LOGIN「身内びいき」と言われるのを極端に嫌う母・桐生蘭子(きりゅう らんこ)。 そのせいで、重度の貧血を抱える私・ 桐生詩凪(きりゅう しいな)は、無理やり集団献血に参加させられた。 わずか100ミリリットルを抜いたところで、視界がぐにゃりと歪む。 限界を感じ、針を抜こうと手を伸ばした瞬間。看護師の一条柚季(いちじょう ゆずき)にその手首を強く押さえつけられた。 「たった100でやめるの?他の子たちはみんな400抜いているのよ」 顔面蒼白の私を、柚季は嫌悪感をむき出しにして睨みつける。 「献血は名誉なこと。病気のフリをして逃げようとするなんて、わがまますぎるわ。倍の量を抜いて反省しなさい!」 傍らに立つ母は、冷ややかな視線を向けるだけだった。 「詩凪、そんな風に教えた覚えはないわ。一人だけ特別扱いは許さない。 死んでも400ミリ、抜き切りなさい」 心臓が、破裂しそうなほど速く脈打つ。 3本目の採血管。視界は完全に閉ざされ、私はそのまま地面に崩れ落ちた。 抜け出した魂が、ふわりと宙に浮く。 申し訳なさで胸を詰まらせながら、ただじっと、地上にいる母を見つめていた。 ごめんね、お母さん。 嘘じゃなかったんだよ。 私、もうこれ以上は頑張れそうにない。
View More言い捨てると、父は一度も振り返ることなく病室を後にした。柚季は数秒ほど呆然としていたが、突然ベッドから転がり落ちると、泣き叫びながら床を這った。「ごめんなさい!私が悪かったんです!お願い、許してください!」彼女は床に頽れ、過呼吸のような声を上げて泣きじゃくった。母は魂が抜けたような足取りで、ふらふらと病院の外へ出た。どうやって歩いたのか、気づけば大学の敷地内に立っていた。ふと、突き動かされるように校舎へ駆け出すと、放送室の扉を荒々しく押し開けた。中で作業をしていた二人の学生が、驚いて飛び上がる。「……蘭子先生?いったいどうされたんですか?」母は答えず、二人を強引に追い出すと、内側から鍵をかけた。マイクのスイッチを入れる。その声は、スピーカーを通じてキャンパスの隅々にまで響き渡った。「……詩凪。お母さんを、許して……奨学金を譲らせたり、大会の枠を奪ったりして、本当にごめんなさい。あなたはカンニングなんてしていない。あの成績も、あの一番も、全部あなたが努力して勝ち取ったものだったのに……今日も、無理に献血なんて行かせるべきじゃなかった。詩凪、お願いだから帰ってきて。お母さん、やっとわかったの。本当に、ごめんなさい……」放送室の扉が外から激しく叩かれ、ついに破られた。学長が数人の警備員を引き連れてなだれ込み、マイクのスイッチを力任せに切る。泣き崩れる母を見下ろし、学長は深くため息をついた。「……桐生先生。あんなに忠告したのに、あなたは聞き入れなかった。こんなことになってからでは、もう何を言っても遅いんですよ」疲れ切った声で、学長は宣告した。「当面は停職処分とします。家で頭を冷やしなさい」一ヶ月後、裁判が始まった。被告人席に立つ柚季は、以前の影もないほど痩せ細っていた。静まり返った法廷に、裁判官の朗読する声が淡々と響く。「被告人、一条柚季は医療従事者でありながら、献血者の身体状況を十分に確認せず、重度の貧血患者に対して強制的に採血を行った。その過程において、執拗な穿刺を繰り返すなどの重大な過失が認められる。また、採血量も安全基準を大幅に超過しており、これが被害者、桐生詩凪さんの死に直結した。被告人は事前に被害者の健康状態を把握していなかったものの、事件後の隠蔽工作や反省の見ら
その言葉に弾かれたように、三人は同時に立ち上がった。勢いよく開け放たれた病室の扉の先で、柚季はシーツを顎まで引き上げ、怯えるように丸まっていた。二人の警察官と母の姿を認めた瞬間、彼女は慌てて頭を抱え、苦しげな声を漏らす。「……頭が割れるように痛い。何も思い出せません、お願いですから出ていってください!」母が詰め寄り、力任せに布団を剥ぎ取った。「詩凪からどれだけ血を抜いたの?答えなさい!」柚季は固く目を閉じたまま、狂ったように首を振る。「分かりません。何も知らないんです。私に聞かないで!」警察官も歩み寄り、静かに促した。「一条さん、我々の調査に協力してください。事実を確認する必要があります」「何も思い出せないと言ってるじゃないですか!責めないでください、本当に頭が痛いんです……!」柚季は警察官の言葉を遮り、泣きじゃくるような声を上げた。その時、父がゆっくりとベッドサイドへ歩み寄った。柚季が怪訝な表情で見上げる中、父は無言でサイドテーブルに置かれた花瓶を掴み上げる。ガシャアッ、と凄まじい音を立てて花瓶が床に叩きつけられた。飛び散った破片が父の肌をかすめ、指先から血が滲みだす。だが父は、滴る血を一顧だにせず、ただ氷のように冷え切った眼差しで柚季を射抜いた。柚季は生唾を飲み込み、恐怖に顔を引きつらせる。「な、何をするつもり……?やめてください、ここは病院ですよ。警察だっているんだから!」「……冷静になれたようだな。では話をしようか。あの子から、一体どれだけの血を抜いたんだ」父の低く沈んだ声に、柚季は泳ぐような視線を向けた。「……私は、手順通りに採血しただけです。あの子が、自分で献血したいって言ったんですよ」その時、部屋の扉が再び叩かれた。医師が書類を手に現れ、怯える柚季を一瞥すると、部屋にいる者たちへ向き直る。「……法医による検視報告書が出ました」医師の言葉に、部屋の空気が張り詰める。「亡くなった桐生詩凪さんは、採血量が100ミリリットルに達した時点で既に多臓器不全の兆候が現れており、それが致命傷となったようです。ですがその後、さらに400ミリリットル――計500ミリリットルもの血液が抜かれています」医師はさらに、目を覆いたくなるような事実を続けた。「また、腕には
母はなりふり構わず規制線をくぐり抜け、そして――無惨に横たわる私の姿を、その目に焼き付けることになった。地面に広がった血溜まりは、すでにどす黒く固まっている。無理やり採血させられた腕には、どす黒い内出血と、不気味なほど密集した無数の注射痕が残っていた。白く濁った肌。冷え切った体。そこには、命の鼓動などひとかけらも残っていない。母は、呆然と立ち尽くした。やがて、私の腕を掴むと、無理やり引き起こそうとする。「……詩凪、いい加減にしなさい。警察まで来ているのよ?早く起きなさい!」けれど、どれほど乱暴に揺さぶっても。私の体は糸の切れた人形のように、ただ力なく、泥の中に崩れ落ちるだけだった。母の声が一段と大きくなった。教え子を従わせる時のような、逆らうことを許さない命令口調だ。「詩凪、起きなさいと言っているのが聞こえないの!?」背後から、警察官が彼女を制止しようと手を伸ばす。「桐生さん、落ち着いてください。死因が特定されるまで、ご遺体に触れないでください!」「ご遺体……?何がご遺体よ!」母は真っ赤な目で振り返り、怒鳴り散らした。「この子は私の娘よ!死んでなんかいない、少し私に怒られたからって、こうやって大人を困らせているだけよ!」制止を振り払い、地面に横たわる体を強引に抱き寄せる。「詩凪、いい加減に起きなさい!私をここへ呼びたかったんでしょ?ほら、来たわよ。いつまでそんなところで寝たふりをしているの!」だが、腕の中の私は、ぴくりとも動かなかった。人だかりの端で、柚季は幽霊のように青ざめ、唇を小刻みに震わせていた。「そんな……あんなことで、本当に死んじゃうなんて……私は何もしてない。私には関係ない……」一歩、また一歩と、音を立てずに後ずさる。耐えきれなくなり、現場から逃げ出そうと背を向けた、その時だった。横から伸びてきた逞しい腕が、柚季の手首をがっしりと掴んだ。「君、この学生さんとお知り合いですか?」規制線の外に立っていた、若い警察官だった。彼は柚季の尋常ではない怯え方に、鋭い視線を向ける。「し、知りません!私、この子とは何の関係もありません!」柚季は必死に首を振った。「私はただ、病院の指示で献血の会場を仕切っていただけの看護師です。何も知らないんです!」警察官は手を
オフィスの空気が、一瞬で凍りついた。傍らにいた柚季が、耳元でそっと囁く。「蘭子先生、騙されないでください。きっと詩凪さんの自作自演ですよ。こうやって人を抱き込んで、先生に無理やり謝らせようとしているんです」その言葉に縋るように、母は鼻で冷たく笑った。「……詩凪も、いい加減にしてほしいわ。わざわざエキストラまで雇って警察のふりをさせるなんて。親を担ぐのもたいがいにしなさい」柚季も同調し、ため息まじりに言葉を添える。「本当ですね。詩凪さん、今回はさすがにやりすぎです。もし外部に漏れたら、蘭子先生の名声に傷がついてしまいます」二人の警察官を冷ややかな目で見やると、追い打ちをかけるように付け加えた。「でも、この人たちもなかなかの名演技ですね。詩凪さん、いったいいくら払って協力させたのかしら?」母の顔が、怒りでさらに険しくなる。入口に立つ二人を頭のてっぺんから爪先まで蔑むように眺め、温度のない声を絞り出した。「……詩凪はどこに隠れているの?警察を騙るのが立派な犯罪だってこと、わかってやっているのかしら?」警察官たちは顔を見合わせ、隠しきれない困惑と、重苦しい沈黙を浮かべた。「桐生さん、落ち着いてください。我々は本物の警察官です。芝居などではありません。今日の午後、校内の学生から通報があったんです。歩道に血まみれの少女が倒れている、と。我々が現場に急行したときには、既に……息を引き取っていました。身元の確認も取れました。亡くなったのは、あなたの娘さんの――詩凪さんです」母は苛立ちを隠さず眉間を揉むと、深くため息をついた。「もういいわ、茶番はやめて。あの子は今どこ?すぐにそこへ連れて行きなさい。これ以上、母親をバカにして何がしたいのか、直接問い詰めてやるわ」柚季は、痛ましげな視線を母に送った。まるで、自分こそが本当の娘であるかのような顔をして。「蘭子先生は毎日こんなに身を削ってお仕事されているのに。詩凪さんは、先生を困らせて気を引きたいなんて……本当に、分からず屋にもほどがありますね」言葉が通じないと察した警察官は、無言で警察手帳を差し出した。「桐生さん。お辛いのは分かりますが、現実を見てください。これは悪ふざけなどではありません。娘さんは、本当に亡くなられたんです」母は鼻で笑いながら、引った