LOGIN例えば瑞希は、素敵なチュールドレスを着た女性を見つけると、後をピタッとついて回るのだ。まるで尾を引く子猫のようで、どれほど引き離そうとしても、「お姫様」と言いながら離れようとしない。壮真のほうがさらに困りものだった。ある時は杖をついて歩く人を見つけて駆け寄り、「怪我したんですか?」と突然大声で聞いたこともある。そんな時、綾は途端に人目を避けたくなり、まるで知らない人のフリをして、地面に穴があったら入りたいという気持ちに駆られるのだ。綾のオドオドした様子に比べ、健吾はそのような状況でもいつも冷静で、二人のわがままをどこまでも受け入れていた。ハンバーグを食べ終え、二人は街角をぶらりと歩きながら帰路についた。街灯が次々と灯り、二人の影を長く伸ばす。その時、健吾のスマホが鳴った。彼が電話に出た途端、表情が凍りつく。病院からで、彰人が目を覚ましたという知らせだった。二人は一刻も早く病院へ向かった。彰人は既に一般病室に移されていた。綾が病室の入り口にたどり着く前、廊下の向こうから達也が歩み寄り、綾の歩みを止めて端に誘導した。達也は声を低めて言った。「子供たちをここに呼んだほうがいい」綾の心臓がどくりと跳ねた。喉が詰まりそうになる。「目が覚めたんだよね?まだ容体が悪いの?」達也は重苦しく溜息をついた。「もしかすると最期のひとときかもしれない。今夜が峠だ」視界がみるみるうちに涙で歪む。慌てて顔を向けた先では、病床の脇に健吾が立ち、唇を震わせながら彰人に語りかけていた。「他にはもう、手立てはないの?」綾は声をつまらせた。達也は首を静かに横に振った。「専門医を集めて検討したが、ご高齢だ。もう体力が残っていないそうだ」足の力が抜け、壁にもたれかかるようにして綾は近くのベンチに腰を下ろした。震える手でスマホを取り出し、冬馬に連絡を取ろうとする。涙で視界が滲み、こぼれた涙が次々とスマホの画面に落ちた。拭いても拭いても涙は止まらず、画面の番号さえまともに読めなかった。結局、スマホを取り上げた達也が冬馬へ電話をかけ、今の状況を端的に伝えてくれた。スマホを綾に返しながら、達也は優しく諭した。「綾、子供たちもすぐ来るだろう。二人に不安を与えないためにも、しっかりするんだ」綾は涙を拭い、病室の中を見つめる。ベッドに寄り
健吾が目を覚ますと、窓の外はもう薄暗く、夕暮れ時になっていた。綾は病室の脇で、スマホで連絡を確認していた。健吾が目を覚ましたのに気づき、笑顔で聞いた。「お腹すいた?」健吾はベッドに手をついて起き上がり、首を横に振った。「ずっとそこにいたのか?」綾はスマホを見せながら答えた。「仕事の連絡を少し片づけてたの。顔を洗ってきて、外で食事しよう」「ああ」健吾は短く返事をした。声にはまだ寝起きの余韻が残っていた。彼が洗面所に行き、冷たい水で顔を洗うと、水滴が顎からこぼれ、ようやく意識がはっきりとしてきた。病院の向かいは飲食店が立ち並んでおり、綾はハンバーグ店を選んだ。以前にも来たことがあり、ここのハンバーグは手作りで美味しく、店内も清潔だった。この時間はまだそれほど混んでおらず、空いている席に座った。隣の席には親子連れが座っていた。どうやら学校帰りらしく、ピンク色のキッズ携帯が入った小さなバッグが隣の椅子に置かれていた。父親はメニューを眺めながら、母親と女の子に何が食べたいか優しく尋ねていた。「チーズ入りのハンバーグがいい」と女の子は言い、母親は「和風ソースのハンバーグ」、父親は自分用に「デラックスハンバーグ」を頼んだ。注文を済ませると、女の子は学校での出来事を嬉しそうに話し始めた。「ママ、今日クラスで男の子二人がケンカして、先生に廊下に立たされてたんだよ。それに、給食でこぼしちゃったお友達がいたの。ねえママ、明日から担任の先生がお休みなんだよ。もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだって」「……」女の子は小さなコアラみたいに母親に甘えて、次から次へとおしゃべりが止まらない。両親はニコニコとそれを聞きながら、時折返事をしていて、とても愛情にあふれていた。綾も微笑ましく耳を傾けた。子供には子供なりの、世界を揺るがすような悩みがあるものだ。宿題が多くて大変だとか、おもちゃを先生に没収されちゃったとか、給食は残さず食べなきゃいけないとか……綾は自然と、壮真と瑞希のことを思い浮かべた。来年は幼稚園に入る。二人もあんなふうに、毎日おしゃべりしてくれるだろうか?店員がハンバーグを運んできて、健吾は小声で言った。「ほかの人の話に夢中になりすぎてないで、冷めないうちに食べな」綾は笑って口元を引き結んだ。「いつ
廊下は静まり返っており、健吾が一人、ベンチで頭を抱え、こわばった背筋をして座っていた。綾は隣に腰を下ろし、小声で尋ねた。「おじいさんの容態は、そんなに深刻なの?」健吾はゆっくりと顔を上げた。充血した目で、力なく答える。「医者は覚悟しておけと言っている。高齢だから、峠を越えるのは難しいそうだ」綾は胸が締め付けられるような思いだった。気丈に振る舞おうとする健吾の横顔を見ているだけで、痛々しくて胸が張り裂けそうだった。自分自身の事故に加え、彰人の危篤。過酷な運命が、すべて健吾の肩に重くのしかかっている。少し考えて、綾は提案した。「私も、ここに転院しようか」健吾は反対しなかった。ここにいれば、彼自身も綾の面倒を見やすい。「手続きに付き合うから、一緒に車に乗って」「健吾こそ、ここに残って。何かあったら困るでしょ。病院まではタクシーで行くから」健吾の肩をポンと叩くと、綾はもともと手術をした病院へタクシーで向かった。転院の手続きをしようとしたが、「腕は問題ないから、直接退院していいです」と主治医に言われ、手間を省くことができた。綾が黒崎病院に戻ると、健吾はまださっきの場所に座り込んでいた。その姿勢も、先ほどからほとんど変わっていない。綾は隣に腰かけ、伝えた。「腕はもう大丈夫だから、退院してもいいみたい」健吾は時計を見てから言った。「綾も青木家へ行って。使用人も多いし、療養には適しているだろうから」綾は首を振った。「やだ。ここに残って、一緒にいてあげたい」健吾は静かに2秒ほど綾を見つめ、溜息混じりに答えた。「分かった。じゃあここで見ていて。俺は何か買ってくる」「もう山下さんにお願いしてあるの。お昼はもうすぐ届くはずだから大丈夫よ」そう言うと、綾は健吾の肩に頭をそっと預けた。触れた瞬間、健吾の体がわずかに強張るのが分かった。それでもすぐに力が抜け、呼吸も少しずつ穏やかになっていく。どんな言葉をかければいいのか、綾には分からなかった。この状況下では、どんな励ましも空虚な響きにしか聞こえない。昼食後、綾が促すと健吾はようやく病院の付き添い用のベッドに体を横たえた。目を閉じてはいるものの、眉間に皺が寄り、薄い唇を強く結んだままだ。深い眠りの中でさえ、心の休まることはないようだ。綾は隣の椅子に座り、じっと
達也が綾たちを手術室の外まで案内すると、冬馬はすでに到着していた。綾は冬馬に挨拶を済ませると、達也に声を潜めて聞いた。「湊は元気にしてる?」「精神科の診察を続けていて、週に一度はカウンセリングも受けている。以前よりずっと落ち着いているよ」「達也さん、湊のケアをありがとう」達也は自嘲気味に笑った。「湊が今日のような状況に至ったのは、俺にも大きな責任がある」綾は思いを巡らせ、静かに言った。「これからは前を見ていこう。きっと良くなるはず」良くなるはず。そう口にはしたけれど、それは自分自身への励ましでもあった。健吾は歩み寄り、綾の手を握って座って待つよう促した。その直後、マーガレットが壮真と瑞希を連れてやってきた。二人の子供はすぐに綾が腕にギプスをしていることに気づき、取り囲んで何があったのかと問いかけた。健吾は屈みこんで二人を抱きしめ、優しく言い聞かせた。「ママがちょっとした怪我をしたんだ。腕に触れないようにしてあげてね」瑞希は目を大きく見開き、幼い声で言った。「ママ、痛いの?」綾は優しく微笑んで、瑞希の頭を撫でた。「痛くないよ。もうすぐ良くなるからね」壮真は唇を噛みしめ、大人びた様子で真剣に誓った。「いい子にしてる。ママを困らせないよ」冬馬は背中を丸めて座っていたが、子供たちの様子を見ると目元に慈しみが溢れ、沈んだ表情にようやく穏やかな笑みが浮かんだ。綾は瑞希に向かって言った。「ひいおじいちゃんがご病気で、おじいちゃんも心配してるの。おじいちゃんを慰めてあげられる?」瑞希はよく分からないながらも頷き、健吾の膝から滑り降りて、冬馬の懐に飛び込んだ。冬馬は瑞希を抱き上げ、自分の膝の上に乗せた。瑞希は見上げて冬馬の頬にキスをし、甘えた声で言った。「おじいちゃん、私がずっとここにいるからね。怖がらないで」冬馬は笑みをこぼした。「瑞希ちゃんがいてくれるなら、もう怖くないよ」瑞希は両手で口元を覆い、目を細めてクスクス笑い出した。この愛らしい子供の言葉に、手術室の外の張り詰めていた空気は一気に和らいだ。冬馬は瑞希の姿に微笑んだ。「二人の可愛い孫がいるなら、きっとひいおじいちゃんも持ちこたえてくれるよ」壮真と瑞希も一緒に笑い出した。二人は「持ちこたえる」という言葉の意味は分からないが、大人の顔に
翌朝、綾が目を覚ますと、間もなくして健吾が朝食を持ってやってきた。「山下さんが手作りしたものだよ。冷めないうちに食べて」綾が牛乳を一口飲むと、心がじんわりと温かくなった。「昨夜、子供たちは騒がなかった?」健吾は綾にパンを手渡し、笑った。「いい子にしてたよ。ただ、朝から一緒に行くって聞かなくてね」何気ない会話を交わしながらの朝食中、綾は健吾の穏やかな横顔を見ていると、朝風が胸を通り抜けるような、不思議なときめきを覚えた。朝昼晩の食卓を囲む、こうした4人の生活は、かつて夢見ていた光景だった。綾は子供の頃の自分を思い出す。両親が生きていて、こんな風に穏やかな日々が続けばいいと願っていたあの日々を。壮真と瑞希は日ごとに大きくなり、理解することも増えてきた。もしも二人に、「なぜパパとママは一緒に住んでいないの?」と聞かれたら、どう答えればいいのだろう?切なさと不安が心の中で交差し、進むべき道を選べずにいた。綾の上の空の様子を見て、健吾は心配そうに尋ねた。「腕が痛むのか?」綾は顔を上げ、まっすぐ彼の瞳を見つめた。「健吾。客観的に考えて、私たちの未来はどうあるべきだと思う?」健吾は一瞬目を丸くし、瞳に星のような光が宿った。彼はゆっくりと口を開いた。力強い響きの声だった。「客観的に考えても、感情で考えても。俺たちの未来は必ず一緒になる。ただの時間の問題だ」「歴史が繰り返すのと同じように?」と綾が聞く。「歴史に比べれば、俺たちの人生なんて短い。そんな循環の中にはまったりはしないよ」健吾は手を伸ばし、綾の顔をそっと包み込んだ。その眼差しは深かった。「綾、今この瞬間を大事にして、自分がいちばん望む選択をすればいい」綾はあの日、車がブレーキを失って迫ってきた瞬間の恐怖を思い出した。死ぬかもしれないと思ったとき、健吾と真っ当に向き合わず、家族の時間を大切にしなかったことを深く悔いたのだ。自分が抱えていた健吾へのわだかまりは、まだ起こりもしない未来への不安に過ぎなかった。また離れ離れになること。また自分が切り捨てられることへの恐怖だった。今、目の前の健吾を見て、その不安が少しずつ解けていくのを感じた。昔の自分ではない。目の前にいる健吾も、かつてのような不安定な人ではない。お互いに、より強くな
普段は五体満足で気づかないけれど、両手が使えるのは本当に大事だ。利き手の右腕を骨折して、綾はようやくその不自由さを痛感していた。ただ手を洗うだけでも、ソープを出すのに一苦労。食事もスプーンか、最悪手づかみで食べるしかない……今も一人でシャワーを浴びているけれど、右腕を濡らさないように左手でシャワーヘッドを支えるだけで必死。動作がぎこちなくて、まるで人間社会に放り出されたばかりのゴリラみたい。なんとか体を濡らすだけで、もうへとへとに疲れてしまった。綾は濡れた姿で洗面所に立ち、ボディーソープを見つめて頭を抱える。汗もかいたし、水だけで流すわけにはいかない。「綾」どうしようかと悩んでいた時、外から健吾の声がした。「女性のヘルパーを呼んでおいたんだけど、手伝ってもらうか?」綾はすぐに答えた。「お願い!入ってきて!」夜も遅いし、ヘルパーの手配は明日でいいと思っていたのだけど。右手も不自由だし、転倒したら危ないからとドアの鍵は開けたままにしていた。ヘルパーがドアを開け、丁寧に手を消毒してから入ってきた。「ご夫婦なのに、こんなに遠慮し合っているなんて珍しいですね。お風呂で背中を流すくらい、気になさらなくてもいいのに。もっとも、ご主人は見るからに社長さんみたいですから、人のお世話をする機会なんてあまりなかったのかもしれませんけど」綾は困ったように苦笑するだけで、変な誤解を招くのが嫌で余計なことは言わなかった。確かに健吾は生粋の御曹司だけど、本当はすごく気配り上手で、普段から子供たちの世話も苦にせず自分からやってくれる人なのだ。今夜、わざわざヘルパーを呼んだのは、自分なりのプライバシーへの配慮からだろう。健吾はこんな時に、人の弱みに付け込んで彼女を困らせるような人ではない。綾がシャワーを終えて出てくると、健吾はまだパソコンに向かって仕事中だった。「もう遅いわよ。早く帰って、子供たちの寝る時間でしょ」健吾はパソコンを閉じると眉間を揉みほぐし、そのままそっと綾を抱きしめ、肩に顔をうずめた。「やっぱり、今夜はここにいてやろうか?」健吾の温かな息が首筋にかかり、くすぐったくて、綾は思わず身をすくめた。「必要な時はヘルパーを呼ぶから、大丈夫」「分かった」と健吾は短く返し、しばらくしてよう







