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第60話

Author: 鈴木真知子
彩葉の体が止まった。

無数の記憶が瞬時に脳裏に溢れ出た。苦悩、屈辱、痛み……でも甘さは一つも見つからない。

こんなにも耐え忍ぶことができるのに、この結婚に限界だった。

それでも、自分を救いたかった。

どんなに愛していても、どんなに強くても、自分も生身の人間だ。いつか両足が血まみれになり、痛くて歩けなくなる日が来る。

「人の忍耐には限界があるの。愛にも。踏みにじられ続けることには耐えられない」

彩葉が背を向けたまま、声はあまりに軽く、風に吹かれれば散ってしまいそうだ。「以前は、続ける理由があったから。今は、もうない」

そう言って、彼女の美しい後ろ姿が去っていく。

蒼真が音もなくそこに座り、まるで氷の塊のように、眉を深く寄せ、鳳眼が漆黒に沈んでいる。

彼が彩葉の言葉を反芻し、なぜか胸の辺りにかつてない空虚感が生まれ、心臓の奥深くで、何かが少しずつ流れ去っていくような、言いようのない喪失感がある。

蒼真は常に沈着で落ち着いているが、この瞬間、思考が揺らいだ。

その時、ノックの音が彼の思索を中断させ、颯が入ってくる。

「社長」

蒼真が身を傾けてテーブルの上のタバコに手
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