第4話

女性の澄んだ鹿のような瞳に涙が浮かんだ。

和彦は一瞬驚き、すぐに唇を引き結んで尋ねた。

「おばあさんに何かあったのか？」

「おばあちゃんが……」

「和彦！」

秘書に支えられた莉々が近づき、涙に濡れた目で低くすすり泣いた。

彼女の言いかけた言葉は遮られた。

美穂は口を閉ざし沈黙した。飲み込んだ言葉は感情となって心に沈んでいった。

彼女はもう説明する気もなく、和彦が莉々に視線を向けたのを見て、「やっぱりね」と言いたげな表情を浮かべた。

美穂は振り向いて、再び車に乗ろうとした。

「お前のことは後で話す」

美穂がドアに手をかけようとした瞬間、和彦は秘書に現場を任せると、彼女の細い腰を強引に引き寄せた。

「今は落ち着いてくれ」

彼の体には莉々がよく使うスズランの香水の匂いが残っている。それが美穂の傷口の血の匂いと混ざり合い、吐き気を催すような臭いを放っていた。

美穂は思わず胸を押さえてえずいた。

タクシーの運転手が窓を開けて急かした。

「乗らないですか？乗らないなら、車を出しますよ！」

「乗る！」

美穂は必死に和彦の腕を押したが、彼の腕はがっしりしていて、どんなに力を入れても振りほどけなかった。

和彦の顔は険しくなった。

彼はもう片方の手で美穂の動きを封じ、強引に抱きしめながら、一歩ずつ後退して事故現場へ戻った。

運転手は舌打ちし、車を発進させて去っていった。

最後の希望が遠のく中、美穂はついに心が折れ、涙が止まらず溢れた。

和彦の車に乗せられた彼女は、車内に置かれた簪を見つけて、正気を取り戻した。

彼女は突然、くすんだ簪を掴み取り、その鋭い先端を頸動脈に押し当てた。澄んだ明るい瞳は怒りと悲しみに満ちて和彦を見据え、震える声で抑えきれない感情を吐き出した。

「私を空港まで送って。さもないと、明日の経済ニュースの一面は、陸川社長が妻を自殺に追い込むってことになる！」

和彦は眉をひそめ、まつ毛を伏せて少し苛立ち気味に言った。

「お前は怪我してる。まず病院へ行ってくれ。おばあさんの件は俺が処理する」

美穂の外祖母が病気で入院していることは、彼も知っていた。美穂は毎年欠かさず、一度は外祖母のもとを訪れていたのだ。

今回もそうだと思っていた。

その時、スマホが鳴り、美穂は慌てて出た。介護士の嗚咽混じりの声が、医療機器のアラーム音と共に耳に届いた。

「水村さん、おばあさまが……亡くなられました。最後までずっとドアの方を……」

スマホが、ポトリと音を立てて、手から落ちた。

真夏の真昼の日差しが、急に冷たく感じられた。

彼女の虚ろな目には、和彦の驚いた表情が映っていた。

どうやら彼も、その言葉をはっきり聞いてしまったらしい。

視線を少しずらすと、莉々の得意げな嘲笑も、車窓に映った自分の顔も見えた。

涙がマスカラを溶かし、頬に黒く醜い線を引いていた。

長い時間が経った。

彼女はかすれた声で、まるで親を失った子どものように、うめきながら泣き出し、手を離すと簪がカタンと落ちた。

そして呟いた。

「満足したの？

もう満足したの？

あなたたちは、もう満足したの！？」

声は次第に大きくなり、枯れた叫びが響いた。

和彦の顔に複雑な表情が浮かび、喉仏が上下した。

いつも冷静な彼が、今は彼女の問いかけに言葉を失い、黙っていた。

美穂はまっすぐに彼を見つめた。

次の瞬間、彼女は涙を拭い、自嘲気味に笑いながら車を降りた。

空には南方から流れてきた雲が太陽を覆い、空気は冷たく湿ってきた。風が砂を巻き上げ、顔に痛みを感じさせるほどだった。

白いドレスには血の汚れがついていた。美穂はゆっくりと顔を上げ、風に向かって立ち尽くした。

海藻のような長髪が乱れ広がり、時間が巻き戻ったかのように、彼女は二十歳のあの台風の日を思い返した。

あの日、外祖母を救おうと、陸川家の本家に跪いて懇願していた彼女も、同じように惨めだった。

彼女は最後に南の空を見上げた。

積乱雲が太陽を隠し、空は暗く沈んでいく。ぼんやりとした意識の中で、彼女は外祖母が歌う声を聞いた。

意識を失う直前、高大な影が駆け寄り、倒れそうな彼女を抱きとめた。

長く鳴っていた雷のあと、ついに激しい雨が降り出した。

消毒液の匂いが湿った空気と混ざり、ほのかに沈香の焦げた苦みを帯びている。

美穂は朦朧とした意識の中で、金属器具がぶつかる鋭い音を聞き、目を開けた。

すると、和彦が綿棒に薬水を染み込ませて、彼女の掌の傷口を丁寧に拭っている。

他の傷はすでに処置された。手だけは彼女が固く握っていたため、処理できなかったが、今ようやく開かれた。

「触らないで！」

美穂は手を強く引き抜いた。点滴のチューブが白い軌跡を描いて空を切った。

綿棒が飛び、トレーの器具がガシャッと散らばった。

和彦の動きが一瞬止まった。

彼は銀縁メガネをかけていて、穏やかに見えたが、目の奥は冷たかった。

「美穂、落ち着け」

美穂はシーツを握りしめ、かすれた声を絞り出すと、口の中いっぱいに苦味が広がった。

「おばあちゃんが待ってたのよ。どうやって落ち着けって言うの？」

「知ってる」

和彦はナースコールのボタンを押し、ベッドサイドの保温ポットを手に取ると、長く整った指で蓋をひねって開けた。立ちのぼる湯気が彼の眼鏡のレンズをうっすらと曇らせた。

「まずは少し食べろ。食べたら空港まで送る」

また「知ってる」だった。

まるでこの一言以外、彼には彼女の問いに答える術がないかのようだ。

美穂は悲しげにそっと目を閉じ、伏し目がちに和彦の手首にある小さな傷を見つめた。

脳裏には、莉々に無理やり見せられたあの映像がよみがえた。昨夜、彼女が車の中で莉々に傷つけられた。

彼女は突然布団をめくって裸足で床に立った。

「お手を煩わせるには及ばないよ。あなたは秦の『妊婦健診』に付き添うんでしょ」

最後の言葉は極めてかすかに発せられたが、それでも和彦が眼鏡を外して拭いていた手が、ほんの一瞬止まった。

そのわずかな綻びを、美穂は鋭く捉えた。衣服をつかむ彼女の手が、かすかに震えていた。

「普通の検査だ」

彼は眼鏡をかけ直し、銀色のフレームが冷たく光を反射した。

「彼女の姉が亡くなる前に……」

「また秦美羽なの！」

美穂は怒りで振り返った。怒りか、冷めきった絶望か、自分でも分からなかった。

「彼女が死ぬ前に妹を頼んだから、秦莉々をここまで甘やかすの？なら、いっそ結婚して奥さんにしたら？」

怒りによる、針で刺すような鋭い痛みが腹にじわじわと広がっていった。

美穂はベッドの柵につかまり、ようやくの思いで身体を支えた。

「あの時、あなたは政略結婚だから、互いに必要なものを取り合えばいいって言った。

私は陸川家の家族関係を取り繕い、あなたはおばあちゃんを港市で穏やかに暮らさせるって約束した。

でも今、おばあちゃんはもういない。その約束は……もう終わりよ」

窓の外で雷鳴が突然轟き、和彦のすらりとした影が閃光に壁に焼き付けられた。

その影はまるで牢獄のように美穂を閉じ込め、息を詰まらせるほどに圧迫した。

彼女は逃げ出したかった。

和彦は整った眉を軽くひそめ、その言葉が彼女の感情の崩壊による錯乱だと判断した。

彼女の体が揺らぐのを見ると、彼は手を差し伸べて支えようとした。

「莉々のことは、ただ責任を感じてる。お前の立場を脅かす存在じゃない。信じてくれ」

美穂は身を引き、涙を浮かべて冷たく笑った。

「信じるわ。でもじゃあ教えてよ。今朝、あいつが私を阻んだとき、あなたはどこにいたの？あいつと一緒に寝てたホテルで、検査結果でも見てたの？」