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last update Date de publication: 2026-01-09 06:34:19

「失礼ながら、常務」

 凛とした声が、会議室の空気に響く。小夜子が静かに立ち上がっていた。

「現場のミスではありません」

「なんだあなたは?」

 大塚が苛立ちをあらわにして振り返った。

「社長夫人だからといって、経営会議に口を出さないでいただきたい。素人は引っ込んでいてください」

「はい。私は素人ですので、経営の数字のことはわかりかねます」

 小夜子は淡々と続けた。

「ですが……『お花』のことは、よく存じております」

「花だと?」

「以前、常務が昇進なされた際、旦那様――社長からのお祝いとして胡蝶蘭を手配させていただきました」

 小夜子は手元のタブレットを操作し、モニターに新たな画像を映し出す。当時の配送伝票の控えだった。

「その際、常務は『自宅ではなく、姪御様のマンションに送ってほしい』と指定されましたね。……この電話番号です」

 モニターに、ハイフンで区切られた数字が浮かび上がる。その横に『株式会

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     朝のロビーには、胃袋をわし掴みにするような良い香りが充満していた。「さあ、炊き立てだ! 火傷しないように気をつけて食ってくれ!」 板前が巨大な土鍋の蓋を開けると、もうもうとした真っ白な湯気が立つ。周囲には米の甘い匂いが弾けた。 彼は冷水で濡らした掌に粗塩をすり込み、艶やかに光る熱々のご飯をすくい取る。 米粒を決して潰さないようもに手早く、けれど空気を含ませるようにふんわりと、見事な手つきで三角に結んでいく。 表面にはうっすらと塩の結晶が光り、湯気を立てる大きめの塩むすびが、次々と大皿の上に積み上げられていった。 その横では、実加が大きな鍋の前でお玉を握っている。「はいよ、熱々の味噌汁! 冷えた体にはこれが一番効くからな!」 実加がたっぷりと注いだお椀の中には、出汁を吸って飴色に透き通った柔らかな大根と、鮮やかな緑色を残したカブの葉がゴロゴロと入っている。 カツオと昆布の濃厚な出汁に、地元特産の甘めの麦味噌が溶け合い、五臓六腑に染み渡るような深い香りを漂わせていた。「ほらよ、あんたも食いな」 実加が、御子柴玲二の前に塩むすびと味噌汁を置いた。 御子柴は毛布にくるまったまま、ロビーの椅子に座っていた。あれから結局、部下たちとロビーで一夜を明かしたのだ。 彼は無言のまま、ゆっくりと手を伸ばした。 温かいお椀を両手で包み込み、一口すする。 出汁の旨味と味噌のコクがじんわりと広がった。 続いて、大振りな塩むすびにかぶりついた。 米の一粒一粒が立っており、噛むほどに広がる優しい甘みを、粗塩のキレのある塩気が完璧に引き立てている。(……米と塩、それに根菜の味噌汁。ただそれだけのものが、これほど体に染み渡るとはな) 御子柴の喉仏が上下に動く。 極限状態を乗り越えた体に、温かい食事が強い生命力となって行き渡っていくのが分かる。(……悔しいが、美味い) 彼は自分の完全敗北を、その温もりとともに噛み締めていた。

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   299:新しい朝

     激しい嵐の夜が明け、朝になった。 まさに台風一過。昨夜の猛威が嘘のように、せせらぎ亭の周辺には眩しい朝日が降り注いでいた。 雲一つない青空の下、鳥のさえずりが山の木々から聞こえてくる。 木漏れ日がきらきらと輝いて、木の葉に溜まった雨粒を光らせている。 嵐はすっかり過ぎ去った。 せせらぎ亭の里山は、美しい風景を取り戻していた。「うおおおっ! すっげえ、屋根も壁も無事だぞ!」 山内実加が、玄関前で歓声を上げた。元気よく水たまりを飛び越えている。 黒崎翔吾もタブレットを片手に外へ出て、建物の外観を鋭い視線でチェックする。 瓦が数枚ズレて落ち、庭の木の枝が折れている箇所はあるものの、致命的な損傷はどこにも見当たらなかった。「日本の伝統的な木造建築は、強風や地震の力を柳のように受け流す柔軟性を持っています。事前の補強データと照らし合わせても、建物の耐久性は見事に機能しましたね」「眼鏡の若旦那の言う通りだ! 俺たちが昨日、米の字に貼ったテープのおかげで窓ガラスも1枚も割れてねえ!」 番頭が作務衣の袖をまくり上げ、誇らしげに胸を張る。 仲居たちも「よかった、本当に無事だったのね」と顔を見合わせて、安堵の笑みを浮かべていた。「せせらぎ亭は無事だった。でも……」 翔吾は視線を山の斜面へと移した。 木々の隙間から見えるグラン・ヘリックスの巨大リゾート建設現場は、一夜にして瓦解していた。 2階建てプレハブ事務所は、土台のコンクリートだけをむき出しにして、建物そのものが丸ごと消滅している。 最新の資材で組み上げられて、非常に頑丈だったはずなのに、だ。 周囲の斜面には、飴細工のようにねじ曲がった太い鉄骨が散らばっている。 バキバキにへし折られた外壁パネルや、引き裂かれたグラン・ヘリックスのロゴ入り防音シートが、数百メートルにわたって散乱していた。(ひどい有様だ……) あまりの惨状に、翔吾は思わず息を吐き出した。

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   13:灰かぶりのメイド服

     黒崎隼人の到着まであと30分。 小夜子は本邸の裏手にある衣装部屋に立たされていた。義母が桐の長持(ながもち)から古びた布切れを引っ張り出して、小夜子に向かって放り投げた。「ほら。今日のあんたの衣装よ」 小夜子は、床に落ちそうになったそれを空中で受け止めた。 それは正規の制服ですらない、時代がかった代物。おそらく数世代前の使用人が着ていたと思われる、黒のワンピースと白いエプロンだった。生地は洗濯を繰り返して薄くなり、色はあせている。経年劣化で白い生地は薄いクリーム色に変化していた。 何ともみすぼらしい古着に、だが、小夜子

    last updateDernière mise à jour : 2026-03-17
  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   12:管理台帳

     喉まで出かかった言葉を、小夜子は飲み込んだ。今、口答えをすれば、この場はさらに長引く。 あと1時間もしないうちに黒崎隼人が来てしまう。客人を迎える準備を遅らせるわけにはいかない。 小夜子は額の痛みを無視し、畳に手をついて頭を下げた。「申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」「フン。さっさと準備に戻れ」 父たちは桐箱を大事そうに抱え、客間へと消えていった。 一人残された廊下で、小夜子はようやく身を起こした。額に手をやれば、鈍い痛み。少し腫れている。(良かった、血は出ていない。こ

    last updateDernière mise à jour : 2026-03-17
  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   11

    「どこだ、どこにしまった! 誰か知らんのか!」 父が叫ぶが、誰も答えない。かつては美術品の管理台帳をつける専門の使用人がいた。だが、彼を解雇したのは他ならぬ父自身だ。  義母も麗華も、屋敷に何があるかさえ把握していない。彼女たちにとって、美術品は換金できるかどうかの道具でしかないからだ。 焦燥に駆られた父の視線が、床に膝をつく小夜子を捉えた。「おい、役立たず! お前だろ、お前が隠したんだろう!」 父が大股で近づき、小夜子を見下ろす。理不尽な言いがかりは、いつものことだ。小夜子は雑巾をバケツの縁に置き、顔を上げた。(双龍図……) 脳内の検索にかける。所要時間は0.5秒。  膨大な

    last updateDernière mise à jour : 2026-03-17
  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   172:汚れた小銭

     小夜子と隼人が心から結ばれて、愛を確認し合った翌朝。 タワーマンションの最上階の部屋には、穏やかな朝日が満ちていた。 ダイニングテーブルには、土鍋で炊いた艶やかな白米、出汁の香りが立つ味噌汁、完璧な焼き色のついた鮭と、鮮やかな黄色の出汁巻き卵が並んでいる。 見た目にも優しく良い香り。もちろん味も保証されている。「美味い」 隼人は箸を動かしながら、噛み締めるように言った。 かつては機能性ゼリーやサプリメントで済ませていた朝食が、今では1日の始まりで楽しみな時間だ。 彼の顔からは、血も涙もない氷

    last updateDernière mise à jour : 2026-04-01
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