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第31話

Author: 幸月
「大丈夫、きっと大丈夫なんだから……」

翌朝、夜明け前。杏奈はすでに目を覚ましていた。

昨日のショックから悪夢にうなされ、まどろみの中で何度も意識を引きずり戻された。まともな眠りなど得られるはずもなかった。

枕元の携帯で確認する。まだ、夜明けには遠い。

重い瞼を閉じ、もう一度眠りに落ちようとしたその時、寝室のドアを苛立たしげに叩く音が響いた。

続いて聞こえてきたのは、幼い子供特有の――いや、耳を突き刺すような、あの甲高い声だ。だがそこには、隠しきれない苛立ちが滲んでいる。

コン、コン、コン!

「ママ、まだ起きてないの?何時だと思ってるの!」

コンコンコン!

「ママ、早く起きて!お顔、洗ってよ!」

コン、コン、コン!

「ねえ、ママー!」

まるで地獄の獄卒が眠りを切り裂く断罪の声に、杏奈は意識を無理やりベッドから引きずり出された。

「小春、こんなに早く起きてどうしたの?」

ずきずきと脈打つ頭痛をこらえながら、杏奈はなんとか体を起こしてドアを開けた。「もう少し寝ていればいいのに」

「あたし、ママみたいに怠け者じゃないもん」

小春は口を尖らせると、杏奈を押し退け
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