Masuk新人社員の大空未来には、消せない過去がある。 元恋人で、今は取引先のエリート・神城零。 「やり直さないか」 ——大人の余裕でまっすぐ迫る零に、未来の心と身体は揺れる。 一方、不器用な先輩・雨宮悠吾は、彼女への気持ちにうまく向き合えずにいた。 雨の東京で、未来は誰を選ぶのか。 過去を知る男と、今を見る男。 三人の、少しだけ危ない恋の物語。
Lihat lebih banyak第一幕「雨の東京で」
—Prologue———冷たい夏の雨が降るあの日、彼女は俺のところにやって来た。
目の前に立っていた彼女は、全身がずぶ濡れだった。 手には傘を持っているのに。 彼女は、玄関先でいきなり胸に飛び込んできた。 「雨宮さん!」 縋るように言う彼女の肩は、震えていて、目は固く閉じていた。 寒さで震えているんじゃない。まるで、何かに怯えているような。 空いた両腕の所在を探している内に、彼女は続けた。 「私、怖いんです。このままだと、私──」 怖い?何が? 俺は言ってることを呑み込めなかった。 「雨宮さん。私を──抱いて…下さい」 始まりは、ほんの数ヶ月前。 静かな雨の降る、梅雨の日だった。第一景「雨の声」
オフィスの窓の外を見ると、ビル街を静かに雨が包んでいる。
雨雲の隙間から、わずかに陽の光が溢れている。悠吾は息を切らせてオフィスフロアに飛び込んだ。 未来の席には、誰もいない。室内を見回す。 作業中の快を見つけて声を張り上げる。 「快! 大空さんは?!」 「悠吾さん?! え、今日直帰じゃ——」 「大空さんは?!」 「い、1時間くらい前に帰りましたよ?な、なんか慌てた風な感じで……」 「ありがとう!」 -☂️- 走りながら、悠吾は電話を掛けた。 数コールしてから、繋がった。 「大空さん? …今、どこにいる?」 呼吸を整えながら話す。 『……』 「大空さん?」 『……あの、私』 その時、電話越しに電車の走る音と踏切の警報音が聞こえた。 「……もしかして、うちの近くにいる?」 『……』 「待ってて。今、そっちにいくから!」 -☂️- 電車を降りる。 けれど、遮断機が直ぐに上がらない。 悠吾は焦れる気持ちを抑えながら、辺りを見回した。 電車が悠吾の前を横切っていく。 大空さん…、今すぐ、君に——会いたい。 風が通り過ぎて、踏切の警報音が途切れた。 踏切の向こう側、白い人影が見えた。 遮断機が上がる。 踏切を渡り終えると、悠吾は目の前の人に向かって言った。 「やっと…会えた……」 「……雨宮さん」 未来が、悠吾を見上げた。 未来の頬に一粒水滴が落ちた。 すっと筋を落としていく。 雨が、降り出した。 「……大空さん。俺、君が好きだよ」 悠吾の前髪からも、雨の雫が落ちていく。 「ようやく…言えた、俺の気持ち」 小さく笑って、未来の顔を見た。 「雨宮さん…。ご、ごめんなさい……」 「え……?」 「……私、零さんとの思い出を、否定できなかった」 雨に濡れた頬に、未来の涙が混じる。 「結局、無かったことになんてできなかった」 声を震わせて俯く。 「きっと、これからも、どこかで思い出す」 雨が未来の言葉に合わせて、強くなっていく。 「そんな私じゃ、雨宮さんの隣になんて——」 未来の言葉が最後まで繋がらない。 悠吾は未来を胸に抱いていた。 「いいんだ。俺は…そんな君を好きになったんだから」 「雨宮さん…」 「君の思い出も、想いも、全部欲しい」 未来の目を見ながら言う。 「過去も、これからも、ひっくるめて…俺にくれないか?」 そのまま、悠吾は未来の唇にキスをした。 一瞬、未来は瞬
「悠吾さん? 今日は一ノ瀬さんと汐留出張っすよ」 「え……」 未来の声がフロア内の雑音に消された。 昨晩の気負いが空回った現実に、小さくため息をつきながら、未来は自席のPCに向かう。 電話の音、キーボードを叩く音、誰かの話す声。 自分の周りを様々な音が包むのに、彼の声だけが聞こえない。 -☂️- 課長から渡された作業指示書を見ていると、机の上のスマホが震えた。 ディスプレイを見てみる。 未来は一瞬息を呑んだ。 〈あの窓辺で、君が来るのを待ってる〉 しばらくその文面から目が離せなかった。 未来は震える手でスマホを伏せて、引き出しにそっと仕舞う。 それでも、胸の鼓動は収まらなかった。 午後もずっと未来はデスクに向かっていたが、キーボードを打つ手がなかなか進まない。 PCの時計の表示を見ると、15時を回っている。 引き出しの取っ手に手をかけて、そっと離す。 -☂️- 窓の外が暗くなっている。 時間は19時を過ぎていた。 未来は引き出しからスマホを取り出して、メッセージ欄を見る。 新しいメッセージは来ていない。 けれど……。 未来は鞄にスマホを仕舞うと、席を立つ。 そんな…そんなはずない……。まさか……。 そう思いながら、未来は走っていた。 -☂️- 古い木製の扉を開くと、頭上の鈴が小さくチリンと鳴る。 レコードは止まっている。カウンターの椅子も上がっている。 店内の照明も、半分程落ちている。 未来はそのまま、ゆっくりと奥に向かう。 静かな店内にヒールの靴音が、コツコツと反響する。 窓辺の席の前で、止まる。 「零さん…」 真っ暗な窓の外を、その人はずっと見ていた。 「……やあ、今日も、いい天気だね」 零は未来を見ることなく、ぽつりと言った。 「……なんで」 言いながら、未来の足が一歩前に出た。 視線を落としながら、彼は前を向いた。 「なんで…だろう。無性に、ここで君に会いたくなった」 「会社は…仕事は、どうしたんですか……?」 未来は胸の前で、手をきゅっと握った。 「……」 グレーの瞳に、外を走る車のランプが映る。 「…零、さん?」 その瞳が、悲しげに笑う。 「……息が、出来なくなったんだ」 零はそっと、テーブルの上で手を組み直す。 「そうしたら、思い出した。ここに来ていた頃を…
夕刻、アスファルトを焼くような熱もかなり落ち着いてきた。 頭上を走るゆりかもめの窓が、陽の光を反射する。 高架を渡る駆動音が遠ざかるのを、悠吾は見送る。 駅階段の日陰に入って、後ろからついてくる茉夏に声をかける。 「今日はお疲れ様、一ノ瀬さん」 「悠吾さんもお疲れ様です。良かったですね、先方の了解得られて」 階段を上りながら、茉夏が応える。 「ああ、一ノ瀬さんの提案書も分かりやすくまとまってたからね」 「そんな…大したことないですよ」 少し照れたように、手を横に振る。 「いや、大事なことだよ?伝わるか伝わらないかって」 悠吾は渡り廊下で立ち止まり、茉夏の方に向き直る。 「……一ノ瀬さんって、思っている以上にちゃんと考えてるよね。良く見てるっていうか」 「そ、そうですか?」 「これからも、そういうところ伸ばしていくといいと思うよ」 「…あ、ありがとうございます」 茉夏がはにかんだ笑顔を向けた。 駅ホームのアナウンスが聞こえてくる。 「そろそろ帰ろうか。この後直帰だよね」 悠吾は腕時計で時間を確認する。 「じゃあ、また明日——」 「あ、あの!折角なんで…ご飯、行きません?」 言うと同時に、茉夏が悠吾の袖を掴む。 「?……うん、いいよ?」 -☂️- 白いアーチ状の柵が続く、ターミナルのデッキを茉夏と悠吾は歩いていた。 ビル街の夜景が、視線の先にずっと続いている。 ライトアップされたデッキを、ゆっくりと進む。 「わー、凄いですね。ほら、レインボーブリッジが綺麗に見える!」 茉夏の柔らかい髪を、潮風が揺らす。 少しだけ湿度を含んだ空気で、シャツが肌に張り付く。 「楽しそうだね、一ノ瀬さん」 悠吾がそう言うと、茉夏が少しだけ俯く。 「それは、だって…悠吾さんが……」 「俺…?」 悠吾は、その言葉の先が分からず首を傾げる。 「…悠吾さんって、肝心なところは鈍いんですよね」 唇を尖らせて、茉夏はちらりと見てくる。 「……?」 茉夏が柵に掴まって背伸びをする。 深呼吸をして、振り返る。 「だから、わたしもはっきり言います!」 茉夏の声が大きくなる。 「わたし、悠吾さんが好きなんです!」 瞬間、彼女の頬がみるみる紅く染まる。 「初めて見た時から、気になってました!」 悠吾は目を見開いた。わずかに
指で摘んだ流れ星が、部屋の明かりの中で小さく輝いていた。未来はそれを、ベッドの上でじっと見上げていた。キーホルダーを握り直して、横向きに寝返る。身を屈め、胸の中で抱えるようにして丸まる。窓の外の雨の音を聞きながら、未来はそっと目を閉じた。初めて図書館で見た時よりも、彼が近くに居てくれて、心地よくて。雨の音が部屋を静かに満たしていく。……雨宮さん。口の中で、名前を呟いた。あの時の、ジャケットに残った体温。—……これ、使っていいから—未来の胸の中が少しくすぐったくなった。—……飲む?—手の中の缶コーヒーの温もりよりも、その優しさがずっと温かかった。なのに……。彼の頭を撫でてくれた手が優しすぎた。思い出して、未来は唇を噛んだ。…いっそのこと、全部忘れてしまえたら楽なのに。一瞬そんなことがよぎったが、指の中で、キーホルダーがチャリっと鳴った。初めて彼を見たのも、こんな雨の日だったのを思い出した。-☂️-雨がしとしとと降っている。それはどこか自分の涙のようで。あの人と別れてから、どれだけ経ったか。すごく最近だったような、でも、ずっと前だったような。未来は逃げる場所を探していた。毎日がただ空っぽで、あの人が居なくなった隙間を、持て余していた。道を歩いていると、小さな図書館が見えた。なんとなく、ここなら空っぽの心を埋められるんじゃないか。未来はそんな期待だけで、入ることにした。室内は、静かだった。雨の音が遠くに聞こえる。誰かが本をめくる音や、軽く咳払いをする音。靴の音がコツコツと響く。それだけだった。棚から本を探す。内容なんて何でも良かった。"今"から目を背けられるなら。本を数冊取って、辺りを見回す。外の光が入る窓際の席が目に止まった。座って、本を置いて…。その時、数席空けて、一人座っているのが見えた。未来はほんの少し目を見張った。雨の窓辺で、頬杖をついて、本を読んでいる男性。こちらの視線には全く気づいていない。静かな、自分だけの世界にいる人。そんな印象だった。-☂️-未来が図書館に行く度に、その人は必ずそこにいた。その背中、その横顔。何となく目で追うようになっていった。別に、何かを言ってくれるわけでも、何かをしてくれるわけでもない。でもどこかで未来は、自分の中でこの人と約束を