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第5話

مؤلف: 玉酒
記憶が洪水のように和彦の脳内に流れ込んだ。

昨夜、彼は美穂と気まずいまま別れることになり、別室で寝ようとしたところに、莉々から体調不良を訴える電話が来た。

彼はかつて美羽に、莉々をちゃんと世話すると約束していた。ここ数年も、莉々に使われるのもすっかり慣れてしまったため、深く考えもせず彼女に付き添って病院へ検査に行った。

だが、莉々の要求で彼女をホテルに送った後、彼はすぐに離れた。だから、美穂の言うような情事は全くの事実無根だった。

しかも、美穂がどうやってそのことを知ったのか?

「誰から聞いた?」

和彦はそう言いながら彼女の足元に目をやり、強引に彼女を抱き上げベッドに戻した。

「知られたくなかったら、最初からやらないでよ」

美穂は冷たく皮肉を吐いて、再び起き上がろうとした。

そのとき、看護師が処置カートを押して入室した。

和彦は美穂をベッドの端に押さえつけた。彼の掌には、どこか懐かしくもあり、同時に見知らぬ香りが残っていた。その匂いに、美穂は思わず吐き気を催しそうになった。

それは、莉々がいつもつけている香水の匂いだった。

美穂は、その気分が悪くなるほどに濃い匂いを、嗅いだことがある。

彼女はそっと目を伏せ、その瞳の奥にかすかな自嘲の色がよぎった。

介護士が翼々と足元の散乱を片付けながら、小声で言った。

「陸川社長、お部屋の整理をさせますので……お二人は隣室へお願いできますか?」

和彦は美穂に身を寄せ、二人にしか聞こえない声で言った。

「美羽の代わりに莉々を世話してるだけだ。彼女が病気だったから、無視はできない。誤解するな」

そう言うと、彼は美穂の頭を撫で、耳元の髪を整えた。そして少し困ったような口調で続けた。

「もう落ち着いてくれ。隣の部屋に連れて行くよ」

彼の手が頭から腰へと滑り、その熱が布越しに伝わってきた。

美穂はすぐに察した。

外では、彼はいつものように、穏やかで礼儀正しく、彼女を愛する良き夫を演じている。今の彼女もいつものように、その芝居に付き合わなければならないと。

だが今日は、もう演じる気になれなかった。

「自分で行くわ」

彼女が動こうとしたとき、和彦の顔は冷たくなり、譲歩しなかった。

「美穂」

彼の声は低く冷ややかだった。

「おばあさんをちゃんと弔いたいなら、言うことを聞け」

和彦は本当は彼女に冷静になるよう諭そうとしていた。介護士がまだここにいるし、人前で騒ぐのは見苦しく、彼にも彼女にも影響があるからだ。

美穂の体は激しく震えた。

視線の端には、看護師が慎重かつ興味深そうに彼女を見つめる姿が映っていた。

交通事故現場でも同じだった。

彼らは和彦と莉々のことは知っているが、陸川家の若奥様の顔も名前も思い出せなかった。

彼らはただ、和彦が結婚していることは知っているが、相手が誰かは覚えていなかった。

それはどうでもよかった。彼女が和彦を好きで、彼と結婚できればそれでいい。周囲に知られているかどうかは問題ではなかった。

ましてや、名門の社交界は彼らの夫婦関係を知っている。そして、表面的に彼女を尊重してくれればそれで十分だ。

水村家もこの関係を理由に、病気で入院している外祖母を大切に扱ってくれるのだった。

だが……もし和彦を怒らせたら?彼と揉めたら?

水村家は外祖母の葬儀をちゃんとやってくれるのか?

美穂は深く考えたくなかった。

答えがあまりにも明白すぎるから。

今の彼女はすべて、和彦や「陸川家の若奥様」という立場に依存している。

和彦がその気になれば、彼女を潰すなんて簡単だ。

「わ……」

美穂が口を開いた途端、声はすでにかすれている。

彼女は言葉を出せず、悔しさを飲み込むしかなかった。

「わ……わかった」

よしばらくして、彼女はまるで全身の力を振り絞るようにして、「わかった」と一言吐き出した。

それを聞くと、和彦は子供をなだめるように彼女の背中を優しく叩き、そっと隣の部屋へ抱きかかえて連れて行った。

終始、美穂はまるで操られている人形のように騒ぐこともなく、感情が崩壊したあとの無表情を浮かべていた。

和彦はまったく気づかず、ポケットのスマホが震えると取り出して、連絡先をちらっと見た。そして、美穂を待たせたまま、電話を受けるためにベランダへ向かった。

数分後、戻ってきた彼は聞いた。

「今から会議がある。お前はここにいるか、それとも帰るか?」

美穂は爪を手のひらに食い込ませ、その鋭い痛みが頭を冴えさせていた。

「帰る」

和彦は、包帯を巻いた彼女の足に視線をやり、血の気が引いたような冷たい肌に眉をひそめた。

「送ってこう。おばあさんの葬儀は小林に任せてある。お前の足が治ったら、一緒に港市へ行こう」

美穂はは黙って顔を上げた。

男の凛々しい顔に、真剣でやや優しい表情が浮かぶのを見て、冷え切った心がゆっくりと温かさを取り戻していった。

彼女は顔をそらし、まつげがまぶたに震える影を落としながら、柔らかい声で言った。

「わかった」

ほんの少しの優しさがあれば、それだけで満足だった。

豪雨が車の窓を打ちつけ、美穂はバックミラーに映る病院の輪郭をじっと見つめていた。

運転席では、小林秘書のスマホが絶え間なく震え、ロック画面に「明美様が櫻山荘園に到着」の通知が表示されていた。

「若奥様、社長が……」

「エアコンを弱くして」

美穂は彼の言葉を遮ると、薄い毛布であざのある膝を包み、断続的に痛む腹部を押さえた。

車の窓の外を巨大なLEDスクリーンが通り過ぎた。

そこには、和彦から贈られたハイブランドの宝飾を身に着けた莉々の広告が映し出されていた。

あの眩しい鮮やかな赤色が、美穂の目に痛いほど突き刺さった。

小林秘書も明らかにそれに気づいた。

彼は黙ったまま、車のエアコンを弱くし、素早く別の道へと迂回した。

美穂は足を負傷して自分で歩けなかったため、小林秘書はあらかじめ執事に車椅子を用意させ、彼女を押して荘園の主屋へと入った。

指紋認証ロックが開くと同時に、二人の含み笑い混じりの会話が耳に入った。物音を聞いて、皆が一斉に振り返った。

美穂の車椅子は玄関で止まり、楽しそうに話していた明美と莉々と目が合うと、一瞬驚いた表情を見せた。

明美が先に口を開き、嘲るような調子で言った。

「おや、不吉者が戻ってきたの?」

豪雨が掃き出し窓を打ちつけている。

美穂は驚いた後すぐに表情を落ち着かせ、冷静に答えた。

「お義母様はどうしてここに?」

その言葉は明美に向けられていたが、彼女の視線は莉々に注がれていた。

「これは和彦の家よ。来たいときに来るの」

明美は、美穂が本当は気にしてるくせに平気なふりをするのが大嫌いだった。

美穂は軽く会釈すると、視線を戻して、居間を離れようと車椅子を動かした。

そのとき莉々が立ち上がった。

彼女は見覚えのある絹のパジャマを着ていた。

その裾が美穂が丁寧に選んだカシミヤの絨毯をかすめて、ほつれた毛糸を引きずりながら曲がりくねった毛の跡を残した。まるで今にも獲物を狙う毒蛇のようだった。

「美穂さんのパジャマ、すごく着心地いいわ」

莉々はその裾をひょいと持ち上げると、唇の端をわずかに上げて、挑発的な笑みを浮かべた。

「和彦が買ってくれたものよね?でも新品だったみたい。美穂さん、一度も着てないの?」

美穂はすぐに思い出した。

これは年始に和彦が執事に指示して送らせたものだった。

3年の結婚生活で、和彦が珍しく贈ってくれたもので、大切に仕舞っていた。

何しろ、それは和彦が自ら選んで指示したもので、言わば彼が直接渡してくれたようなものだった。

だからこそ、彼女はとても着る気にはなれず、大切にしまい込んでいた。

「脱いで」

美穂は膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめ、淡々とした声で繰り返した。

「はやく脱いで」

「は?これがあなたの服?」

莉々はまるで冗談でも聞いたかのように、鼻で冷たく笑った。

「名前でも書いてあるの?それに、あんなヒョロヒョロの体より、私のほうがよっぽど似合ってるでしょ?

私は着て和彦に見せられるけど、あなたが着たって……ぷっ、無駄よ」

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