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第466話

Author: 幸月
杏奈は深く眉をひそめ、どこか腑に落ちない様子で小さくつぶやいた。

「一家全滅の火事……そんな大事件、どうして私は何も覚えていないのかしら」

朝登は納得したようにゆっくりと頷く。

「こういった凶悪事件、とりわけ名家が関わっている場合、社会的な混乱を避けるために上層部が素早く報道を封じ込めるんですよ。表沙汰にせず、水面下で静かに処理されるのが常ですから」

少しの間を置いてから、朝登は声をひとトーン落とし、何かを促すような響きを滲ませて続けた。

「ただ……もし興味がありましたら、十数年前にこの濱海で隆盛を極めた『内海(うつみ)家』という一族について調べてみてください。きっと、面白いことがわかるはずです。

その一族は、ほぼ一夜にして忽然と姿を消しました。抱えていたあらゆる事業、人脈、そして存在した痕跡が――まるで見えざる手によってきれいに拭い去られたかのように、何一つ跡形もなく」

「内海家……」

杏奈は無意識のうちに、その名を唇に乗せていた。

不思議なほどの懐かしさが、胸の奥底からじんわりと湧き上がってくる。

濃い靄に包まれていたような小さな影が、ゆっくりと記憶の淵から浮か
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