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廉太は瞬時に目元を赤く染めた。まるで私の言葉に胸を刺されたかのように。「静恵、そんなに俺が嫌いなのか?」私は冷ややかに口角を上げた。「当たり前でしょ!もう二度と訪ねてこないで」そう言い捨てると、私は警備員を呼んで廉太を外へ追い出させた。それから何日ものあいだ、彼は毎日、病院の前で私が仕事を終えるのを待っている。昔と同じように、後ろから静かに私を見守り、家まで送り届けてくれた。けれど、あの頃の胸の高鳴りは、もう私の中にはない。3日後、手術を終えた私は、医局の扉を開けた。そこには、すでに私の椅子に腰かけているアリスの姿がある。心臓が一瞬ドクンとした。「何しに来たの?」彼女は私のペンをくるくる回しながら、ずいぶん気楽そうな顔をしている。「私の一番の親友に会いに来たの。これから先の明るい未来が見えたんだもの、お祝いしてあげなくちゃと思って。今夜はご馳走するから、一緒に食事でもどう?」その皮肉のこもった言い方に、私は鼻で笑った。「今さら、よく私の親友なんて言えるね。アリスにあんなふうに裏切られるなんて、思ってもみなかった」アリスはふっと笑うと、ゆっくり私の前まで歩いてきた。「じゃあ、静恵は私を親友だと思ってた?いい加減にお高くとまるのはやめたら?本当は、静恵こそ誰よりも偽善者じゃないの?自分が可愛いからって男たちを侍らせて、その陰で私をずっと引き立て役にさせてたのよ!その屈辱がわかる?」私は少し戸惑った。「アリスに引き立て役をさせてたなんて、一度も思ったことないよ。勉強だってずっとよくできたし、そんなアリスのことを誇りに思ってた。どうしてそんなふうに考えるの?」アリスは冷たく笑った。「私のことを誇りに思ってた?じゃあ、これから私が廉太と付き合っても、怒らないでね。私のこと、心から祝ってくれると嬉しいな」その目に燃えるような野心が宿っている。私は彼女が別人のように思えた。でも今となっては、そんなことはもうどうでもいい。心は少しも揺れず、うなずいた。「私の元カレでよければ、好きにすれば?」次の瞬間、アリスは恥をかかされた怒りに顔を真っ赤にし、手を振り上げて私を殴ろうとした。そのとき、廉
飛行機が飛び立ち、見慣れた景色が少しずつ遠ざかっていく。それと一緒に、これまで自分を縛っていたものまで、ひとつずつ消えていく。まるで、廉太もアリスも、私の世界から消えていくようだ。海外の病院では、同僚たちがとても親切にしてくれた。院内を案内してくれて、仕事のことも一つひとつ根気よく教えてくれた。忙しく働くうちに、私はしばらくの間、それらの悩みを忘れることができた。私が真面目に取り組んでいるのに気づいたのか、指導医は少し不思議そうに尋ねた。「本国ではまだフェローを修了できてなかったと聞いたが、どうして?何かあったのか?」私は事の経緯をすべて話した。指導医は私の肩を軽く叩いた。「必ずいつか真実は明らかになる。ここでは安心して働きなさい。経験を積めるチャンス、いっぱいあるから」その日の夜、国内の院長から電話がかかってきた。「若嶋先生、あの件はもうすべて調べがついた。加久間先生も君のために証言してくれた。フェローの修了には影響が出ないようにする。それにしても、私たちもまさか西内先生があんなに計算高いとは思わなかった。君たちは普段あんなに仲がよかったのに……」私は窓の外を眺めながら、静かな声で答えた。「もう終わったことです。もう気にしていません」院長はほっとしたように言った。「そう思えるようになってよかった。向こうでは安心して仕事をしなさい」電話を切ったあと、私は再び指導医の執刀につき、大きな手術を一つこなした。同僚たちからは、フェローを修了して一人立ちしても十分やっていけると褒められた。でも私は、ただ笑って、何も言わなかった。昔の私は、いつも必死だった。廉太の隣に立つためだけに、限界まで一生懸命努力した。自分は本当は無能なんかじゃない、彼の恋人になる資格だってある。そのことを、実力で証明したかった。けれど、どれだけ頑張っても、彼の目に映るのはアリスばかりだった。今になってようやく気づいた。努力するのは、自分が納得できる自分になるためでいい。誰かに認めてもらうためなんかじゃなくて。1日中働きづめで、そろそろ帰ろうとしているとき、看護師が医局の扉を叩いた。「若嶋先生に会いたい方がいらっしゃいまして」「
【廉太、別れよう】廉太は、その文字をじっと見つめ、長い間動かなかった。間違いなく、静恵の筆跡だ。「別れるって?」あまりにもバカげた現実に、頭を殴られたような衝撃が走った。「そんなはずない。静恵が、俺に別れを切り出すなんて……」アリスがさりげなく寄り添い、優しい声でなだめようとした。「たぶん、悪ふざけなんじゃ――」「ありえない!」廉太が突然、声を荒らげた。「静恵は今まで、別れるなんて言葉を一度だって口にしたことはない。ましてや、置き手紙を残して去るなんて……」そのとき、ふいに思い出した。静恵が入院したあの日も、一度だけ「別れよう」と言ったことがあった。あのときは本気で驚いた。けれど、すぐに考え直したのだ。静恵が、自分のもとを離れられるはずがない、と。だから驚きを隠すように、ただの冗談として聞き流してしまったのだ。ひょっとすると、あの頃からもう、静恵は別れることを考えていたのかもしれない。「どうしてだ?」廉太はその場に立ち尽くした。まるで魂が抜け落ちてしまったかのようだ。アリスは彼の胸に頬を寄せ、目の奥に鋭い光を浮かべた。「もしかしたら、本当に他の人を好きになったのかも。ずっと黙ってたんだけど、最近の静恵って、いつもスマホばかり気にして誰かと連絡を取ってたの。ひょっとして相手は男だったりして……もう廉太のこと、好きじゃなくなっちゃったんだよ……」顔を上げた彼女は、そこで初めて、廉太が鋭い目で自分を睨みつけていることに気づいた。「何をバカなこと言ってる?静恵が俺を裏切るわけないだろ」そう言って、アリスを乱暴に突き放した。「静恵を探す。ちゃんと本人と話し合う。静恵が本当に俺から離れていくなんて、信じられるか」廉太は急いで荷物をまとめ、スーツケースを引っ張って出ていこうとした。そのとき、アリスが玄関に立ちはだかった。「静恵なんかのために、そこまでする必要ないよ!目を覚まして。静恵は本当にノロマで、何をやらせてもダメじゃない。今だってフェロー止まりなのよ?そんな女に、廉太に愛される資格なんてあるわけないでしょ!」「どうしてそんなこと言うんだ?」廉太は呆然とし、その顔に驚きが浮かんだ。
「け、研修……?」廉太は自分の耳を疑い、表情を凍りつかせた。同僚はうなずいた。「ええ。若嶋先生が自ら院長に申し出たって聞いた。まあ、それもそうよね。このままだとフェロー修了も厳しいし、海外研修で経験を積めば、何か転機になるかもしれないわ」そう言い残すと、同僚は医局の外へ向かっていった。廉太は、その場に立ち尽くした。耳の奥では、絶え間なく耳鳴りがしている。院長は以前、何度も静恵に海外研修を勧めていた。そのたびに、彼女がきっぱり首を横に振って断っていた。廉太から離れるのも、アリスから離れるのも嫌だったのだ。たとえ一生、フェローのままだとしても、二人のそばにいたかった。「どうして急に……いなくなったんだ?」廉太はぼんやりとスマホを操作し、通知を確認した。けれど、静恵からのメッセージは1通も届いていなかった。「さよなら」の一言すら、なかった。そこへアリスがやってきた。静恵が海外研修に出たと知ると、彼女も少し驚いた様子だ。「なんで急に行っちゃったの?一言も言わないなんて……私が静恵を怒らせちゃったのかな?だったら今すぐ謝って、早く帰ってきてもらおう」そう言って、彼女は静恵に電話をかけた。けれど、応答はなかった。繰り返される冷たいアナウンスを聞いて、廉太の胸はさらにざわついた。慌てて自分のスマホから静恵に電話をかけた。「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」「俺がかけても同じだ」廉太はスマホを握りしめた。指先が白くなるほど強く。まるで静恵が、突然自分の世界から消え去ってしまったかのようだ。廉太の呆然とした顔を見つめながら、アリスはふと口調を変えた。「もしかして、静恵がわざと隠れてるんじゃない?私たちに機嫌を取ってもらうのを待ってるとか。だって、本当に研修に行ったなら、私たちに知らせるはずでしょ?こんなの、静恵らしくないよ」その言葉に、廉太はハッとした。「そうだ。静恵が何も言わずに出ていくはずない。きっとまた意地を張って、ホテルで一人で泣いてるんだ」張り詰めていた空気が、一気に軽くなった。アリスがいたずらっぽく提案した。「今夜
海外研修へ旅立つ前の最後の手術で、私は廉太とアリスの助手を務めた。ひどい交通事故に遭った男性患者で、容体はかなり厳しい。手術中、私は患者のバイタルを正確に報告している。「心拍数120です。薬を投与してください」ところが、アリスは間違って、心拍数125に対応する用量を投与してしまった。モニターが鋭い警報音を響かせた。執刀医である廉太が、突然、厳しい声を張り上げた。「二人とも手を引け!松永(まつなが)先生と交代だ!」3時間に及ぶ救命措置の末、二人は息を合わせて手術を終え、無事に成功させた。廉太は手術室から出ると、マスクを外した。その顔は、ひどく暗い。「さっきのはどういうことだ?こんな初歩的なミスまでやらかすのか?」アリスはたちまち目を潤ませ、唇を噛んだ。「でも、私が聞いたのは確かに125でした。聞き間違えちゃった私が悪いんです……」廉太の疑うような視線が、瞬時に私へ向いた。私は神経が張り詰めて、慌てて説明した。「加久間先生が聞いていたでしょう。私が言ったのは120です」廉太の目には、あからさまな苛立ちが滲んでいる。「間違えたならちゃんと認めるんだ。自分で責任を取れ。今年もフェロー修了は認めない」1日も早くフェローを修了して、一人前の医者になるために、私は誰よりも、何十倍も努力してきたのに。病院を自分の家のように思い、24時間ぶっ通しで働くことだって珍しくなかった。目を真っ赤にし、声を掠らせながら訴えた。「他の先生方はみんな、私の実力を認めてくださっています」返ってきたのは、廉太の冷たい一言だけだ。「指導医は俺だ」彼の後ろに立つアリスが、わざとらしく可哀想ぶった顔から、まるで「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべた。5年間、ひたすら真面目に働いて、心身をすり減らしながらここまでやってきた努力が、この瞬間、すべて水の泡になった。フライトの出発まで、あと5時間。私は医局で荷物を段ボール箱に詰めた。他の医師たちは、まるで腫れ物に触るような目で私を見つめ、遠巻きに避けている。そこへ、廉太が新しいフェローたちを連れてやってきた。「今回はそこまできつく罰するつもりはない。今年分のカルテ整理
向こうから、アリスの今にも泣き出しそうな声が聞こえた。「母が急に足を挫いちゃって、今全然動けません。さっき救急車を呼んで、うちの病院に向かっているところです。加久間先生、受け入れの準備お願いします……」彼女の泣き声が、私の助けを求める声をすっかり掻き消した。すぐに、電話は切れた。結局、私が出勤時間になっても現れないことに気づいた同僚が救急車を呼び、私は病院へ搬送された。次に目を開けたとき、センター長が私を見て、ため息をついた。「高熱による脳へのダメージは不可逆的だ。若嶋先生だって医者なんだから、わかるだろう」わかっている。でも指導医である廉太なら、私よりずっとよくわかっているはずだ。廉太が私の発熱と入院を知ったのは、もう真夜中を過ぎてからだ。ちょうど病棟の巡回から戻ったところで、白衣を脱ぐ暇もなく、枕元のカルテを手に取った。「まだ熱が下がりきってないな。もう1本点滴を足して様子を見よう」私の額に触れる手つきは、とても優しい。けれど、私の目は冷え切っている。「私が熱を出したって言ったのに、どうして助けてくれなかったの?」廉太の手が止まり、眉間にしわが寄った。「年寄りと若い奴は違うだろ。アリスのお母さん、もし骨折してたらどうするんだ?医者なら、どっちが重症かくらいわかるだろ」でも、彼の座右の銘は――「どんな患者も平等に扱う」だったはずだ。そこへアリスが入ってきて、顔には申し訳なさが浮かんでいる。「うちの母が、よりによってこんなときに怪我しちゃって……そうじゃなかったら絶対に廉太をいち早く家に帰らせたのに。そうしたら静恵の体調が悪化して、入院することだってなかった……」廉太は私を冷たい目で一瞥すると、アリスを低い声で慰めた。「急なことなんだから、タイミングも何もないだろ。静恵は昔から一番手がかかるんだ。アリスも知ってるだろ」私は声を落として言った。「足の捻挫ぐらい、他の先生でも十分対応できたでしょ」廉太の目に浮かびかけていた笑みが消え、代わりに苛立ちが滲んだ。「こうして無事だったんだからいいだろ。あのときアリスが泣いてたから、俺もパニックになってそこまで頭が回らなかったんだ。静恵ならいつだって自分のことくらい何とかでき