Masuk新人社員の大空未来には、消せない過去がある。 元恋人で、今は取引先のエリート・神城零。 「やり直さないか」 ——大人の余裕でまっすぐ迫る零に、未来の心と身体は揺れる。 一方、不器用な先輩・雨宮悠吾は、彼女への気持ちにうまく向き合えずにいた。 雨の東京で、未来は誰を選ぶのか。 過去を知る男と、今を見る男。 三人の、少しだけ危ない恋の物語。
Lihat lebih banyak第一幕「雨の東京で」
—Prologue—
——あの日、彼女は俺のところにやって来た。 その日は夕方から強い雨が降っていて、 目の前に立っていた彼女は、全身がずぶ濡れだった。 手には傘を持っているのに。 彼女は、玄関先でいきなり胸に飛び込んできた。 「雨宮さん!」 縋るように言う彼女の肩は、震えていて、目は固く閉じていた。 寒さで震えているんじゃない。まるで、何かに怯えているような。 空いた両腕の所在を探している内に、彼女は続けた。 「私、怖いんです。このままだと、私──」 怖い?何が? 俺は言ってることを呑み込めなかった。 「雨宮さん。私を──抱いて…下さい」 始まりは、ほんの数ヶ月前。 静かな雨の降る、梅雨の日だった。 第一景「雨の声」「雨宮さんって、雨の日は何してるんですか?」
隣に座っている大空未来おおぞらみらいが、突然話しかけてきた。 雨宮悠吾あまみやゆうごは、ふと我に返った。 梅雨入りしたばかりで、窓は雨に濡れていた。 まっすぐにこちらを見てくる瞳が印象的で、雨の音が一瞬、遠のいた。 「え…ああ、そうだな。…好きな本を読んでる、かな」 急な問いに、悠吾は少ししどろもどろに答えた。 「そうなんですね。…静かな時間、お好きなんですね」 そう穏やかに笑う彼女の顔を、悠吾は見ていた。 「今日は、この資料に目を通してくれたら上がっていいから」 そう言って、悠吾は未来にクリアファイルを渡す。 「分かりました」 彼女の白く細い手が、それを受け取った。 -☂️- 彼女を初めて見たのは、春だった。 「皆、前に出てきてくれ」 課長の声が、オフィスルーム内に広がった。 4月。いつもの朝礼と違い、少し皆が浮足立っていた。 「本日からうちの課に入ってもらう、新入社員の大空未来さんだ」 「大空未来です。よろしくお願いします」 集められた社員の前に、一人女性が立っていた。 悠吾は、列の後ろの方からその様子を見ていた。 長く緩やかな黒髪に細身の身体、真新しい白いスーツ姿。 最初の彼女の印象は、どこか儚げで、繊細だった。 -☂️- 会社の玄関を出ると、雨はまだ降っていた。 鞄の中の黒い折りたたみ傘を出し、歩き出す。 夜のオフィス街に、雨が傘を叩く音が響く。 6月の空は、夜でもまだ、少しだけ明るく見えた。 帰り際、悠吾はいつもの本屋に寄って、新刊を一冊買う。 今日も家で本でも読もう。 さらさらと降り続ける雨の中、悠吾は足早に帰路についた。 -☂️- 自室に戻ると、悠吾は買ってきた本を鞄から取り出した。 机に向かい、ゆっくりと読み始める。 悠吾の眼鏡が、机の上の蛍光灯の光を淡く映していた。 —静かな時間、お好きなんですね— 何故か、昼間の彼女の声を思い出した。 外の雨の音が、戻ってきた。 頁をめくる手が止まる。 その静かな音が、どこか彼女の声のようで、悠吾はしばらくその音を聞いていた。梅雨が明け、一段と蒸し暑さが強くなった午後。 悠吾は自社の会議室で、一人打ち合わせの準備を進めていた。 書類をテーブルに並べていく。 空調が少し弱めだろうか、額に滲んだ汗をハンカチで拭う。 —なんで、そんな言い方するんですか— 手に持ったハンカチを見て、握りしめる。 後悔ばかりが思い出された。 悠吾は奥歯を噛み締めた。 「やあ、雨宮くん」 声に驚いて、悠吾は振り返る。 会議室の入口のドアに零が立っていた。 腕を組んで、ドアに寄りかかっている。 悠吾は零のその態度に小さな苛立ちを覚えた。 「神城さん、随分早いですね。まだ、時間までありますよ」 「失礼のないようにと思ってね」 相変わらず、笑顔だけは爽やかだった。 「すみません、まだ準備中なので」 そう言って悠吾は、ドアの側に立つ零の脇をすり抜けていった。 通り過ぎる瞬間、冷たい視線を強く感じた。 -☂️- 悠吾は資料室のドアを開けた。 部屋は暗かったが、カーテン越しに外の日差しの暑さを感じる。 資料や備品が並んだ書棚が幾列も並んでいるのが見える。 悠吾は部屋の電気を点けてみる。 弱々しい光が書架を照らす。 閉じたカーテンのせいか、まだ薄暗く感じる。 悠吾は、書架の奥へと進む。 打ち合わせに使う予定の製本ファイルを書棚から探す。 確か、この奥の方にあったはず……。 突然、資料室の入口のドアが開いた。 零が入ってきた。 「零さん、話って何ですか……?」 神城と、——大空さん? 悠吾は、思わず書棚の影に身を隠してしまった。 「すまない、こうでもしないと二人きりになれないから」 言うやいなや、零は自身の両腕で、未来を入口の扉に縫い付けるように押さえて向かい合う。 「ち、ちょっと、零さん?!」 未来は目を見開いて固まる。 「教えてくれないか」 零の低い声が聞こえた。 「君は…今、雨宮くんが好きなのか?」 悠吾の胸が跳ねた。 自分の名前を出されたのと、それを未来に聞いたということに、驚きを隠せなかった。 「そんなの、零さんには——」 「関係なく、ないよ。俺は、今でも君を愛してる」 零の言葉に、未来は息を呑んだ。 零は、まっすぐに未来を見る。 未来はそのグレーの瞳から、目を背けられなかった。 「君は、忘れてしまった?」 そう言ってから
窓の外は一面、都会の夜景だった。 人工の光が、そこかしこに煌めいて、まるで空の星を落としてきたみたいだった。 外の景色はこんなにも綺麗なのに、悠吾の胸の中はずっとざわついていた。 都内のホテルの最上階のラウンジに、悠吾と未来はいた。 そして、目の前には——神城零。 「零さん…すみません。今日は、ご馳走になってしまって」 未来は申し訳なさそうに言った。 「いや、いいんだ。君たちのお陰で、いい商談にもなったしね」 零はそう言って、こちらをちらりと見る。 「こっちから誘ったんだ。遠慮しないでくれ」 悠吾は居心地の悪さに、食事の味など全く覚えていなかった。 少しの間沈黙が続いた。 零は静かにこちらを見ていた。 沈黙を破るように、未来が口を開いた。 「あの、それじゃあ私たち、ここで——」 「実は、話があってね」 零がその言葉を遮った。 「雨宮くんにも、是非聞いてもらおうと思って」 悠吾の胸の奥が、軋んだ。 「未来」 零の声が低く落ちた。 そして、まっすぐに未来を見据えた。 「俺たち、やり直さないか」 「……え」 未来の小さな声が聞こえた。 悠吾は、目の前の男が何を言っているのか一瞬分からなかった。 「あの時は、自分に余裕も力も無かった」 零は続けた。 「でも、今なら、今の俺なら、未来を幸せに出来る」 その声は真剣だった。 「——まっ…」 未来が困惑した声を出す。 「幸せにする自信が、ある」 「——待って!」 「だから、もう一度やり直そう」 「零さん——!」 未来の声が弾けた。 一瞬、空間が静まり返った。 「……」 沈黙が流れた。 未来は、肩を震わせながら俯いていた。 「……何で」 悠吾は、言いながら零を睨んだ。 「何で、俺がいる必要、あったんですか……」 膝の上で握られた拳が震えていた。 行き場の無い怒りのようなものが湧いていた。 零は、テーブルに両肘をついて悠吾と向き合う。 「……君、未来のこと、好きなんだろう?」 「……え?」 言われた瞬間、悠吾の中で何かが動いた。 「だから、俺にとって君は恋敵」 零は、冷たい目で悠吾を見据えていた。 「君にも、俺の本音を聞いておいてもらいたかったんだ」 「……」 悠吾は、ただ俯いて黙っていた。 零はテーブルからそっと立ち上がる
玄関のドアを閉じると、未来はしばらく動けずにいた。 雨に濡れた身体で寄りかかった鉄の扉が、冷たく感じた。 ドア越しに、外の雨の音が聞こえる。 未来は、自分の手でもう一度左耳に触れた。 会議室での、ひやりとした指の温度を思い出した。 俯いて、唇を噛んだ。 どうして、今頃になって、あの人に遭うんだろう……。 -☂️- ——4年前未来は少しそわそわしていた。 銀のトレーを持って、お店の出入り口をずっと見ていた。 鈴の音と一緒に、古い木製の扉が開いた。 いつもの時間だった。 一人の男性が入ってくる。 金茶の髪。涼やかなグレーの瞳。端正な顔立ち。 男性は窓辺の席に座って、未来の方を見てくる。今日も、来てくれた。未来は早く鳴る鼓動を感じつつ、注文票を持ってテーブルに近づく。 「いらっしゃいませ。ご注文は——」 「いつものでいいよ」 テーブルに肘をつきながら、軽やかに言う。 -☂️- 未来は男の座るテーブルにブレンドコーヒーを置く。 「今日も、いい天気だね」 窓の外を見ながら、男は言う。 「そう、ですね」 そんな短いやりとりでも、未来にとっては嬉しかった。 「……あのさ、仕事上がりって何時かな?」 男は未来の方に向き直って言う。 「このあと、もしよかったら少し時間もらえる?」 「え、あの、お客様…!」 突然の台詞に未来は狼狽えた。 「——神城零。零って呼んでいいよ」 -☂️- 「零さん…。その、私…初めて、で……」 未来は、この後の事を考えると、恥ずかしすぎて思わず両手で顔を隠してしまう。 白い素肌がピンク色に染まっている。
未来は会議室を見回した。部屋の中は少し暗くて見づらかった。先程の打ち合わせで座っていた席の椅子を引き出すと、座面にスマートフォンが落ちていた。「あった……」ほんの少し安堵して、自分の鞄にスマホを仕舞う。その瞬間、会議室のドアが開いた。振り返ると、零がいた。「神城さん!?戻ったんじゃ——」「零でいいよ。昔みたいに」零はそう言って未来に近づいた。「変わってないね。元気にしてたかい?」優しい声で未来に問いかける。「……はい、零…さんも、お元気そうで何よりです……」未来はぎこちなく応えた。今になって、どう呼べばいいのか分からなかった。「……驚きました。まさか、AIONで働いてたなんて……」「俺も、驚いた。こんなところで未来に会えると、思わなかったから」目を細めて、零は未来を見つめた。未来はその瞳を覚えていた。綺麗な吸い込まれるようなグレーの瞳。「……雨宮君、だっけ。彼とは仲良いの?」瞳の色が急に変わった。「それとも、恋人?」零が、未来の中を覗くように聞いてくる。「ち、違います!雨宮さんとは、そんなんじゃ……」未来は顔を紅くして否定した。けれど、未来の言葉は最後まで出なかった。「……そうか。じゃあ、俺の勘違いだった、かな」口の端が上がっていた。零は更に未来に近づいた。「未来。あの時は、悪かったね……」そう言って零は、未来の顔の横に手を伸ばす。今度は、未来をまっすぐに見ていた。そこにさっきのような笑顔は無かった。長い髪を、優しく触られる。そのまま、流れるように、