「翔太、このラフィをデキャンタージュしてきて」 桜子は眉を少し寄せながら、スマホを伏せた。 翔太は一瞬表情を曇らせた。 お嬢様が、自分に場を外すよう促していることが明らかだったからだ。 「翔太、何を考えているのか、だいたい分かるわ」 桜子は微笑みながら彼の肩に軽く手を置いた。 「私は隼人との結婚生活に失敗して、彼を嫌っているのは確かよ。でも、だからといって一生関わらないわけにもいかないの」 「これから盛京で足場を固めて、KSをさらに広げていくためには、彼と接触する機会も避けられない。来るものには応じ、去るものには送るだけよ」 「でも......桜子様......」 翔太の声には深い憂いが滲んでいた。 「何を怖がっているの?彼が私に何かするって?」 桜子は冷たく笑った。 「もし彼が私に手を出すようなことがあれば、兄が動くまでもなく、檎兄が音もなく彼を盛京から消してくれるわ」 違うんです...... 翔太は心の中で叫びたかった。 私はあなたを深く愛しています。あなたのためなら命を捧げても惜しくない。でも、私は......隼人に再びあなたの心が傾くのが怖いんです...... 翔太は深いため息をつき、渋々ワインボトルを手にして部屋を出た。 桜子は鳴り止まないスマホをしばらくじっと見つめていたが、やがて受話ボタンを押した。 その声には冷たさが滲んでいた。 「宮沢社長、一体何のご用件?」 「ケーキ、ありがとう。とても美味しかった」 隼人の低く、深みのある声が夜の静けさに溶け込んだ。 その声に桜子は少しだけ呼吸を整えた。 深夜の静寂の中、彼の声はまるで遠い記憶を呼び覚ますかのようだった。 かつての桜子は、隼人の声を聞きたくて、何度も電話をかけたものだ。 彼が冷たく対応するだけでも、彼女にとっては幸せだった。 だが今、桜子の心には波風一つ立たなかった。 彼女の自制心は強い。たとえ「恋の中毒」でも、きっぱり断ち切れるほどだ。 「どういたしまして」 桜子は冷たく言った。 「そのケーキを食べたことを忘れずに。次に余計なことをする前に、あの『いぬのかしらケーキ』が何を意味しているのか、思い出すことね」 「余
桜子は眉間をきゅっと寄せた。 その言葉はまるで「納豆にアイスクリームをトッピングしたような」感じで、味わい深いというよりは、不可思議としか言いようがなかった。 空気が、一瞬にして静まり返る。 お互い、特に話すこともないようで、無言の時間が流れた。 しばらくして、隼人が小さく咳払いをして切り出した。 「......特に用事はない。ただ、それだけだ。おやすみ」 「ちょっと!隼人......」 桜子が返事をする間もなく、通話は切れてしまった。 「何なのよ、さっきのは......酔ってるの?何杯飲んだの?」 暗くなったスマホの画面を見つめ、桜子は首をかしげた。 一方その頃、通話を終えた隼人は、掌にびっしょり汗をかいていることに気づいた。 喉はカラカラで、心拍は乱れっぱなし。 目を閉じて深呼吸しながら、ぽつりと呟いた。 「我を去る者、昨日の日を留めず......我を乱す者、今日の日に悩み多し......」 優花は交通事故で意識不明の重体に陥った。 担当医によれば、植物状態のようなもので、回復の見込みはほぼゼロに近いという話だった。 「神様も私の味方をしてくれてるみたいね!」 白露はその報告を聞き、大げさなくらい安堵の表情を浮かべた。 もし、優花が意識を取り戻していたら...... 彼女が買収されて、KS WORLDの契約内容を漏洩した事実が自分にまで及ぶ可能性があったのだ。 だが、彼女という厄介事が片付いたからといって、自分の現状が好転するわけではない。 先日のAdaとの会談で、彼女は明確にこう言った。 「隼人が直接動かない限り、契約は結ばない」 その上、噂ではAdaのチームがすでに他のホテルと交渉を進めているという話まで耳にした。 「高城家や宮沢家でなくてもいい」と言わんばかりの態度だ。 その日の午後、白露は再び本田家を訪れた。 彼女がイライラとせわしなく動き回るのとは対照的に、昭子は優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。 「で、Adaの件はどうするの?」 「前に言ったでしょ?あの女、変な条件を突きつけてきたのよ。KSと宮沢家に『最高級のジュエリーを調達しろ』って。私の兄さんも何とかAlexaを引っ張り出そ
桜子はここ数日、昼間は仕事をこなし、夜になると部屋にこもって手作りの誕生日プレゼントを準備していた。 それは、愛子への誕生日プレゼントである18K金、天然アクアマリン、ダイヤモンドを使ったリングだった。 その工芸技術は、トップジュエリーデザイナーである彼女にとって決して難しいものではなかったが、特にこのアクアマリンの品質が素晴らしかった。 サイズが大きく、純度も非常に高い。それはまさに世界中で一つだけと言っても過言ではないコレクション級の宝石で、市場で名の通った宝石に劣らないほどの価値を持つものだった。 家族へのプレゼントに関して、桜子は決して手を抜かない。いつも心を込めて選び、そして作る。 かつて、彼女が隼人に贈ったプレゼントも同様だった。 ただ、隼人という男は一度も彼女の気持ちを真剣に受け取ったことがなかっただけだ。 そのとき、机の上に置いていたスマートフォンにビデオ通話の通知が入った。画面に映し出されたのは、彼女が経営するジュエリー工房の責任者であるSlivaからだった。 「こんな時間にかけてくるなんて、何か報告があるんでしょう?」 桜子は宝石を丁寧に研磨しながら、視線を画面に移さずに聞いた。 「Alexa、Tylerを覚えてる?」とSlivaが切り出す。 「もちろん覚えてるわ。私の下で3年間徒弟をしてたけど、その後独立して自分の道を歩み始めた子でしょ?才能があるし、手先も器用だったわね。それがどうかした?」 「2日前にね、誰かが彼に接触して、あなたのジュエリーを模倣してほしいと頼んできたのよ。これ、怒らないほうが無理じゃない?」 Slivaは声を荒げて続けた。「あなたがまだ表舞台に戻らないと、このままだと市場にはAlexaの偽物が溢れ返ることになるわ!」 桜子は手を止めることなく、肩をすくめながら微笑む。 「別に怒ることなんてないわよ。私がすごすぎるから手に入れられない人が、偽物でちょっとした虚栄心を満たしたいだけでしょ?」 「Tylerはあなたに直接連絡がつかなくて、私に相談してきたの。彼、絶対にこの依頼は受けたくないって。それに、師匠の作品を偽造するなんて、まさに『畏敬の念を抱いてない』ようなことだからね!」 その言葉に、桜子はついクスッと笑った。長年一
その夜、宮沢家は久々に全員集合し、毎月恒例の月見浜での食事会が開かれた。 一見すると和やかな雰囲気で、白露までが珍しく初露に飲み物を注いだり、料理を取り分けたりして、まるで仲の良い姉妹のように見えた。 初露は隼人の隣に座り、終始黙々と食べ続けた。余計なことを言って怒られるのが怖かったのだ。 しかし、彼女は引っ込み思案ながらも芯の強い性格をしていた。 白露が注いでくれた飲み物には一切口をつけず、取り分けられた料理も箸で端に寄せただけで、まったく食べなかった。 「父さん、今日は秦と相談した重要なことを話しに来ました」 光景は箸を置いて正座し、まるで貴族のような見事な食卓マナーを披露した。 「お前たち夫婦で決めたことなら、わざわざ私に言う必要はないだろう?」 裕也は目を伏せ、角煮を一口大に切っては頬張りながら言った。「秦がいれば何でも片付くだろう?これまでもそうやってやってきたんだ」 宮沢秦はぎこちない笑顔を浮かべ、目に一瞬、怨恨の光が宿った。 毎月、彼女にとって最も苦痛な時間がこの家族の食事会だった。裕也の嫌味に耐えなければならず、この場に臨む前日はいつも眠れなくなるほどだった。 この老いぼれ、早くあの世に行けばいいのに! 彼女は心の中で毒づいた。 光景は眉をしかめ、小さく咳払いをすると、宮沢秦の手をそっと握り締めた。 「父さん、白露も結婚適齢期ですし、そろそろ彼女の結婚について話を進める時期ではないかと思いまして」 白露は恥ずかしそうに唇を引き結び、頬をうっすら赤らめた。 「結婚だと?」 裕也は箸を止め、太い眉をひそめた。「白露はまだ二十五だぞ。こんなに若いのに、私はまだ孫娘たちを手元に置いておきたいんだ。お前は何をそんなに急いでいるんだ?」 光景:「......」 「それに、宮沢家の娘が嫁ぎ先に困ることなんてない。二十五だろうと五十二だろうと、うちの娘は花のように美しいんだ。欲しがる男はいくらでもいるさ!」 突然、裕也は光景を疑わしげに睨みつけた。「......まさか、グループの経営に何か問題があって、商業結婚で立て直そうとしてるんじゃないだろうな?」 「父さん、誤解です。グループは順調そのものですよ」 宮沢秦が笑顔を作り、夫をフォロー
「初露、おじいちゃんと食事をしている時に、どうして箸を落とすの?本当に行儀が悪いわね!」 秦は冷たい表情で初露を叱りつけた。 「まあまあ、ただの箸くらいで子供を怒鳴らなくてもいいだろう?」 裕也が当然のように秦を咎めた。この孫娘のことを、彼は心の底から可愛がっているのだ。 秦はテーブルの下で拳を強く握りしめた。この老いぼれの前では、彼女は何をしても間違いと言われるのだ。息をするだけでも罪のように感じる。 「おじいちゃん、お父さん、お母さん......私、もう食べ終わりました」 初露は頬を真っ赤にし、俯きながら小さな声で言うと、慌てて席を立った。 隼人は妹の儚げな後ろ姿をじっと見つめ、目を細めながら何かを思案していた。 一方、白露の胸には勝利の喜びがあふれていた。 初露、あんたが家で静かにしていれば、こんな恥ずかしい思いをしなくて済んだのにね。 でも残念ね。私の男に手を出そうとするなんて、そんなの許すわけがないでしょ。 だから教えてあげるわ。本当のところ、誰が両親に愛される娘で、誰が本田家の優希にふさわしいかってことをね! 「でも、どうして優希なのか?」 裕也が目を細めて、少し不思議そうに言った。「優希は小春が好きなんじゃないのか?」 その瞬間、光景、秦、そして白露の顔色が一斉に青ざめた。 「............」 まるで部屋の中をカラスの群れが飛び去ったような沈黙が広がった。 ちょうど隼人がお茶を飲んでいる時だった。おじいちゃんの一言が胸に突き刺さり、隼人は思わずむせた。 彼は茶盞をぎゅっと握りしめ、その整った顔立ちはカラスよりも暗い表情になっていた。 「おじいちゃん、本田家の優希がどうして桜子なんかを好きになるんですか?」 白露は怒りで胸を膨らませながら言った。顔は真っ赤で、今にも爆発しそうだった。 「いやいや、優希は小春が好きだろう?おじいちゃんは年寄りだが、まだ目も耳もはっきりしてるぞ。前の誕生日の時、優希が来たのを覚えているが、小春にとても親切だったのを見たぞ」 「小春から目を離さず、まるで彼女のそばにいるのが当たり前のようだったな。あの二人が結婚すれば、きっと優希は小春を大切にして幸せな生活を送るんじゃないかと思ったくらい
「へえ、そんなことがあったのか?」 裕也は顎を撫でながら、興味深そうに問いかけた。 「もちろんです、お父さん」 秦もすかさず口を挟む。「本田家の旦那様である優希さんが、どれほど立派な名家の御曹司かはご存じですよね?そんな方がわざわざ家を訪ねるなんて、普通ありえませんよ。彼が白露を訪ねたのは、心の中に白露がいる証拠です。時が経てば、人の気持ちは変わるものですし」 秦はさらに話を続ける。「それに、お父さんが桜子さんと優希さんをくっつけようとしているのはお分かりですが、私が聞いたところでは、桜子さんには新しい恋人がいるらしいですよ」 隼人はその言葉に目を細め、冷たく鋭い視線を秦に向けた。その瞳には抑えきれない怒りが宿っていた。 唇をぎゅっと引き結び、喉仏が上下に動く。彼はまるで込み上げる感情を無理に抑え込んでいるかのようだった。 「小春が恋人を作ったのか?一体誰だ?」 裕也は驚きのあまり声を上げた。 「それが、白石ループの会長である白石達也さんの末っ子、四男の隆一さんらしいです」 宮沢秦は即座に答えた。この情報は以前、柔から得たものだ。 後になって白露から桜子と隆一が何度か会っていると聞いたが、そんなことはどうでもいい。とにかく、裕也が桜子と優希を結びつけようとする考えを断ち切るのが目的だった。 「桜子と隆一が付き合っているなんてあり得ない」 隼人はついに堪忍袋の緒が切れたように、茶碗をテーブルに置き、低い声で言い放った。 「でも、二人が何度も会っているという話は聞きましたよ。バラ園に行ったり、コンサートに行ったり......」 「俺がないと言ったら、ない」 隼人の漆黒の瞳には怒りが渦巻き、その冷たい視線が秦に突き刺さるようだった。 「秦さん、今後は事実を確認せずに軽々しく口にしないでください。桜子さんは一人の女性です。それに、今や高城家のお嬢様で、KSホテルの部長を務める立場です。そんな根拠のない噂を流すことは、彼女の名誉を傷つけます」 秦は隼人の冷徹な指摘に言い返すことができず、唇を引きつらせて黙り込んだ。 「隼人!その口の利き方は何だ!目上の人に対して......」 光景が叱責を始めたが、隼人は冷たい空気を纏ったまま立ち上がった。 「もう食事
白露が昭子から手に入れた偽物のAlexaジュエリーのネックレスが、思わぬ効果を発揮した!彼女がそのネックレスをAdaにこっそり渡した時、内心はドキドキで、不安でいっぱいだった。もしその場で偽物だとバレたら、社交界で大恥をかくかもしれないと恐れていたのだ。もっとも、バレた場合の言い訳も用意していた。「知り合いに騙されただけ」「ジュエリーには詳しくない」といった適当な嘘でごまかすつもりだった。だが、Alexaの弟子の技術があまりにも優れていたのか、Adaは偽物に全く気づくことなく、その場で嬉しそうにネックレスを首にかけ、「これ、素敵ね!」と大喜びで離そうとしなかった。その結果、Adaは白露と正式に契約を結んだ。それだけではなく、宮沢秦が夫である光景に娘を褒めちぎり、耳元で甘い言葉を吹き込んだおかげで、白露は破格の待遇で理事に抜擢されたのだ!これにより、彼女は宮沢グループの経営会議に正式に出席できるようになった。その夜、秦と白露はバルコニーでお祝いのシャンパンを開け、先に勝利の美酒を味わっていた。「白露、Adaの結婚式が無事に終われば、お父さんはホテルの運営を正式にあなたに任せるだろう。最初の一歩をしっかりと踏み出せば、そのうち取締役会にも入れるようになる。そうすれば、私たちはあの隼人を追い出せるわ」秦は娘をしっかりと抱きしめながら、目を輝かせた。まるで、自分が人生の新たな希望を抱きしめているかのようだった。「あなたの妹には期待できないからね。これからの私の人生は全部あなたにかかっているのよ!」「お母さん、安心して!私がしっかりと地位を築き、隼人の影響力を少しずつ削っていきます。最終的には、宮沢グループは私たちのものになります!」白露は目に輝く野心を宿し、笑顔で秦とグラスを合わせた。その時、外から高木の声が聞こえてきた。「奥様、白露お嬢様、先ほどどなたかが招待状を届けにいらっしゃいました」母娘は顔を見合わせ、バルコニーを後にした。「誰が持ってきたの?」白露が尋ねる。「KSWORLDホテルの部長秘書、翔太様です」KS?桜子が送ってきたの!「分かったわ。あなたはもう下がって」秦は招待状を受け取ると、ドアを閉めた。封筒を開けると、中には慈善ジュエリーオークションの招待状が二枚入っていた。秦は真っ赤な唇を
樹は眉を少ししかめて言った。「こんな時間に、何するつもりだ?」 「お兄ちゃん!気分がいいから裏庭でカヌーでも漕ごうかと思ってるの!」桜子は首を少し傾け、小さな顔を上げてニコニコと彼を見つめた。 「こんな暗い中でカヌーなんて危ないだろう。川に落ちたらどうする?それに、お前は泳ぎがあまり得意じゃないだろ?」 樹は彼女の細い腰を軽くつまんで続けた。「それに外はもう氷点下近いんだぞ。こんな薄着で出ていったら、風邪ひくだけだ」 そう言いながら、彼は翔太に目を向けた。「普段、桜子のそばにはお前がいるんだから、ちゃんと注意していないとダメだろう」 「申し訳ありません、樹さん!俺の責任です!」翔太は深々と頭を下げて謝罪した。 「もういいの、お兄ちゃん。翔太はちゃんと止めてくれたけど、私を止めるなんて無理だもん」 兄妹は手をつないでソファに座ると、桜子は小さな頭を樹の広い肩にもたれかけた。「お兄ちゃん、さっき『MINT』の編集長から直接電話が来て、イベントの進行について確認してくれたの!ありがとう、お兄ちゃん!こんなにすごい繋がりを作ってくれるなんて!」 桜子は瞳を輝かせながら続けた。「『MINT』のこと、本当に大好きなの!小さい頃からずっと読んでいて、これが私のファッションデザインの原点だったんだもの!」 『MINT』の編集長であるエースは、ファッション業界で絶大な影響力を持つ人物だ。ショーを観覧している時、彼女が少しでも不機嫌そうな顔を見せれば、それだけでブランドにとっては致命的なダメージとなる。それほど彼女の存在感は計り知れない。 そんな大物が、さっき桜子に直接電話をかけてきたのだ! 電話で堂々と話していた彼女だが、実は緊張で手のひらには汗がびっしょりだったのだ。 「桜子、お前が喜んでくれればそれでいい」 樹は優しい目で微笑み、小さな鼻を指で軽く触れた。「Adaを宮沢グループに取られたことで、お前が落ち込んでいるんじゃないかと思ってな。それに、お前は何もしないでいるのが苦手だろう?だから、忙しくしてもらって気を紛らわせようと思ったんだ」 「えーっ、そんなことで落ち込むわけないじゃない!最近よく食べて、よく寝てるもん!全然気にしてないから!」桜子は小さな唇を突き出しながら甘えた声で答えた。
夕食は笑い声に包まれていた。 隆一は高級ワインを用意したが、白石夫人が桜子にジュースを勧め続けたため、彼女はオレンジジュース、ブドウジュース、パイナップルジュース......胃袋が果樹園になってしまうぐらい飲んだ。 食事後、加藤が白石夫人を連れて遊びに行き、二人の時間を作った。 隆一は桜子に自宅を案内し、骨董品を紹介した。 昔の「芍薬図」、「庭園雪図」......どれもオークションですごい値段がつく逸品だ。 桜子はテーブルに向かい、ルーペを当てて絵画を鑑賞した。 瞳に輝きがあふれていた。 「好きなら、全部贈るよ」 隆一は腕を肘に支え、微笑みを浮かべた。 彼女が絵を見る。 彼が彼女を見る。 「全部?ここの品物は最低八桁はするし、すべて真跡だよ。全部私にくれるの?」 桜子は起き上がり、ルーペ越しに彼を見た。 「あなたは本当にコレクターなの?それとも売買をしているの? 私の父のように、誰にも手を出させない人が普通よ」 隆一は唇をかみ、「俺は二人にだけ寛大だ。お前と高城叔父さん」 桜子は胸を締め付け、唇を閉じた。 隆一と隼人は正反対だ。 一人は甘い言葉を続け、もう一人は銃口を当てられても素直になれない。 「父は貪欲だよ。貴重品を見つけたら、あなたの物をむしり取るでしょう」 「高城叔父さんが好きなら、持っていって構わない。俺にはこれしかないから」 隆一の語り口には本音がこもっていた。 「じゃあ、あなたは何を欲しいの?白石家の利益以外に」 桜子は深い目で訊ねた。 隆一は心の中で「お前」と呟いた。 「桜子、雪が降ってるよ」 「真っ白な雪だ!」 桜子は目を輝かせ、幼い頃、母と一緒に雪を見た記憶が蘇った。 「行こう、雪を見に」 二人はバルコニーに出ると、舞い散る雪の中に包まれた。 「きれい............」 桜子が夜空を見上げると、隆一はスーツを脱いで彼女にかけた。 「雪は綺麗だけど、風邪をひくと大変だ」 体温の残る布地に包まれ、桜子は後ろを向いた。 その瞬間、熱い視線に触れた。 「あなた............」 男は胸が高鳴り、息が荒くなった。「メガネが曇
桜子は感動し、白石夫人の前に片膝をついた。 「隆ちゃんには私がいるから、安心してください!」 輝く笑顔を浮かべた。 隆一はスーツを脱ぎ、白いシャツにグレーのベストを着た高身長の姿でキッチンに入った。 桜子は客だが、白石家の四男に料理を作ってもらうのは気まずい。 それでキッチンに付いていった。 「手伝うよ」 桜子は高級食材が並ぶテーブルを見て、袖をまくり上げた。 「料理人もいないのに、こんなに多くの料理を作るのは大変でしょ」 「大丈夫だ」 隆一は心配そうに彼女を見つめ、柔らかい声で言った。 「事前に準備してある。シーフード料理はすぐできる。 桜子、煙アレルギーだったでしょう?だからリビングに行って母さんとゆっくり話してて」 桜子は驚いた。 「どうして知ってるの?」 明るい瞳に揺れを見せた。 「覚えているか?」 隆一は微笑んだ。 「子供の頃、高城叔父さんがお前を連れてうちに来た時、兄が肉が食べたいと言って、バーベキューをしたこと。 煙が漂ってきたら、高城叔父さんが慌ててお前を抱いて逃げた。その時、父を怒鳴りつけたのを覚えている。 桜子は高城叔父さんのお気に入りだね」 桜子は彼をじっと見つめ、胸に苦しい気持ちが湧き上がった。 隼人との三年間、彼にたくさん料理を作ったのに、この事実すら知らなかった。 しかし、隆一は十数年前の小さな出来事を今でも覚えている。 「大丈夫。手伝うよ」 桜子は流し台の前で彼と並び、頭を下げて食材を処理した。 隆一は目を暗くし、喉仏を動かし、彼女に少し近づいた。 「桜子、ありがとう」 「ごちそう食べさせてもらうんだから、私が感謝すべきよ」 「そんなことないよ」 隆一は声を落とし、苦笑いした。 「母さんの状態を見たでしょう?記憶が退化していて、時には俺のことが分からないこともある」 「認知症の初期症状だね」桜子はため息をついた。 「母さんを喜ばせてくれて、本当にありがとう」 二人は同時に顔を向け、額がぶつかった。 一瞬驚いた後、笑い合った。 別荘の中は温かい笑い声で溢れていた。 外は寒さが切なく、風が荒れ狂っていた。 隼人は鉄像
隆一の家はすべて新しい家具で飾られており、引っ越したばかりのことがわかる。 モダンなモノトーンのインテリアは、高級ブランドの家具が存在感を放っている。 桜子は入り口で肩をすくめた。 暖房が弱いわけではないが、広すぎる空間とシンプルな色彩が、冷たい印象を与える。 「桜子、寒いのか?」 隆一はシューズケースから白いファースリッパを取り出し、片膝をついて彼女の足元に置いた。 「履いて。暖房を上げるよ」 桜子は細い足を柔らかいスリッパに差し込んだ。 るで彼女のために用意したかのようにサイズがぴったりだった「若旦那様、お帰りなさい」 家政婦の加藤が笑顔で出迎えた。 「桜子、こちらは加藤さん」 隆一が紹介すると、加藤は感心しながら桜子を見つめた。 「わかりますよ!隆一さんがずっと思っていらっしゃった桜子様でしょう?こんにちは。本当に美しいですね......ミス森国でさえ及ばないほどですよ!」 桜子は顔を赤らめ、丁寧におじぎした。 「どうぞお入りください。奥様が待っていますよ」 加藤が案内する間、何度も振り返り、二人のカップル感に微笑んだ。 桜子は緊張した。 白石夫人の記憶はぼんやりしている。 子供の頃、白石家に遊びに行っても、ほとんど白石会長だけが出迎えていた。 たまに会った時も、優しい印象だけが残っている。 「母さん!」 隆一の声で、キャメルカラーの毛布をまとって、車椅子に座っている中年女性がゆっくりと振り返った。 桜子は息を呑んだ。 白石夫人は敏之さんと同じ年頃だが、白髪が目立ち、美しさの跡を見せている。 「隆一!隆一が帰ってきたわ!」 白石夫人は子供のように喜び、若い頃の美貌を彷彿とさせる笑顔を浮かべた。 隆一は急いで抱きしめ、「母さん、桜子がお見舞いに来ました」 「あ......桜子?桜子なの?」 白石夫人は目を輝かせ、加藤に呼びかけた。 「桜子にジュースを出して!お菓子もたくさんね!」 加藤はテーブルから色とりどりのキャンディーをすくい、桜子に差し出した。 「どうぞ、桜子様」 桜子は驚いて受け取った。 白石夫人の子供のような接客に、意外な感じがした。 「隆ちゃん、
「彼の全ての行動は......お前のためなんだ」 「私のため?私のために人を殴るの?」 桜子は我慢できず冷笑した。「そんな正義の名の下の卑劣な行為。私の名前を持ち出さないで、恥ずかしいわ」 「桜子!」 隼人は苦しみに満ちた声で叫んだ。「殴ったことに言い訳するつもりはない。ただ一つ聞きたい...... お前の目に俺はどう映ってる?」 桜子は息を呑み、胸が一瞬痙攣した。 暗闇の中でも、彼の眼底に砕け散る光と深い痛みを確かに感じた。 隆一は青白い顔をした隼人をじっと見つめ、鋭い視線は頭蓋を貫くほどだった。 「もし私から離れてくれるなら、商談では協力関係になれるかもしれない。 意地を張り続けるなら、これからは敵同士だ」 桜子は隼人を見ずに、隆一を支えながらゆっくりと立ち去った。 隼人は独り、天地に虐げられる雑草のように立ち尽くした。 どれほど立っていたか分からない。寒風が体を貫き、血が枯れるような冷たさが襲ってくる。涙は風に散り、また溜まる。 隆一の住む別荘は、この高級住宅地で二番目に大きい。一番はもちろん桜子のものだ。 このエリア全体が白石家のものだから、隆一が好きな家に引っ越すのは容易いことだ。 庭に入ると、桜子は隆一の顔の怪我を見て気が引けた。「痛い?」と小さな声で尋ねた。 隆一は唇を歪め、傷を引っ張る笑顔を浮かべた。「大丈夫、そんなに痛くない」 「ろくでなしな男......暴力を振るうなんて!」桜子は隼人を噛み付きたいほど怒った。 「隼人社長は軍人出身で、以前軍校に通っていた。腕が利くのは当然だ」 桜子は顔色を変えた。「どうして彼の経歴を知ってるの?調べた?」 「俺と隼人社長は、商戦も恋愛も生涯のライバルなんだ。勝つためには相手を知らなければ」 桜子はその言葉の意味を察し、唇を閉じた。 残念ながら、片思いは届かない。 しかも、無知を装わなければならない。 「母に聞かれたら、桜子がフォローしてね」隆一は緊張した表情で注意した。 「何て言うの?夜道で転んで顔だけ怪我したと?」桜子は眉をひそめた。 隆一は苦笑いし、彼女だけに見せる甘い笑顔を浮かべた。 「あっ!いいこと思いついた!」 桜子はハンドバッグから
風が切れる音——! 隼人の鼻先を僅かに擦り抜けるほど、陰気で激しい一撃が襲ってきた! 彼が素早く反応できなければ、この突然の攻撃を回避できなかっただろう。 この一撃だけで、隼人は気づいた。 隆一の優雅な外見の下には、多重人格かのような凶暴な獣が眠っている! 桜子を彼に連れて行かせてはならない。 絶対に! 出来事はあっという間に起こった。 桜子は何も気づかずに進んでおり、騒動が勃発していることすら知らない! 隆一は再び拳を振りかざした。 隼人は素早く身をかわし、逆に長い脚を振り上げて、彼の胸元をかすめた! 隆一は二歩後退し、青白い血管が浮かび上がるほど、拳を握りしめていた。 一方、襲われた隼人は、地面に釘付けになったかのように、動かずに立っていた。 隆一はゆっくりとメガネを押し上げ、眼には血気がこもった。 森国での十五年間、母を守るために、彼は名門の師匠に付き、格闘技や銃器操作を習得した。 近接格闘、射撃、ナイフ術......全てをマスターし、素早さで肉体の弱さを補ってきた。 しかし、この瞬間、彼は自らの過信を痛感した。 こいつは、普通の強さではない。 全身の力を振り絞っても、勝てないかもしれない! 隆一は眉をひそめ、顎をゆっくりと動かした。 突然、唇を歪め、邪気のある笑みを浮かべた。 隼人には、全身が冷たくなるほどの不快感を与えた。 桜子に対しては優しい目が、今では血に染まった刃のように、狂気と挑発を放っていた。 隆一は突然、体を前に倒した! 隼人の瞳孔が急に収縮し、反射的に右ストレートを放った! その拳は、隆一の左頬に真っ直ぐに命中した! その瞬間、桜子が振り返り、すべてを目撃した。 同時に、隼人は、血を含んだ唇を裂いた隆一が、怒るどころか、邪気のある笑みを浮かべるのを見た。 ヤバイ! 落とされた! 隆一は本当は殴り合いを望んでいなかった。 ただ、彼に攻撃を仕掛けさせるために誘っただけだ! 隼人が馬鹿みたいに! 「隆ちゃん!」 桜子は目を見開き、倒れかける隆一を支えた。 慌てて、幼い頃の呼び名が自然に口を出た。 隆一は目を丸くし、顔の痛みを無視して、桜
彼は生来、欲望の渦に飲まれる男で、世の中で満足できることはほとんどない。 隼人を痛めつけ、苦しめることくらいは、彼の渇望をしのぐかもしれない。 「隆一、どうしてここに?」桜子はようやく反応し、好奇心を隠せない。 「この近くに引っ越した」 隆一は深い眼差しで彼女を見つめた。 「あなたの別荘の後ろの少し離れたところに別荘を買った」 「えっ?」桜子は驚いた。 隼人も心臓が引き締められ、敵前に立つような緊張感を覚えた! 「つまり、隣人になった。桜子」 隆一は頭を傾げ、優しく若々しい笑顔を浮かべ、真っ白な右手を差し出した。 「こんにちは、新しい隣人。今後ともよろしく」 桜子は困惑したが、落ち着いて握手した。 これで、隼人という元夫を、かつて最も親密な関係にあった男を、外に拒むことに成功した。 「桜子、新居に遊びに来ないか?」 隆一はチャンスを逃さずに誘った。 「新鮮な食材をたくさん用意したよ。サーモンやロブスター......お前の好きなものばかり。俺が料理するから」 言葉には愛情が溢れていて、細かな配慮と礼儀正しさが、すべての女性の理想のパートナー像を体現していた。 「また今度にするわ」 桜子は混乱していて、今が最適な時期ではないと感じた。 「同じエリアに住むんだから、いつでも会えるよね。誘ってくれてありがとう」 「今夜は母もいるんだ」 隆一は彼女をじっと見つめ、温かく切実に誘った。 「昨日から母に招待することを話していて、彼女は嬉しそうだった。高城会長のお嬢様に久しぶりに会いたいと言っている」 桜子は驚いた。「白石夫人が森国からお帰りになったの?」 「そう、母を迎えに行ったんだ」隆一は安堵の表情で微笑んだ。 「それは本当によかった」 隼人は焦りで胸が張り裂けそうだった! 彼らの会話には、自分が口を挟めない。ただ呆然としているだけだ。 ビジネス界で縦横無尽の隼人が、こんなに手足をゆすぶることは初めてだ。 この女のためなら、バカみたいに振る舞っても構わない...... 「桜子、母の状態は知っているよね」 隆一は目に寂しさを浮かべ、「もう残り少ないかもしれない。 彼女の意識がはっきりしてしてい
その声は、なんとも馴染みがある。 まるで鋭い刀のように、隼人の胸を突き刺した! 桜子は恍惚していた神経が急に集中し、心臓が締め付けられるようになった。 悪事をしているのを見つかったように、彼女は全身の力を込めて隼人の強い腕を振り払い、急に振り返って彼を突き放した。 男性の心は真っ暗に沈み、後ろへ半歩よろめいた。 抱えていたのは、冷たい空気だけだった。 「隆一、どうしてここに?」 桜子は荒れた呼吸を落ち着かせようと必死だったが、慌てた目を隠せなかった。 隆一は灰色のスーツの下で、極限までの憎悪を抱え、暗闇の中でほとんど見えないほど震えていた。 彼は細い指でメガネを押し上げ、隼人を睨む目に殺気がこもった。 一瞬で消えたが、隼人は気づいた。 星のように輝く瞳を細め、獣のような圧迫感を放ち始めた。 気迫といえば、隼人は決して負けてはいない。 しかも、愛する女性の前ではなおさらだ。 桜子は隼人の鋭い視線に気づき、彼が隆一を生き埋めにしそうだと感じた。 理屈を言えば、先に暴挙をしたのは彼なのに...... 相手が邪魔をしたから恨んでいるのか? 本当にろくでなしな男! 「桜子!大丈夫?」 隆一は急いで彼女のそばに寄り、優しい目に心配を隠し、低い声で訊ねた。 「何か手伝えることある?」 「大丈夫。問題ない」 桜子は額に汗をかき、軽く笑った。 隼人は嫉妬に燃え、眉をひそめ、目玉が焼け付くように光った。 彼女が久しぶりに彼にそんな笑顔を見せたのに...... 今、いとも簡単に隆一に与えてしまった。 「その表情大丈夫そうじゃないけど?」 隆一は腕を伸ばさなかったが、彼女のそばに立つだけで、溢れる守りたい気持ちと独占欲が伝わった。 そして、ついでに隼人を軽く見た。 「追い払おうか?」 その態度は、まるで自分の所有権を宣言するかのようだった。 隼人は目を血で埋め、拳を握りしめた。 桜子がいなければ、すでにその拳を放っていた! 「要らない。彼にも足があるから、自分で帰ってもらうわ」 桜子は冷淡に答え、隼人を見なかった。 「じゃあ......桜子、俺と一緒に帰ってくれないか?」 桜子
彼は優希の家庭事情が複雑で、彼を傷つける話題だと知っていた。心配はしていたが、口は挟んでこなかった。「本田夫人は非常に伝統的な方だ。亡くなったご主人の後、優希しかいないから、すべての期待を彼に注いでいる。白露も許さない方が、初露を認めるはずがない。 優希は孝行で、母親を非常に尊敬している。初露のために母親と対立するだろうか?それに、策略を弄する昭子。彼女は白露を道具に使い、陰で操っている。秦の娘を見下しているのは明らかだ。初露に優しくするはずがない。 初露が優希と結ばれたら、家庭内の争いが続く。彼女が幸せになれると思う?たとえ優希が本気でも、こうしたつまらないことで愛情は消耗していく。しかも初露は純粋すぎて......彼らと戦えないわ!」 桜子は話し続けるうちに、自分の目が先に熱くなった。 赤く腫れた目を浮かべ、白い肌に映える顔は、まるで月の精が現れたかのように美しかった。 隼人はじっと桜子を見つめ、胸の鼓動が熱くなり、柔らかくなった。 同時に、激しい後悔と罪悪感が湧き上がった。 彼女は初露のことを口実に、彼と結婚した三年間の苦しみを語っていたのだ。 おおらかな振りをしているだけで、本当は苦い涙を飲み込んでいたのだ。 桜子はこれ以上話すことはない。 言うべきことはすべて伝えた。もし彼が独断で行くなら、彼女は強硬手段で問題を解決し、初露を守るしかない! 桜子が決然と背を向けた瞬間、隼人は抑えきれない情熱を爆発させ、冷たい香りを放つ彼女の柔らかい体を背中から抱きしめた。 「あなた......」桜子は息を呑み、心臓が乱れた。 「ごめん。全て俺が悪い。考慮が足りなかった。嫌なら、二度と口にしない......」 隼人の左腕は彼女の細い腰を纏い、右腕は鎖骨の位置で肩を抱え、全身の力を注いで、どんどん力を強めた。 彼女を自分の体に溶け込ませ、熱い血と一体化したいほどだった。 桜子は全身緊張した。耳に響く男性の低い声は、魅惑的で甘い。 「手を放して、隼人......」拒否の言葉だが、その声は柔らかく、抵抗にならなかった。 「放さない」 隼人は顎を彼女の首元に押し付け、こすり合わせた。「桜子、俺は貪欲な男ではない。でもお前に対しては、貪欲になってしまうんだ。 ど
「何するの?通り魔か」桜子は彼を睨み、鋭い口調で言った。 「病院を出るとき、急いでいたから、話をする暇もなかった」隼人は彼女の冷たさを無視し、依然として優しく話しかけた。 「初露のためでなければ、私たちは会わないし、話すこともないわ」 桜子は躊躇わず、別荘の玄関に向かって歩き出した。「次の薬は近日中に送る。長生きしたいなら、きちんと飲み続けなさい」 「桜子、待って!」隼人は焦りを隠せず、手を伸ばした。 桜子は急に足を止め、振り返った。「そういえば、優希に伝えてもらいたいことがある」 「彼が初露のことが好きだと知っている。でも私は反対」 隼人の瞳が急に収縮し、眉をひそめた。 「私は今、初露の義理の姉ではない。ただの他人。もしまだ義理の姉であっても、親が生きている以上、私に口出しする資格はない。 でも申し訳ないけど、初露のことは私が負うわ」 桜子は怒りをこめて、冷たい声で続けた。「今の宮沢家で初露を守れるのはおじい様だけ。しかしおじい様の健康状態は二人とも知っている。おじい様には初露を守る力がない。 初露の親は存在しないのと同じだ。あなたにも守れない。初露の身に何か起こった時、あなたはいつもそばにいなかった。本当に妹を大切にしていない」 隼人は胸が刺されるように痛み、目を赤くしながら、ゆっくりと拳を握った。 「だから私が守る。これから初露は私の妹で、家族だ」 桜子は毅然とした態度で、「私は決して、初露と優希の深い付き合いを認めない。優希が初露に恋するなんて許さない」 「なぜ、だめなの?」隼人は一歩踏み込み、焦りを隠せずに彼女の目を見つめた。 桜子はその強い視線を挑発と誤解し、冷笑した。「なぜ?隼人、あなたには良心があるの? 初露が実の妹でないから、親友の欲望を満たすために、秦の娘を火の車に乗せるの?」 隼人はやっと激怒し、唇を青白くしながら震えた。 彼は彼女に怒っているのではない。彼女の善良さ、初露を守りたい気持ちは完全に理解できる。 でも彼女に誤解されたくない。唯一の親友、最も信頼する友達を見下されたくない! 「優希は本気だ。桜子、今日も見ただろう?初露も優希に頼っているし、一緒にいたいと思っている」 「依存と恋は同じではない!しかも初露は