は冬真の癒えぬ傷。汐の名を出せば、万年氷河も溶けるということを。

胸に淀んだ鬱憤を、冬真は吐き出す場所を必要としていた。

そして今日は、妹の命日。

「分かった。悠斗を連れて行く。三十
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