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11ー2

last update Last Updated: 2025-10-02 09:34:34

「君には遠慮して話さなかったって書いてある」

「ああ……。きっと僕が、いつも父さんを怒ってばかりいたから……」

 なにかにつけて突っかかる僕に、父は気をつかったのかもしれない。いや、きっとそうに違いなかった。父が生前、なにを考えていたのかなんて、幼い僕は考えようとせず、かまってくれないと、怒ってふてくされるばかりだった。感情的にならずに、もっと話をすればよかったのに、どうしてそんなことができなかったのだろう。どうして、父が自分勝手だと、仕事人間だと決めつけてしまったのだろう。

 僕のせいだ……。

 僕はため息をく。すると途端に、ハーヴィーは「オリバー」と名前を呼び、ぎゅっと僕を抱きしめてくれた。

「違うよ。君のせいじゃない」

「ハーヴィー……」

「お父さんやみんなが君に遠慮したのは、君が怒っていたからじゃない。きっと――君の将来を決めつけないためさ」

「決めつけないため……?」

「そうだよ。君の将来は君が決めるべきだし、君にはたくさんの可能性がある。なんにでもなれる。でも、馬具屋の息子に馬術をさせて、みんなが夢を負わせたら、君の将来は自然と強制されてしまうだろ」

「……だから、あえて僕には言わなかったってこと?」

「ぼくはそう思うよ。君が自分で夢を見つけるまで、みんなは我慢して黙っていたんじゃないかな」

 ハーヴィーの優しい言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。本当のところはわからない。祖父の書いた「遠慮」という言葉がどういう意味なのか。それを考えてみても、僕には自分のせいだとしか思えなかった。仕事に明け暮れる父に、僕はいつも不満があって、感情的になって、怒っていたからだ、と。だが、ハーヴィーのくれた言葉には、少なからず僕は救われていた。

「もしかしたらさ、君のお父さんは、オリバーに馬の仕事に興味を持ってほしくて、それで仕事を頑張っていたのかもしれないよ」

「僕のために……? そうなのかな……」

「きっとそうだよ。ぼくは君の家族を知らない。会ったこともない。でも、今の君を見ていれば、君がすごく愛されていたんだってことはわかる。君のお父さんはきっと夢中だったんだ。いつか君が同じ世界に立つ日を夢に見て、仕事が楽しくて、しようがなかったんだよ」

 ハーヴィーがそう言った。優しい声と言葉に、自然と目の周りが熱くなってくる。心がほろほろとほぐれていく感覚
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