LOGINやがて、裁判の判決が下った。実の兄を計画的に殺害した楓太は、死刑。長年にわたり職権を濫用し、息子を見殺しにした母は、無期懲役。これですべての裁きが下り、僕の無念が晴らされたからだろうか。あれほど母の周辺に強固に縛り付けられていた僕の魂は、鎖が解けたようにふっと軽くなり、自分の行きたい場所へどこへでも自由に行けるようになった。拘置所で刑の執行を待つ期間、楓太は絶えず「死の恐怖」に完全に支配されていた。看守から差し出される食事も毎日まともに食べられず、床にひっくり返しては喚き散らす始末だった。みるみるうちに肉は落ちていき、短い期間で見る影もないほどげっそりと痩せ細った。以前の彼がほんの少しでも痩せようものなら、家族総出で肝を冷やして心配したことだろう。だが今は、面会室のガラス越しに彼へ労いの言葉をかけに来る者は、誰一人としていなかった。そして、死刑執行の日。僕は冷たい刑場の天井近くで宙に浮かび、その最期の瞬間を静かに見届けていた。息絶えた直後。楓太の魂が、僕と同じように肉体からふわりと抜け出した。そして、すぐ目の前に浮かぶ僕の姿を認めるなり、激しい恐怖に顔を歪めてパニックを起こした。「お、お兄ちゃん!?ごめんなさい、オレが悪かった! お願いだから殺さないで、殺さないで……!」僕はただ冷ややかに微笑んで、こう返した。「……何をごちゃごちゃ言ってるんだ。お前はもう、死んでるじゃないか」その言葉に、楓太はおそるおそる下を向き、首に縄をかけられた自分の無惨な死体を視界に収めた。「あ……あああぁぁぁ……ッ!!」次の瞬間、彼は断末魔のような悲鳴を上げ、その魂は空中でピシッと音を立てて粉々に砕け散っていった。もちろんその惨めな悲鳴は、同じ霊体である僕にしか聞こえなかったが。僕を奈落の底へ突き落とした人間が、二度と輪廻の輪に戻ることすら許されず、永遠に消滅していくのを見届けて――僕の胸の奥にあった最後の澱は、ようやく綺麗に消え去っていった。母は毎日、冷たい刑務所の独房の中で「母親としての罪の意識」に心を苛まれ続けた。突然泣き出したかと思えば、次の瞬間には奇声を発して笑い、狭い房の中を走り回り、完全に発狂したように暴れるようになった。止めに入った看守に殴りかかり、症状がひどい時には自分自身の顔面までメチャ
その映像を見た両親と姉は、信じられないものを見るような目で楓太を凝视した。会場の誰もが言葉を失い、身の毛のよだつような静寂が場を支配する。我に返った母が、発狂したように楓太に飛びかかり、彼の胸ぐらをきつく掴み上げて叫んだ。「あんた……! この人殺しッ! 自分の実の兄に、しかもあんたを身を挺して守った兄に、よくもこんな非道な真似を……ッ!!」母は錯乱したように叫びながら、楓太の顔面に向けて何度も拳を振り上げようとした。横にいた警察官が慌てて制止に入る。母がここまで本気で、楓太に対して手を上げたのは、今日が初めてのことだった。事態がもうどうにもならないところまで来たと悟ると、楓太は突然天を仰ぎ、狂ったように高笑いし始めた。やがて笑い声をピタリと止め、一切の温度を失った冷たい目で母を見下ろした。「オレが非道だって?笑わせるなよ、そんなふうにオレを育てたのはお母さんじゃないか!オレが人殺し?じゃあ、事故の日に医者を全部オレの病室に集めて、あいつの手術を邪魔したのはどこの誰だよ!? もしお母さんがそんなことしなかったら、オレだってあんなにスムーズにあいつを殺せなかったんだぜ!?」楓太のその言葉は、太くて鋭い鋼の針となって、母の心臓を深々と貫いた。母の身体が硬直する。過去の果てしない過ちが、亡霊のように彼女の魂に絡みついたようだった。耐え難い罪悪感と、僕に対する強烈な悔恨の念が一気に押し寄せ、母の心を完全に押し潰した。「ああ……ああああっ!」母は力任せに自分の髪を掻き毟り、目を限界まで見開いて、狂ったように首を横に振った。「ごめんなさい……ごめんなさい、秋良……!全部お母さんが悪かったわ……ずっとあんたを誤解して、ひどいことばかりして……死ぬべきだったのは、お母さんの方だわ……!」母は這いずるようにして僕の祭壇に進み出ると、むせび泣きながら僕の遺影をきつく抱きしめた。ガラスの向こうの僕の顔を、震える指で撫でながら哀願する。「目を覚まして、秋良……お願いだから……お母さん、あんたに謝るから。土下座して、ちゃんと謝るから……!あんた、海外に留学したかったのよね? お母さんがお金を出してあげる……あんたを海外に行かせてあげるから……ううん、違うわ、お母さんもあんたと一緒に向こうに行ってあげる……だから、ねえ……!」
数日後。心の奥にほんの少しだけ罪悪感が芽生えたのか、母は僕のためにそれなりの規模の葬儀を開いてくれた。参列者の中には、親戚や知人のほかに、母の病院で働くスタッフたちの姿もあった。あの時、最後まで僕を助けようとしてくれたあの看護師の女性も来てくれていた。彼女は白い花束を抱えて僕の遺影の前に立ち、かすかに震える声で呟いた。「ごめんなさい……あの時、私がもっと院長に強く反発していれば、秋良くんは死なずに済んだかもしれないのに……」ここにいる大勢の人たちの中で、僕を助けようと奔走してくれたのは彼女だけだった。そして僕の死を悼み、謝罪の言葉を口にしてくれたのも彼女だけだった。一方で、実の母親である母に謝罪の念など微塵もなかった。まるで僕を貶めることで自らの罪悪感を洗い流そうとするかのように、弔問客を前にして堂々と僕の悪口を垂れ流していたのだ。「秋良は本当に、昔から手に負えない子でしてね。今回だって、過去の逆恨みで弟を道連れにしようなんて企むから、自業自得な結果になったんですよ」参列している親戚たちは皆、両親が異常なほど楓太を贔屓していることや、僕が長年どんな不遇な扱いを受けてきたかを知っていたはずだ。それでも誰もトラブルには巻き込まれたくないのか、皆もっともらしい顔をして母に同情するような言葉をかけていた。そんなざわめきのなか、突如としてけたたましいサイレンの音が響き渡り、葬儀場の空気を切り裂いた。数名の警察官が参列者の人波をかき分け、母と楓太の目の前まで真っ直ぐに歩み寄る。母は何事かと目を丸くし、立ち尽くした。「あの……お巡りさん? 一体、どなたにご用ですか?」先頭に立っていた制服の警察官が、手元の写真と母親の顔を険しい眼差しで見比べる。「あなたが、坂本嘉子(さかもと よしこ)さんですね?」「え、ええ……そうですが」母さんが当惑しながら頷くと、警察官は一枚の令状を彼女の目の前に突きつけた。「署まで同行をお願いします。あなたが職権を濫用して不当に医療資源を独占し、本来救えるはずだった患者の手術を妨害して死に至らしめたという告発がありましてね」楓太がとっさに母を庇うように、警察官たちの前に立ちはだかった。「でたらめ言うな!母さんはずっと真面目に働いてきたんだ、そんなことするわけないだろ!逮捕って言う
翌朝、母は朝食をとるのも忘れ、血相を変えて病院へ向かった。心配した父もすぐに後を追う。道中、母は忌々しそうに愚痴をこぼしていた。「まったく、あのバカのせいでまた無駄足を踏まされる羽目になるなんて!」しかし――霊安室に足を踏み入れ、横たわる僕の冷たい遺体を目にした瞬間。母は恐怖で顔を引き攣らせ、一歩後ずさった。そのままよろめくように壁際へ崩れ落ち、震える身体を両腕で強く抱きしめる。「……嘘、どうして? どうしてこんなことに……? あの日、大した怪我じゃないように見えたのに……意識だって、しっかりしてたじゃない……!」確かに、表面的な怪我は軽く見えたかもしれない。とっさに体をひねって弟を庇った時にできた、腕の擦り傷程度しか見当たらなかったからだ。けれど、弟を下敷きにしてすべての衝撃を僕が受け止めたため、僕の心臓は内部で無惨に破裂していた。あの日、僕の意識が奇妙なほどはっきりしていたのは、内臓破裂で命の灯火が消えかけ、体内のアドレナリンが限界まで急上昇していたからに過ぎない。病院のトップに立つ凄腕の医師である母なら、少し見れば僕の異常な状態に気づけたはずだ。だが彼女は、最初から最後まで弟のことにしか目がいかず、僕のことなど一瞥もくれなかった。父もおそるおそる手を伸ばし、僕の頬に触れようとした。けれど、苦悶に満ちた僕の死に顔があまりにも凄惨だったせいか、その手は空中でピタリと止まり、そっと下ろされた。そこへ、知らせを受けた楓太と美春が慌てて駆け込んできた。両親の打ちひしがれたような様子から、これ以上嘘は通せないと察知したのだろう。楓太は部屋に入るなり僕の遺体のそばに崩れ落ち、大げさに泣き喚き始めた。「お兄ちゃん、どうしてこんなバカなことしたの!?昔、オレが留学の枠を奪っちゃったこと、そこまで恨んでたの!? だからって、オレへの当てつけにわざと死ぬなんて……!」ひとしきり泣き叫んだ後、楓太はわざとらしく激しい自責の念に駆られたふりをして、床にへたり込んだ。「ごめん、お兄ちゃん……全部オレのせいだ。オレさえいなければ、お兄ちゃんはこんなことには……」そう言うなり、楓太はバシッ、バシッと自分の頬を力任せに叩き始めた。その痛々しい姿を見た両親と姉は、僕の死を悼むことなどたちまち忘れ去り、大慌てで楓太の腕を掴んで止めた。
それを聞いた途端、母の瞳孔が開いた。そのまま、金縛りにでも遭ったかのようにその場に凍りつく。けれど、彼女はどうしてもその事実を信じたくないようだった。事故当時の光景を必死に頭の中で反芻し、すぐに眉間に皺を寄せて鼻で笑った。「あり得ないわ。楓太と同じ車に乗っていたのに、楓太がもう退院するほど元気なのに、あいつだけそんな大怪我をするはずがないじゃない」「院長、それは……」「そんな見え透いた嘘で私を騙せるとでも思ってるの?本当の狙いはわかってるわ。自分が怪我をしたことにして気を引いて、楓太への愛情を横取りしたいんでしょう!?」「違います! 秋良くんは本当に――」「いい加減にしなさい!これ以上あのクズに協力してふざけた真似を続けるなら、あんたもただじゃ済まないわよ!!」いくら真実を伝えても聞く耳を持たない母のヒステリックな声に、看護師は深くため息をついた。「……院長。私は、決して嘘などついておりません。信じられないなら、ご自身の目で霊安室へ確かめに行かれればよろしいでしょう」その言葉に、母の顔色が変わった。「霊安室」という単語が、彼女の余裕を奪ったのだ。母は焦燥に駆られたように、重く速い足取りで部屋の中をせわしなく歩き回り始めた。「あのクズとあんたみたいな小娘がグルになって、この私を謀ろうなんて……いい度胸してるじゃないの!」言う言葉が尽きたのか、母は看護師が何か言い返す前に、画面を指で強く叩いて強引に通話を切った。母の怒鳴り声を聞きつけたのか、父がドアを開けて寝室に入ってきた。「リビングに初華ちゃんがいるっていうのに、一人で何をわめいているんだ?」母はスマホを両手で強く握りしめたまま、すがるような目で父を見た。「さっき……うちの看護師が、秋良はもう死んだって言うの。まさか、本当じゃないわよね……?」父は呆れたように鼻で笑った。「お前もそこまで騙されやすいとはな。もしそんな大事故だったなら、腹黒いあいつのことだ、迷わず楓太を盾にしていたはずだろう。楓太がこうしてピンピンしてるのが、あいつが嘘をついている何よりの証拠じゃないか」騒ぎを聞いてやって来た初華も、母を宥めるように口を挟んだ。「そうですよ、おばさん。秋良くんって昔からしぶといですから、そう簡単に死んだりしませんよ。周りに不幸を振りまかないだ
車が見慣れた我が家に到着し、一家が揃って玄関のドアをくぐった。「疲れたぁ。なんかお腹すいちゃった」楓太がリビングのソファに倒れ込むようにして呟くと、美春はいそいそとキッチンへ向かった。「お姉ちゃんに任せなさい!最近覚えた新しいレシピ、早速作ってあげるから!」普段は料理なんて一切しない姉が、スマホに齧り付くようにして栄養満点の食事動画を調べている。楓太の身体の回復に少しでも良いものを作ろうと必死だった。父は、どこからか発売されたばかりの高級なゲーム機を取り出してきた。「楓太、退院祝いだ。これであの事故の嫌な記憶なんて忘れてしまえ」母はというと、楓太の部屋の隅々まで掃除機をかけ、あちこちに観葉植物を置き直していた。「少しでも新鮮な空気を吸った方が、早く怪我も治るからね」楓太がソファで寝転がってのんびりゲームをしているだけで、家族全員の心は彼を中心に回っていく。その輪のなかに、見えない僕の魂も付き従うように戻ってきた。かつて僕が毎日を過ごした、見慣れたはずの家。けれどここは、いつだって僕の体温を奪うだけの、無機質で氷のように冷たい場所でしかなかった。突然、ピンポーンとインターホンが鳴った。玄関から入ってきたのは、僕にとってこれ以上ないほど見慣れた人物――恋人の鈴木初華(すずき ういか)だった。リビングに顔を出すなり、初華は心配そうに楓太の姿を探した。「おじさん、おばさん。楓太くんが今日退院されたって伺ったので、快気祝いを持ってきたんです」楓太はすぐさまゲーム機を放り出し、少し照れたような素振りで笑いかけた。「わざわざありがとうございます、初華さん。オレならもう、すっかり元気ですから」初華はふわりと甘い笑みを返した。僕の前ではいつも冷たくてツンとしていた彼女が、楓太の前ではまるで親戚の優しいお姉さんのような顔をする。その柔らかな横顔を見つめながら、僕は得体の知れない強い疎外感を覚えていた。「……秋良くんは、一緒じゃないんですか?」ふと、初華がそんなことを口にした。彼女が僕の名前を出さなければ、この家の人たちは、僕という人間の存在すら思い出しはしなかっただろう。僕の名前を聞いた途端、母の顔色は目に見えて曇った。「あのクズの話なんかしないでちょうだい。こないだ少し雷を落とした