Mag-log in僕、坂本秋良(さかもと あきら)と弟の楓太(ふうた)は、一緒に交通事故に遭った。 心臓が破裂した僕には、一刻も早い緊急手術が必要だった。 ところが、病院長である母の嘉子(よしこ)は全医師を弟の病室に集め、軽い擦り傷しか負っていないはずの弟につきっきりで全身検査をさせたのだ。 「お願い、助けて……」 薄れゆく意識のなかで懇願する僕に、母は心底鬱陶しそうに怒鳴りつけた。 「あんたね、気を引きたいなら時と場所を弁えなさい!楓太が骨を折るところだったのよ!」 結局、僕は誰にも見つけられることなく、病院の冷たい片隅でひとり息絶えた。 けれど――僕の死を知ったとき。 あれほど僕を憎んでいたはずの母は、発狂した。
view moreやがて、裁判の判決が下った。実の兄を計画的に殺害した楓太は、死刑。長年にわたり職権を濫用し、息子を見殺しにした母は、無期懲役。これですべての裁きが下り、僕の無念が晴らされたからだろうか。あれほど母の周辺に強固に縛り付けられていた僕の魂は、鎖が解けたようにふっと軽くなり、自分の行きたい場所へどこへでも自由に行けるようになった。拘置所で刑の執行を待つ期間、楓太は絶えず「死の恐怖」に完全に支配されていた。看守から差し出される食事も毎日まともに食べられず、床にひっくり返しては喚き散らす始末だった。みるみるうちに肉は落ちていき、短い期間で見る影もないほどげっそりと痩せ細った。以前の彼がほんの少しでも痩せようものなら、家族総出で肝を冷やして心配したことだろう。だが今は、面会室のガラス越しに彼へ労いの言葉をかけに来る者は、誰一人としていなかった。そして、死刑執行の日。僕は冷たい刑場の天井近くで宙に浮かび、その最期の瞬間を静かに見届けていた。息絶えた直後。楓太の魂が、僕と同じように肉体からふわりと抜け出した。そして、すぐ目の前に浮かぶ僕の姿を認めるなり、激しい恐怖に顔を歪めてパニックを起こした。「お、お兄ちゃん!?ごめんなさい、オレが悪かった! お願いだから殺さないで、殺さないで……!」僕はただ冷ややかに微笑んで、こう返した。「……何をごちゃごちゃ言ってるんだ。お前はもう、死んでるじゃないか」その言葉に、楓太はおそるおそる下を向き、首に縄をかけられた自分の無惨な死体を視界に収めた。「あ……あああぁぁぁ……ッ!!」次の瞬間、彼は断末魔のような悲鳴を上げ、その魂は空中でピシッと音を立てて粉々に砕け散っていった。もちろんその惨めな悲鳴は、同じ霊体である僕にしか聞こえなかったが。僕を奈落の底へ突き落とした人間が、二度と輪廻の輪に戻ることすら許されず、永遠に消滅していくのを見届けて――僕の胸の奥にあった最後の澱は、ようやく綺麗に消え去っていった。母は毎日、冷たい刑務所の独房の中で「母親としての罪の意識」に心を苛まれ続けた。突然泣き出したかと思えば、次の瞬間には奇声を発して笑い、狭い房の中を走り回り、完全に発狂したように暴れるようになった。止めに入った看守に殴りかかり、症状がひどい時には自分自身の顔面までメチャ
その映像を見た両親と姉は、信じられないものを見るような目で楓太を凝视した。会場の誰もが言葉を失い、身の毛のよだつような静寂が場を支配する。我に返った母が、発狂したように楓太に飛びかかり、彼の胸ぐらをきつく掴み上げて叫んだ。「あんた……! この人殺しッ! 自分の実の兄に、しかもあんたを身を挺して守った兄に、よくもこんな非道な真似を……ッ!!」母は錯乱したように叫びながら、楓太の顔面に向けて何度も拳を振り上げようとした。横にいた警察官が慌てて制止に入る。母がここまで本気で、楓太に対して手を上げたのは、今日が初めてのことだった。事態がもうどうにもならないところまで来たと悟ると、楓太は突然天を仰ぎ、狂ったように高笑いし始めた。やがて笑い声をピタリと止め、一切の温度を失った冷たい目で母を見下ろした。「オレが非道だって?笑わせるなよ、そんなふうにオレを育てたのはお母さんじゃないか!オレが人殺し?じゃあ、事故の日に医者を全部オレの病室に集めて、あいつの手術を邪魔したのはどこの誰だよ!? もしお母さんがそんなことしなかったら、オレだってあんなにスムーズにあいつを殺せなかったんだぜ!?」楓太のその言葉は、太くて鋭い鋼の針となって、母の心臓を深々と貫いた。母の身体が硬直する。過去の果てしない過ちが、亡霊のように彼女の魂に絡みついたようだった。耐え難い罪悪感と、僕に対する強烈な悔恨の念が一気に押し寄せ、母の心を完全に押し潰した。「ああ……ああああっ!」母は力任せに自分の髪を掻き毟り、目を限界まで見開いて、狂ったように首を横に振った。「ごめんなさい……ごめんなさい、秋良……!全部お母さんが悪かったわ……ずっとあんたを誤解して、ひどいことばかりして……死ぬべきだったのは、お母さんの方だわ……!」母は這いずるようにして僕の祭壇に進み出ると、むせび泣きながら僕の遺影をきつく抱きしめた。ガラスの向こうの僕の顔を、震える指で撫でながら哀願する。「目を覚まして、秋良……お願いだから……お母さん、あんたに謝るから。土下座して、ちゃんと謝るから……!あんた、海外に留学したかったのよね? お母さんがお金を出してあげる……あんたを海外に行かせてあげるから……ううん、違うわ、お母さんもあんたと一緒に向こうに行ってあげる……だから、ねえ……!」
数日後。心の奥にほんの少しだけ罪悪感が芽生えたのか、母は僕のためにそれなりの規模の葬儀を開いてくれた。参列者の中には、親戚や知人のほかに、母の病院で働くスタッフたちの姿もあった。あの時、最後まで僕を助けようとしてくれたあの看護師の女性も来てくれていた。彼女は白い花束を抱えて僕の遺影の前に立ち、かすかに震える声で呟いた。「ごめんなさい……あの時、私がもっと院長に強く反発していれば、秋良くんは死なずに済んだかもしれないのに……」ここにいる大勢の人たちの中で、僕を助けようと奔走してくれたのは彼女だけだった。そして僕の死を悼み、謝罪の言葉を口にしてくれたのも彼女だけだった。一方で、実の母親である母に謝罪の念など微塵もなかった。まるで僕を貶めることで自らの罪悪感を洗い流そうとするかのように、弔問客を前にして堂々と僕の悪口を垂れ流していたのだ。「秋良は本当に、昔から手に負えない子でしてね。今回だって、過去の逆恨みで弟を道連れにしようなんて企むから、自業自得な結果になったんですよ」参列している親戚たちは皆、両親が異常なほど楓太を贔屓していることや、僕が長年どんな不遇な扱いを受けてきたかを知っていたはずだ。それでも誰もトラブルには巻き込まれたくないのか、皆もっともらしい顔をして母に同情するような言葉をかけていた。そんなざわめきのなか、突如としてけたたましいサイレンの音が響き渡り、葬儀場の空気を切り裂いた。数名の警察官が参列者の人波をかき分け、母と楓太の目の前まで真っ直ぐに歩み寄る。母は何事かと目を丸くし、立ち尽くした。「あの……お巡りさん? 一体、どなたにご用ですか?」先頭に立っていた制服の警察官が、手元の写真と母親の顔を険しい眼差しで見比べる。「あなたが、坂本嘉子(さかもと よしこ)さんですね?」「え、ええ……そうですが」母さんが当惑しながら頷くと、警察官は一枚の令状を彼女の目の前に突きつけた。「署まで同行をお願いします。あなたが職権を濫用して不当に医療資源を独占し、本来救えるはずだった患者の手術を妨害して死に至らしめたという告発がありましてね」楓太がとっさに母を庇うように、警察官たちの前に立ちはだかった。「でたらめ言うな!母さんはずっと真面目に働いてきたんだ、そんなことするわけないだろ!逮捕って言う
翌朝、母は朝食をとるのも忘れ、血相を変えて病院へ向かった。心配した父もすぐに後を追う。道中、母は忌々しそうに愚痴をこぼしていた。「まったく、あのバカのせいでまた無駄足を踏まされる羽目になるなんて!」しかし――霊安室に足を踏み入れ、横たわる僕の冷たい遺体を目にした瞬間。母は恐怖で顔を引き攣らせ、一歩後ずさった。そのままよろめくように壁際へ崩れ落ち、震える身体を両腕で強く抱きしめる。「……嘘、どうして? どうしてこんなことに……? あの日、大した怪我じゃないように見えたのに……意識だって、しっかりしてたじゃない……!」確かに、表面的な怪我は軽く見えたかもしれない。とっさに体をひねって弟を庇った時にできた、腕の擦り傷程度しか見当たらなかったからだ。けれど、弟を下敷きにしてすべての衝撃を僕が受け止めたため、僕の心臓は内部で無惨に破裂していた。あの日、僕の意識が奇妙なほどはっきりしていたのは、内臓破裂で命の灯火が消えかけ、体内のアドレナリンが限界まで急上昇していたからに過ぎない。病院のトップに立つ凄腕の医師である母なら、少し見れば僕の異常な状態に気づけたはずだ。だが彼女は、最初から最後まで弟のことにしか目がいかず、僕のことなど一瞥もくれなかった。父もおそるおそる手を伸ばし、僕の頬に触れようとした。けれど、苦悶に満ちた僕の死に顔があまりにも凄惨だったせいか、その手は空中でピタリと止まり、そっと下ろされた。そこへ、知らせを受けた楓太と美春が慌てて駆け込んできた。両親の打ちひしがれたような様子から、これ以上嘘は通せないと察知したのだろう。楓太は部屋に入るなり僕の遺体のそばに崩れ落ち、大げさに泣き喚き始めた。「お兄ちゃん、どうしてこんなバカなことしたの!?昔、オレが留学の枠を奪っちゃったこと、そこまで恨んでたの!? だからって、オレへの当てつけにわざと死ぬなんて……!」ひとしきり泣き叫んだ後、楓太はわざとらしく激しい自責の念に駆られたふりをして、床にへたり込んだ。「ごめん、お兄ちゃん……全部オレのせいだ。オレさえいなければ、お兄ちゃんはこんなことには……」そう言うなり、楓太はバシッ、バシッと自分の頬を力任せに叩き始めた。その痛々しい姿を見た両親と姉は、僕の死を悼むことなどたちまち忘れ去り、大慌てで楓太の腕を掴んで止めた。
Rebyu