Masuk旭昆は、もう帰国したんじゃなかった?これは、いつ撮られた写真?ほどなくして、安里の次のメッセージが美穂の疑問を解消した。【弟が情報屋から買った写真です。秦莉々のそばにいるこの男、水村さんも知ってるでしょう。秦家の婚外子、秦旭昆。これは彼らが以前D国にいた頃の生活写真。彼の部下たちは、秦莉々を彼の愛人だと思ってたみたいです。】読み終えると、すぐにまた次のメッセージが届いた。【秦旭昆はD国での事業にダメージを受けて、手下の大半が逃げたらしい。少し前に帰国したみたいです。勢力は縮小したけど、弟の話だと、秦旭昆はD国にかなり強い後ろ盾がいて、産業チェーンは世界中に広がっています。】――つまり、旭昆の背後にいる「黒幕」は、世界規模の勢力を持っているということだ。美穂は画面の写真を見つめ、指先でスマートフォンの縁を軽く叩いた。旭昆のD国での事業が損害を受けた件。確かに自分は峯に手を下させたが、極めて慎重に動いていたから、彼が自分に行き着かないだろう。安里からのメッセージは、なおも続いた。【弟が言ってました。秦旭昆は今回、国内で腰を据えて動くつもりらしい。もし彼があの二人の姉を重く見るなら、水村さんは『彼女たちがのし上がるための障害』になります。気をつけなさい。】美穂は【分かった】とだけ返し、スマートフォンをロックした。旭昆との因縁は、あの二人がいようがいまいが、すでにつけられた。ただ昨夜話題にしていた人物と、翌朝には会社で顔を合わせることになるとは、思ってもみなかった。翌朝、美穂は早めに出社した。すると律希が困ったような表情で近寄ってきた。「水村社長、秦という男性が名指しでお会いしたいと。予約はありませんが、どうしてもと……」美穂は落ち着いて眉を上げた。秦という苗字の男で、自分が知っているのは政夫と旭昆だけ。状況を考えれば、相手は一人しかいない。「通して」ほどなくして、旭昆が大股でオフィスに入ってきた。派手なワインレッドのスーツに身を包み、髪は黒に戻している。だが、その身に染みついた傲慢さと荒々しさは、少しも隠せていない。彼は一直線にデスクへ向かい、両手をデスクにつき、見下ろすように言い放った。「水村。D国で俺が失ったあのいくつかの案件、お前の仕業だろ?」美穂は椅子の背にもたれ、表情一つ変えない
「本人がどれだけ望んだって、無駄よ!」明美はようやく我に返り、声を荒らげて反対した。「お義母様、美穂は私たちと血の繋がりがないのに、どうして陸川家の人間として認めるの!」華子は冷ややかに言い返した。「私とあなたに血のつながりがあるとでも?」「……」明美は怒りに任せて、考えずに口を滑らせてしまったのだ。本当に血筋で論じるなら、華子も、明美自身も、薫子も、この家から追い出されることになる。「もういいわ」華子は結論を下すように言い、美穂の手を引いて立ち上がった。声は厳粛だ。「手続きが済んだら、美穂を連れてご先祖様の墓前に行き、きちんと頭を下げさせ、ご先祖様に認めてもらうわ」明美はさらに声を張り上げた。華子が本気で美穂を迎え入れようとしていることが、よほど癪に障ったのだ。「ご先祖様に認めさせる?あの世のご先祖様が知ったら、出自も分からない他姓の人間を認めるわけがないでしょう!」以前はまだ、明美は分別があると思っていたが、最近はますます手に負えない。華子の視線は氷のように冷え切っている。「私はまだ生きている。陸川家のことに、あなたが口出しする筋合いはないわ」華子は美穂に命じた。「私をダイニングルームまで支えて。食事の準備よ」明美は全身を震わせ、ハンドバッグを掴んで外へ向かった。通り過ぎる際、美穂の前で足を止め、憎悪を込めて言い放った。「覚えておきなさい。これで終わりじゃないわ」美穂が反応するより早く、華子は執事の和夫を呼びつけた。「明美の家族カードを止めてちょうだい」そう言って、深くため息をついた。この数年、明美を甘やかしすぎた。その結果が、今の傍若無人な性格だ。茶室に残された面々は顔を見合わせたまま、誰一人口を開かなかった。和彦は淡々と衣の裾を払うと、無関心そうに美羽へ言った。「行こう」家の実権を握る二人が去ると、残された茂雄一家は、椅子にもたれ込むようにぐったりした。薫子は胸を撫で下ろし、心底怯えた様子で言った。「お義姉さんがあそこまで怒るの、初めて見たわ」薫子が美穂を嫌っているのは、あくまで「陸川家若奥様」という立場に居座られ、金を引き出せないからだ。だが明美の美穂への嫌悪は、もっと生々しい。肉を喰らいたいほどの憎しみ――それに近い。菜々は眉をひそめ、不思議そうに茂雄へ尋ねた。「お父
美穂は視線の端で、感情の読めないその男をちらりと見ただけで、何事もなかったかのように静かに目を伏せた。一方、美羽の顔には笑みが浮かんでいるが、どこかぎこちない。贈り物も持ってきていて、手にぶら下げたままの姿は、まるで美穂の受賞を祝うために来たかのような格好で、渡すことも引っ込めることもできず、居心地の悪い立場に立たされていた。その気まずさを察したのか、和彦がさっと美羽の手から箱を受け取り、使用人に渡しながら淡々と言った。「体の補養のために、美羽が特別に手配した最高級A5ランクのお肉だ。後で厨房に頼んで料理してもらおう」華子は彼を睨みつけた。「そんなもの、家にはいくらでもあるわ」「多いに越したことはない」和彦はそう言って、使用人に持っていくよう目配せした。使用人は左右を見回し、誰の機嫌も損ねたくない様子で、箱を受け取ると足早にその場を離れた。明美はその様子を見て、ティーカップを置き、ふいに口を開いた。「せっかくの家族の食事会だし、そろそろ本題に入りましょう。和彦と美穂はもう離婚するから。美穂はもう、陸川家に顔を出すべきではないわ」明美は斜めに美穂を一瞥した。「今は和彦のそばには美羽がいれば十分でしょう」室内は静まり返った。誰も、明美がこの話題を突然持ち出すとは思っていなかったのだ。薫子は目を輝かせ、今にも口を挟みそうになったが、茂雄に肘で小突かれて言葉を飲み込んだ。反論しようとした瞬間、華子の陰鬱な視線とぶつかり、慌てて口を閉ざした。だが心の中では、計算を働いている。以前、和彦に紹介しようとしていた親戚の女の子――身内のほうが、死んだはずが生き返った美羽なんかより、よほどましだ、と。美穂はティーカップを手に取り、落ち着いた所作で一口啜った。表情に大きな変化はない。和彦は長い指を軽く曲げ、肘掛けを気まぐれに叩きながら、何も言わなかった。美羽はそっと目を伏せ、長いまつげの奥に、かすかな愉悦の光を隠した。「誰が、離婚したら陸川家の人間じゃなくなると言ったの?」華子は周囲の表情を静かに見渡しながら、数珠を弄び、落ち着いた口調で続けた。「私は孫娘が少ないの。ちょうどいいから、美穂を、義理の孫娘として迎えればいい。これからも美穂は、変わらず陸川家の一員よ」「お義母様!」明美は、まさか華子がそんな考えを持ってい
あの、自分がずっと見下し、「絵なんてまるで分かっていない」と思っていた美穂が――?そんなはずがない。専門分野での敗北は、好きな男を奪われることよりも、はるかに心をえぐる。その頃には、美穂はすでにコンテストの運営スタッフとともに表彰会場を後にしていた。スタッフたちは「月中の人」を絶賛し、作品を海外の美術展へ出展する件について、美穂と相談している。美穂は終始落ち着いた様子で話を聞き、淡々とうなずいて応じていた。美羽はその場に立ち尽くし、遠ざかっていく美穂の背中を見つめていた。その瞳から、いつもの柔らかな色は完全に消え、冷え切った陰りだけが残る。手にしたトロフィーを強く握りしめ、力の入った指の関節が白く浮き上がっている。自分が、最も自信のあった分野で、ここまで完膚なきまでに負けるなんて――思ってもみなかった。病院では、華子が源朔の口から美穂の金賞受賞を聞き、喜びのあまり病気が治りそうな勢いだ。大きく手を振って家族の宴を開くことを決め、盛大に美穂を祝おうと言い出した。美穂は華子に押し切られ、週末の時間を割いて久しぶりに陸川家本家へ戻った。華子は華やかな深紅の振袖を着て、庭園の茶室にある漆塗りの座椅子に腰掛けていた。美穂の姿を見るなり、手招きした。「美穂、早く来なさい。おばあさんに顔を見せて」退院したばかりで顔色はまだ少し青白いが、気力は十分。目尻の笑みは隠しきれない。「金賞の証書は持ってきた?薫子たちにも見せてあげて」美穂が近づいた途端、背後から薫子の甲高く耳障りな声が飛んできた。「お義母様、退院したばかりなのに無理なさって。疲れたら、また入院することになりますよ?」その一言で、華子の顔色が一気に沈んだ。茂雄は後ろから大人しくついてきて、手には土産袋。苦笑いを浮かべながら慌てて取りなした。「彼女、口下手なだけだから、気にしないでください、お母さん」華子は鼻で笑った。菜々が小走りで駆け寄り、こっそり美穂に変顔を見せてから、腕を絡めて親しげに揺らし、崇拝のこもった声で言った。「お義姉さん、すごすぎる!」やる時はやる、その一作で一躍有名。美穂は楽しげに口元を緩め、菜々の頬を軽くつまんだ。「吉良先生から聞いたけど、あなた、作品出してないんですって?」菜々は急に咳払いをして、気まずそうに頬を掻いた。「
美穂はそれ以上応じず、視線を審査員席のほうへと移した。源朔は両手を背に回し、数名の審査員と話し込んでおり、表情はいつになく厳しい。美羽の言葉が、わざと周囲に聞かせるためのものだということは、美穂にも分かっている。和彦との親密さを誇示しつつ、美穂を「つまらない女」として貶めたいだけ。そんな幼稚な駆け引きに付き合う気はない。美穂が反応しないのを見て、美羽は図星を突いたと思ったのか、口元の笑みをさらに深めた。美羽はスカートの裾を整え、優雅な所作で自分の作品の前へと向かい、周囲からの称賛を一身に受けた。その眼差しには、優勝を疑わない自信が満ちている。審査員席では、議論がまだ続いていた。「秦さんの作品は技術が非常に完成されているし、業界内での知名度もある。金賞を与えれば、コンテスト自体の注目度も上がるはずだ」ぽっちゃり男性審査員はそう主張し、美術コンテストにも市場性は必要だと考えている。一方、女性審査員は終始Mの作品を推している。「絵画は、最終的には作品そのものを見るべきです。秦さんの絵は技巧に寄りすぎていて、一筆一筆があまりにも計算され尽くしているように見えます。どこか才気が感じられにくい印象があります。それに比べてMさんの『月中の人』は、一見すると無造作ですが、全体に自然な趣がある。特に月光の暈しには、伝統絵画の精髄が息づいています。あれこそが、本当に優れた作品です」「だが、Mさんとは誰だ?聞いたこともない名前だ。どう見ても新人だろう。新人に金賞を与えて、果たして納得されるのか?」「新人が何だというんです?ピカソだって、初出展の時は新人でした。芸術は経歴ではなく、実力で評価されるべきです」意見は最後まで折り合わず、最終的に投票で決めることになった。投票結果が出た瞬間、会場は静まり返った。Mの「月中の人」が、わずか一票差で勝利し、今回の美術コンテストの金賞を獲得したのだ。源朔は脇に立ったまま、表情こそ淡々としているが、背中の後ろでそっと勝利のVサインを作っている。その得意げな様子は、まるで先生から飴をもらった子どものようだ。コンテストはいよいよ、最終の表彰式を迎える。壇上のクリスタルシャンデリアが眩い光を放ち、司会者は金色の封筒を掲げた。「審査員団による三度の審議を経て、本コンテストの金賞作品は、独自の余白表現
美羽は視線の端で美穂の存在を捉え、わずかながらも隠しきれない驚きを浮かべた。――どうして美穂が、ここにいるの?以前、和彦は美羽と菜々に源朔から絵を習わせた。そのおかげで陸川家を出入りする理由があり、華子から冷たい視線を向けられはしたものの、実際に学べたことは多く、しかも実用的だった。だが、美羽が通い始めてからというもの、美穂の姿は一度も見ていない。美羽の記憶では、美穂と源朔は特別親しい関係ではなかったはずだ。それなのに、なぜこの二人が一緒に美術展に出ているのか。――何か、見落としている?美羽は思案に沈んだ。「秦さんも来たのか」源朔は、丁寧な口調で言った。美羽はその距離感に気づかないふりをし、自然な仕草で源朔の隣に立つと、画集を手に今日の展示内容を説明し始めた。終始、美穂には一度も視線を向けなかった。まるで、美穂のほうが場違いであるかのように。「吉良先生には感謝しないといけません」美羽は微笑みながら言った。「ご指導がなければ、入選するまで、もっと時間がかかっていたと思います」口ぶりは謙虚だが、瞳の奥には揺るぎない自信が満ちている。源朔は美穂をじっと見つめ、口元を歪めて顎で合図した。――早く何か言え。しかし美穂は、ほんのわずかに首を横に振るだけで、美羽と関わる気はなく、源朔にだけ軽く微笑むと、そのまま背を向けて別の作品を見に行った。源朔は呆れた。――不肖の弟子め。展示ホールには人の流れが絶えず、「月中の人」の前で足を止める者もいれば、美羽の歯車と薔薇について語り合う声も聞こえてくる。「この二つ、雰囲気が全然違うね」「秦さんの作品、技法はすごく完成されてるけど、ちょっと感情が薄いかも」「このMさんのほうは一見シンプルだけど、見れば見るほど味がある。金属の薔薇より、感情が伝わってくるな」その声を聞き、美羽の表情がわずかに沈む。画集を握る指に、自然と力が入った。「で、このMさんって誰なんだ?」「さあ?このコンテスト、匿名やペンネームも可らしいから、結果発表まで分からないんじゃない?」そう言われた直後、審査員席で口論が起きた。腹の出た男性審査員が美羽の作品を指差した。「技法は完成しているし、テーマも新しい。高得点をつけるべきだ」それに対し、眼鏡をかけた女性審査員は首を振った。「作為が